Friday, August 19, 2016

大江健三郎を読み直す(63)「記憶してください。私はこんなふうにして書いてきたのです。」

大江健三郎『言い難き嘆きもて』(講談社、2001年[講談社文庫、2004年])
『鎖国してはならない』とともに2001年に出版されたエッセイ集で、いくつかの文章は雑誌・新聞発表時に読んでいたが、著書としては今回初めて読んだ。『鎖国してはならない』がナショナリズムの逆流現象を前にした大江の危機意識を打ち出しているのに対して、本書は小説家としての生き方、書き方、文学観が中心である。
エッセイ「取り替え子」や「宙返り」は、その後に執筆することになった小説のタイトルを先取りしている。沖縄の基地問題の部分だけは、日本―沖縄関係史を踏まえた日本政治の現状批判になっている。ヒロシマとオキナワはエッセイと政治的発言も含めた大江文学の柱にもなっているからだ。
書名となった「言い難き嘆きもて」はなくなった「もうひとりの師匠」である武満徹や、安江良介、大岡昇平らへの追悼である。武満徹と大江の交友は何度も書かれていたから知ってはいるが、武満ファンならざる私には、あまりピンとこない話が多かったように思う。本書で、ああそうだったのか、と思うこともあった。『宙返り』にたどり着いて初めてわかるのかもしれない。大岡昇平がチェルノブイリ事故に触れて、「次の原発事故は、日本かフランスだろうと言われている。・・・七十九翁はふるえている」と書いていたことは知らなかった。

最後に「自作をめぐって」というタイトルでまとめられたエッセイ群のしんがりが「記憶してください。私はこんなふうにして書いてきたのです。」である。夏目漱石からの借用だが、同じことを大江は何度か書いている。自分の言葉でいかようにも表現できるだろうが、漱石から借用した方がしっくりすると考えているのだろう。大江ファンとしては納得できるが、たぶん、反大江陣営からは「日本文学最高峰の漱石の系譜に自分を位置づけようとしている」という非難も生まれるのではないだろうか。だが、「日本文学最高峰の漱石の系譜に大江を位置づけ」ることは正当な文学史理解と言ってよいだろう。この系譜にだれを入れるかは、なかなか難しく、論争になるだろうが。