Thursday, August 11, 2016

再魔術化する世界の正体をつかむために

的場昭弘・佐藤優『復権するマルクス――戦争と恐慌の時代に』(角川新書)
マルクス学の第一人者・的場と、毎月どころか毎週のように本を出しているような佐藤の対談である。もとは2011年6月にKKベストセラーから出た『国家の危機』を再編集したという。
片やマルクス研究の専門家、片や元外交官。片や大学に籍を置く学者、片やベストセラー作家。違いも目立つが、かつて東欧諸国に滞在した経験を有することや、国家、資本、宗教について造詣の深いことでは共通点もある2人が、混迷する現代世界を把握するために、「資本主義」を超克するために、マルクスの限界を見定めて同時にマルクスの可能性を最前線まで押し出すために、さまざまな議論を交わしている。資本論の読み方や、宇野派経済学の評価など、差異も少なくないが、むしろ、これほど息があって、同意、同意、同意の連続となっていることが不思議だ。
博識で知られる佐藤だが、的場・佐藤対談は博識合戦でもある。次々と飛び交う固有名詞の多くを大半の読者は半知半解のまま読み進めなくてはならないだろう。それでも面白く読める対談なので、税込み864円は格安、お得、だ。
変質する国家を問う第1章の特徴は、アメリカを理解することを主題としないことだ。アメリカが登場するのは、マルクスの時代のアメリカで、現代国家アメリカではない。このことをどう見るか。
第2章の宗教論議は入り口で終わっているが、もっと突っ込んだ話をしてもらいたいとも思う。続きをやってほしいものだ。
第3章の現存した社会主義の失敗の理由を探る対談も、従来とは視点を変えていておもしろいが、アフガン戦争も、チェルノブイリ事故も出てこないのは、なぜなのか。重要ではないという判断かも。
第4章で、廣松渉の資本論解釈や物象化論を、佐藤が「あれは仏教です」と言っているのは笑えたが、実は重要な指摘。
第5章のマルクスの可能性論議で、黒田寛一と廣松渉の評価こそ枢要というところが、半分納得、半分?。廣松渉の理論的な評価も、きちんとなされていないというのは、確かに。佐藤は「それは的場先生にしかできない仕事です」と言っているが、的場はこれには返事をしていない。