Sunday, August 02, 2015

八紘一宇が支配した時代を読む

島田裕巳『八紘一宇』(幻冬舎新書)
タレント議員の三原じゅん子が参議院において「八紘一宇」を持ち出して騒ぎになったのが3月16日だが、それでは八紘一宇とは何かを解説するために準備された本書は7月30日付で出版された。宗教関連テーマの素人向け解説入門本は、大澤真幸と並んで、この筆者が第一人者といえようか。さっと手軽に書いて、手軽に読んでもらう、というスタイル。
八紘一宇は日本書紀に由来するが、言葉をつくったのは国柱会の田中智学である。日蓮信仰とか法華経と呼ばれているが、日蓮正宗ではなく、天皇制、皇国史観と結びついた日蓮信仰である。国柱会もそうだが、同じ系列の「血盟団」にしても、「死のう団」にしても、他者の生命を平気で奪い、自らの生命も軽視する、異様な人命軽視の殺人宗教に見える。
これらの思想が20世紀前半の日本を席巻したのはなぜか。誰が、どのように活躍し、どのような影響関係を有したのかを探るのが本書。
国柱会には宮澤賢治、石原莞爾、小菅丹治(伊勢丹創業者)、里見岸雄、高山樗牛、竹内久一、姉崎正治がいる。その周辺には北一輝らもいた。八紘一宇が、いかなる思想系列を持って広がり、あの戦争の翼賛イデオロギーとなったのか。これが第一のテーマ。
もう一つのテーマは、第二次大戦敗北によりGHQから否定されて、いったん姿を消した八紘一宇がどのようにして蘇り、戦後にも引き継がれたか。もっとも、この点はざっと述べるにとどまっている。特に創価学会、公明党に関わり、人命軽視と戦争翼賛に関わるだけに、踏み込んだ記述は難しかったのだろう。
宮澤賢治が国柱会会員だったことはよく知られている(はずだ)が、実は賢治研究者の多くが、このことを書かない。書いても、さして重要ではないと、強引に結論付ける。賢治が生涯、会員であり、田中智学に忠誠を誓い、骨まで国柱会に捧げた事実を隠匿する。そのあたり、本書はある程度明らかにし、賢治研究者があまり取り上げないことも批判している。

もっとも、著者は、琴秉洞「大震時の朝鮮人虐殺に対する日本側と朝鮮人の反応」『震災・戒厳令・虐殺』(三一書房、2008年)を読んでいないようだ。私は、琴秉洞の見解に従って、『マスコミ市民』や『週刊MDS』に、賢治と智学の関係や、「雨ニモマケズ」への疑問などを書いておいた。智学との関係を抹消した賢治研究は巨大な嘘の塊であり、文学史の改竄である。賢治は歴史修正主義、歴史歪曲主義の焦点に位置する。