Tuesday, August 09, 2016

大江健三郎を読み直す(62)大江最初のSF小説

大江健三郎『治療塔』(岩波書店、1990年)
大江が武満徹、磯崎新、原広司、山口昌男らとともに編集した同人誌『へるめす』に連載されたが、後に単行本として出版されたときに初めて読んだ。大江のSF小説という宣伝つきだったので、筒井康隆風を期待して読んだため、いささか肩透かしだった。筒井風を期待したのは、80年代に大江が、井上ひさし、筒井康隆を自ら選んで文学鼎談を行っていたからだ。大江は筒井を現代文学の最前線を走る作家と見ていた。そのため、筒井風と勝手に思った。
核戦争と原発事故によって環境破壊が極点に達し、人類は地球で生きて行けそうになくなった。そこで、「新しい地球」への大移動を計画して「選ばれた者」だけが大船団で移住し、「残された者」たちが汚染された地球で生き延びてゆく。核の冬以後の終末論的世界からの脱出と言う、よくあるパターンだが、10年後に宇宙船団が地球に帰ってくるところから本書の物語が始まる。
文章は抑制された筆致で、静かに物語が進む。大江のいつもの森からは離れ、文体も本書のために練られているとはいえ、大江らしい文体でもある。新しいのは、視点人物「リッチャン」の設定である。リッチャンは、大出発の時はスイスにいた少女で、混乱する欧州で言葉にできない悲劇を体験し、日本に戻る。「選ばれた者」ではなく残留組である。つまり、女性であり、残留者として差別される側のリッチャンの目線で物語が進行する。しかも、リッチャンは、家系的には大船団の責任者の親戚であり、宇宙船パイロットの恋人でもあるが、他方で、抵抗運動の側にも親戚がいるという「間の人物」でもある。女性かつ弱者の視点で見えることだけが語られ、全体状況はストレートには提示されない。
小松左京や荒巻義男を読みなれた読者、スターウオーズ時代の読者には、予想に反するSF小説ともいえる。
このためか、大江自身の回想によっても、「ろくに批評の対象にされたことはなかった」という(講談社文庫版「新しい文庫版のために」、2008年)。文学畑では、SFの評価がようやく高まり始めた時代で、まだ十分認められていなかったし、SF畑では、本書は特段の新規性や話題性をもたなかったのかもしれない。新井素子の『星へ行く船』はすでに出ていたと思うが。

リッチャンの語りのなかで徐々に姿を現していった「選ばれた者」たちの10年が、朔ちゃんの告白によって「治療塔」の事実が明るみに出ることで一気に筋書きが反転する。前半の導きの糸のはずなのに放り出されていたかに思えたイェーツの詩が前景にせり出してくる。近未来の核戦争後の人類の生と死を大江は以下に描こうとしたのか。続きは『治療塔惑星』へ。