Monday, February 29, 2016

わたしたちはいつだって暴動を生きているのだ?

栗原康『現代暴力論――「あばれる力」を取り戻す』(角川新書)
楽しい本だ。危ない本だ。暴言の山だ(笑)。
「もし大正時代のアナキストが、大杉虐殺の黒幕を正力だと考えていたらどうだったろうか。もし、ちゃんとうちはたしていたとしたら、日本に原発はあったろうか。もしあったとしても、ここまで原発に執着する言説はあったろうか。正力松太郎の首を大杉栄の墓前にそなえよ。妄想だ。」
「右翼に簒奪されたこのことばをあえてつかっておきたいとおもう。永遠のゼロをつかめ。」
こうした爆笑表現の連続で、気が付いたら読者も暴動寸前(笑)。
大杉栄、幸徳秋水、管野スガ、伊藤野枝、中浜哲、はだしのゲン、水滸伝の武松、源氏物語の浮舟、ガイ・フォークス、バクーニン、ギロチン社だ。何でもありだ。いい加減なのではない。正しく何でもありなのだ。文体は軽快なタッチで、ジャジィというよりも、ラップだ。「気分はもう焼き討ち」。国家暴力を批判するとはどういうことなのか。物理的暴力以上に怖ろしい抑圧の内面化、隷従の空気としての暴力にいかに抗するのか。アナキズムの理論と決起と血気盛んな体質を咀嚼して、空気なんか読まずに、ストレートに進撃する。易しい文体、巧みな喩、その先に待ち構える断崖絶壁。
著者は早稲田の大学院で政治学、専門はアナキズム研究、東北芸術工科大学講師だ。何を教えているのだろう。芸工大で政治学を教えているのかな。ちょっと共感。

でもちょっと残念なのは、「終わりに」に至って、著者の暴力論は生き様論であるとともに主観的な心構えの問題に収斂していく。さすがに街頭で暴動をとか、資本家にテロを、と呼びかけるわけにもいかないから、暴動の、つもり。祝祭論にいかなかったのはなぜだろう。いまや祝祭も予定調和だからか。

グランサコネ通信16-04 国連人権理事会始まる

2月29日、ジュネーヴの国連欧州本部で、国連人権理事会31会期が始まった。初日午前は議長選出や議題の確定など。昼からハイレベル・セグメントになった。各国代表の演説大会だ。各国の副大統領や外務大臣や副大臣などが次々と演説する。
午後は「人権のメインストリーム化に関するハイレベル・パネル――持続可能な発展と人権の2030年の課題」。開会演説は、バン・キムン事務総長や、アル・フサイン人権高等弁務官など。その後で、ケイト・ギルモア人権高等副弁務官が司会で、パネルになった。パネラーは、ザミル・アクラム発展の権利作業部会長、ヘレン・クラーク国連開発計画担当官、ババトンデ・オソチメヒン国連人口基金事務局長など。
バン・キムンの演説は約10分、世界の人権状況をまとめる型どおりのものだが、途中30秒ほど使って、<慰安婦の悲劇に関する日韓合意がなされた、国連人権メカニズムに即して誠実に履行されるよう希望する>と述べた。国連人権理事会という公式の場での発言なので、日本政府や朝日新聞などは宣伝に使うかもしれない。
しかし、日韓合意は国際人権法に反するので、「国連人権メカニズムに即して」行うのは無理がある。しかも、合意文書がなく、何を合意したのかさえ不明確な点が残っているので、「誠実に履行」することができるかどうか。

明日以後のハイレベル・セグメントで日本政府は「慰安婦問題は解決した。性奴隷ではない」と主張するだろう。日本政府は「誠実に履行」などする気はない。韓国政府はどうするつもりなのか。

Sunday, February 28, 2016

ヘイト・クライム禁止法(103)ポーランド

ポーランド政府が人種差別撤廃委員会に提出した報告書(CERD/C/POL/20-21. 6August 2013)によると、最近改正された刑法256条2項は、公然とファシズムその他の全体主義国家体制をプロパガンダし、国民的、民族的、人種的、宗教的差異、又は宗教的信念を持たないことによる差異に動機を持つ憎悪を煽動する内容の、印刷物、記録、その他の物を、頒布する目的を持って、製造、記録、販売、所有、提示、輸出入又は運搬する行為に対する刑罰を科している。罰金、又は二年以下の自由制限、又は二年以下の刑事施設収容である。同条4項により、当該物品は裁判所の命令により没収される。本条項は、映画、レコード、ガジェットなどインターネットを通じて憎悪を煽動する場合にも適用される。ただし、美術、教育、学術目的の場合は禁止されていない。
 2010年9月8日、刑法119条改正が発効した。119条は、差別的動機に基づいて人の集団又は特定個人に対して、物理的暴力や違法な脅迫を行った者に対する刑罰を定めている。改正前の旧119条2項は、暴力や脅迫の公然煽動を扱っていたが、これは新たに126条aになった。刑法118条aは、政治的、人種的、国民的、民族的、文化的、宗教的理由、又は世界観やジェンダーが異なるという理由による人の集団に対する迫害を犯罪としている。126条aは、ジェノサイドを行うことを公然煽動する犯罪である。126条bは、適切な統制をするべき義務のある者が義務を履行せずに、ジェノサイドや人道に対する罪を許した場合の刑事責任に言及している。
刑法53条2項により、裁判所は有罪判決に際して犯罪に人種主義的動機があったことを考慮に入れることになっている。刑法119条1項や257条では個別の犯罪成立要件に加えて量刑事情として明示されている。
2010年、検事局が扱ったヘイト・クライムは全国で163件であり、うち30件は訴追に至り、72件は却下、54件は予審審問に入らず、6件は保留である。却下された事案の多くは被疑者不詳(38件)、該当条文なし(23件)である。公然侮辱の事案の多くは、オンライン、壁の落書きである。検察官は、他の犯罪類型と異なり、法律上の成立要件及び被疑者の特定に苦労している。
2011年前半、109件の手続きが終了した。うち11件は訴追に至り、53件は却下、36件は予審審問に入らなかった。被疑者不詳(29件)、該当条文なし(12件)、証拠不十分(10件)である。
ヘイト・クライム事案は、オンライン上で行われた者が、42件(2010年)、45件(2011年前半)、壁の落書き等が17年(2010年)、16年(2011年前半)、スタジアムにおけるフットボール・ファンによるものが6件(2010年),5件(2011年前半)、著書や音楽活動によるものが3件(2010年)、4件(2011年前半)である。
グダンスク検事局は、2010年9月16日に、ファシズムのプロパガンダをする音楽CD及びナチスのシンボルのTシャツを販売するオンラインを開設した被疑者を起訴した。
ファシイズムを正当化する事案は、2010年、37件が予備審問にかけられ、うち6件が訴追に至り、19件が棄却であった。反ユダヤ主義の事案も多く、42件(2010年)、27件(2011年前半)、ロマ共同体に対するものが14件(2010年9、8件(2011年前半)である。
ワルシャワ検事局は、バス停留所に「われらの大陸の安全を守れ。白いヨーロッパだ。イスラムにノー」というリーフウエットを置いた事案で3人を起訴した。

フットボール試合の事案では、他人に対する侮辱を叫んだ実行者の特定が困難である。実行者が特定されても、叫んだ言葉が民族集団に対するものではなく、相手方フットボール・クラブのサポーターに対するものとされがちである。スローガンをバナーに書いた事案では特定性が高い。ルゼソウ検事局は、バナーに「鉤鼻の連中に死を」という言葉とユダヤ人の風刺画を描いた被疑者を起訴した。

ジョン・レノン暗殺2日前のインタヴュー

 ジョン・レノン、オノ・ヨーコ、アンディー・ピープルズ『ジョン・レノン ラスト・インタビュー』(中公文庫)
非国民シリーズでジョン・レノンのことを書くので記憶喚起のために数冊、ジュネーヴに持って来て、本書をバーゼルからの電車の中で読んだ。その間に、ヨーコが病院に運ばれていた。ヨーコも83歳か、と驚いた。ジョンがぼくより15歳上で、ヨーコはジョンより7歳上だから、いまさら驚くべきことではない。
1980年12月8日、ジョンはニューヨークの自宅前で射殺されたが、その2日前に、アンディーがジョンとヨーコに行ったインタヴュー記録が本書である。
70年代前半、ベトナム反戦運動の先頭に立ったジョンは、「ギブ・ピース・ア・チャンス」「パワー・トー・ザ・ピープル」「イマジン」で世界の平和運動に大きな影響を与えた。ぼくらもジョンのPEACE BED戦術と、大看板「war is over」に驚かされた。世界最強の帝国とたたかったジョンは、FBIに付け狙われ、国外退去にあいそうになりながら、法廷闘争を続けた。ニクソンやフーバーとの闘いはニクソン失脚で決着がついた。映画『PEACE BED アメリカ対ジョン・レノン』はその軌跡を追いかけている。
そして、ショーンの誕生以後、5年間、音楽活動を止めて育児、家事に専念したジョンは5年後、『ダブル・ファンタジー』で蘇る。だが、12月8日の悲劇が待っていた。
インタヴューは2人の出会い、『ウェディング・アルバム』、イマジンのこと、活動の再開のことを中心に、仲間のミュージシャンたちのこと、ビートルズのこと、これからのことに、及ぶ。これからのこと、失われたジョンのこれからのことだ。
あれから36年、ヨーコは一人でジョンの夢を追いかけ続けた。いや、ジョンの夢を追いかけるぼくらの先頭を走り続けたのか。いや、ジョンの夢ではなく、ジョンとヨーコの夢を。
本書の訳者は池澤夏樹。1981年当時、この訳者のことは知らなかったし、関心がなかった。中公新書版が出た2001年、訳者は既に有名作家だった。いま、この作家は個人的に信用できないと思い、ほとんど読まないが、世間では相変わらず人気作家のようだ。本書の訳もとても読みやすい。1945年生まれだから、やはりビートルズ狂だったのだろう。もっとも、中公新書版には「沖縄在住」とあるが、なぜ沖縄在住となり、その後なぜ沖縄在住でなくなったのか、そこが問題だ。

Ismaro, Merlot,Ticino,2011. ティチーノのブルーラベル、そしてブルーチーズ、安物なのにご機嫌な香り。

バーゼル文化博物館散歩

バーゼル美術館は改装中のため、所蔵品の内のホルバイン、クラナハ、グリュンバルトが文化博物館で展示されている。バーゼル美術館は2度ほど見たが、通常展示されていないものも出ていると聞いて、文化博物館へ行ってきた。
バーゼル駅前通りからミュンスターへ出てすぐに美術館だが、そこから徒歩5分とかからないコミューンの教会テラスからライン河を眺め、広場を抜けると文化博物館だ。教会のステンドグラスも素敵だった。
文化博物館2階の一室の展示は、ホルバインの「エラスムス像」「ボニファシウス・アメルバハ像」「最後の晩餐」「棺の中のキリスト(死んだイェス像)」、クラナハの「赤子を抱いたマドンナ」「パリスの審判」、グリュンバルドの「十字架のキリスト」、ハンス・バルドングの「死者と少女」「死者と女性」「聖アンナと聖母子」、コンラド・ヴィツの「聖人クリストフォロス」「エクレシア」「シナゴーグ」「キリストの生誕」「騎士と聖人」「ヨアキムとアンナ」。ゆっくり見ることができた。
2階の常設展は、バヌアツ、スリランカ、ナイジェリアの人々の生活具、武器、仮面(マスク)などの展示だった。
3階では「ストローと金」展をやっていた。文化が権力を見えるようにするというコンセプトらしいが、近現代の生活具や様々な商品が並べられていた。おもしろかったのは、陳列台や、区分する仕切り壁を、すべてペットボトルで作っていることだ。空のペットボトルを数千本使っている。ペットボトルの生産量、使用量、廃棄と再利用の状況の説明が書いてあった。

一作年からやっている授業「スイスの美術館」で使うため、ホルバインをはじめ各種の絵葉書と資料を入手してきた。バーゼル美術館のカタログは立派なのが出版されていて、高値で重たいが以前入手している。

市民の目から見た韓国現代史――「友よ、未来は僕らの内にすでにやってきている」

ユ・シミン『ボクの韓国現代史』(三一書房)
原著は韓国で20万部を突破した注目の書!
かつてノ・ムヒョン大統領政権下で保健福祉相を務め、政界引退後は自由なライターとして活躍するユ・シミンが著す、日本人が知らなかったリアルな韓国現代史。
1959年に生まれた著者は、自分が生まれ育った時代――幼児のことは記憶していないにしても――に限定して語ると言うスタイルを選んだ。1959から2014の55年間を、少年として、学生として、コラムニストとして、ドイツへの留学生として、そして政治家として生き、見つめ、働きかけてきた自国の歴史を、自ら引き受けるために、未来の世代に送り届けるために、韓国が駆け抜けた動乱と悲劇と喜劇と腐敗と混迷の歴史を、粉飾することもなく、絶望することもなく、描き出す。政治、軍事、経済、社会、文化――さまざまな分野に幅広く視線を送りながら、韓国国民が何を悩み、何に怒り、激しくも優しく生きてきたのかを明らかにする。理論と、実践と、経験と、希望を重ね合わせながら、リスクにおびえながらリスクにチャレンジする。
韓国現代史は日本でもいくつも書かれてきたが、やはり日本人研究者の関心に規定されてたり、在日朝鮮人研究者の問題意識に貫かれている。それはそれで大切だが、韓国シミンの眼差しで書かれた本書はひと味もふた味も違う。
「僕はこの本が、みずからの時代を全力で走ってきた同時代のすべての人々にとってささやかな慰めになることを期待している。また、大人たちのつくった今の社会的環境を乗り越え、今日とは違う明日をつくっていく若者たちにとって意味あるアドバイスになることを期待している」。

隣国に生きる私たちにとっても、本書は様々な読み方を可能にするテキストである。いつか日本の市民が「ボクの日本現代史」を書き、さらに、誰かが「ボクの東アジア現代史」を書いてくれるといいが。

Saturday, February 27, 2016

ヘイト・クライム禁止法(102)モンテネグロ

モンテネグロには、ヘイト・スピーチ処罰法、及び「アウシュヴィツの嘘」処罰法がある。
モンテネグロ政府が人種差別撤廃委員会に提出した報告書(CERD/C/MNE/2-3. 12 July 2013)によると、刑法第15章「市民の自由と権利に対する犯罪」において差別に対処している。刑法158条は、マイノリティが自己の言語を用いることを東京が妨げて市民の権利を否定・制限した場合、平等侵害の特別形態として、罰金又は一年以下の刑事施設収容としている。刑法160条は、国民の文化的表現の侵害を犯罪とし、罰金又は一年以下の刑事施設収容としている。公務員が公務中に犯した場合は三年以下の刑事施設収容である。刑法161条は宗教に関する進行や活動の自由を侵害する犯罪を罰金又は二年以下の刑事施設収容としている。刑法199条は、名誉・評判に対する罪であり、国民、国民的民族的集団に対する嘲笑は罰金3000以上1万以下のユーロとしている。
刑法370条は、人種、皮膚の色、宗教、出身、国民的民族的所属に基づいて定義される集団又は集団構成員に対して、公然と、暴力又は憎悪を招くことによる、国民的、人種的又は宗教的憎悪を惹起する犯罪を定め、六月以上五年以下の刑事施設収容としている。
上記の集団又は集団構成員に対して暴力又は憎悪を惹起する方法で、人種、皮膚の色、宗教、出身、国民的民族的所属に基づいて行われたジェノサイド、人道に対する罪、戦争犯罪であって、モンテネグロ法廷又は国際刑事法廷によって有罪が確定した事例を、公然と容認し、事実を否認し、重大性を矮小化した者にも同じ刑罰が科される。当該犯罪が、強制、不法処遇、危険化、国民的、民族的又は宗教的シンボルへの嘲笑の表明、記念碑への冒涜によって行われた場合、一年以上八年以下の刑事施設収容とされる。刑法35章には、ジェノサイド、人道に対する罪の犯罪規定とともに、ジェノサイド実行の煽動の罪が規定されている。
公共の平穏と秩序法17条は、公共の場において、口頭、文書、サインその他により、市民の人種、民族、宗教的感情や公共道徳を侵害した者を、最低賃金の3倍以上20倍以下の罰金、又は60日以下の拘留としている。
 スポーツイベント暴力犯罪予防法第4条1項は、物理的紛争、民族的人種的宗教的その他の憎悪又は不寛容を呼びかけたり、助長する内容のスローガンを叫んだり、歌をうたうことは違法行為としており、スポーツイベント参加禁止等の命令をすることができる。
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前田朗『ヘイト・スピーチ法研究序説』において、世界には120か国以上にヘイト・スピーチ処罰法があることを紹介した。
私たちが「国際的にはヘイト・スピーチ処罰は当たり前である」と主張したのに対して、一部の憲法学者や弁護士がマスメディアに登場して、「表現の自由だから、民主主義国家ではヘイト・スピーチは処罰できない。処罰するのはドイツなど一部の例外に過ぎない」と唱えた。私は5年がかりで120か国以上に処罰法があることを明らかにした。EU諸国はすべて処罰する。嘘つき憲法学者を黙らせるのに5年かかった。

このところこの作業を中断していたが、今後も立法例、適用例に学ぶ必要があるので、再開することにした。時々、情報を追加していきたい。

Friday, February 26, 2016

ドイツリスク――混迷するEUとドイツのこれから

三好範好『ドイツリスク――「夢見る政治」が引き起こす混乱』(光文社新書)
「危うい大国ドイツ」の実相を紹介し、「ドイツに学べ」式の日本人の発想に一定の抑止を掛けることを目指した本である。中心的話題は、第1に、脱原発、第2に、難民問題に揺れるEU(経済、ユーロ、人権の絡み合い)である。
脱原発について、著者は、2点強調する。1つは、3.11以後のドイツ・メディアはフクシマと日本について偏見を持った報道を繰り返したこと。メルトダウンと騒ぎ、放射能の危険を煽ったこと、である。2つは、メルケル政権の脱原発の選択は倫理に基づくもので、現実的でなく、正に「夢見る政治」にすぎないこと、である。
難民問題を契機とするユーロ問題(=ドイツ問題)について、著者は、EU統合にもともと無理があるのを欧州の歴史的経緯から実現させてきたこと、EUにおけるドイツの位置と役割が矛盾を抱えていたこと、ドイツの歴代首相たちもいまはEU政策に疑問を呈することもあることなど、さまざまな観点から検証している。

著者は09~13年、読売新聞ベルリン特派員、現在、編集委員。かつてカンボジアPKO報道にも携わっている。EUとドイツの戦後史の流れを踏まえて、かつ、個別具体的な識者の意見を踏まえて、議論しているので、視点が明快で分かりやすい。初めて知ることもあって、役に立つ本だ。もっとも、著者が「ドイツに学べ」式の議論を批判するのは、実は、「ナチスの過去を反省したドイツと、軍国主義を反省しない日本」という常識を否定して、「日本はこれ以上反省する必要はない」という議論につなげるためということが、ミエミエで、ちょっと情けない。

Thursday, February 25, 2016

グランサコネ通信16-03

25日、国連人権理事会諮問委員会は、今後取り上げるべき議題の案について検討した。韓国のソー委員は、地域的人権メカニズムを提案している。欧州人権条約と人権裁判所のように、米州やアフリカにはメカニズムが出来ているし、東南アジアも進展中。これらの理論的実践的成果を研究する課題である。もちろん、東アジアにそういうメカニズムが全くないことが主眼。オカフォル委員、ザン委員(中国)をはじめ数人の委員が賛成意見を次々と。諮問委員会としてはまとまるだろう。ただ、人権理事会が認めないと実際には動けない。他に、社会権と持続可能な発展など、いくつかの案が出されていた。ジーグラー委員は文化遺跡の破壊を提案していた。
29日から4週間の日程で、国連人権理事会が開催される。1週目はハイレベルセグメントで、各国政府のプレゼンテーション。
予定されているパネルは、2030年持続可能な社会、国際人権規約50年、気候変動、障害者の権利、子どもの権利、HIV、民主主義とレイシズム、移住者の権利など。
普遍的定期審査(UPR)はミクロネシア、レバノン、モーリタニア、ナウル、ルワンダ、ネパール、セントルシア、オマーン、オーストリア、オーストラリアなど。
他に提出されている主な報告書は、信仰の自由、子どもと武力紛争、マイノリティ、勤労の権利、家族の保護、麻薬の影響、食糧の権利、拷問、子ども売買・ポルノ、反テロと人権等。子ども売買・ポルノでは特別報告者の日本訪問報告書が出ている。
マイノリティ問題の特別報告者も日本訪問をしたが、その報告書はまだできていないので、次回のようだ。ただ、今回の報告書はカースト差別なので、部落差別に言及がある。
『マイノリティ問題特別報告書』(A/HRC/31/56
リタ・イザク特別報告者は、今回、カーストその他に基づく差別を取り上げている。その定義、影響を受ける集団、国際法の枠組みに言及したうえで、市民的政治的権利や経済的社会的文化的権利に即して検討している。アジアでは、インド、ネパール、スリランカ、日本。中東ではイエメン、アフリカではモーリタニア、マダガスカル、ナイジェリア、セネガル、ソマリアなど。

日本については、パラグラフ36で、反差別国際運動や部落解放同盟の資料を基に、概況を簡単に示している。パラグラフ74では、友永健三論文等を使って、職業差別と戸籍に言及。パラグラフ91では、友永論文を基に、教育を受ける権利について、高校就学率に言及。さらに、パラグラフ115では、同対法(1969-2002)に言及。

Wednesday, February 24, 2016

グランサコネ通信16-02

22日、国連人権諮問委員会諮問委員会は保護者のいない子ども移住者の人権を議論した。カルラ・ハナニア・デ・ヴァレラ報告者が報告書(A/HRC/AC/16/CRP.3)を紹介した。エルサダ委員、オカフォル委員、パベル委員、プラド委員、ソ委員などが作業部会。子どもの権利条約と、移住労働者権利保護条約が重なり合う局面だが、逆に言えば、両者のはざまで見落されてきた問題でもある。人権侵害について、直接的要因と構造的要因を区別している。直接的要因は、傷害の脅威、紛争、人身売買、迫害、ギャングのリクルート、ジェンダー暴力など。構想的要因は貧困、コミュニティ環境、差別、独裁体制、強制結婚、FGM、教育機会の欠如など。各国から提供された情報を整理したうえで、子どもの権利条約が保障する権利の実質的保障に触れ、最後に、家族分離の予防、子どもの最善の利益を保護するための保護者の確保、家族との再統合、関連情報の収集などを掲げている。数人の委員、及び中国、ロシアが発言したが、特に重要なことはなかった。午後6時までの予定なのに、3時半には終わった。
Les Dailles, Dole de Salquenen, Valais,2014.
日本から持ってきた焼きホタテを食べた所、みごとにバッティング、あまりのまずさに吐き出してしまった。失敗。
23日、国連人権諮問委員会諮問委員会はハンセン病患者とその家族に対する差別撤廃を議論した。タマラ・イゲズ委員が報告書(A/HRC/AC/16/CRP.2)を紹介した。このテーマは、ずっと前に坂元茂樹委員が報告書を作成し、人権保護のためのガイドラインを作成し、人権理事会の議論を経て、2010年12月に国連総会で採択された。そのガイドラインの履行状況のフォローアップを行っている。イゲズ委員は各国から寄せられた情報を紹介した。インド、日本、ルワンダ、タンザニア、ブラジル、ニカラグア、イギリス、オランダ。日本の状況は報告書に書かれているだけでなく、イゲズ委員は口頭で言及した。1953年法の限界、1996年の状況改善、しかしその後も人権侵害状況があり、被害者団体が取り組みを続けていること。及び、日本財団が諸外国のハンセン病に対処し支援していることなど。中国のザン委員が、中国にも病者がいて、2001年以前は厳しい状況にあったと発言していた。ヴァレラ委員、オカフォル委員。政府の発言はなかった。というか、政府代表は10カ国程度しか来ていなかった。NGOも数名。

昔の人権小委員会は、100か国以上の政府が常時出入りし、NGOも100名規模で参加していた。国連改革で、諮問委員会は権限が弱体化されたため、参加が大幅に減っていたが、それでも数年前までは、数十カ国、NGOも20~30人は参加していた。平和への権利国連宣言の議論をしていた時は、さらに増えた。しかし、昨年夏には参加が大幅に減っていた。今回はもっと減っている。発言者が少ないため、今日も午前中で終わり、午後3時から6時のミーティングはキャンセルになった。諮問委員会の今後が危ぶまれる。人権理事会が、諮問委員会の専門家が活躍することを歓迎していないからだ。余計なことをするな、というわけだ。そういう観点で委員が選ばれ、有力政府の気に入らないことは話さないようになり、ますます低調になる。韓国のソ・チャンノク委員が、今後の議題として、地域的人権機関の設立について議論しようと提案しているが、通るだろうか。欧州人権条約と人権裁判所のような機関をアジアにも作りたいという話だが、一部の政府が歓迎しないだろう。

わざわざ自滅の道を選ぶ無能な官僚と政治家

室井尚『文系学部解体』(角川新書)
帯に大きく「日本の知が崩壊する」とある。かつて流行した「知」なるものが崩壊しても一向に構わないが、「知」には「知性」「知恵・智慧」も含まれるので、崩壊しては困る。政治家主導なのか官僚主導なのかよくは知らないが、文系学部を廃止する、あるいは、解体再編するという文部科学省は、よほど日本を崩壊させたいらしい。人口は減り始めたし、人類史上初の超高齢化社会になっているし、経済も衰退しているのだから、このまま静かに、時間をかけてゆっくりと「崩壊」するべきなのに、軍事力を強化し、危ない軍事行動をひたすら狙い、周囲の迷惑行動を繰り返す一方で、文系学部崩壊の途をわざわざ選ぶのだから、自滅の道というしかない。
著者は横浜国立大学教育人間科学部教授だ。まさに文部科学省から解体を命じられた当事者だ。「当事者」? 本当は誰もが当事者なのだが。著者は文系学部解体のミッションがどのように作成され、それが過去の大学改革とどのようにつながっているかを示す。大学と言う場を「緩やかな動物園」にたとえ、これを「管理される場」に変えることへの抵抗の思想と方策を練る。教養とは何か。異質なものとの出会いとは。大学でしかやれないこととは。最後に著者は「それでも大学は死なない」と戦闘宣言をする。制度としての大学ではない。自らつくる生きる場、学ぶ場としての大学は死なない。

新書1冊で大学問題の基本がわかる。「役に立つこと」と「役に立たないこと」のぶつかりあいが、大学という場で何を生み出すのか。そこに希望がある、はずだ。国立だけの問題ではない。私立大学も必然的に巻き込まれている。大学関係者も元関係者も未来の関係者も無関係者も必読。

Tuesday, February 23, 2016

グランサコネ通信16-01

22日、国連人権理事会諮問委員会16会期が始まった。
安保理事会や経済社会理事会と並ぶ理事会の一つの人権理事会の下に置かれた専門家委員会だ。人権理事会は47か国の政府が理事となっているが、諮問委員会は専門家委員会であり、人権理事会から諮問された事項について研究し、報告する。以前の人権小委員会は自らテーマを決めて研究し、決議を行っていたが、諮問委員会は文字通りの諮問機関である。
委員は世界各地から推薦・占拠された専門家18名。現在、アジアからは、アブダル・アジズ・アルシェディ(サウジアラビア)、カオル・オバタ(日本)、ソ・チャンノク(韓国)、アメル・ビラル・スーフィ(パキスタン)、イシェン・ザン(中国)。
これまで、腐敗と人権、人権教育、食糧の権利、平和への権利、地方政府と人権、テロリストによる人質などのテーマを取り上げてきた。現在は、ハンセン病、はげたかファンドの人権への影響、保護者のいない移住子どもを議論している。
22日午前は議長選出、議題の決定などが行われた後、はげたかファンドの人権への離京の議論に入った。担当する作業部会・報告者であるジーグラー委員(スイス)が、準備した報告書(A/HRC/AC/16/CRP.1)を紹介し、議論が行われた。はげたかファンドが瀬愛各地で人権侵害を惹起していることをどうするのかであるが、判決が3つ紹介されている。ドネガル国際vsザンビア事件、FGヘミスフェアvsコンゴ民主共和国事件、NML資本株式会社vsアルゼンチン事件。どれも知らないことで、中身も分かりにくかったが、株価操作を通じて国内経済を混乱させたり、土地の投機的買占めを行い、その結果、子どもの命が失われるような被害が起きているという話だ。会議場はガラガラで先進国政府の代表はほとんどいなかった。発言したのはヴェネズエラ、アルゼンチン。他にキューバ、コスタリカ、コロンビア、ケニア、南アフリカなどLA諸国とアフリカ諸国の代表が来ていた。
国連欧州本部の中庭に新しいモニュメントが出来ていた。80センチ四方程度の立方体の石がずらりと並べてある。石の材質はばらばら、色も形もそれぞれだが、それぞれに国の名前が刻んである。アフガニスタンからジンバブエまでABC順に並べてある。国際連帯と言いう意味だろうか。ほとんどの石がほぼ立方体なのに、日本の石だけひどく歪んでいて、立方体でないのが笑えた。おむすび型だ。日本政府が用意したのか、それとも国連側が用意したのか、知らないが。
21日夜にジュネーヴに入った。今年も、ジュネーヴ郊外の丘の上、静かな林の中、下記の1階の部屋に滞在。

Saturday, February 20, 2016

アムステルダム国立美術館散歩

ぜいたくな一日だった。
最初から美術館として建設された建物に、オランダの美術品がど~~んと展示されている。家具調度品、鍵、デルフト陶器、宝飾品、磁気、武器、模型船、フラ・アンジェリコ、スコーレル、ブケラー、マイセン、ファルコネ、ゴヤ、ブライトナー、ファン・ゴッホ、レンブラント、フェルメール、ステーンを堪能。夜警、ユダヤ人夫婦、牛乳を注ぐ女、手紙を読む女。
フロントは人だかりだったので、なかなか大変かな、と思いながら入ったが、美術館として作られた天井の高い部屋に、ゆったり並べられた作品が多かった。多少人が多くても関係なく、どの作品も正面からじっくり見ることができる。東京だと、美術品を見る以前に、大勢の人間の背中と頭を見なくてはならない。芸術鑑賞などと無縁の世界に美術品が置かれる悲惨さ。
レンブラントの夜警の前には人が大勢並んだが、タテヨコ5メートルの大作なので、遠くからもよく見えたし、すぐ近くに行ってじっくり見ることもできる。フェルメールの牛乳を注ぐ女も東京とは違って、正面に立って20分以上眺めていられる。ハーグのマウリッツハウスに真珠の耳飾りの少女を見に行ったときは平日の朝、他に誰もいないので30分くらい一人で眺めた。フェルメールはここ数年、日本で超人気なので次々とやってきた。有難いことだが、東京だと、他人の後頭部ばかり眺めることになる。真珠の首飾りの少女はハーグとジュネーヴでみたので、東京では見に行かなかった。
10時半に入って16時過ぎまで、昼食抜きで館内を歩き回った。本当はもっとゆっくり見たいところだ。宝飾品や家具はどこの博物館でも見られるような気がするが、デルフト陶器は素敵だし、アムステルダムならではのものもあった。インドネシア植民地時代に由来する美術品や工芸品だ。作者不明の現地ジャワ島の役人の絵はかなりのものだった。
玄関を出ると冷たい雨が降っていた。風も出てきた。隣のファン・ゴッホ美術館、その向こうには市立美術館と、凄い美術館が3つ並ぶ間を小走りでトラムに飛び乗る。

大江健三郎を読み直す(57)「森のフシギ」と、大きい、ひとしずくの涙

大江健三郎『M/Tと森のフシギの物語』(岩波文庫)
1986年の出版時に読んだつもりでいたが、どうやら記憶違い。1986年に岩波書店から出ているが、私が読んだのは1990年の同時代ライブラリー版だ。2007年には講談社文庫に入り、2014年に岩波文庫版が出た。
1986年出版ということは、大江が51歳を迎える時期で、既に若くはなく、作家としての地位を確立し、大いに羽ばたき始めた時期でもあった。井上ひさし、筒井康隆との鼎談をまとめた『物語探し ユートピア探し』でも、3人が50歳を越えた飛躍期であることが繰り返されていた。
『万延元年のフットボール』で定置された四国の森の奥の神話と伝承の世界を、『同時代ゲーム』でより大きなスケールで描き直し、『新しい人よ眼覚めよ』を経て、本書『M/T』でふたたび同じ神話と伝承に新たな視角から光を当てつつ、拡大再生産して見せた。当時の読者の意識としても、『M/T』は『同時代』の描き直しバージョンだった。
私は当時、『同時代』を「国家論小説」として読んだ。井上ひさしの『吉里吉里人』、筒井康隆の『虚航船団』も「国家論小説」だ。その点では『M/T』は「国家論小説」的な性格が弱くなっている、と感じた。
しかし、大江の意識においては、あるいは文芸評論の観点からは、『M/T』の宇宙観と死生観に光が当たる。生きることと、生き直すこと、生まれることと死ぬことと生まれ直すこと。個人としては死は生の終りであるが、集団としては死は再生へとつながる一つの節目である。大江の定番の核時代論は本書には出てこないが、ナラティヴの問題に触れて、現在の大江は脱原発問題と繋げている。人が住めない地域をつくってしまう放射能汚染とは、再生を不可能ならしめる事態であり、「森のフシギ」を根こそぎ破壊してしまう。文庫版に掲載された小野正嗣の解説はこの論点を見事に表現している。しかも、それを初期大江から現在の大江までつなげている。なるほど、小説とはこのように読むべきものなのか。

「たったひとりの子供にも涙を流させないために、その流れるかもしれない涙をあらかじめ引き受け、代わりになって書くこと」――大きな、ひとしずくの涙を通して見える世界を再構築すること。

Friday, February 19, 2016

文学とサブカルの相互浸透、相互影響の30年

佐々木敦『ニッポンの文学』(講談社現代新書)

文学といえばかつて「純文学」と「大衆文学」という区分があったが、いまは文学とエンターテインメントになっている。しかし、エンタメ出身の作家が文学に越境し、文学作家がエンタメに越境するのは当たり前になっている。そもそも「文学」とは何か。「文学」と「小説」はどういう関係にあるのか。おもしろい小説こそ重要ではないか。ということで、著者は80年代以後の文学を対象に、文学とエンタメ、文学とサブカルの相互浸透の歴史を探る。芥川賞、直木賞受賞作品をもとに、この30年の変化はどうかを問う。言うまでもなく牽引車は村上春樹と吉本ばななである。ミステリでは本格と社会派の後に登場した「新本格」(島田荘司、綾辻行人ら)はどう進化したか。SF御三家以後(山田正紀、神林長平ら)の深化と停滞を乗り越えて現在どうなっているか。これらをデッサンしたうえで、サブカルとしての「文学」を高橋源一郎、赤瀬川原平をもとに、ポストバブルの文学状況を保坂和志、阿部和重、中原昌也、町田康、麻耶雄高、京極夏彦に。そしてゼロ年代におけるジャンル拡散を、舞城王太郎、佐藤知哉、西尾維新、そして現在へと辿る。
この30年程の文学状況を1時間でおさらいできるのでとても便利な本だ。もっとも、説得的とはいいがたいところも多々ある。村上春樹の特質の一つを「僕」という一人称の主体の語りと見るのは良いが、その説明のために引証されるのは栗本薫と新井素子である。間違っていないが、一寸待って、という思いもある。30年前すでに文芸評論では次のような3段階で語られていたからである。
A 大江健三郎『われらの時代』、柴田翔『されどわれらが日々』
B 栗本薫『僕らの時代』
C 三田誠広『僕って何』

フォークソングにおいてもっと急速に同じ変化が起きていた。岡林信康から、吉田拓郎を経て、井上陽水とユーミンに至る流れと照合して理解されていたのだ。佐々木敦は、このうちAとCについて言及せず、栗本薫、村上春樹、新井素子を素材に文体と語りの変化を語る。まあ、いいけど。ついでに言えば、文学・純文学の最前線を走り続けた「われら」派の大江健三郎の作品に「僕」がいくつも書かれているのだが。

ファン・ゴッホ美術館散歩

雨があがったが空気の冷たいダム広場を通り抜けてアンネ・フランクの家に着いたが、200人以上の行列ができていた。やむをえず外から建物を写しただけで、ダム広場に戻り王宮の中を見学してから、トラムでファン・ゴッホ美術館に移動した。

ファン・ゴッホ美術館ははじめてだった。最初のフロアには「ファン・ゴッホと目と目を合わせて」と題して、10点ほどの自画像と、年譜が掲示されている。自画像は自我像、と呟きながら、デューラーやセガンティーニとの違いを思い、バロットンやクレーの自画像と比較してみる。本館1階は「ファン・ゴッホ1883-1889」で、代表作、農民の画家、基本に立ち返って、新しい視点、パリの現代美術、芸術家の友人たち、開花期、日本へのあこがれのパートからなる。日本は広重の習作。2階は「ファン・ゴッホ、クローズアップ」で、書簡、家族、芸術的交流、ポンタヴァンでの友人たち、描画家としてのファン・ゴッホなど。3階は、「ファン・ゴッホ1889-1890」と題して、描く、ただ描き続ける、自然にインスパイアされて、ファン・ゴッホの影響。全体が3部構成となっているが、年代順であると同時に、テーマ別になっていて、順路通りに見ることで理解が深まる。初期の農民、農作業の時期から、点描、線描を用いた輝く風景画の時期、そして人物像と、構成・構図の変化、色彩の変化、技法の変化を追いかけながら見ることができる。「ひまわり」はなかった。ひまわりには5種類あるが、ここには1つ所蔵。しかし、現在、修復・調査のさなかということで、レプリカが置いてあった。これまでいくつのひまわりを観たのか、どのひまわりなのか、正確に記憶していないが。ゴッホの影響を受けた画家として、ルドン、ムンクや、イスラエリのひまわり+が展示されていた。しかし、ボナールの雨のモンマルトルもそこに展示していたのは、かなり無理がある。

Sunday, February 14, 2016

治安法の歴史と方法――人間の尊厳を守るために

内田博文『刑法と戦争――戦時治安法制のつくり方』(みすず書房)
近代刑法史研究、とりわけその方法論についての第一人者である。ハンセン病問題に関する検証の第一人者でもある。大著『刑法学における歴史研究の意義と方法』や『日本刑法学の歩みと課題』、そして『ハンセン病検証会議の記録』によって大家の地位を築いたが、近年、『刑事判例の史的展開』『自白調書の信用性』『更生保護の展開と課題』を続々と出版して、他の研究者を驚愕させている。と思っていたところ、さらに本書が登場した。
風早八十二、佐伯千、櫻木澄和、横山晃一郎、足立昌勝等々とともに、民主主義刑事法学、近代刑法史研究派を牽引してきた著者の、一般読書人に向けての著作だ。

本書は一般向けの著作であるが、実際には一般の読者が読みこなすことは難しい。専門研究書の水準にある。大日本帝国の戦時法制としての治安法体制を歴史的に分析すると同時に、その治安法を解体した日本国憲法体制の意義を説き、それが転覆させられつつある現在を批判する組立である。戦時法制の歴史を一般向けに解説するだけでなく、大日本帝国の法制全体を貫いたものを析出し、その帰結としての治安法制の形成と展開と破綻を、その原因と帰結を解明している。刑法、治安法、裁判所構成法、弁護士法、刑事判例などの諸領域に踏み込んで、近代日本法史を描出している。これだけの著作を執筆できる法学者はごくごく限られている。

大江健三郎を読み直す(56)「世界舞台」という抵抗

大江健三郎『いかに木を殺すか』(文藝春秋、1984年)
初読の印象があまり残っていなかったが、収録された短篇8篇の最後の表題作「いかに気を殺すか」に辿りついて、「世界舞台」を思い出した。幕藩体制に抗う四国の森の中の村と一族。あるいは、戸籍制度と徴兵制に抗う四国の森の人々。そして、第二次大戦中の国策、戦争協力に抗う村の人々。そうした重層的な伝承と記憶の装置としての「世界舞台」で演じられる「木が人を殺す」芝居。それ自体が、核時代、環境破壊の時代に「人が木を殺す」現実に抗う物語である。 
初読の印象があまり残っていないのは、第1に、大江の作品系列として、『同時代ゲーム』から『M/Tと森のフシギの物語』を経て『懐かしい年への手紙』『治療塔』に至る過程で書かれた作品群のなかでは、『「雨の木」を聴く女たち』『新し人よ眼ざめよ』は話題性もあり、『河馬に噛まれる』も川端康成賞を受賞したので、『いかに木を殺すか』は話題性が引く方ことがあるかもしれない。第2に、より現実的には、当時私自身がオーバードクターの苦労の最中だったため、自分の研究テーマに取り組むので精一杯だった時期ということもあるだろう。多忙な時期にもかかわらず小説をたくさん読んだが、大半がエンターテインメントだった。漫画も手当たり次第、一番読んだ時期のような気がする。とはいえ、精神的に余裕がなく、大江作品に集中して読んだのではなかっただろう。

文藝・音楽評論家の円堂都司昭は、ネット時代における「N次創作」(濱野智史)を引き合いに出し、引用やアレンジによる集団作業のスタイルを、大江が個人で書く「小説」の形でシミュレートしていたと見ている。匿名性の高いN次創作と違って、大江は個人性が強い点が異なるが、大江作品で多用される村の伝承や神話はN次創作とも言えるのではないかと言う(『早稲田文学6』。うがち過ぎと思うが、そうした観点で作品を読み込むことにも意味はあるのだろう。

Saturday, February 13, 2016

市民が明らかにした福島原発事故の真実

彩流社ブックレット 1
海渡雄一著, 福島原発告訴団監修『市民が明らかにした福島原発事故の真実  東電と国は何を隠ぺいしたか』(彩流社)
35年間にわたって、もんじゅ訴訟、六ヶ所村核燃料サイクル訴訟、浜岡原発訴訟、大間原発訴訟など原発関連訴訟多数を担当してきた著者である。脱原発弁護団全国連絡会共同代表として、311後の東京電力の責任追及、原発運転差止のための訴訟多数を担当している。
本書では、東電元幹部3名を強制起訴に追い込み、全国の原発再稼働差し止め訴訟を担当する著者が、東電が隠蔽してきた数々の不都合な真実をわかりやすく解説している。東電も日本政府も検察庁も、まだまだ多くの事実を隠しているが、その一部が露見してきた。検察審査会決定を読み解いて、驚くべき真実に迫る。東電首脳は、福島沖の巨大津波の可能性をしり、対策が不可欠であるとし、対策を「決定」したにもかかわらず、後にそれを覆したのである。これまで、「東電首脳は決定を先送りしてきた」という嘘が並べられ、私たちは騙されてきた。事実は、対策を決定したにもかかわらず、コスト等の理由からそれを転覆し、対策を取らないことにしたのだ。このためにメルトダウン事故が起きた。にもかかわらず、その後、東電幹部も検察庁もこの事実を隠蔽してきた。
検察審査会の起訴強制により、検察官役の指定弁護士が選ばれた。福島原発刑事訴訟支援団も設立。真相解明と有罪判決を実現し、原発体制を突き崩す次の一歩が始まった。
1章 真実は隠されていた
2章 あらかじめ警告されていた、福島の津波
3章 対策先送りの背景に隠されていたこと
4章 津波対策をとることは決まっていた
5章 保安院にも15メートルの津波は報告せず
6章 貞観の津波をめぐる保安院と東電の暗闘
7章 対策が不可避であったことは共通認識だった
8章 東電幹部の刑事責任は明らか
9章 原発再稼働と闘う


Friday, February 12, 2016

大江健三郎を読み直す(55)連合赤軍事件への視線

大江健三郎『河馬に噛まれる』(文藝春秋、1985年[講談社文庫、2006年])
ウガンダで河馬に噛まれた元革命党派の若者と、そのパートナーと「僕」の交流を描きながら、連合赤軍事件への著者のかかわりと、その後の時代をたどる。大江は、『壊れものとしての人間』において「自註と付録――核時代の『悪霊』、または連合赤軍事件とドストエフスキー経験」を提示していたが、10年以上後に、改めて連合赤軍事件に向き合った。
発表当時、私にはなんだか物足りない小説に思えたのだが、読みが足りなかったのだろう。文庫版解説で、小嵐九八郎は「敗戦後60年と少し、イラクへの自衛隊の派兵が見えにくいように、実は隊内で少なからずの自殺者を出しても見えにくいように、暴力とその圧迫する力は見えにくい。正義と不正義を交錯させ、差し違え、越えるように賭ける、膂力のある作家は大江健三郎氏のほかに探しにくい。改憲の動きが急で、一番影響を受けそうな十代二十代がこの小説をどう体内に生かしていくか。思想家の“偉い人”すら、暴力論は、この40年とんと書かない。」と述べている。吉本のことだろう。

その後のオウム真理教事件や、各種の「重大凶悪犯罪」を素材とした文学作品は多数あるが、他者の暴力を糾弾するか、第三者的な安全を確保するか、どちらかだ。不正義の暴力と「差し違える」文学は、やはり困難だろう。その困難に挑み続けたのが大江だということを再確認できた。

Wednesday, February 10, 2016

ひょっこりひょうたん島の大合唱

こまつ座+シアターコクーン企画の「漂流劇ひょっこりひょうたん島」は、楽しかった。
井上ひさしと山元護久が担当した人形劇を、人間が演じる新しい演劇だ。串田和美(演出・美術・脚本)。井上芳雄がダンディ、安蘭けいがサンデー先生、山下リオが博士・・・。人形劇の登場人物を人間が演じつつ、新しい物語に突入する。
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1964年から69年の5年間、NHK人形劇シリーズとして放送され、超個性的な登場人物たちが繰り広げる奇想天外、豪快で壮大な物語と、誰もが口ずさめるテーマソングや独特のユーモアで、子供から大人まで、日本中のお茶の間を魅了した「ひょっこりひょうたん島」(井上ひさし・山元護久原作)が、Bunkamuraとこまつ座の手により、全く新しい舞台作品として誕生することとなりました。
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ナンセンス劇あり、歌あり、踊りあり、無言劇あり、次から次と工夫を凝らした舞台だったが、時々、冗長の印象も。とくに「国際警察官」の幕はかなり冗長。星めぐりの歌は、なぜ、ここに、とフシギ。
トラヒゲは小松政夫、ドン・ガバチョは白石加代子とおもったら、当時の新宿は伊勢丹裏へ、そして「どん底」のギャグには大笑いした。もっとも、私の周囲の客は全然笑っていなかったのは、あの時代、あの場所を、知らないと笑えないギャグのためか。誰でも笑えるジョークあり、一部の客のみ笑うユーモアあり、だったが、これは串田の想定による。ひょうたん島をどのように描いても、どの客にも不満が残るかもしれない。「それぞれのひょうたん島」だからだ。

エンディングは客席も一体となってテーマソングの大合唱。演劇作品としての質は高いとは言えないが、誰もが子どもに帰って楽しめる舞台だった。

Sunday, February 07, 2016

韮崎大村美術館散歩

韮崎大村美術館
やはり片岡珠子が異彩を放っていた。「面構 鳥亭焉馬と二代団十郎」。もう1点、「大観山の富士」。
ノーベル賞の大村智(北里大学名誉教授)は女子美術大学理事長でもあり、女性画家の作品を多数購入し、それらを展示するために設立した美術館だ。韮崎駅から釜無川を渡り、南アルプスに向けて坂道を登る。美術館と白山温泉が並んでいる。日曜なので車で来ている人が結構いた。ノーベル賞受賞以来、観覧客が増えているようだ。
1階の展示はげんざい企画展「描かれた女性像」で、常設展示と合わせて80点ほど。寺島紫明、田村能理子、山田郁子、佐野智子、森田えり子、岸田麗子、橋口五葉、菊池治子、岸本和子、森田元子・・・。常設展示では、入江一子、遠藤彰子、岡田節子、庄司福、高尾みつ、三岸節子、ラグーザ玉、雨宮敬子、池田カオル・・・。さらに、小磯良平、森田茂、岡田謙三、荻太郎・・・。

2階には鈴木信太郎が十数点。そして、カフェラウンジからは、韮崎市街を見下ろすことができ、その向こうに白い峰の山々が続く。素敵な眺めだ。そして美術館の後はのんびり温泉につかってきた。