Thursday, July 20, 2017

戦後日本の自画像の歪みを思い知らされる

権赫泰著(鄭栄桓訳)『平和なき「平和主義」――戦後日本の思想と運動』(法政大学出版局)
<「唯一の被爆国」として日本は戦後70年ものあいだ平和を守ってきたとされるが、ほんとうにそうなのだろうか。朝鮮戦争、ベトナム反戦運動、日米安保や原発の問題などを取り上げ、アジア諸国や国内における他者と関わるうえで丸山眞男をはじめ日本人が何と向き合ってこなかったのか、韓国人研究者が考察する。>
ヘイトデモ阻止のために川崎に出かけた往復の電車で、権赫泰・車承棋編『〈戦後〉の誕生――戦後日本と「朝鮮」の境界』に引き続いて、本書を読んだ。
植民地を見ないと日本が見えない。2つの著作はこのテーゼを繰り返し明らかにしている。一部は重複しているが、繰り返し読んで損はない。今後も繰り返し読むことになるのだから。
「朝鮮」に代表される植民地の歴史を隠蔽することによって戦後日本の思想と運動が成立した。
個別の思想家の中に、というのではない。丸山眞男に代表されるが、戦後思想の中核に植民地の無視が貫かれている。植民地思想の柱を成した殖民学が一気に忘れ去られ、焦土の上に全く新たな戦後思想が立ち上がった。
しかし、「戦後思想」には植民地主義への反省がないから、過去を引きずったままである。植民地主義の母斑が至る所に見えているのに、懸命に目を閉ざしてきたのが私たちだった、ということだ。
善隣学生会館事件は、左翼にこそナショナリズムが貫かれていたことを露呈した。にもかかわらず、その後も長い間、そのことを自覚せずに来た。
べ平連は「国境を超える思想」に挑戦した重要な運動であったが、肝心のところで国境の論理にひれふした。安直に国境を超えると唱えても、容易に実現できるわけではない。
私も、自称「民衆思想」の思想家が植民地主義に鈍感なことを以前指摘したことがある。厳しく指摘し続けないと、私自身が無頓着なままに安住してしまう。本書に学び続けないとならない理由だ。
『あしたのジョー』をめぐる著者の考察は、残念ながら、全共闘世代、団塊の世代と『あしたのジョー』を結びつけるありきたりの通念に寄りかかっている。
ところで、著者は、矢吹ジョーを1953年生まれ、としている。不可解な誤読だ。吉田和明『あしたのジョー論』(風塵社)では、ジョーは1947年6~7月生まれと推定されている。これならば全共闘世代論に適合的だ。
世代論そのものがかなり安直な議論になるので私は世代論を採用しないが、仮に世代論を採用する場合、前提として確認しなければならないことがいくつも残されている。
第1に、原作者の梶原一騎は1936年生まれであり、作画のちばてつやは1939年生まれであり、団塊の世代ではない。担当編集者たちも全共闘世代ではありえない。
第2に、力石徹は、漫画登場時点で、どんなに若く見積もっても20歳寸前に違いない。1945年7月より前の生まれである。団塊の世代ではない。
第3に、『あしたのジョー』は全共闘世代だけにウケて、支持されたわけではない。より若い世代の圧倒的な支持があった。
著者は、これらを無視して、議論を展開しているので、世代論としても成立していないのではないか。
『あしたのジョー』についての私見は
はしがき
第一章 歴史と安保は分離可能なのか
    ――韓日関係の非対称性
第二章 捨象の思想化という方法 
    ――丸山眞男と朝鮮
第三章 善隣学生会館と日中関係 
    ――国民国家の論理と陣営の論理
第四章 国境内で「脱/国境」を想像する方法
    ――日本のベトナム反戦運動と脱営兵士
第五章 団塊の世代の「反乱」とメディアとしての漫画     
    ――『あしたのジョー』を中心に
第六章 広島の「平和」を再考する
    ――主体の復元と「唯一の被爆国」の論理
第七章 二つのアトミック・サンシャイン
    ――被爆国日本はいかにして原発大国となったか

訳者あとがき

Tuesday, July 18, 2017

自主規制メディアを卒業するには

斎藤貴男『国民のしつけ方』(インターナショナル新書)
http://i-shinsho.shueisha-int.co.jp/kikan/010/
<政権による圧力、メディア側の自主規制
あなたも知らないうちにすり込まれている。
政権による圧力だけではない。マスメディアの過剰な自主規制も報道を大きく歪めている。その有様は、国民をしつけるために巧妙に仕組まれているかのようだ。知る権利を守るため、我々にできることは何か。具体的な方策を探る>
メディアと権力の関係が、権力による圧力以前に、メディア側の自主規制や忖度によって特徴づけられる日本――何度も指摘されてきたことだが、改まるどころか、いっそうその度合いを深めてきたように見える。
森友・加計事件ではメディアも健闘している面があるが、世界一の発行部数を誇る読売新聞は報道機関ではなく、権力の広報誌として、足を引っ張る最低の紙面づくりに精を出している。イエロー・ジャーナリズムの本領発揮だ。
報道の自由度72位の日本の状況を検討した著者は、あなたも知らないうちにすり込まれている、と注意を喚起する。
一方でマスメディアの荒廃があり、他方でネット上の無秩序と野放図な虚偽記載があり、信用も信頼も失われた現状で、市民はどうするべきなのか。
著者は調査報道と「番犬ジャーナリズム」とメディア・リテラシーを唱える。
また、新聞に対する軽減税率問題、記者クラブ問題、SLAPP訴訟にも触れつつ、「価値観宣言」を呼びかける。
この種の議論はずいぶん長く続いているが、フリーのジャーナリスト、企業内ジャーナリスト、研究者によって、それぞれ主張に差異が生じることも知られたとおりである。
圧倒的に社会に影響を与える企業内ジャーナリストが改革に動かないと状況の改善は見込めないが、フリーのジャーナリストや研究者や市民が声を上げ続けるしかない。


猛暑に負けずに権力を笑う

ザ・ニュースペーパー公演でいつものように笑ってきた。
1988年に昭和天皇が倒れた時に始まったザ・ニュースペーパー、まもなく30年を迎える。翌年から観続けているので、もう28年目だ。現在は渡部又兵衛率いる9人編成。
http://www.t-np.jp/
今回は政治家としては、小池百合子、安倍晋三、小泉純一郎、石原慎太郎、福島みずほ、石破茂、蓮舫、トランプなどが登場した。
豊洲・築地問題では、現地で撮影した映像。
将棋の藤井四段も登場したが、かなり無理があったのはやむを得ない。定番のさる高貴なご一家では、生前退位とご次男様長女の結婚がやはり話題の中心だが、湘南の海の王子も登場。

Sunday, July 16, 2017

大江健三郎を読み直す(82)近代の歴史を背負った現代作家のパロディ小説

大江健三郎『憂い顔の童子』(講談社、2002年[講談社文庫、2005年])
義兄の映画監督・伊丹十三をモデルにしたことで話題になった『取り替え子(チェンジリング)』に続く、長編3部作の第2作である。
前作との関係では、長江古義人と映画監督・吾良の青春時代に起きた出来事、「アレ」と呼ばれる事件について、文芸評論家から「ユニーク」な解釈が提示されたが、本作において大江は反発し、批判している。作者自身を含む実在の人物をもとに作中の人物を造形してきた大江にとって、現実と創作の間の差異を見失った文芸評論には慣れたもののはずだが、やはり批判せずにはいられなかったのだろう。ただ、そうなると、創作を批判された現実をふたたび創作の中に取り込むことで、現実と創作の関係がさらに複雑化する。にもかかわらず、現実に対する応答としてストレートに読まれることにもなる。大江の「引用癖」は有名だが、「引用癖」と言うにとどまらず、現実への介入が現実の反応を引き起こすことが繰り返される。
本作では、長江古義人が、四国の森に帰るところから物語が始まる。
大学進学のために故郷を離れ、学生時代に作家デビューして以後、長年、東京に暮らした著者、そして長江が、息子の光、アカリとともに故郷に帰る。郷土が生んだノーベル賞作家であるが、故郷が長江を快く迎え入れるわけではない。故郷の伝承を創作したり、改変して小説化してきた長江は、その改変や、故郷の人々についての記述ゆえに、疎まれてもいる。他方、ノーベル賞作家という有名人を利用しようとあれこれ画策が始まる
。そうした故郷の歓迎と反発に遭遇した長江の「活劇」は「ドン・キホーテ」を素材とすることで、まさにパロディとして進行するが、パロディへの自己言及の反復により、滑稽さが強調される。60年安保の闘いをさなかに生み出された「若いニホンの会」のパロディとしての「老いたるニホンの会」は、その中に大江自身がいた若き文芸集団に対する半世紀後の批評でもあるが、悲惨なデモの顛末には大江の時代認識が込められている。
近代の歴史を背負った現代人である作家の時代批評と自己批評が交錯するパロディ小説だ。

ヘイトデモをふたたび止めた川崎

 「ヘイトデモやめろ!」
 「ヘイトデモやめろ!」
 猛暑の川崎、綱島街道の両側歩道を埋めたカウンターの市民が叫ぶ。
 「ヘイトデモ止めよう!」
 「ヘイトデモ止めよう!」
 中原平和公園に向けて、みんなで叫ぶ。
 日傘、うちわ、帽子、飲み水は必需品だ。みんな汗だくになりながら、「暑いね」と繰り返しつつ、ヘイトデモ阻止のために歩道に立ち尽くす。
 500人以上はいるだろう。歩道の両脇に分かれているのと、幅広く、たむろしている状態なので、正確な人数はわからない。1000人はいなかったと思うが。
 顔見知りの市民が各地から駆けつけている。ジャーナリスト、弁護士、研究者も目立つ。
 「やつらは遅いね」「東京駅からマイクロバスで来るらしい」「デモの出発点はこのあたりらしい」。
 やがて、神奈川県警の広報車から「まもなくこの道はデモ隊が通ります。歩道の方は交通の妨げにならないようにしてください」などとアナウンスが流れる。
 とたんに、こちらのマイクから「デモ中止」のシュプレヒコール。
 「デモ中止!」
 「デモ中止!」
 「デモ中止!」
 「ヘイトデモは犯罪です。神奈川県警は犯罪を取り締まってください」
 みんな声をからしながら叫び、合間に水分補給のくりかえしだ。
 1時間もすると頭がボーッとしてきたので、木陰に入り、手ごろな石に腰かけた。
 *
 石に腰を下ろして一息ついていると、急にカウンターの人だかりが崩れた。
立ち上がって手近な台に上がって見ると、数十人の一団が綱島街道を武蔵小杉駅の方に走っていくのが見えた。その後ろから数百人が追いかけていく。
この暑いのに走るとは元気だな、などと感心しながら、最後尾を歩いていくことにした。
汗だくで武蔵小杉駅東口の手前につくと、カウンター行動の主催者がアナウンスしていた。
「ヘイトデモ隊はマイクロバスでやってきて、記念撮影をするや、すぐに立ち去りました」。
目撃者たちによると、ヘイト犯罪者たちは予定していた出発点から500メートルも離れたところにマイクロバスを止めて、20人ほどがバスから降りると、その場でデモ行進のしぐさをして撮影したという。
「デモをやった」というアリバイ作りのための記念撮影だ。
そこにカウンターの市民が駆けつけたので、ヘイト犯罪者たちはすぐにバスに乗り込んで走り去ったという。
カウンターの市民は中原平和公園に戻って集会を開いた。
ヘイト犯罪者たちの行動を目撃した人からの報告があり、続いて崔江以子さんが発言した。
「負けてない。負けてない。負けてない。」
ヘイトデモの予告によってふたたび傷つけられ脅かされたが、カウンターに結集した市民とともに立ち上がった崔さんの発言に、みんな、心を痛めつつ、半ば安堵した面も。
ともかく、徒歩によるヘイトデモは止めた。
ヘイト犯罪者たちは尻尾を巻いて逃げ去った。
「こんな恥ずかしいピンポンダッシュデモを初めて見た」
有田芳生・参議院議員のコメントだ。有田議員は人種差別禁止法の必要性を訴えた。
また、デモの出発地点から500メートル離れたところでマイクロバスを止めて記念撮影をしたのは、神奈川県警による先導があったからだという。マイクロバスの前を走る神奈川県警の車両が目撃されている。
神奈川県警はヘイト犯罪者と連絡を取り合って、予定地点ではなく、離れた場所でバスを止めて記念撮影することを許した。というよりも、現場を把握していた神奈川県警の入れ知恵だろう。ヘイト犯罪者たちには、そうした状況判断ができたはずがないからだ。
今度もまた神奈川県警はヘイト犯罪者たちに便宜を図り、協力した。差別を止めさせる責任のある神奈川県警が差別に加担している。
ここに日本のヘイト問題の本質がある。


Wednesday, July 12, 2017

終わらない<戦後>の謎に迫る

権赫泰・車承棋/編『〈戦後〉の誕生――戦後日本と「朝鮮」の境界』中野宣子/訳、中野敏男/解説(新泉社)
http://www.shinsensha.com/
〈戦後〉とは何か――?
「平和と民主主義」という価値を内向的に共有し、閉じられた言語空間で自明的に語られるこの言葉は、何を忘却した自己意識の上に成立しているのか。
〈戦後〉的価値観の危機は、〈他者〉の消去の上にそれが形成された過程にこそ本質的な問題がある。
捨象の体系としての「戦後思想」そのものを鋭く問い直す。
日本の「戦後」は「朝鮮」の消去の上にある――このテーゼに導かれた7編の論考がこのテーゼを肉付けし、補強し、完成させる。半世紀をかけて膨張してきた日本が、1945年の敗戦によって日本列島に縮小した。そのことの思想史的意味を本書は追及する。
植民地の消去は地理的にも人間的にも文化的にも遂行される。大日本帝国の領土が消去され日本列島だけに焦点があてられる。
旧植民地出身者は排除され、大和民族・日本国籍の日本がつくりだされる。多民族社会化した文化は純粋の日本文化に洗練され直す。歴史も記憶も意識も将来展望も、すべてこの位置から透視され、改変され、改編され、紡ぎだされる。
本書は、丸山政治学の批判的分析を通して、丸山政治学にとどまらず、日本の政治風土を隅から隅まで徹底的に問い直す。小松川事件を、日本の文学者、在日の文学者、韓国のキリスト者たちがそれぞれの場でどのように受け止め、どのように対峙していったかを比較検討することを通じて、東アジアにおける日本の位置を再測量する。
どの論文も読みごたえがある。
一人だけ大和民族日本国籍(と私が勝手に決めつけて判断している)の中野の論文が冒頭に置かれているのは、いささか不思議と思いながら読み始めたが、「8月革命説」にもかかわらず、戦時体制が継続して戦争責任が封印され、戦後革命と国際主義が自壊し、「方法としてのアジア」になだれ込んだ帰結として、民衆における植民地主義の清算が全くなされずに来た歴史をくっきりと提示し、本書の冒頭にふさわしい内実を備えているので、なるほど。
戦後は終わった。戦後民主主義は虚妄だった。戦後レジームからの脱却――何度となく語られながら、いまだ終わらない東アジアと日本の<戦後>の誕生の秘密を解明して初めて、その終わらせ方の議論が始まる。
本書は日本と朝鮮の関係に焦点を絞っているため、その意味では謙抑的な論考で成り立っている。しかし、巻末に付された解説(中野敏男)が、現代世界の動向全体の中に位置づけ直す試みをしているので、そこから諸論文を再読する楽しみも増える。
なお、本書は台湾、朝鮮等の植民地にしか言及がない。欲を言えば、アイヌモシリ、琉球/沖縄への視線もほしいところだ。東アジアにおける日本植民地主義の歴史と現在を総合的に解明する課題は、まだまだこれからだ。
【目次】
序章 消去を通してつくられた「戦後」日本……権赫泰・車承棋
第一章 「戦後日本」に抗する戦後思想――その生成と挫折……中野敏男
第二章 捨象の思想化という方法――丸山眞男と朝鮮……権赫泰
第三章 戦後の復旧と植民地経験の破壊――安倍能成と存在/思惟の場所性……車承棋
第四章 「強制連行」と「強制動員」のあいだ――二重の歴史化過程のなかでの「植民地朝鮮人」の排除……韓恵仁
第五章 人権の「誕生」と「区画」される人間――戦後日本の人権制度の歴史的転換と矛盾……李定垠
第六章 縦断した者、横断したテクスト――藤原ていの引揚げ叙事、その生産と受容の精神誌……金艾琳
第七章 「朝鮮人死刑囚」をめぐる専有の構図――小松川事件と日本/「朝鮮」……趙慶喜
解説 『〈戦後〉の誕生』日本語版に寄せて……中野敏男

Monday, July 10, 2017

真夏の忠臣蔵「イヌの仇討」

こまつ座の「イヌの仇討」(井上ひさし作、東憲司演出)を観た。もとの忠臣蔵と逆に吉良上野介の側から描き出す「逆・忠臣蔵」で、29年ぶりの公演だと言う。
犬公方・綱吉の時代、人よりも犬を大事にするさかさまの政道を背景に、赤穂浪士の討ち入りを受けるや、味噌蔵に隠れた吉良と臣下たちの恐怖と涙と笑いと闘いの物語。浅野vs吉良、大石vs吉良の対立構図で始まるが、やがて公方・綱吉vs 浅野・大石 vs吉良の3者対立の構図が浮かび上がる。しかし、単なる「逆・忠臣蔵」に終わらないのが井上ひさしらしさ。権力vs庶民の構図が背景にあり、権力批判の影も。しかも、最後に感動のもうひとひねり。
吉良役の大谷亮介、はじめは今一つ冴えないと感じながら見たが、それが見事な演技だった。冴えない吉良が、大石を念頭にした自問自答の格闘を経て変貌を遂げる。三田和代と彩吹真央のぶつかりあいも楽しい。
途中休憩の2幕だが味噌蔵1場のみで、場面転換がなく、10人の役者が出ずっぱりの芝居を、客を飽きさせることなく演じ続ける役者に脱帽。

Monday, July 03, 2017

大江健三郎を読み直す(81)多読ではなく再読

大江健三郎『ゆるやかな絆』(講談社、1996年)
『恢復する家族』に続くエッセイ集で、大江ゆかりの挿画が収められたスタイルも同じ。
「絆」は家族の絆を意味しているので、内容面でも前著を継承している。ノーベル賞受賞直後の時期に書かれたため、受賞講演等に忙しく、また「最後の小説」と称して小説を書かなかった時期でもあるが、落ち着いた雰囲気のエッセイだ。長年、家族のことを家族に向けて書いてきた大江の文章の到達点と言えるかもしれない。
「黄昏の読書」3編は、これまでも言及されてきたことを取り上げているが、同じことを繰り返し繰り返し書きながら、少しづつズラしていくのも大江らしい。エッセイにも小説にも共通で、自作の引用癖はいつもと同じ。大江のエッセイを読み続けると、大江が取り上げて紹介する著作の少なさに気が付く。大量の読書歴を誇る読書人と違って、大江は限られた作品を繰り返し紹介しながら、そのたびに微妙な違いを確認していく作業を常とする。本書もその典型と言える。re-readingの愉しみ。

Thursday, June 29, 2017

Q&A部落差別解消推進法

部落解放同盟中央本部編『Q&A部落差別解消推進法』(解放出版社)
2016年12月に制定・施行された同法の解説で、14のQ&Aから成る。同法制定までの歴史を簡潔に振り返り、法規制の概要を説明する。今後に向けた課題も具体的に提起し、関係省庁に対する政策提言も行っている。
終始強調されているように、日本の法律として初めて「部落差別解消」という用語が用いられている。部落差別の存在を法律で認めたのも初めてなら、差別解消推進を明記したのも初めてである。
ヘイトスピーチ解消法と同様に「理念法」という限界を持つが、同法を活用してできることも数多いはずだ。同法の実効化に向けて各地での努力が始まる。
Q1:「部落差別解消推進法」の制定までの過程と背景を教えてください。
Q2:「部落差別解消推進法」にはどんなことが規定されていますか
Q3:「部落差別解消推進法」の意義と成果は何でしょうか
Q4:「部落差別解消推進法」制度をふまえた今後の課題は何でしょうか
Q5:この間の人権に関する法律制定について
Q6:「部落差別解消推進法」の周知徹底はどのようにしたらいいでしょうか
Q7:地方公共団体への政策提言はどのようにしたらいいでしょうか
Q8:部落差別解消に向けた相談体制の整備とは
Q9:部落差別解消に向けた教育の推進に関する基本方針・計画の策定について
10:部落差別解消に向けた啓発の推進に関する基本方針・計画の策定について
11:部落差別解消に向けた実態調査の具体化を求めるには
12:マイノリティ法(障害者差別解消法・ヘイトスピーチ解消法他)との連携強化とは
13:関係省庁に対する政策提言について
14:国会審議のいくつかの論点に関するQ&A

Tuesday, June 27, 2017

ヘイト・スピーチ研究文献(103)差別と闘う覚悟と理論

ヘイトスピーチを許さないかわさき市民ネットワーク[編者]『根絶!ヘイトとの闘い――共生の街・川崎から』(緑風出版)
■目次
第1章 なぜ、川崎・桜本がヘイトデモの標的にされたのか?(山田貴夫)
第2章 ヘイトスピーチを許さないかわさき市民ネットワークの運動(山田貴夫)
第3章 「あるを尽くす」─当事者、地域の声を市や国へ届ける(崔江以子)
第4章 人権侵犯被害申告と法務局勧告の意義について(神原元)
第5章 NO PASARAN 「桜本を踏みにじらないで」─ヘイトデモ禁止仮処分命令申立事件(三木恵美子)
第6章 川崎市議会の取組み(山田貴夫)
第7章 自治体に「人種差別撤廃条例」の制定を求めて─川崎でヘイトスピーチをさせない仕組み、条例化をめざして(三浦知人)
第8章「闇との闘い。希望を信じて」─インターネット上のヘイトスピーチとの闘い(崔江以子)
第9章 人種差別撤廃にむけた自治体の責務(師岡康子) 
 はじめに
10章 「さべつのないかわさき」(石橋学) 
「絶望を希望で上書きした川崎市民の闘い!」
「差別根絶のための求められる人種差別撤廃条約」
京都、新大久保、鶴橋、川崎と続いてきたヘイト被害だが、反差別、反ヘイトの闘いも組織されてきた。ヘイト・スピーチ解消法にこぎつけた市民の闘いは各地で多様に展開したが、川崎市民の闘いは特筆に値する。被害当事者の立ち上がりも素晴らしいが、共生の街づくりの歴史に根差した市民の取り組みも重要だ。そして、弁護士やジャーナリストも全力投球だ。全10章、いずれも感銘を受ける文章が収録されている。
「差別は許されない」――誰でもいえる言葉だ。
にもかかわらず、「差別は許されないが、規制はできない」「ヘイトは許されないが、規制はできない」という無責任で卑劣な発言が、この社会ではまかり通る。自分は中立であるかのごとく装う。外部の第3者であるかのごとくふるまう。
しかし、差別に中立はないことを本書は鮮やかに示す。差別に反対し、差別をなくすために、何をするのか、いかに闘うのか。この問いに正面から向き合った市民、弁護士、ジャーナリストの覚悟と理論を、しっかりと読み取る必要がある。


Tuesday, June 06, 2017

ヘイト・スピーチ研究文献(102)ヘイト・スピーチを受けない権利のために

前田 朗「公共空間におけるヘイトの規制」『部落解放』737号(2017年)
前田 朗「川崎市ヘイト・スピーチ報告書を読む」『部落解放』739号(2017年)
前田 朗「ノルウェーにおける反差別法・政策」『部落解放』740号(2017年)
前田 朗「国連人権理事会マイノリティ問題報告書」『部落解放』741号(2017年)
前田 朗「日本国憲法はヘイト・スピーチを許しているか」『部落解放』742号(2017年)
「ヘイト・スピーチを受けない権利」という連載、3年目に突入。


Monday, June 05, 2017

ヘイト・スピーチ研究文献(101)差別とヘイトのない社会へ

「【特集】差別とヘイトのない社会へ」『人権と生活』 44号 (在日本朝鮮人人権協会、2017年6月)
◇大阪朝鮮学園補助金裁判判決に見る「歴史の偽造」 ―大阪府私立外国人学校振興補助金制度の創設をめぐって……藤永壮
◇広島における運動実践―官・民あげての差別に抗して……村上敏
◇震災後の「外国人犯罪」の流言と現在……郭基煥
◇ヘイトスピーチ解消法と部落差別解消法―地域社会における「両輪」の方途……山本崇記
◇監視とルールの提案によって新しい反差別運動を―反レイシズム情報センター(ARIC)の差別監視活動から……梁英聖
◇排外主義と主流LGBT運動 —「ヘイト」概念を超えて……マサキチトセ
「差別とヘイトのない社会へ」と題された特集で、日本における差別とヘイトの諸相を多面的に明らかにし、分析している。

Sunday, June 04, 2017

いつまで続く、「戦後よ、さよなら」論

浜崎洋介『反戦後論』(文藝春秋)
<戦後よ、さよなら
~「政治と文学」の接点を問う~
郊外、大東亜戦争、象徴天皇、三島由紀夫、小林秀雄、福田恒存、柄谷行人、そして坂口安吾……。
戦後思想に新たな問題を提起する、気鋭の批評家による画期的論考!>
ということだが、「もはや戦後ではない」に始まり、「戦後民主主義は虚妄だった」を経て、「戦後体制の終焉」は何度も何度も語られてきた。戦後50年の1995年には一段落かと思われたが、実際はむしろその後も「戦後」に囚われることになったのが、自称「保守」という偽保守だった。歴史修正主義が政権を奪取し、この国の思想風土に深く根付いてしまった。戦後を超えられず、戦後を相対化することもできず、ひたすら戦後に悪罵を投げつけ、唾を吐くだけの虚妄の偽保守だ。
戦後70年も同じ茶番を繰り返したに過ぎない。無責任な首相談話は戦争への反省も、戦後への反省もなく、肥大化した自意識を恥ずかしげもなくさらけ出したに過ぎない。
それでは浜崎洋介はどうか。こういった読み方をしてしまったので、著者が書いていることよりも、書いていないことに関心を持ってしまった。あまり良い読み方ではない。ただ、次の一節に著者の思いと射程距離が見える気がする。
「では、改めて問おう。そこから自由になるべき『現実』を失い、また、そこへと自由になるべき『理想』を失っている現在、私たちは一体何を足場として『文学』を生きることができるのか。毎月量産される『小説』をよそに、それと共闘しようとする『批評』は存在しない。一見『批評』と見えるものは――私の文章も含めて――単に器用な作品解釈のパフォーマンスでしかない。『様々なる意匠』は相変わらずだが、それらのなかの一つでも、かつてプロレタリア文学が身に帯びていた程度の緊張さえ生きようとする者はいない。この十年余り、残るものの何一つない、現れては消え、消えては現れるアブクのような『自意識』ばかりを見せつけられてきた気がする。もちろん、そんな現状を嘆く私の言葉も例外ではない。」
では、初期柄谷行人に決別した著者はどこへ向かうのか。福田恒存しか指針がないのだろうか。それでは「反戦後」のお題目を年中行事のごとく繰り返すだけではないのだろうか。

Friday, June 02, 2017

ヘイトスピーチ解消法施行1年/産経新聞記事6月3日

6月3日の産経新聞社会面(22面)に、「ヘイトスピーチ解消法施行1年 法務省勧告は施行前含め2事案 事前規制の動きも」という記事が掲載された。
解消法制定後のヘイト状況や、自治体の対応を整理した記事である。表現の自由との関係では、小見出しに「『表現の自由』との両立 割れる意見」としているところが目に付く。1年以上前のマスコミは、表現の自由だと断定してきたが、産経新聞は「表現の自由」にカギかっこを付けた。単純に表現の自由と言って済む問題ではないことを的確に示している。
識者コメントは、1人目が、「表現の自由の観点から慎重な検討を求める」中央大非常勤講師の服部孝章氏(メディア法)で、「恣意的運用が行われないのかという懸念」を表明する。
2人目が私である。私のコメントには、従来のマスコミには載らなかった内容が含まれている。ひじょうに短いコメントだが、ここまで私見を載せてくれたのは初めてなので、ポイントを解説しておく。
第1に、「ヘイトは民主主義の基礎を破壊する」である。これがようやくマスコミにのった。私見は「表現の自由は民主主義に不可欠であり、ヘイトは民主主義を破壊するから、表現の自由を守るためにヘイト・スピーチを処罰すべきだ」というものである。国連人権理事会で使われてきた表現で言えば、「レイシズムとデモクラシーは両立しない」。
第2に、「ヘイトは民主主義の基礎を破壊する行為」という主張である。ヘイトは行為だという当たり前のことをなぜ述べなければならないか。それは、憲法学者の中に「表現と行為を区別し、行為は処罰できるが、表現は処罰できない」という異常な主張があるからである。ここまでしてヘイト・スピーチを擁護したいのかと驚き、呆れる屁理屈だ。表現は行為であり、ヘイト・スピーチは行為である。
第3に、「表現の自由で保護される対象ではない」である。1年以上前は「ヘイト・スピーチの規制は表現の自由の保護に抵触する」と断定する憲法学者が多かった。
第4に、「人権侵害が行われる可能性が高い場合は規制すべきだ。そうしなければ自治体がヘイトに加担したことになりかねない」である。これもマスコミに初めて載せてもらえた。人種差別撤廃条約では、政府は差別をしてはならず、差別を容認してはならず、個人による差別を止めさせなければならない。差別が行われる蓋然性が高い場合、自治体は差別集団に施設を貸してはならない。デモを許可してはならない。差別が行われると知りながら、差別集団に施設を貸したり、デモを許可すれば、自治体が差別に加担したことになる。この当たり前の主張をずっと繰り返してきたが、なぜかマスコミには採用されなかった。
それどころか、大阪市審議会は「自治体にはヘイト集会であっても施設を貸す義務がある」という異常な主張をした。「自治体は差別に加担する義務がある」という暴論である。関西には異常な憲法学者がいるものだと驚いたが、驚いたのは私たち少数にすぎず、この異常な見解に納得する人間が意外に多かった。まともじゃない。逆に、産経新聞は私の主張をきちんと載せてくれた。

もっと知りたいミケランジェロ

池上英洋『もっと知りたいミケランジェロ』(東京美術、2017年)
<イタリア・ルネサンスの三大巨匠として名高いミケランジェロ。彫刻家、建築家、画家として「神のごとき」と謳われたその天才の芸術を人生を凝縮し、代表作を網羅したミケランジェロ入門のスタンダード。美術に関心がない人でも、名前くらいは聞いたことがあるミケランジェロ。昨今日本でも展覧会が開催される回数が増え、関心が集まっています。ミケランジェロの一体なにがそんなにすごいのか!?素朴な疑問に応え、納得していただける一冊です。>
『西洋絵画の巨匠 レオナルド・ダ・ヴィンチ』『ルネサンス 三巨匠の物語』『神のごときミケランジェロ』『もっと知りたいラファエッロ』の著者によるミケランジェロの生涯と作品解説である。「アート・ビギナース・コレクション」の1冊で入門書だが、「もっと知りたい」とあるように、ミケランジェロの生涯に様々な観点から光を当てて、エピソードを紹介し、作品に迫る。研究書から入門書まで幅広く巧みに多数世に送り出す著者のエネルギーには敬服する。そのうちミケランジェロ著『もっと知りたい池上英洋』(テリビリタ出版)にお目にかかれるかもしれない。