Tuesday, February 28, 2017

原発に抗して生き抜く庶民とジャーナリスト

本田雅和『原発に抗う――『プロメテウスの罠』で問うたこと』(緑風出版)
敬愛するジャーナリストの本だ。原発問題をしっかり取り上げてきた出版社から、ぎりぎり2016年最後の日に出版された。
福島原発事故をどの視点からどのように語るか。政府の原子力政策をストレートに批判することも必要だし、東電の無責任体制を糾弾することも必要だ。避難者に対する政策や、復興の在り方を批判することも重要だ。メディアの責任も、御用学者の責任も、騙されていた私たちの責任も。実に多様なテーマがひしめいている。どのテーマももっともっと掘り下げが必要なのに、今や「風化」が語られている。
本書は、原発事故と放射能被曝の恐怖の中で生き抜いて、闘っている市井の庶民に光を当てる。
「第1章 希望の牧場」では、殺すべき牛を殺さずに育て続けている浪江町の希望の牧場の吉沢正巳の呻き声を、涙を、憤激を、伝える。吉沢とともに泣き、笑い、闘う人々の苦悩を伝える。人には語ることのできない体験と記憶がある。語れば語るほど見えなくなる襞がある。著者は、吉沢の激しい転戦を追いかけ、研ぎ澄まされた感性を、読者に伝えようとする。
「第2章 原発スローガン「明るい未来」」では、「原子力 明るい未来のエネルギー」というスローガンを考案した大沼勇治の「看板撤去」の訴えを掘り下げる。このスローガンを考案した12歳の少年だった大沼は、原発事故の記憶と記録を残し、教訓とするため、スローガンを残すよう求めると同時に、「26年目の訂正」として「原子力 破滅 未来のエネルギー」を打ち出す。自らを責めることから、本当の未来に向かって歩むことを学び、歩み始めた庶民の闘いがここにある。同時に、現場で生き抜く庶民に鍛えられたジャーナリストの報告である。
フクシマ事故によって人生を破壊された無数の人々の、ほんのわずかな例ではあるが、本書は終わらないフクシマの悲劇の一断面を鮮やかに描き出す。
「エピローグ/追記/惜別」では、著者が「師」と仰ぐ高木仁三郎への想いが提示されている。1980年代後半から高木に学んだという著者は、高木の訃報記事を最後に掲載している。これだけでは多くの読者にきちんと伝わらないのではないかとも思うが、ここから高木に関心を持ち、調べる読者もいるかもしれない。私も、チェルノブイリ事故の後、高木の講演会に何度か足を運んだ。市民科学者という提唱にも賛同できる。私たちはまだまだ高木に学び続けなければならないと思う。
せっかくの好著だが、違和感を抱かせられるところもないわけではない。新聞記者から弁護士となり、原発事故後に東京電力の情報隠しを追及した人物をヒーローとして極めて高く評価し、持ち上げている点は特にそうだ。
私はこの人物と国際人権法をめぐって論争したことがあるが、およそ基礎知識もなく出まかせを並べるだけだった。国際人権法の初歩を間違えていることを指摘したところ、逃げ回り、結局、誤りを訂正することもしなかった。最初は単なるミスで済むが、誤りを認めず、訂正もせず逃げたのは嘘つきと非難されてもやむを得ないだろう。弁護士としてもジャーナリストとしても失格だ。だから「インチキ弁護士」という称号を献呈した。その人物が、本書では、病魔と闘いながら、人のために尽くした素晴らしい弁護士として登場する。ニセモノを見抜く力も必要だろう。

日本列島は楽しい! ブルーバックス2000冊

山崎春雄・久保純子『日本列島100万年史』(ブルーバックス)
日本政治は愚劣で情けないが、日本列島は楽しいことがわかった。自然地理学・地形学から見た、第四紀の日本列島形成史だ。100万年の歴史変容だが、地球46億年からいえば「現代」だという。思いがけない視点の連続。
総論に続いて、北海道、東北、関東から九州まで、順次、特徴を描き出している。北海道では、大雪山と氷河期とナキウサギ、そして石狩平野と泥炭地の話。札幌出身の私にはなじみの土地の話だ。関東では、武蔵野や高尾山も出てくる。八王子在住の私の地元。といった形で、全国各地の地下、火山、平野、河川、海盆の読み方が見えてくる。
ふだん地形学の本を読むことはまずない。原発問題に関して地震学の本を読む程度。本書を購入したのは、ひとえにブルーバックス「通巻2000番突破!」、だからだ。
1963年に始まったブルーバックス、50数年で2000冊だ。ブルーバックスにはお世話になった。高校時代から何冊読んだことだろう。理科系が苦手の私は、毎年必ずブルーバックスを2~3冊読むようにしてきたので、たぶん100冊以上は読んでいる。量子力学や相対性理論はもちろんブルーバックスで学んできた。いま同僚の一人が元『ニュートン』の編集者だが、彼も高校時代からブルーバックス派だったそうだ。

Monday, February 27, 2017

あらゆる闘争の集約が必要だ

佐高信・浜矩子『どアホノミクスの正体』(講談社+α新書)
辛口コンビというか、過激な論客というか、正論の神髄というか。
アベノミクスはとっくに破たんしているのに、アベシンゾーはひたすらごまかし路線だし、ジャーナリズム精神なきマスコミがそれを支えているが、破たんしているかどうかが問題なのではない。浜によると、破たんしていようがいまいが、そもそも「人間を無視したインチキ経済学」を容認してはならないのだという。なるほど、と思う。アホノミクスは経済政策ではなく、戦争国家をつくる政策である。なるほど。これほどひどい事態にもかかわらず、貧困が抵抗に向かわず、独裁を支えてしまう末期症状をいかに治療するのかが問われる。
佐高節と浜節が激突して独特の妙味を感じさせる。随所で現実に怒りを覚え、随所で2人の話に笑えるところも、なかなか。
一番笑えたのは、佐高が「私は朝日新聞元主筆の若宮啓文と親しかった」と言いつつ、「若宮が腰を据えて闘わなかったのはクリスチャンだったからだ」と述べたのに対して、浜が、クリスチャンが「右の頬を打たれたら、左の頬を差し出す」という言葉は誤解されており、「イエス・キリストは戦闘的な人です」と解説した直後に、若宮が「戦闘的でなかったのはクリスチャンだったからというよりは、朝日新聞だったから」と見事なオチをつけているところだ。
私なら「若宮のような御用聞きがそもそも闘うはずもない」と切り捨てるところだが。ちなみに佐高によると、早野透も洗礼を受けていたという。さて、早野。
それはともかく、安倍政権、日銀、財界、マスコミの腐敗暴走集団をなんとかしないと、この船は本当に沈没してしまう。浜は最後にこう述べている。
「貧しい者、弱い者の側に本気で立つなら、ヤクザであろうと何だろうと歓迎でいいでしょう。アホノミクス的な人権侵害を蹴散らかしていくには、あらゆる弱者を包摂する、あらゆる闘争の集約が必要なのだと思います。」

ASEAN経済共同体の行方

岩崎育夫『入門東南アジア近現代史』(講談社現代新書)
欧州共同体がイギリスの離脱問題で揺れているように、地域共同体には新たな限界が示されてきたが、東アジア共同体論のためにも、多様な地域共同体の成果と限界を踏まえる必要がある。2008年にASEAN憲章がつくられた地域はどうなっているのか。そうした関心から読んでみた。結論として、そうした関心への答えは示されていない。
本書はむしろ「多様性の中の統一(協調)」という言葉が繰り返されるように、もともと地理的にも多様で、諸国の領土面積や人口も大小バラバラ、宗教的にも民族的にも多様なこの地域が、どのような複雑な歴史を経て、今日のASEANの挑戦にたどり着いたかを明らかにすることにある。土着国家の時代から、植民地期を経て、日本の戦争被害を受け、戦後の独立過程も多様だが、それぞれに農業国家から工業国家への転換を遂げてきた諸国の、共通性と差異を何度も何度も確認しながら、本書は全体像を示す。
インドネシアのような地域大国から、ブルネイ、東ティモール、シンガポールのような小国まで、比較するのも不思議なくらいかけ離れた諸国である。大陸の国家(ヴェトナム、ラオス、カンボジア、タイ、ミャンマー、マレーシア)と島嶼国家(フィリピン、ブルネイ、インドネシア、東ティモール)。仏教のミャンマー、タイ、ラオス、カンボジア、イスラムのインドネシア、マレーシア、ブルネイ、キリスト教のフィリピン、東ティモール。こうした差異にもかかわらず、長い時間をかけて拡張してきたASEANであるから、性急な統合には走らない。多様性の中の統一がめざされる。
その意味では、ASEAN経済共同体もはじまったばかりであり、その帰趨は読めないし、著者は安直な予測はしない。東アジア共同体論にとって参考になる記述はほとんどない。とはいえ、東南アジアの政治、経済、社会が孕む課題がよく分かった。

Saturday, February 25, 2017

国立現代美術館キアズマ散歩

ヘルシンキの風は重く、つらかった。
ヘルシンキ中央駅から郵便局を横切るとすぐに国立現代美術館キアズマだ。スティーブン・ホールの設計によるモダンな舟形のホールだ。外観も内部も贅沢にできているというか、空間の使い方から言えば、かなり無駄をしているのが特徴だ。展示スペースがごく限られるのはやむを得ない、という判断だったのだろう。
2つの展示をしていた。本来は3つのはずが、1つ(常設展)はいま入れ替え中のため、閉鎖されていた。常設展を見たかったのに、と思いながら、2つの展示を見た。
1つは「モナ・ハトム個展 Mona Hatoum」。彼女は、1952年、ベイルートで、パレスチナ人の両親のもとに生まれた。ロンドンで学び、いまもイギリス市民でイギリスを中心に活躍している。この個展は、パリのポンピドーセンターが企画したものを各地巡回しているという。フィンランドではモナ・ハトゥムは初めて紹介される。
モナ・ハトゥムは最初はパフォーマンス・アーティストで、映像も駆使していたが、90年代から彫刻やインスタレーションに力を入れるようになった。家具、空間、テキスタイル、鉄、砂、照明器具、絵写真、映像その他、何でも使う。
最後に展示された「地図」は、透明のガラス球を数百個(数千個?)床に並べて世界地図を描いている。それだけ。ただそれだけの、床とガラス球による作品だが、作品の前でじっと考え込んでいる人が結構いた。
北アイルランド生まれのパレスチナ人の作品という「先入観」通りの政治的アートがずらり。監禁、監視、暴力に抗する精神が、ストレートに表現されている。政治犯に対する拷問をテーマとしたインスタレーションが目立つ。「見る者と見られる者」を映像の内部と外部に2重に設定した作品も。
「+と-」という作品は、円形のテーブル内に茶色の砂を敷き詰め、回転する2つの板で、砂を動かす。1枚の板は砂に山を作り(円形の多重のラインを作り)、もう1枚の板は砂を均して平面にする。その繰り返しがずっと続く。対立する2つの力、つくることとこわすこと、建設することと破壊することを表現している。誰もがイスラエルとパレスチナを思い浮かべるように。
重い課題に正面から向き合って、重いものは重いままに、つらいものはつらいままに、表現し、鑑賞させる。
もう1つの展示は、「メエリ・コウタニエミとアルマン・アリザドMeeri Koutaniemi & Arman Alizad」。メエリ・コウタニエミは1987年生まれの写真家で、東南アジア、中東、アフリカ各地で撮影している。アルマン・アリザドは、1971年生まれのTVドキュメンタリスト。今回はメエリ・コウタニエミの写真展示が中心だが、2人で作成した映像が2016年秋にフィンランドで放映された。その上映も行っていた。
上映作品は、2011年、ノルウェーにおける前代未聞の「テロ事件」の被害者たちへのインタヴューだ。コンセプトは、衝撃的な被害を受けて生き延びた人々や遺族が受けたトラウマと、被害者のままではいたくないと思い、トラウマを克服しようとする人々がぶつかる壁だ。つらい映像である。
写真の方は、インド、ケニア、タイなど各地で撮影されたもの。暴力を受けた女性、難民女性、FGMをされた女性の写真が中心。ゴミ捨て場をかき分けて、何かを探す人々。キャンプを移動する人々。うちひしがれた女性。呆然とたたずむ少女。
一番最後に、世界の難民状況、国内避難民の状況が開設されていた。シリア、コロンビア、スーダン、南スーダン、ブルンジ・・・。そして、「世界では数百万の難民があふれているのに、昨年フィンランドが受け入れた難民はわずか1000人にも満たない」と大書されていた。厳しい告発だ。
厳しい告発? 1000人にも満たない? 人口550万のフィンランドで?
モナ・ハトゥム。メエリ・コウタニエミ。
2人の女性の現代アートは重く、つらく、切ない。全部見終えて、1階のカフェにぐったりと腰を下ろす。
改めて見ると客は地元フィンランドの人々だ。年代に偏りはない。年配のカップルが多いと言えば多いかもしれないが、若者たちもかなり来ていた。一群の少年たちが軽やかに、時に走るように。恋人同士が肩を寄せ合いながら。どうしてこういう展示に、こういう人々が多数やって来るのだろう。少し不思議な思いをしたのは、つい日本と比較するからか。

保守なき時代の保守の迷走

菊池正史『安倍晋三「保守」の正体――岸信介のDNAとは何か』(文春新書)
空港の小さな書店で本を探したところ、池上、佐藤、養老、橋爪、大澤、ビートたけしが積んであった。余りのくだらなさにめまいがしそうに。もう少し大きな書店で、数冊まとめ買い。そのうちの1冊。
著者は日テレ政治部デスク。「安倍一強」の現実が、しかし、「熱狂なき勝利」にすぎず、「国民を覆う閉塞感」を否定できない現状で、安倍改憲路線はどこへ行くのか、国民をどこに連れて行こうとしているのかを問う。
そのために安倍の著作や発言を詳細に読み解くのも一つの方法だが、本書は、逆に歴史をさかのぼり、戦後保守政権史を追跡する。著者は、安倍の祖父・岸が開戦の責任者のひとりであったにもかかわらず、戦後、ただ一人政権の座に就いたことに焦点を当てる。あれだけ国土を破壊し、人命を奪いながら、反省もないままに政界に復帰する「究極の再チャレンジ」。その岸の路線を「岸的保守」と呼びつつ、吉田茂、池田隼人から田中角栄につながる「戦後保守」の流れと対比する。岸的保守は戦前への回帰、エリート主義であり、吉田的保守は大衆性に特徴があるという。両者の反目と交錯の流れを中曽根、大平、福田、小泉、安倍と追いかけて、安倍の保守とは何かを浮き上がらせる。
ただ、著者は、安倍が本当に岸の保守を継承しているのかと問い、半ばは肯定しつつも、半ばは否定する。時代の変化もあるが、それ以上に日米関係の在り方が違う。反米ながら日米安保に進まざるをえなかった岸と、なりふり構わぬ従米の安倍とはおよそ歴史観も価値観も異なる結果になるからだ。安倍の「戦後レジームからの脱却」は、アメリカの許す範囲という制約が最初からついている。
「安倍は、アメリカがつくった『戦後体制』からだけではなく、『大衆化された政治』という『戦後保守』の本質からも抜け出せていない」という。そこから著者は、すべて我々、大衆にかかっているとして、大衆の問題意識のありようを問う。
なかなか勉強になるが、安倍政権を「保守」と位置付けること自体に疑問があるし、そもそも岸を保守と見ることも危うい。革新官僚から昭和維新、そして「満州国」へと歩んだ岸がいったいいつ保守だったのだろうか。著者に限ったことではないが、戦後日本政治史では、保守と革新という言葉が奇妙な使われ方をしてきたことに問題がある。

アテネウム美術館散歩

ヘルシンキの風は冷たく、痛い。
町の中心部にも雪が残っているし、道路が凍っているので歩くのも一苦労だ。頬や手に痛みを感じながら元老院広場に出てヘルシンキ大聖堂を見物。そこからヘルシンキ大学脇を抜けて、アテネウム美術館に出る。美術館前の駅前広場にはスケートを楽しむ市民たち。
アテネウム美術館は130年の歴史を持つフィンランドの代表的美術館だ。特に民族の叙事詩「カレワラ」を題材にしたアクセリ・ガレン・カッレラの作品で知られるという。
展示は「フィンランド美術の物語」というテーマ設定で、19世紀の絵画に始まり、地元の画家や、パリで活躍した画家の作品、「カレワラ」関係の作品、世紀末から20世紀にかけての多様なアート、さらには1940年代の戦争中の雰囲気を伝える作品など、年代順に展示されている。90分ほどのんびりと眺めた。解説がほぼ英訳されているので助かる。もっとも、売店に置かれた「美術館ガイド」はフィンランド語しかなかった。また、ゴッホ、セザンヌ、ムンクなども数点。ル・コルビュジェまであった。
絵葉書を5枚。
アレクサンダー・ローレウス「夜の農家の火事」1809年
ロベルト・ウィルヘルム・エクマン「イルマター」1860年
グレタ・ヘルフォルス・シピロ「聖ジョン教会」1918年
スルホ・シピロ「5月の初日」1932年
サーリネン「自画像」1940年
カッレラの「アイノの神話」はなぜか絵葉書になっていないようだ。

Wednesday, February 22, 2017

『志布志事件は終わらない』出版記念シンポジウム3.26東京

『志布志事件は終わらない』出版記念シンポジウム
 <冤罪と報道を考える>
日時:3月26日(日)午後2時~5時(開場1時30分)
会場:スペースたんぽぽ(たんぽぽ舎と同じビルの4階)
参加費:500円
パネリスト
梶山 天(朝日新聞記者)「志布志事件を暴いた調査報道」
木村 朗(鹿児島大学教授)「現代社会の病理としての冤罪と報道被害」
辻  恵(弁護士、元衆議院議員)「志布志事件と可視化問題」
山口正紀(人権と報道連絡会世話人、元読売新聞記者)「メディアは諸刃の剣」
コーディネーター
前田 朗(東京造形大学教授)
志布志事件とは、2003年春の鹿児島県議選に際して贈収賄があったとして、でっち上げられた冤罪事件です。
事件そのものが存在しないにもかかわらず、鹿児島県警は机上で事件を捏造し、多数の住民を取調べ、自白を強要し、犯罪者に仕立てようとしました。長時間取調べ、人格を貶め侮辱する取調べ、「踏み字」の強要など、無辜の市民に自白を強要、逮捕・勾留した上に起訴に持ち込みました。市民の日常生活が根本から破壊され、自殺者が出るなど、関係者の人生が粉々に砕かれました。
2016年8月、「叩き割り」国賠訴訟が終結し、これによってすべての裁判で住民側が勝利しました。しかし、鹿児島県警は謝罪せず、事件の真相は闇に隠されたままです。
追い込まれながら立ちあがった住民とともに、冤罪事件を明るみに出すにあたって大きな役割を果たしたのは弁護団と報道でした。弁護団は事件が捏造にすぎないことを明らかにし、無罪判決を獲得するにとどまらず、日本の刑事司法の闇を切り裂く闘いを繰り広げました。ジャーナリストは、真相を隠蔽する警察権力の不正を暴き、世論に訴えました。10年を超える歳月をともに闘った市民、弁護士、ジャーナリストの共著『志布志事件は終わらない』の出版を記念して、本シンポジウムを開催します。
問合せ先:090-2594-6914(藤田)

ヘイト・スピーチ研究文献(94)

「特集 台頭する差別・排外主義――「差別禁止法」の制定を」『部落解放ひろしま』99号(2017年)
芝内則明「鳥取ループ・示現舎の差別性・犯罪性」
金尚均「ヘイトスピーチ・インターネットの差別書き込みと差別禁止法」
樋口直人「排外主義と政治」
特集以外に次の論文も。
一木玲子「相模原事件を通してみる学校教育」
岡田英治「『部落差別解消推進法』をどう見るか」

Tuesday, February 21, 2017

梁英聖『日本型ヘイトスピーチとは何か』(3)

梁英聖『日本型ヘイトスピーチとは何か――社会を破壊するレイシズムの登場』 (影書房、2016年)
梁は、「第5章 なぜヘイトスピーチは頻発しつづけるのか?――三つの原因」で、これまでの叙述をまとめる。
第1の原因は「反レイシズム規範の欠如」である。「なぜ従来の反差別運動の力が、反レイシズム規範を成立させることができなかったのか」と問い、「国内的要因」として、「植民地支配時代からのレイシズム法制を入管法に引きついだ一九五二年体制」の確立と、「戦後日本に欧米とは異なる特殊な企業社会が成立したこと」をあげる。「企業の競争原理が市民社会全体を一元的におおっている」日本の企業社会への注目である。民主主義の脆弱さと左派政権の不在、産業民主主義の不成立、差別を内包する日本型雇用システムが社会的規範となったことが確認され、その中での反差別運動には限界があったとされる。
第2の原因は「上からの差別煽動」である。戦後におけるレイシズム暴力事案を見ても、「レイシズムが継続的な曲活動の組織化へと結びつく新しい社会的回路」ができたという。「パチンコ疑惑」「核開発疑惑」「テポドン事件」「拉致問題」など、日本政府や政治家によるレイシズムが噴出した。高校無償化問題もその典型例である。
第3の原因は「歴史否定」である。ドイツと異なり、東アジア冷戦構造の中で、日本は歴史否定の規制を行う必要がなく、むしろ歴史修正主義が権力の地位についてきた。1990年代以降、歴史修正主義が堂々と語られてきた。その延長上に在特会があるという。
以上をまとめて、梁は「グローバル化と新自由主義が招いた東アジア冷戦構造と企業社会日本の再編』と表現する。
「本章で分析した三つの原因を人びとが是正・抑制できなければ、レイシズム煽動が流血の事態にいたることを止めることができない。それはマイノリティを破壊するだけでなく、マジョリティの人格を腐敗させるにとどまらず、民主主義と社会を最終的に圧殺せずにはいないはずだ。」
現代日本のレイシズムとヘイト・スピーチの要因の分析として優れている。
梁は、「第6章 ヘイトスピーチ、レイシズムをなくすために必要なこと」において、レイシズムと闘い、ヘイト・スピーチを克服するための戦略を練る。レイシズムの原因を主に三つに整理したので、当然のことながら、対策もその三つに即して語られる。
第1に「反レイシズム規範の構築――反レイシズム1.0を日本でもつくること」である。人種差別撤廃条約の理念に基づいた反レイシズム法をつくらせることである。そのために、被害実態調査、被害相談、反レイシズム教育が重要である。
第2に「反歴史否定規範の形成」である。戦後補償問題に見られるように、何よりも、真相究明、事実の認定が必要である。
第3に「「上からの差別煽動」にどう対抗するか?」である。「まずは一般的な民主主義を叩かいとること」とされる。
「おわりに――反レイシズムを超えて」で、梁は、次のように述べる。
「日本のヘイトスピーチは、従来の在日コリアンへのレイシズムとの連続性をもちつつも、それとは一線を画した異質性と桁ちがいの危険性をもつレイシズム現象だ。そのためこれを放置すると、マイノリティを徹底的に破壊するだけにとどまらず、加害者個人のみならずマジョリティ側の人格・モラルをも腐敗させ、ついに民主主義と社会を壊す。」
「だが、本当の課題は、そもそもレイシズムが起きる社会的条件を別のものにおきかえることだ。本来は、レイシズムが必然的に暴力に結びついてしまう近代社会そのものをどうするかという問題に向きあわねばならない。反レイシズムは『反レイシズム』だけでは不十分なのである。」
かくして、私たちは20年前、1990年代の課題に立ち返ることになる。人種差別撤廃条約の批准と履行を求める闘い。戦後補償を中心とする政府の責任追及と、真相解明と、歴史修正主義との闘い。相次ぐ政治家の差別発言、妄言を許さない闘い。
梁の分析と問題提起は重要である。レイシズムによる差別被害を受け続けてきた在日コリアンの一員であり、いまなおヘイト・スピーチの暴力被害を受けている梁が、自分が置かれた状況を冷静に研究・分析し、変革の課題に結び付けて調査し、運動し、発言している。その考察は歴史的かつ社会的であり、現場の体験と運動に発し、同時に文献資料も活用して、的確に認識し、展望を切り拓こうとしている。本書に学ぶべきことは大きい。
在日コリアンにこのような研究と運動に取り組まなければならないようにしてきた日本社会の一員として、私はまず自らを恥じ入り、そして思いを新たにしてレイシズム研究に取り組まなくてはならないと思う。
最後に若干の感想を付け加えておこう。
第1に、梁がたどり着いた地点、提起する解決のための闘いは、1990年代からずっと同様に意識されてきた課題である。その意味で新しいことではない。同じ問題意識を有しながら、解決のために取組が続けられた。人種差別撤廃条約の批准、その履行実践、その他の国際人権法の実践、難民、移住者をはじめとする人々の人権擁護・・・さまざまな課題が取り組まれた。ところが、事態は改善と言うよりも、かえって悪化したのではないか。この四半世紀の運動をどう総括するのか。改めて問われている。
第2に、現代日本のレイシズムの独自性、特殊性と普遍性の解明作業も不可欠である。私自身は21世紀植民地主義、グローバル・ファシズム、<文明と野蛮>を超えて、植民地支配犯罪論といったタームで論じてきたが、まだ不十分である。当面は「500年の植民地主義」と「150年の植民地主義」という区分の上で再検討しようと考えている。
第3に、梁の分析では、天皇制が焦点化されていない。天皇制とレイシズムを直接正面から問うことは、まさにヘイトのターゲットとされることを意味するので、日本人がきっちり取り組むべき課題であろう。また、梁は、「日本国憲法のレイシズム」について取り上げていない。日本国憲法は13条で個人の尊重、14条で法の下の平等を掲げているにもかかわらず、実際にはレイシズムを内在させた憲法である。このことを憲法学は軽視してきた。日本国憲法を貫くレイシズムを軽視するから、「憲法は表現の自由を保障している」という稚拙な理由で ヘイト・スピーチを擁護する憲法学者が続出するのだ。「日本国憲法のレイシズム」は私自身の次のテーマである。
第4に、梁が「レイシズムは民主主義を壊す」と述べているのは、このテーマに近接している。刑法学者の金尚均がヘイト・スピーチの保護法益として人間の尊厳を論じる際に社会参加や民主主義について語るのも同じことである。私の文章で言えば、前田朗「ヘイト・デモは民主主義に反する――国連人権理事会のパネル・ディスカッション」『無罪!』2016年7月号参照。レイシズムやヘイト・スピーチは民主主義と両立しない。にもかかわらず、日本の憲法学者は民主主義と表現の自由を論拠にヘイト・スピーチを擁護するという離れ業を続けている。
最後になるが、2016年12月に出版された梁の著作が、2015年4月に出版された私の『ヘイト・スピーチ法研究序説』を無視しているのは残念である。

Monday, February 20, 2017

ヘイト・スピーチ研究文献(93)

上瀧浩子「ヘイトスピーチ裁判の意味と課題」『部落解放』739号(2017年)
李信恵「差別がない未来へ一歩一歩」『部落解放』739号(2017年)
在日特権を許さない市民の会と櫻井誠前会長によるヘイト・スピーチ被害を受けて、名お毀損訴訟を提起し、16年9月27日、大阪地裁で見事、勝訴判決を獲得した代理人弁護士と原告本人の文章である。私も「意見書」を書かせてもらったので、大いに喜んでいる。なお、複合差別や、インターネットの特性を配慮していないとして控訴したので、大阪高裁に係属中。
『部落解放』739号の特集「部落差別解消推進法成立」には下記の論文もあり、重要である。
西島藤彦「インタビュー法律の実効性を運動によって実現させる」
奥田均「部落差別解消推進法を読む」
炭谷茂「部落差別のない社会をめざして」
内田博文「部落差別解消推進法の意義と残された課題」
さらに、
小林敏昭・渡邉琢「対談・相模原事件がわたしたちにもたらしたもの」

梁英聖『日本型ヘイトスピーチとは何か』(2)

梁英聖『日本型ヘイトスピーチとは何か――社会を破壊するレイシズムの登場』(影書房、2016年)
梁は、「第4章 欧米先進諸国の反レイシズム政策・規範から日本のズレを可視化する」で、反レイシズムの3つの型を次のように提示する。
1 人種差別撤廃条約型反レイシズム――国連と欧州(ドイツを除く)
2 ドイツ型反レイシズム 
3 米国型反レイシズム 
このうち人種差別撤廃条約型反レイシズムが「世界でもっとも基本的な反レイシズムのモノサシと言える」「スタンダードなレイシズム禁止法」であり、「ドイツを除く欧州や世界各国で採用されている」という。ドイツ型反レイシズムは「ナチズムの過去の克服として極右を規制し、歴史否定に反対する規範をつくったという。米国型レイシズムは公民権法によりレイシズムを違法化しつつ、差別を行為/言論に分けて、言論を保護し、その結果、ヘイト・スピーチを容認する。
梁は、3つの型の差異と共通性を検討した上で、欧米先進諸国も、ムスリム差別、植民地主義、難民への対処、資本主義という4点で難問に直面しているとみる。
それでは日本はどうか。梁は「4 欧米先進諸国の反レイシズムと日本の現状」で、次のように指摘する。
「日本には、第一の人種差別撤廃条約型のようなレイシズムとレイシズム煽動を規制する国内法がない。これは九五年に人種差別撤廃条約を批准して以後も変わらない。」
「第二のドイツ型のように『過去』との類似性をモノサシとしてレイシズムを測る規範もない。」
「第三の米国型のような、マイノリティ側の表現の自由を尊重しアファーマティブ・アクションを重視するやり方での反レイシズムも、日本には皆無だった。」
従って、これら3つの型を日本にそのまま当てはめることはもちろんできない。しかし、現在の日本でヘイト・スピーチをなくすという課題は意識されている。それゆえ、ヘイト・スピーチをなくす課題を手掛かりに差別をなくす課題を認識させることが重要だという。
梁の主張は明快であり、大筋的確である。以下、若干のコメント。
第1に、欧米先進諸国の経験をそのまま日本に当てはめることができないとしつつ、それぞれの型がどのように形成され、その後の展開を示しているかを確認し、そこから日本をどのように見るかを検討する手法は合理的である。そのさい、人種差別撤廃条約という「普遍性」を帯びた型と、ドイツ型、米国型を対比し、全体を把握したうえで、日本的特質を導き出すのも適切であろう。
第2に、日本には差別禁止法がなく、ヘイト・スピーチ規制法もなく、歴史否定を犯罪とする法もなく、およそ反レイシズム規範が形成されて来なかったという特質の指摘も納得できる。このことは人種差別撤廃員会が繰り返し指摘してきたことである。人種差別撤廃員会でのロビー活動に協力してきたNGOの共通認識でもある。差別禁止とヘイト禁止のための総合的な法政策の必要性は、人種差別撤廃条約以来、半世紀に及ぶ国際人権法の常識と言ってよい。
第3に、梁が、世界をいちおうは見渡しつつも、実際には欧米先進諸国に絞り込んだ議論をしていることが気になる。欧米先進諸国の大半が旧植民地宗主国であり、レイシズムを生み出した本拠である。欧米先進諸国におけるレイシズムの形成と展開を抜きに、欧米先進諸国における反レイシズム違反を出発点としているように見える。
レイシズムに関する記述が先行しているが、反レイシズム規範を有する諸国が、今現在、植民地主義や資本主義という問題に直面しているという整理は、歴史的にも論理的にも逆転しているのではないだろうか。
第4に、歴史否定問題をレイシズム認識、レイシズムと闘いの問題として位置付けているのは正当である。重要な指摘だ。特に日本の現状に対する批判として、この指摘を繰り返す必要がある。ただ、ドイツの特殊性に偏りすぎていないだろうか。ナチスドイツの歴史に反省して、というのは正しい認識であるが、同時に、「アウシュヴィツの嘘」処罰に代表される歴史否定犯罪の処罰は、フランス、オーストリア、スイス、リヒテンシュタイン、スペイン、ポルトガル、ストヴァキア、マケドニア、ルーマニア、アルバニア、イスラエル、モンテネグロ等にある。加害側のドイツだけでなく、被害側や中立国にもある。

梁英聖『日本型ヘイトスピーチとは何か』(1)

梁英聖『日本型ヘイトスピーチとは何か――社会を破壊するレイシズムの登場』(影書房、2016年)
http://kageshobo.com/main/books/nihongatahatespeech.html
12月に出た最新のヘイト・スピーチ関連本である。著者は、1982年生まれの在日コリアン3世で、一橋大学大学院言語社会研究科修士課程。2015年に、NGO「反対レイシズム情報センター(ARIC)」を立ち上げて活動している。
ヘイト・スピーチ関連本はすでに、現状を把握するためのジャーナリストによる報告、法規制に関連する研究者・弁護士の法律論、アメリカや欧州諸国におけるヘイトの動向とそれへの対策を論じた著書など多数ある。本書は、そうした情報も参考にしつつ、日本におけるヘイト・スピーチの歴史と現状、特徴とそれへの対策を正面から論じている。
「序章 戦後日本が初めて経験するレイシズムの危険性を前に」では、「最悪のレイシズム現象としてのヘイトスピーチ」について、その危険性を可視化するために、「反レイシズムというモノサシ」、「差別煽動」をキーワードとし、反レイシズムの欠如が在日コリアンを沈黙に追い込んできたことを指摘し、「沈黙効果」の多元性を説く。
「在日コリアンは、本来もっているはずの、レイシズム被害を語る力も、人間性を失わないために自分のアイデンティティを活用する力も、それらを社会を変えるために発揮する力をも、右のような社会的条件のために削がれつづけている。これが、ヘイトスピーチの『沈黙効果』以前に、はるかに徹底的に在日コリアンの若者を黙らせてきたのだ。」
こうした問題意識も含めて、梁は、本書の課題をまとめている。
「本書は、日本のヘイトスピーチの危険性、社会的原因、有効な対策について考えていく。その際、欧米の経験を抽象化した一般論にとどまらず、日本という個別具体的な歴史的・社会的文脈の中に位置づけて、その特殊性に着目する。そして、反レイシズムというモノサシを身につけることを通じて、日本のレイシズム問題を『見える』ようにする。」
「第1章 いま何が起きているのか――日本のヘイトスピーチの現状と特徴」では、日本の現状を取り上げる。梁は、「二〇一三年六月 東京・大久保にて」及び「ひどすぎてありえない差別の登場」で、ヘイトデモの実態を描く。「さまざまなタイプの物理的暴力――街宣型・襲撃型・偶発的暴力」で、ヘイトの物理的暴力性を明確にする。「あらゆるマイノリティと民主主義の破壊」で、被害者の広がりを指摘する。さらに「社会「運動」としてのヘイトスピーチ」で、継続的に組織されたレイシズムの特徴を整理する。「ヘイトスピーチのどこがどうひどいのか――「見える」ひどさと「見えない」ひどさ」で、反人間性と暴力は見えるひどさだが、レイシズムと歴史否定は見えないひどさであると言う。その上で、「反レイシズムというモノサシ(社会的規範)の必要性」で、ヘイトの総体を把握し、これに対処するために、反レイシズムの視座が不可欠であることを論じる。
「第2章 レイシズムとは何か、差別煽動とは何か――差別を「見える化」するために」において、梁は、概念定義を確認する。まず、「レイシズムとは何か――レイシズムの「見える化」」で、人種差別撤廃条約等の定義をもとに、ヘイト・スピーチとレイシズムの定義を掲げる。日本で利用される国籍差別に関連して「国籍とレイシズム」にも目を配る。「差別煽動とは何か――レイシズムの発展を見えるようにする」で、レイシズムをレベルアップするメカニズムを論じる。「増殖する差別」の重要な要因として煽動が問題となる。ここでも人種差別撤廃条約第4条などをもとに差別煽動を定義している。その上で、亮は「レイシズム暴力」と国家の関係を問い、最大の責任主体としての国家、「上からの差別煽動」を主題とする。さらに、「マイノリティとしての在日コリアン――レイシズムと差別煽動の不可視化がもたらすもの」で、本書で中心的に論じる在日コリアンについて確認している。
「第3章 実際に起きた在日コリアンへのレイシズム暴力事例」で、梁は、近現代日本市におけるヘイトの歴史を素描する。
1 関東大震災時の朝鮮人虐殺(一九二三年九月~)
2 GHQ占領期の朝鮮人弾圧事件(一九四五年八月~一九五二年)
3 朝高生襲撃事件(一九六〇年代~七〇年代)
4 チマチョゴリ事件(一九八〇年代~二〇〇〇年代前半)
5 ヘイトスピーチ――在特会型レイシズム暴力(二〇〇七年~現在)
以上の順で、ヘイト・クライム/ヘイト・スピーチが在日コリアンに対していかに行われてきたかをたどり直し、その特徴を明らかにする。
ヘイト・スピーチの被害がとらえがたい理由を検討した結果、梁は次のように述べる。
「戦後七〇たったいまもなお、法律レベルで公認された権利がほぼないまま、レイシズム状況に自分たちがおかれていること。このことを痛烈に自覚しつづけざるをえないからこそ、在日コリアンの『ヘイトスピーチ被害』は、それだけ深刻なものになるのだ。」
ヘイトの被害についての正面からの議論はしていないが、差別が日常化、制度化、組織化されている状況下におけるヘイトの被害の深刻さを示している。
以上の3章を見るだけでも本書が極めて重要で有意義な著書であることを確認することができる。いくつもの特記事項があるが、少しだけ確認しておこう。
第1に、反レイシズム規範の強調は的確であり、重要である。世界人権宣言では不十分であり、日本国憲法には欠落している反レイシズムを、いかにして日本社会に提起するのか。人種差別撤廃条約、同委員会での議論、ダーバン反差別世界会議の宣言・行動計画、国連・先住民族会議の議論、ラバト行動計画など、国際社会の努力はまさに反レイシズムの規範作りであった。それが日本に十分に影響を与えることができなかった。人種差別撤廃委員会の度重なる勧告を日本政府が無視してきたからである。
第2に、レイシズムとヘイトの暴力性の指摘は何度でも、何十度でも繰り返さなければならないキモである。日本社会はあくまでもヘイトの言論性を口実にして、表現の自由だなどと言うが、実態は暴力である。暴力の実態を隠蔽するためのごまかしの議論として「行為と言論の区別」論が猛威を発揮してきた。
第3に、日本近現代史を通じてヘイトが続いてきたことの歴史的確認である。関東大震災から最近のヘイト・スピーチまで、在日朝鮮人の歴史に詳しい人間ならだれでも知っていることであるが、日本社会の研究者の中にはこの程度の情報すら踏まえていない例が少なくない。本書第3章の記述は、さらに詳細に「近現代日本におけるヘイトの現象形態とその本質」としてまとめる必要があるだろう。

ヘイト・スピーチ研究文献(92)

有田芳生「ヘイトスピーチ解消法の意義と展開――差別の煽動を根絶させるために」『セフルム』23号(2017年)
解消法制定に向けた立法運動の中心人物である有田参議院議員の講演記録である。『セフルム』は公益財団法人・朝鮮奨学会の機関誌。

Saturday, February 18, 2017

大江健三郎を読み直す(75)大江の世界の広さと狭さ

大江健三郎『恢復する家族』(講談社、1995年)
大江健三郎が文章を書き、大江ゆかりが挿画を描いて、医療関係の財団の機関誌『SAWARABI(早蕨)』に連載(1990年~1995年)されたのちに1冊にまとめられた。
タイトルのとおり、家族がさまざまな苦難に出会い、悩み、時にぶつかり合いながらも、徐々に恢復していく過程を描いたエッセイである。テーマ自体は大江が小説で繰り返し書いてきたことだが、エッセイなので、家族の実体験そのものに即して書かれている。大江の読者にとっては、小説とエッセイの区分けも案外難しいが。
「この間には、私の母の二度の入院、やはり二度の光のCD出版、それをつないでのコンサート、大きい発作の後の光を伴っての初めての海外旅行、NHKテレビ番組『響き合う父と子』の撮影、そして今回の夫の受賞、と家族にとって特別な出来事が次々と起こり」(あとがき、大江ゆかり)とあるように、息子を中心とした家族の現状を報告しながらの思索の数々が示される。
家族以外にも多くの人物が登場する。ほとんどは大江のエッセイの常連だ。医師・森安信雄、経済学者・隅谷三喜男、医師・重藤文雄、医師・上田敏、作家・井上靖、詩人・谷川俊太郎、詩人・大岡信、フランス文学者であり大江の師・渡辺一夫、作家・司馬遼太郎、映画監督・伊丹十三、ピアニスト・海老彰子、作家・堀田善衛、作家・大岡昇平・・・
こうして書き出してみると、大江の世界の広さと狭さがよくわかる。これ以外に、海外の作家や思想家たちとの交流もあるので、大江の世界の比類のない広さは言うまでもない。編集者やディレクター等については特に必要がない限り言及がなく、言及があっても固有名が登場しないので、本当の広がりを読み取ることはできないのだが。
息子のCD発売やそれを記念してのコンサートについてのエッセイはふつうなら「親バカ」の一言で片づけられるレベルのものだが、息子を家族に受け入れ、共に生きることを文学の主題とし続けた大江だけに、随所に深い思いと祈りが込められている。

Wednesday, February 15, 2017

日本は本当に「真実後」なのか?

このところ、「真実後(ポスト・トルース、post-truth)」という用語がさかんにつかわれるようになってきた。アメリカの評論家ラルフ・キーズ(Ralph Keyes)が2004年の著作で用い、2010年頃からアメリカ政治の世界で使われるようになったと言う。それが日本政治にも適用されている。
政治の世界では、真実を語ることは必要でなくなった。政治家に真実を求める文化がなくなっている。虚偽を語っても検証されず、批判もされない。たとえ虚偽を語っても、あれこれとごまかしの弁明が通用する。
 アメリカでは、オバマ政権に対しても用いられたが、何と言っても2016年の大統領選挙において、「真実後」現象が爆発した。2017年に入っても、トランプ大統領は平然と嘘を繰り返す。「オルタナティヴ・ファクト」という珍妙な言葉も流行した。
 日本でもこの言葉を用いる政治評論家やジャーナリストが増えてきた。そのすべてを見たわけはなく、一部しか確認していないが、まともな政治学者は用いていないのではないか。その場しのぎの「おみくじ評論家」が用いている印象だ。
2点だけ指摘しておこう。
 第1に、定義が不明確である。真実の定義自体、もともと流動的である。政治の世界では、それぞれの「真実」を求めて争う歴史がある。
 第2に、日本政治が「真実後」になったという主張は、同時に、日本政治は「真実」だったという主張を前提としてしまうことになる。
 だが、日本政治がいったいいつ「真実」だったことがあるだろうか。明治維新以来の近現代日本政治は一貫して「真実前」だったのではないか。あるいは、「反真実」、端的に言って「虚偽と隠蔽」だったのではないか。
 そのことも踏まえたうえで、「真実後」という表現をするのでなければ、歴史修正主義に加担することになるだけだろう。
 以下は昨年11月にソウルで開催されたシンポジウムでの私の報告の一節。
罅割れた美しい国――移行期の正義から見た植民地主義(3)
<しかし、本報告が縷々述べてきたように、東アジアにおける日本における/日本による戦争と植民地支配の歴史、及び今日に至る未清算の現実に向き合うならば、わたしたちが置かれている状況は「真実前の政治(Pre-truth politics)」ではないだろうか。
 「真実前」と見るか、「真実後」と見るかは言葉の綾に過ぎないという理解もありうるかもしれないが、「真実後」であるならば、少なくとも一度、私たちは真実の世界に身を置いたことになる。近現代日本の歴史を虚偽と隠蔽の歴史と一面的に決めつけることは適切ではないかもしれないが、移行期の正義と植民地支配犯罪論を踏まえて検討するならば、私たちは一貫して「真実なき政治」の世界に身を浸してきたと見るべきではないだろうか。「戦争では真実が最初の犠牲者となる」という警句があるが、150年に及ぶ日本の戦争と植民地支配の歴史(未清算の歴史)を通じて、真実はおぼろげにでも姿を現したことがあっただろうか。>

ヘイト・クライム禁止法(128)ヴァチカン市国

ヴァチカン政府(Holy See, VCS)が人種差別撤廃委員会に提出した報告書(CERD/C/VAT/16-23. 4 September 2014)によると、主な法源はカノン法である。イタリア法も補充的法源である。ヴァチカンで適用される刑罰の多くは罰金である。刑事施設収容は通例は6カ月を超えない。2013年7月11日に教皇フランシスのもと刑法が改正され、条約第4条に従った犯罪には5年以上10年以下の刑罰が科される。条約第6条に従って、刑法は被害者補償を定める。
2003年、欧州安全協力機構が開催した反レイシズム会議を支援し、各国国内および旧ユーゴスラヴィア国際刑事法廷及びルワンダ国際刑事法廷における人種主義行為への効果的な刑罰負荷を促進してきた。2005年、反ユダヤ主義に関する会議に協力した。2012年、欧州安全協力機構が開催した人種主義と闘う会議を支援した。
人種差別撤廃委員会はヴァチカン政府に対して次のような勧告をした(CERD/C/VAT/CO/16-23. 11 January 2016)。法源によると条約第4条に列挙された犯罪のいくつかが禁止されているが、条約第2条に照らして、人種差別が禁止されていないことに関心を有する。委員会は、条約第2条に照らして人種差別を禁止する措置をとるように勧告する。委員会は、条約第4条に関連して、一般的勧告35パラグラフ12に従って、比較的重大でない犯罪について刑罰を科しているか、そうではないかについて明らかにするように要請する。

「昭和天皇平和主義者」イメージ偽造の手口を暴く

山田朗『昭和天皇の戦争』(岩波書店、2017年)
敬愛する歴史学者の最新刊である。『昭和天皇の戦争指導』、『大元帥・昭和天皇』、『昭和天皇の軍事思想と戦略』において、隠されてきた昭和天皇の思想と行動を解明し、並行して『軍備拡張の近代史』、『近代日本軍事力の研究』で日本軍事史に新たな頁を加えてきた山田は、『兵士たちの戦場』では「体験と記憶の歴史家」にも挑んでいる。すごい理論的生産力に脱帽あるのみ。
本書の副題は「『昭和天皇実録』に残されたこと・消されたこと」である。2014年に一般公開され、2015年から出版されて、現在も進行中の「昭和天皇実録」全60巻について、メディアはその内容を横流ししてきた。いくつかの著作が出されてきたが、横流しのものも少なくない。批判的に検討した著書もあるが、あまりにも大部であるため、総合的な検討はこれからである。山田は「昭和天皇の戦争」に絞って、検証している。その問題関心は、「昭和天皇実録」が、何を収録し、何を収録しなかったか、である。
「『実録』において書き残されたことは、疑いのない史実として継承されていく反面、そこで消されてしまったことは、無かったこと、不確実なこととして忘れ去られていく可能性が高い。」
特に「平和主義者としての昭和天皇」という悪質なブラックジョークがすでに幅広く流布している。「実録」もそのイメージ強化に向けて総力を注いでいると言っても良い。山田は「大元帥としての天皇」について、「国務と統帥の統合者」という局面と、「政治・儀式」の局面に着目して、残されたことと、消されたことを確認していく。その上で、昭和天皇の戦争について、満州事変期、日中戦争期、張鼓峰事件と宣昌作戦、南進と開戦、そして敗戦に至るまで、「実録」の記述をていねいに点検していく。
結論として、「過度に『平和主義者』のイメージを残したこと、戦争・作戦への積極的な取り組みについては一次資料が存在し、それを『実録』編纂者が確認しているにもかかわらず、そのほとんどが消されたことは、大きな問題を残したといえよう」と述べる。
予想通り、「実録」は、少なくとも昭和天皇と戦争というテーマに即してみるならば、歴史偽造の書というべきだろう。歴史家や歴史教師だけでなく、多くの市民が本書を読むことが望まれる。