Monday, August 22, 2016

部落差別の解決をめぐる古くて新しい問題

角岡伸彦『ふしぎな部落問題』(ちくま新書)
<二〇〇二年に同和対策事業が終了した。しかし、それは部落差別がなくなったことを意味するわけではない。インターネット上には、どこが部落か、などといった情報が氾濫している。一方、差別を解消しようとする部落解放運動も時を経て、変化を余儀なくされている。「歴史」から学び、「メディア」によって現在を知り、「地域」から未来の方向性を模索する、これまでにない部落問題の決定版。>
目次
第1章 被差別部落一五〇年史
第2章 メディアと出自―『週刊朝日』問題から見えてきたもの
第3章 映画「にくのひと」は、なぜ上映されなかったのか
第4章 被差別部落の未来/継承と挑戦―部落解放運動の転換期
「ふしぎな」という形容がついているが、これは著者の問題意識に由来する。人種民族差別では「差別をなくす」ことが課題となる。障害者差別も「差別をなくす」ことが課題だ。ところが、部落差別の場合、「部落をなくすこと」と「差別をなくすこと」の連関が問題になる。差別をなくすために、部落を残すのか、それともなくすのか、という問題だという。これを著者は「部落解放運動が抱える根本的矛盾」と把握している。
そのために第1章では水平社結成時に遡って、部落をなくすことと差別をなくすことが、当時どのように議論されていたかを見る。第2章では、橋下大阪市長(当時)の出自をめぐる週刊誌報道の経過をたどりなおして、同じ問題を解きほぐそうとする。第3章でも、好評だったはずの映画「くにのひと」が上映中止に追い込まれた事件で、同じことが繰り返されたとみる。そのうえで、第4章では、箕面市北芝の部落の人々が、部落を名乗り、維持しながら、同和対策事業終了後に自主的自立的に展開してきた街づくりを詳しく紹介する。就職、教育、文化、祭りをはじめとする人々の暮らしの中から、北芝の文化を発信し、周囲の地域との交流を深め、今やほかの地域からも支援者、活動家が参加するようになったモデルである。人々がいきいきと輝いている町・北芝の歴史と風景であり、そこにかかわった人々の物語である。
著者の問題関心――「部落をなくすこと」と「差別をなくすこと」の連関――からすると、部落は部落のまま、部落であることを卑下することなく、価値を作り出し、情報を発信していけるはずだ。その好事例として取り上げられた北芝の物語は説得的である。私の知り合いも登場するので楽しく読める。とても重要な問題提起であり、参考になる。
気になる点も書いておこう。
第1に、部落から情報を発信していくことはよくわかるが、そのことによって、それがなければ傷つかずにすんだはずの差別被害にあう場合も想定できる。このことにどう対処するのか。短期的な課題と長期的な課題のズレと再接合の問題だ。
第2に、北芝の素晴らしさを強調すればするほど、それは特殊な事例になりかねない。より一般的に部落差別の解消につなげるための理論フレームを明確にする必要があるのではないだろうか。それぞれの地域の歴史や文化や条件が異なる中で、なにをどのように継承していけるのか。
第3に、「部落をなくすこと」と「差別をなくすこと」の連関を問うことは、差別される側の部落の問題ではなく、差別する側の問題である。もちろん著者はそんなことは十分認識しているし、かつ差別する側と差別される側をいかにつなぐかを実践的に問い続けているのだが、北芝物語に集約される本書では、そこまでの理論展開をしていない。次の著書が待たれる。