Tuesday, December 19, 2017

ヘイト・スピーチ研究文献(113)公共施設利用制限問題

楠本孝「ヘイトスピーチ対策としての公共施設利用制限について」『地研年報』(三重短期大学地域問題研究所)22号(2017年)
Ⅰ ヘイトスピーチ解消法の概要・問題点・課題について
 1 概要
 2 問題点
 3 課題
Ⅱ 大阪方式と川崎方式
 1 大阪方式
 2 川崎方式
Ⅲ 公共施設の利用制限に関するこれまでの学説判例
 1 集会の自由とパブリック・フォーラムの理論
 2 集会の自由と公物管理権
 3 集会の事前規制に関わる判例
Ⅳ ヘイトスピーチ解消法の影響
 1 集会の自由の対抗利益
 2 内容に基づく規制の可否
 3 事前規制の可否
 4 ヘイトデモ禁止仮処分決定
Ⅴ むすびにかえて
2016年のヘイト・スピーチ解消法が、公園や公民館などの施設利用問題にどのように影響を与えうるかを検討した論文。これまでもヘイト・スピーチの刑法理論を探求してきた刑法学者だが、本論文は憲法論の検討である。
<特徴点>
第1に、公共施設の利用に関する最高裁判例の読み方である。憲法学者は泉佐野事件や上尾事件の最高裁判例を引き合いに出して、ヘイト集団によるヘイト集会であっても利用拒否はできないというのが最高裁判例だと主張する。著者は、この解釈に疑問を呈し、事案の具体的内容に即した読み方が必要と指摘する。これは私が、泉佐野事件等とヘイト事件とは事案が異なると主張してきたのと、同じ意見と言える。
第2に、川崎市のガイドラインが設定した「迷惑要件」に疑問を呈する。解消法が制定された段階としては、ヘイト・スピーチの言動要件を満たせば、深刻な被害が想定でき、それだけで法的要件を満たすと言えるので、迷惑要件は不要だと指摘する。賛同である。川崎ガイドラインは積極的な成果であり、大阪方式よりも大幅な前進なので、この点を評価することが重要であるが、著者が言うように限界も指摘しておく必要がある。
第3に、解消法を前提とすれば、内容に基づく規制も憲法上許されるという。また、事前規制についても、厳格な要件の下、必要最小限度の規制を行うことは可能であるという。この点も私と同じであるが、私よりもていねいに検討している。
<疑問点>
私は、川崎事件は一連の行為を一体として把握すれば、事前規制ではないので、当然規制すべきであり、公共施設を利用させてはならない、と主張してきた。これに対して、著者は、「一連の行為でも、それを一体として把握してよいかは、事後的にのみ判断できるのではないだろうか」と批判する。
著者が想定しているのは、前にヘイト・デモをしたからと言って、それだけで今度もヘイト・デモを行うと判断できるとは限らないから、事後的判断になるという事態である。なるほど、前にヘイト・デモをしたことを判断資料に加えることはできるが、それを今回と一体として把握するという私の主張は十分に説得的とは言えない。
しかし、私が主張しているのは、それだけではない。これと同時に、かつ、より重要なことは、ヘイト・デモをインターネット上で予告した場合の、予告行為と予定されたヘイト・デモを一連の行為であり一体として把握することである。その際、前に行ったヘイト行為の内容が新たな予告の内容に反映するのであり、それも一体として把握する必要がある。後者はともかくとして、前者を著者が度外視していることは理解できない。
図式化すると次のようになる。
A 前のヘイト・デモ(そこで行われたヘイト・スピーチの具体的内容)
B 次のヘイト・デモの予告(特にインターネット上の予告)
C 予告されたヘイト・デモ(公共施設利用申請がなされている)
著者は、AとCを一体として把握することに疑問を示して、Cがヘイト・デモであることは事後的にのみ判断できるという。
しかし、Bの予告がなされ、その予告内容から見て、それがAの継続・反復であることが明らかであれば、B自体がヘイト行為であると理解するべきである。それゆえ、Bの時点で被害が生じている。従って、BとCを一体として把握すれば、Bの時点でB及びCを抑止する必要がある。Cの公共施設利用は拒否しなければならない。そうでなければ、地方自治体がヘイトに加担したことになる。
以上がかねてからの私の主張である。著者はこの点に言及せずに、AとCの一体把握への疑問を提起している。これでは私への批判とは言えないだろう。