Saturday, August 13, 2016

ヘイト・スピーチ研究文献(62)多彩で複雑なイギリス法

奈須祐治「イギリスにおけるヘイト・スピーチ規制法の歴史と現状」西南学院大学法学論集48巻1号(2015年)
奈須はこれまでアメリカにおけるヘイト・スピーチ規制に関する法と理論を精力的に研究してきたが、本論文ではイギリスを扱っている。
アメリカでは、ヘイト・クラムは重罰化するが、ヘイト・スピーチは表現の自由との関係で規制範囲が極めて限定されている。これに対して、イギリスにはさまざまなヘイト・スピーチ規制法がある。イギリスについてはすでに師岡康子(弁護士)や村上玲の論文があるが、奈須は最近の状況も含めてイギリス法を概観している。
イギリスと言っても、イングランド、スコットランド、北アイルランドでそれぞれ法が異なる。そして、1936年公共秩序法、1965年人種関係法、1976年人種関係法、1986年公共秩序法、2006年人種的及び宗教的憎悪煽動法、2012年サッカーにおける不快な行為及び脅迫的コミュニケーション(スコットランド)法、2008年刑事裁判及び移民法など変遷を重ね、非常に複雑な法状況となっている。法律の条文が翻訳されているのと、重要判例も紹介されている。全体の状況を概観した論文で参考になる。
イギリスにも「アウシュヴィツの嘘」があることが書かれている。ドイツ、フランスなど約10カ国には、ヘイト・スピーチ法の一つとして「アウシュヴィツの嘘」法がある。「アウシュヴィツのガス室はなかった」とか「ユダヤ人虐殺はよかった」といった発言を公然とおこなえば犯罪である。ドイツのことはよく知られているが、他にも多くの国に類似規定があることは前田『ヘイト・スピーチ法研究序説』で紹介した。ところで、奈須によると、イギリスには「アウシュヴィツの嘘」の特別法はないが、ヘイト・スピーチ規制法によって処罰した事例があるという。イスラエルと同じ方式である。

なお、イギリス政府が人種差別撤廃委員会79会期(2011年)に提出した報告書については前田『ヘイト・スピーチ法研究序説』で紹介した。先週8月4日に、人種差別撤廃委員会90会期において、イギリス政府報告書の審査が行われた。この報告書も今後紹介する予定である。