Saturday, March 05, 2016

パウル・クレー・センター散歩

企画展は「動きの中の絵画」展と「中国人/伝言ゲーム」展の2つだった。
「動きの中の絵画」展は、クレーの作品における動き――歩く、走る、跳ぶ、踊るなどを中心に、動作、変化、生成、流れなどに焦点を当てる。
冒頭に「ダンスの動き」として、バウハウスでオスカー・シュレンマーを中心に役者やダンサーが踊り、カンディンスキー、モンドリアン、クレーらがそこから影響を受けて絵を描き、ダンサーたちがその絵に触発されて踊りを工夫したことが説明されている。とくにグレーテ・パルッカというダンサーが重要だったようで、彼女はバウハウスから影響を受けながらモダン・ダンスを発展させたという。パルッカの写真が数枚展示されていた。
それとは別に、もう一人のダンサーの映像を見ることができた。ジョセフィン・ベイカーというダンサーで、説明には、当時、初めて肌の黒いダンサーが舞台に立ち、話題をさらったことが書かれていた。クレーも注目して、通って観たという。バックバンドはトンプソン・ジャズ・オーケストラとあり、なんとディキシーだ。映像は2つあって、1927年と1930年だからディキシーに決まっているか。これには驚いた。トンプソン・ジャズ・オーケストラの自在な演奏に合わせてジョセフィンが激しくステップを踏む。跳ねる。回る。くねる。あおぐ。自由闊達なダンスだ。これにはまいった。思い違いしていた。
クレーの伝記や評論を読めば、若い時にバイオリンが得意で演奏会にも出ていたので、音楽家になるか画家になるか迷った末に、画家を目指すことにしてミュンヘンに出て絵を学んだことが書かれている。その後も呼ばれて演奏していたようだ。写真も残っている。ベルン市中心部のその演奏会場の前にも写真が飾られている。クレーの作品にも音楽的要素があり、音楽家を描いてもいる。当然の如く、読者の頭の中にモーツアルトやシューベルトの調べが流れ、そうしてクレーの作品を見ることになる。それが当たり前。その通りなのだが、それは1900年前後の話だ。
1920年代のクレーがバウハウスで一緒にすごしたのは、ディキシーランド・ジャズメンとダンサーたちなのだ。ディキシーを頭の中に鳴り響かせながらクレー作品を見ると、前とは違って見えるのだ。まいった。この1点だけでも収穫。

展示は、物質の重さ、負担を示す作品、人が歩いたり走ったり跳んだりするさまを描いた作品、逆に動きを制約する様子の作品、水が流れる様や水路や魚の泳ぎの作品、色彩の変化、変容の作品などが順に展示されていた。これまで見たことのないものも結構あった。