Thursday, December 29, 2016

ヘイト・スピーチ研究文献(83)保護法益をめぐって

楠本孝「ヘイトスピーチ刑事規制法の保護法益」内田博文先生古稀祝賀論文集『刑事法と歴史的価値とその交錯』(法律文化社、2016年)
ドイツにおける民衆扇動罪(ヘイト・スピーチ罪)に関する先駆的研究者である楠本孝の最新論文である。
社会法益と理解する立場として、第1に、公共の平穏や公共の秩序を保護するイギリス法、ドイツ刑法130条1項を検討し、第2に、集団的アイデンティティが論じられる文脈を確認し、第3に、平等への権利と位置付ける見解として、差別の助長の防止を唱える師岡康子、平等な社会参加の権利を唱える金尚均の見解を検討し、社会法益ではなく、個人法益と見るべきだという。
次に、個人法益と理解する立場として、第1に、名誉感情を保護するという内野正幸、第2に、人間の尊厳とする見解として、平川宗信の集団侮辱罪論、ウォルドロンの尊厳論、ドイツ刑法130条1項2号における人間の尊厳、そしてスイス刑法261条bisにおける人間の尊厳を検討する。
結論として、楠本は、ヘイト・スピーチの保護法益を人間の尊厳と見る。「人間の尊厳概念は多義的で、曖昧な部分が残る」ことを認めつつも、人間の尊厳を客観的側面に絞って理解するのは適切ではなく、主観的側面も考慮すべきという。
「ヘイトスピーチに対抗するために、教育や芸術の効果に待つのではなく、刑事罰による禁圧を必要とする根拠の一つは、放置すれば、被害者にしばしばPTSDを伴うような癒しがたい心的外傷を与え、子ども期からそれが繰り返されればトラウマが蓄積され複雑化する危険性が高まるからである。ヘイトスピーチ規制法の保護法益としての人間の尊厳概念は、『共同体内での普通の成員としての(あるいは同権的・同価値的)地位』という客観的側面に加えて、それが粗暴な表現によって否定される体験に伴う心的外傷から保護される権利という主観的側面を捨象してこれを把握することはできないように思われる。」
ヘイト・スピーチ規制法を作るには保護法益論は刑法学上最も重要な論点である。私の『ヘイト・スピーチ法研究序説』は800ページあるにもかかわらず、保護法益については、楠本孝、金尚均、櫻庭総の見解を紹介するにとどめ、私見を積極的に展開していない。その後も、多数の論文を書いてきたが、保護法益論を具体化していない。まだまとまっていないからである。当面は、楠本説に学ぶしかない。
もっとも、人間の尊厳については2度書いたことがある。1度は、憲法学者の塚田啓之(神戸学院大学教授)がヘイト・スピーチにおける人間の尊厳論を否定的に理解し、それはドイツ的概念に過ぎないと主張する、素人以下の論文を書いたからである。人間の尊厳はドイツ連邦共和国憲法に由来する概念ではない。国際法の初歩的知識があれば、すぐにわかることである。もう1度は、『部落解放』の連載の中で、最近の人間の尊厳論を紹介した。ヘイト・スピーチについて、私は「ヘイト・スピーチを受けない権利」という権利概念を構築しようと考えている。その中核に人間の尊厳が位置することは言うまでもないが、金尚均のいう社会参加や、国連人権理事会での民主主義論も射程に入れて、もう少し考えてみたい。