Friday, January 02, 2015

大江健三郎を読み直す(36)三島由紀夫、<天皇制>、戦後文学

大江健三郎『みずから我が涙をぬぐいたまう日』(講談社、1972年)
本作は大江文学の中でも特殊な位置にある。第1に、『万延元年のフットボール』(1967年)と『洪水はわが魂に及び』(1973年)のあいだ、『われらの狂気を生き延びる道を教えよ』(1969)とともに、前二者を繋ぐ作品である。第2に、より直接的には、1970年11月25日の三島由紀夫事件をモチーフに書かれた、<天皇制>との対質という大江文学の主要モチーフの一つへの折り返しである。つまり、「セヴンティーン第二部」以後の再版・天皇制論である。第3に、晩年の『水死』(2009年)で父親の死をめぐる考察が再び取り上げられることになった。
本書を読んだのは学生時代、1975年頃、図書館の開架書庫だったと思う。本作が三島事件を契機に書かれたことは知っていたが、読後感は「よくわからない」というものだった。前半の中編・表題作「みずから我が涙をぬぐいたまう日」が非常に難解な小説で、当時の私には読み通すだけでも大変だった。
三島事件については、ぼくなりの感想は持っていた。札幌の中学生だったぼくは東京・豊島区の親戚宅を訪れていた。ちょうど帰りの日で、池袋から山手線で上野駅へ移動したのだが上野駅の様子がいかにもおかしかった。改札口周辺を警察官がやけに厳しい警備をしていたからだ。東北本線で青森駅に着いて青函連絡船に乗りかえた時、近くにいた人物が「三島由紀夫が自殺した」といった趣旨のことを話していた。情報源が何だったのかわからない。テレビや新聞ではないからラジオ放送だったのだろう。札幌に帰ると、翌日の新聞は三島事件を大々的に報道していた。書店で山積みになった三島作品をみて、『金閣寺』『潮騒』『仮面の告白』などいくつか購読したが、事件とのつながりが分からなかった。三島の憲法論や天皇論を知るのは大学生になってからだ。そうした時期に本作を読んで、三島と大江のすれ違いを知ることになるが、本作を的確に読むことはできなかった、後に「セヴンティーン第二部」を読んで少しわかったような気になったが、実際には理解していなかったと思う。
今回久しぶりに本作を読んでみて、関心はむしろ『水死』との連関にあったが、やはり<天皇制><同時代><救済>といった言葉に引き寄せられる。半世紀にわたってこれらのテーマに向き合ってきた「戦後文学」の継承者・大江の世界を総合的にとらえ返すためにも現代の危機の総体に迫る必要がある。本作後半の「月の男」はアポロ11号で人類が初めて月に一歩を踏みいれた出来事を中軸に、捕鯨と環境保護問題を浮上させる。
漫画家の山本直樹は「政治的勧善懲悪にもただの討論小説にも終わっていないのは、大江にとって否定すべき国粋主義的オブセッションの圧倒的な過剰さ、豊饒さが、読む者に強烈に迫ってくるからだ。ただの戯画ではない、戯画的に書かれているがゆえに醸し出されるカーニバル感」と書いている(『早稲田文学6号』2013年)。なるほど。
大江健三郎を読み直す(4) 「深くて暗いニッポン人感覚」に向き合う
大江健三郎『水死』(講談社、2009年)   
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大江健三郎「政治少年死す(セヴンティーン第二部)」『文学界』1961年2月号