Sunday, March 06, 2016

記憶されない記憶を刻み付ける闘い

辺見庸『17』(金曜日)
問題の書をようやく読んだ。暮れに買って読み始めたが多忙のため中途で止まっていたのを、今回ようやく読むことができた。ふつうなら辺見庸の「遺言」とでも言って宣伝するような力作だが、そうしていないのは、辺見庸、まだまだ言葉の矢を放ち続けると見込まれているから。それにしても太く重い矢である。中身のない軽薄な政治家は3本の矢とかいうが、辺見の矢はどしん、ドシンと落ちてくる。刺さるというより、ぶち当たって破壊する。なにしろ「記憶の墓をあばけ!」である。捕鯨の銛に喩えたほうがいいかもしれない。
1937年という年に象徴される日本軍国主義の侵略戦争の実態に迫る辺見は、歴史家や政治家の論法ではなく、作家らしい論法を繰り出す。ポツダム中尉となった父は中国で何をしたのか。生前の父に問いただすことが出来なかった自分を批判しつつ、改めて父の記憶と所業を整理し、推理する。父が残した新聞記事、手紙類を基に、いかなる状況で、誰を殺したのか、拷問したのかを問い続ける。確たる証拠が出たわけではないが、間違いなく殺したであろうし、拷問したであろう。それでは、同じ立場になった時、自分は、辺見庸は、同じことをしないと確言できるか。このことを執拗に問い続ける。1937年だけではない。明治から昭和にかけての天皇制日本国家、大日本帝国、そして軍国主義の日本が辿った道を追跡しながら、その思想、その行動様式、そのメンタリティを洗い出し、いつから、なぜ、あのような戦争にのめり込んでいき、悲惨な結果を引き起こしながら、およそ責任観念がなく、当事者性の意識すら薄いという、極めてインチキな「日本」を記録にとどめようとする。その手法は、辺見庸の独特の文体にもかかわらず、正面突破の手法である。直前からまっすぐ銛を次々と撃ち込む。必殺の銛だ。辺見はなぜ必殺の銛を次から次と休みなく撃ち続けるのか。理由は明らかだ。必殺の銛が10本撃ちこまれても、びくともしない怪物がそこに佇んでいるからだ。びくともしない。揺らぎもしない。汗もかかない。赤面さえしない。反省という言葉を知らないこの国の「無神経」はまさに「妖気」と言うしかない。
時を食いつぶすように屹立した日本軍国主義は蝗の如くアジアを食いつぶした。同じ過去が未来に待っていないと自信を持って言えない現在のこの国で、辺見は懸命になって記憶や反省や学習や責任の途を探る。その過程をさらけ出す。読者はこれでもか、これでもかという辺見の奮闘に、悲鳴、叫び、呻きに襲われながら頁をめくる。その先に待っている不安にあらかじめ目いっぱい不安を噴きつのらせながら。絶体絶命。

せっかくの本だが、いや、せっかくの本だからこそ、なんだか別の理由でもめているようだ。無責任な赤旗と無頓着な金曜日のごまかし戦術は、辺見庸に通じるはずがない。そんなことならなぜ本書を書いたのか。なぜ金曜日に連載したのか。なぜ単行本を出版したのか。なぜ辺見にインタヴューを申し込んだりしたのか。己をわきまえない、ということだろう。いいかげんにしろ。

MUSCAT, Les Celliers de Sion SA, Sion, Valais, 2015.