Tuesday, April 29, 2014

大江健三郎を読み直す(16)大江文学における在日朝鮮人

大江健三郎『叫び声』(講談社文芸文庫、1990年[講談社、1968年])                                                                                                                         今回読み直して、初読時に無知ゆえに重要な読み落としをしていたことが分かった。これでは読んだことにならない、というレベルだ。主要登場人物の呉鷹男は、父親が朝鮮人、母親が日本人であり、後半で事件を起こして死刑を言い渡される。言うまでもなく小松川事件の李珍宇がモデルだが、そのことを初読時、大学一年生だったと思うが、私は知らなかった。                                                                                                                                 大江作品には『芽むしり仔撃ち』にも四国の山の中の朝鮮人が登場し、本書には呉鷹男が登場するのに、私は大江作品における朝鮮人の存在とその意味についてほとんど意識していなかった。理由は簡単だ。当時、在日朝鮮人の歴史と現実について無知だったからだ。札幌郊外に生まれ、高度成長期に少年時代を過ごした私は、札幌市内に朝鮮学校が存在することをいちおう知ってはいたが、自宅からは遠い、その朝鮮学校周辺に行ったこともなく、朝鮮学校生徒を見たこともなかった。                                                                                                                1972年に李恢成が『砧をうつ女』で芥川賞を受賞した時、私は高校2年生だったが、作品を読んでいない。大学生になってようやく読んだ。私のウェブサイトのプロフィルには次のように書いている。                                                                                                                                    「大学時代は、五木、野坂、生島、藤本、半村や、清岡、三木、庄司、古山、森等々が颯爽と活躍していたため、小説を読みふけっていた。当時は<ノンセクト・アンチラディカル温泉派>と称して、伊豆の温泉で遊んでいた。そうした中、李恢成がたまたま高校の先輩ということもあって、『砧をうつ女』『見果てぬ夢』など、よく読んだ。金大中事件の衝撃とともに、「朝鮮問題」と呼ばれる「日本問題」に徐々に目覚めていった。もっとも、日比谷公園で開かれた集会にほんの数回顔を出しただけで、運動には加わっていない。」                                                                                                                                           大江の『叫び声』を読んだ時には、その意味を理解できなかった。その後まもなく『砧をうつ女』をはじめとする李恢成作品を読みふけったのだから、その時に気付くべきだった。気付かなかったのは凡庸だったからというしかない。                                                                                                                                                            「青春小説」と呼ぶにはいささか奇妙な、しかし、青春の夢と挫折を描いたに違いない『叫び声』執筆時期について、大江は「自分はこの時期をよく生き延びることができた」と感慨を述べている。『芽むしり仔撃ち』から『叫び声』まで、24歳から27歳までが「人生の難所」だったという。60年安保闘争の時期でもあり、大江自身が文学の主題を模索していた時期でもある。1964年の『個人的な体験』、1965年の『厳粛な綱渡り』と『ヒロシマ・ノート』で主題を確立し、1967年の『万延元年のフットボール』に飛躍するまでの、長い助走期間でもあっただろう。

法律基礎知識のない河内謙策弁護士のデマゴギー

4月28日、学部学生レベルの法律基礎知識さえ持っていない自称弁護士の河内謙策さんが、複数のMLに[IK改憲重要情報(53)(54)]を投稿しました。その内容は「従軍慰安婦問題の見解の補充」というもので、ひたすら「強制連行はなかった」と叫び続けています。1990年代半ばに登場した藤岡信勝や小林よしのりの議論の引き写しであり、事実を歪曲し、被害者を侮辱するためのデマ宣伝に過ぎません。                                                                                            
 しかも、今回、河内謙策さんは「未成年者誘拐は強制連行ではない」というトンデモ発言をしています。                                                                                                                      
 河内さんはいくつかの事例をあげて、それを理性的に分析すると述べていますが、法律を無視し、国際社会に通用しない身勝手な恣意的定義を振り回しているだけです。その特徴は、「騙されたのは強制連行とは言い難い」とか「当時は売買はあった」という異様な正当化をして、未成年者誘拐罪や売買罪(国外移送目的誘拐罪)に当たる事例を「強制連行」とは言えないと繰り返し主張しています。                                                                                                                                                                      
 河内さんは「私は、強制連行とは軍や官憲などの国家権力によって暴力(実力)を用いたり、暴力(実力)を背景にして組織的・強制的に連行することをさすと考えます。」と唱えて、何一つ根拠のない定義を振り回し、法律無視の姿勢を繰り返し示しています。                                                                                                                                       
 河内さんは、自分の主張する定義が妥当と述べていますが、このような定義は国際法に違反し、国内法にも反します。                                                                                                                             
 1930年代当時の国際法及び国内法における強制連行の禁止については、下記に示しておきました。しかし、河内さんはすべて無視して、妄想を唱えるだけです。河内さんは要するに「朝鮮人の誘拐は自由、奴隷化も強制労働も自由、人道に対する罪も勝手放題」と唱えていることにほかなりません。                                                                                                              
 強制とは何か(1)河内謙策さんへの質問                                                                                                            
 http://maeda-akira.blogspot.jp/2014/04/blog-post_8.html                                   
                                                              日本軍「慰安婦」強制連行を論じるための基礎知識                                                                                                                   http://maeda-akira.blogspot.jp/2014/04/blog-post_13.html

Thursday, April 24, 2014

安倍軍国主義政権との闘い

斎藤貴男『戦争のできる国へ――安倍政権の正体』(朝日新書、2014年)                                                                                              集団的自衛権をめぐる「議論」――実際は議論を否定するごまかしの議論――がなされている第二次安倍政権の現在を、様々な角度から検証した本である。憲法前文と憲法9条が掲げた平和主義と平和的生存権を転覆して、「積極的平和主義」という「積極的戦争主義」に邁進する政権は、私たちをどこへ連れて行こうとしているのか。自民党改憲案、その準備に携わった政治家たち、学者たちへのインタヴューをもとに、戦争のできる国への準備が着々と進められ、憲法の空洞化が際限なく進められている現実を明らかにしている。                                                                                   また、立憲主義や、主権とは何か、さらには生存権、そしてネトウヨ・ナショナリズムなど、この国の病的な現象も含めて、国家と社会の構造的再編が解明される。                                                                                         最後に著者は次のように述べる。                                                                                 「タブーであり続けてきた戦後戦争経済史を直視し、その再検討を躊躇わない態度が、それこそ隘路に陥っている日本の未来を構想するには欠かせないと考える。アジア太平洋戦争をめぐる歴史認識だけが問題なのではないのである。」                                                                                                誤解のないように補足すれば、著者は「アジア太平洋戦争をめぐる歴史認識」が重要でないなどと言っているのではない。その重要性を踏まえつつ、それだけではなく、現在の「戦争経済」こそ重要だと述べているのだ。空疎なナショナリズム、愛国心、ヘイト・スピーチ、歴史否定、戦争賛美のイデオロギーが渦巻く現状を牽引しているのは、単なるイデオロギーではなく、軍需産業を中心とする戦争経済体制である。そこに著者はメスを入れている。だから本書は重要である。

Tuesday, April 22, 2014

大江健三郎を読み直す(15)「最後の小説」へのファーストステップ

大江健三郎『新しい文学のために』(岩波新書、1988年)                                                                                                                            岩波新書赤版の1冊目であり、2013年に36刷を重ねた大江文学方法論である。その10年前に、大江健三郎『小説の方法』(岩波現代選書)が出ている。40歳代の文学論であり、『新しい文学のために』は50歳代の文学論である。6年後には大江健三郎『小説の経験』(朝日新聞社、1994年)があり「文学再入門」が展開されている。                                                                                    『懐かしい年への手紙』を書き終えた時の編集者からの問いかけを契機に書き始められたという本書は、「自分が作家としての生の『最後の小説』として書こうとする小説の構想を語るだろう」と述べて、大江がその後ずっと繰り返し続けることになる「最後の小説」を唱えた著作である。「これまでわが国に方法論を中心にすえて小説を語る態度というものが、あまり熱心に試みられることはなかった」と見る大江は、20歳代前半で作家としてデヴューし、その後も小説を書き続けた時期に文学について理論的に手探りを続けたと言う。若き作家として、意欲的に挑戦を繰り返した経験をもとに理論化した『小説の方法』は難解との批評に出くわすことになったので、本書ではよりハンディな形式で、わかりやすさを心がけて書いている。キーワードは「異化」、想像力、読むと書くとの転換装置、道化=トリックスター、神話、カーニバル等々である。ロシア・フォルマリズム、ミラン・クンデラ、ダンテ、トルストイ、夏目漱石、三好達治、柳田国男、バルザック、チェーホフ、バシュラール、井伏鱒二、ローベルト・ムジール、ドストエフスキー、フォークナーなどの作品から引用を重ねつつ、文学の方法を語る。                                                                                                                                         「自分のうちに柱を、世界軸をたてるべくつとめ、自分の言葉が事物・人間・社会・世界と、ついには和解しうることを信ぜよ。新しい書き手として仕事をするきみの、それを根本態度とせよ。そこに出発点をきざむならば、いかにきみがこれから、言葉とものとの苦しい戦いを経験してゆかねばならないのであるにしても、きみにとって未来への展開はまったく自由なひろがりに向かうはずだし、その自由さには、人間的な根拠があるはずだから……」                                                                                                                                 「小説に書くということは、自分の人間的な全体において、対象をよく見つめ、受けとめること――そのレヴェルで『異化』の操作を始めること――を出発点とする。もはや書きはじめたばかりの作家でなく、小説を書く経験の量を積みかさねて来た人間にとってはとくにそうである。これまで生きてきたこと、さらに生きつづけること、ついには死んでゆくこと。その社会・世界との関わり、宇宙観との照らしあい。それらすべてと、小説の構想とをよくつきあわせてからでなければ、書きはじめることができない。/しかもそうするためには、勇気がいる。自分の思想的な浅さ、単純さとも面と向かわねばならない。なにより、ウソを書かぬ、という覚悟がいる。ヒロシマと核状況という、戦後の日本人の作家として生き死にする自分の、最大の主題の前で、僕は長い間それにとりかかる勇気がなかった。能力が不足していたのでもある。/今、年齢をかさねてきたこともあり、追いつめられるようにして、『最後の小説』を考えている自分に気がつくのである。ひとりの作家が、そういう生涯の重要な分節点で、当のヒロシマと核状況をどうとらえているのかを話したい。」                                                                                                                                           『ヒロシマ・ノート』から始まった核状況への文学的挑戦と、『個人的な体験』で書き始めた個人的な、しかし「普遍的な」人間の問いを、折り重ね、繋げ直してきた大江文学の「最後の小説」へのターニングポイントが本書であった。

Sunday, April 20, 2014

脱原発かながわ&ハーベストムーンLIVE

4月20日は、新横浜のスペース・オルタで開かれた脱原発市民会議かながわ&ハーベストムーンLIVE2014に参加した。                                                                                       http://nonukes-kanagawa-harvestmoon.jimdo.com/                                                                                  日曜の昼から始まったのは、展示フロアにおける脱原発市民ブース、インスタレーションTEPCO-MAN展示、飯舘村写真展(長谷川健一さん)。1FのレストランWEでカレーを食べて、5Fの展示フロアで有機コーヒーを飲んでから、ハーベストムーンLIVEへ。3つのステージ。                                                                                                                              まずは「おしどりマコ&ケン」ONステージで、笑いとともに原発最新情報。3年間、原発問題の取材を続けた吉本芸人はいまや当局のブラックリストにも乗り、公安調査庁が追っかけをしているので、ファンが増えたと笑い飛ばす。                                                                                                                         2つめのステージは、脱原発市民シンポジウムで私が司会を担当して、村田弘さん(福島原発かながわ訴訟原告団長、元朝日新聞記者、被災者)、吉原毅(原子力撤廃を唱える城南信用金庫理事長)、おしどりマコ、後藤政志(元東芝・原子炉格納器設計技術者)の4人のパネル。原発推進派と反対派の対話、コミュニケーションをどう進めるかを一つのテーマにした。パネラーから多彩な話が弾んだ。                                                                                                                                   3つ目は、NO NUKES!コンサートで、寿Kotobukiと朴保BAND。寿は「オリオン」「もう愛だけしかない」、さらに「前を向いて歩こう」。朴保BANDは「今こそ流れを変えるとき」「イムジン河」、そして「ヒロシマ」。最後は朴保BAND、寿、参加者全員で盛り上がった。脱原発運動の新しいステップを模索し、エネルギーを蓄える一日だった。主催者に感謝。

Saturday, April 19, 2014

社会の中の美術作品を読み解くために

池上英洋『西洋美術史入門<実践編>』(ちくまプリマー新書)                                                                     前著『西洋美術史入門』の続編として書かれた本書は、「世界が変わる、名画の見方」といういささか挑発的な宣伝文句とともに送り出された。冒頭いきなりローマのイエズス会の教会であるサンティニャーツィオ教会の天井画、アンドレア・ポッツォの<四大陸の寓意>(1691~94年)の読み方を具体的に展開してみせる。当時知られていた4つの大陸、ヨーロッパ、アフリカ、アメリカ、アジアがどのようなイメージで理解されて、どのように描かれているかを読み解く作業に続いて、著者はイエズス会による世界伝道の在り方、その特質を解説し、作品を見る視点を提供する。また、壮大なだまし絵となっているので、いどのいつに立っているかが問題となる。つまり絵画作品には、いつ、どこで、絵を見るかという問題がつきまとう。私のような無知で無頓着な鑑賞者はただぼんやり見上げて首が痛くなるのを待つだけだ。著者はさらに、サンティニャーツィオ教会の立体図や平面図を提示し、いかなる設計図のもとで、いかなる創意工夫でこれらがつくられたかの美術史的読解に転じる。そこでは制作動機や主題選択の内実が浮上する。制作時の時代状況を反映した作品の意味を、読者は呆然としながら教わることになる。次に著者は、美術作品の見方についての基礎情報を解説し、美術品と社会のかかわりを読み解くための方法論を順次、具体的に手ほどきする。話題はツタンカーメンであったり、キリスト像であったり、西欧におけるジャポニスム作品(ブーシェ、ホイッスラー、モネ、ゴッホ、クリムト)であったり、政治権力と美術品の関係(ナポレオンやナチス)であったりと、実に博学多才である。コンパクトな新書1冊で、美術作品の見方、読み方をさまざまに教えてくれる。                                                                                        池上英洋『神のごときミケランジェロ』(新潮社)                                                                                          http://maeda-akira.blogspot.jp/2013/08/blog-post_23.html                                                                                       池上英洋『ルネサンス 三巨匠の物語』(光文社新書)                                                                                                          http://maeda-akira.blogspot.jp/2013/11/blog-post_2.html                                                                                  

Friday, April 18, 2014

ヘイト・クライム禁止法(73)リヒテンシュタイン(2)

ヘイト・クライム禁止法(70)では、2005年の政府報告書を紹介した。今回は、2012年報告書である。リヒテンシュタイン政府が人種差別撤廃委員会に提出した報告書(CERD/C/LIE/4-6. 14 February 2012)は、前回審査における委員会の勧告を受けて記載されている。                                                                                     警察は、人種主義団体が存在すると認知していないが、海外で活動する集団と連絡を取り合っている人物に関する情報を保有している。人種主義者や右翼過激派の人物が参加する集会を阻止・解散させた。二〇〇七年、右翼過激思想の持ち主がクラブハウスの経営を禁止した。その団体の構成員は逮捕され、刑事施設拘禁の執行猶予判決を受けた。                                                              リヒテンシュタインに右翼ポピュリスト政党はない。しかし、二〇〇九年の研究によると、右翼過激派の三〇~四〇名ほどのサークルがあるが、顕著なリーダーはいない。警察と検察がこの集団を慎重に監視している。政府が任命した暴力保護委員会は、教育や文書記録化の具体的計画を設定している。                                                                                                        二〇一一年三月、政府は右翼過激派に関する最初の報告書を出した。報告書には、リヒテンシュタインにおける右翼過激派現象に関する包括的文書が含まれ、事件発生日、対抗措置、背景情報、若者の集会に関する情報が収められている。                                                                                               前回報告以後、人種差別とつながりのある刑事事件は二三件報告されている。二〇〇七年には前述のクラブハウス閉鎖、二〇〇八年にはフェスティヴァルにおける大衆の喧嘩騒動、二〇〇九年と二〇一〇年にはトルコ人店舗に対する三件の放火事件があり、罰金と刑事施設収容が言い渡された。                                                                                                                                          二〇〇四年から二〇一〇年の統計が紹介されている。人種主義的差別者の事件は、二〇〇四~〇六年には報告が四件、手続き開始が二件、判決は〇件、二〇〇七年には報告が四件、手続き開始が一件、判決は一件、二〇〇八年には報告が三件、手続き開始が一件、判決が一件、二〇〇九年には報告が六件、手続き開始が二件、判決が一件、二〇一〇年には報告が六件、手続き開始が二件、判決が一件である。                                                                                               人種差別撤廃委員会はリヒテンシュタイン政府に次のように勧告した(CERD/C/LIE/CO/4-6.23 October 2012)。刑法第二八三条一項が人種差別を促進・煽動する団体の構成員となることを犯罪としているが、人種主義団体を禁止する法律がないことに関心を有する。委員会の条約第紙上に関する一般的勧告一五号(一九九三)を呼びかけ、条約第四条に従って人種主義を促進する団体を禁止する法律を制定するように勧告する。

Wednesday, April 16, 2014

ヘイト・クライム禁止法(72)フィジー

フィジー政府が人種差別撤廃委員会に提出した報告書(CERD/C/FJI/18-20. 10 May 2012)によると、政府は人種差別の撤廃と、人種的優越性の主張や憎悪に基づく観念の流布に反対している。二〇一二年の公共秩序法は、公共の安全を維持し、特定集団の優越性や人種に基づく人種差別の煽動をする組織の集会や宣伝を制限している。二〇〇九年のメディア法は、メディアを通じてなされる人種及び民族を理由とする差別を禁止、制限することで条約を実施する姿勢を示している。メディア法によると、メディア組織には一〇万ドル以下の罰金、発行人又は編集人には二万五千ドル以下の罰金、ジャーナリストや職員には千ドル以下の罰金、メディア組織又は被雇用者に文書による謝罪、被害者への一〇万ドル以下の賠償が課される。                                                                                                   人種差別撤廃委員会はフィジー政府に次のような勧告をした(CERD/C/FJI/CO/18-20. 23 October 2012)。公共秩序法が人種差別を禁止しているが、条約第一条に合致した定義がなく、条約第四条にも合致していない。人種差別と闘うための包括的立法がなされていない。委員会は、包括的な人種差別禁止法を制定し、条約第一条に合致した定義を採用するよう勧告する。委員会は条約第四条の規定に完全に合致した規定を設けるように勧告する。人種的動機に基づく犯罪の申立て、訴追、判決に関する裁判所や人権委員会における情報がない。公用語を話さないマイノリティにとって裁判手続きが障壁となっている。統計情報を提供するよう要請する。

ヘイト・クライム禁止法(71)オーストリア

オーストリア政府が人種差別撤廃委員会に提出した報告書(CERD/C/AUT/18-20. 17 April 2012)によると、ナチス再興活動は一九四七年のナチス禁止法のもとで犯罪とされている。同法違反事件は年間三〇件程度起きており、同じ数の有罪判決が出ている。ナチス禁止法はインターネット上での行為にも適用される。オーストリアは、二〇〇六年以来、インターネットにおける人種主義発言の予防のための欧州評議会サイバー条約追加議定書の締約国である。                                                                                          一九七四年の刑法第二八三条は憎悪の煽動を犯罪とし、教会、宗教共同体、民族集団を保護している。敵対行為の煽動や激励だけでなく、人間の尊厳を侵害する方法での集団に対する憎悪の煽動や、侮辱又は軽蔑も犯罪である。憎悪煽動を理由とする訴追は年間一五件程度であり、その大半が反イスラム活動である。二〇一一年の改正により刑法第二八三条は、保護される人の集団が拡大された。                                                                                  刑法第二八三条一項「教会、宗教社会、並びに人種、皮膚の色、言語、宗教又は信念、国籍、世系又国民的民族的集団、性別、障害、年齢又は性的志向によって定義されるその他の集団、並びにそれらの集団に明らかに属する構成員に対して、公共の安全を危険にするような方法又は広範な公衆に知覚できる方法で、他人に暴力その他の敵対行為を公然と煽動又は激励した者は、二年以下の刑事責任を負う。」                                                                              オーストリア刑法は犯罪直接実行者だけでなく、他人に犯罪実行を指示した者も刑事責任を問われる。人種主義者への財政支援などの援助は、憎悪煽動への寄与とみなされる。                                                                                            一九五三年の結社法および集会法によると、刑法第二八三条や一九四七年のナチス禁止法に違反する活動を行う違法な結社や集会を解散させることができる。集会法第六条によると、刑法に違反する集会をあらかじめ禁止することができる。集会法第一三条によると、集会において違法行為が行われた場合には集会を解散させることができる。                                                                                                刑法第三三条五項によると、人種的又は外国人嫌悪の動機は刑罰加重事由とされている。憎悪犯罪ではなく、一般に犯罪とされる事案で人種的動機は刑罰加重事由である。                                                                                                  警察統計によると、ナチス禁止法違反の申立は、三六〇件(二〇〇七年)、三六九件(二〇〇八年)、三九六件(二〇〇九年)。憎悪煽動は、七三件(〇七年)、五二件(〇八年)、三三件(〇九年)。                                                                                                           検察統計によると、刑法第二八三条(憎悪煽動)違反件数は、申立七三件、訴追一四件、有罪三件、無罪三件(二〇〇八年)、申立三三件、訴追一三件、有罪五件、無罪四件(二〇〇九年)、申立七九件、訴追七件、有罪九件、無罪一件(二〇一〇年)である。                                                                               人種差別撤廃委員会はオーストリア政府に次のように勧告した(CERD/C/AUT/CO/18-20. 23 October 2012)。オーストリアが条約第四条の留保を撤回する意思を表明したことを歓迎し、刑法第二八参条を改正して人種主義憎悪煽動に対処する努力に留意するが、委員会は、刑法第二八三条の射程を、条約第四条に定められた人種的憎悪と差別に効果的に対処し得るように見直すよう勧告する。オーストリアにおいてスキンヘッド、曲勢力その他母集団がネオナチ化していることに関心を有する。委員会は人種的憎悪を禁止する効果的措置を講じること、スポーツ団体と協力してスポーツにおける人種主義を根絶するよう勧告する。選挙に際して政治家がマイノリティに対する偏見を促進する煽動的な言葉を用いていることは遺憾である。政治家による差別発言を徹底的に捜査し、訴追するよう促す。っ人種差別を促進・煽動する候補者と組織に対する措置を講じるべきである。

Monday, April 14, 2014

大江健三郎を読み直す(14)精神が荒廃した荒れ地で闘うために

大江健三郎『大江健三郎往復書簡集 暴力に逆らって書く』(朝日新聞社、2003年[朝日文庫、2006年])                                                                                                     繰り返し読まなければならない本だ。書店には次から次とおびただしい新刊本が並ぶ。本が売れない時代と言われながらも、大量の本が送り出され、消えていく。そうした中、繰り返し読むべき本、繰り返し読みたい本を見つけるのは大変だ。現代日本文学に限って言えば、大江や、大岡昇平、中野重治、大西巨人、小田実、井上ひさしをはじめ、繰り返し読みたい本となる著者が多数いるので、探すのに苦労はしない。大江作品のあれこれを繰り返し読むのも私には当然のことだが、その中でも、特に、という数冊がある。本書もその一つということになる。                                                                                                    1995年から2002年にかけて行われた往復書簡をまとめたものである。1994年に大江がノーベル賞を受賞した後に、ドイツのギュンター・グラスとの往復書簡が朝日新聞に掲載された。グラスはその後1999年にノーベル賞を受賞している。さらに朝日新聞が企画して、南アフリカのナディン・ゴーディマ(1991年ノーベル賞)、イスラエルのアモス・オズ、ペルーのマリオ・バルガス=リョサ(2010年ノーベル賞)、アメリカのスーザン・ソンタグ、アメリカの日本研究者テツオ・ナジタ、中国の鄭義、インドの経済学者アマルティア・セン、アメリカの言語学者ノーム・チョムスキー、パレスチナ系アメリカ人エドワード・サイード、アメリカの反核運動家ジョナサン・シェルとの往復書簡が続いた。                                                                                           世界文学の中の日本文学、そして日本文学の中の世界文学という問題意識から、世界文学がいかにして日本文学となりえるかと考える際の道標ともなるだろう。大江の歴史認識や社会意識と、グラスやオズやバルガス=リョサたちの問題意識が交錯し、交響する。大江だからこそ実現できた企画だが、同時に、とびきり優れた編集者・企画者、優れた翻訳家がそろって初めて可能な企画だ。随所に引用したくなる文章がちりばめられているが、ナディン・ゴーディマの書簡から一つだけ引用しておこう。                                                                                      「《想像力の鈍化》。おっしゃるとおりです。どんな才能に恵まれても、それによって重い責任を負わされるのが作家です。作家の仕事とはつきつめれば想像力を生き返らせることだと言えます。ナイジェリアの偉大な小説家チヌア・アチェベによれば、私たち作家の目のまわりには白亜の環が描かれているそうです。私たち自身には見えないものです。しかし、この白い環こそ、生を豊かにする想像力の大切さを知った創造的な精神のあかしだ、とアチェベは言います。もしも暴力が表現であるのなら、暴力に表現を求める人間の欲求に対して、別の表現を与えることができるはずです。暴力と作家という、相容れない二者のあいだには、悲惨なまでに精神が荒廃した荒れ地が横たわっているように思えます。しかしこの場こそ、私たち作家が暴力と相対する現場なのです。」

Sunday, April 13, 2014

日本軍「慰安婦」強制連行を論じるための基礎知識

これまで「強制とは何か(1)~(5)」を書いてきました。日本軍「慰安婦」問題の解決を求めて取り組んできた人にとっては常識的なことばかりです。1990年代にすでに語られ、議論が済んでいたことです。                                                           

ところが、村山談話や河野談話見直しが叫ばれる中、こうした常識を否定し、全くでたらめな議論が横行しています。1996年頃にニセ「自由主義史観」が登場して、「慰安婦」強制連行を否定する議論が大々的に喧伝されましたが、その時と同じで、「強制とは何か」の定義をせずに、身勝手な議論を振り回しています。安倍晋三の議論が典型例です。「官憲が家屋に押し入って無理やり連行したわけではない」というたぐいの主張をして、「慰安婦」強制連行を全否定する嘘です。安倍晋三の主張では、朝鮮による日本人拉致事件も強制はなかったことになります。                                                           

 強制連行の有無を論じるためには、強制、強制連行の定義が必要です。国内法にも国際法にも関連する概念の定義がきちんとあります。                                                                                                                        
ここで議論しているのは、強制があったかなかったかではありません。強制があったかなかったかを議論する際の「強制の定義」です。判断の基準です。また、日本政府の責任もここでの議論の対象ではありません。強制があったとしても、何らかの正当化理由があるとか、政府の責任を解除する理由があれば、責任はなかったという議論も可能になります。その問題にはここでは立ち入りません。あくまでも強制の定義をテーマとしています。                                                                                                            
 1 国内法                                                                                                          
――誘拐罪の略取、誘拐、売買、移送概念に当たれば強制です。略取、誘拐、売買、移送以外の強制もありうるでしょうが、それを論じる必要はありません。略取、誘拐、売買、移送が行われたか否かを議論すれば足ります。                                                                                                                        http://maeda-akira.blogspot.jp/2014/04/blog-post_8.html                                                                                                 
 2 国際法                                                                                                             
 (1) 醜業条約                                                                                         
 (2) 奴隷の禁止                                                                                         
(3) 強制労働条約                                                                                                                        (4) 人道に対する罪                                                                                                   
――以上の4つの国際基準に照らして、強制、強制連行があったか否かを論じることができます。現にテオ・ファン=ボーベン報告書、国際法律家委員会報告書、クマラスワミ報告書、マクドゥーガル報告書、女性国際戦犯国際法廷判決は、これらの基準を適用しています。ILO条約適用委員会は(3)の基準を適用しています。                                                                                                 
 http://maeda-akira.blogspot.jp/2014/04/blog-post_9.html                                                                                              
 http://maeda-akira.blogspot.jp/2014/04/blog-post_10.html                                                                                                              http://maeda-akira.blogspot.jp/2014/04/blog-post_11.html                                                                                                     
 http://maeda-akira.blogspot.jp/2014/04/blog-post_12.html                                                                                                                            
 3 河内謙策さんの特徴                                                                                                                         河内さんは、4月7日の投稿「IK改憲重要情報(48)」において、何の根拠も示さず、強制の定義も示さずに、いきなり「慰安婦」強制連行否定論を唱えました。                                                                                                                         河内さんは、4月11日の投稿「IK改憲重要情報(49)」において、次のように述べています。                                                                                                                        
 「河内は、2010年の尖閣事件についてのメールでのやりとり以来、メールにての『論争』は人を傷つけがちで生産的ではないと考えていること、このような多くの人の意見と『論争』することは河内の体力が許さない状態であるので、まことにすみませんが、私は、私の意見についてのコメントに『再反論』と言う形はとりません。」                                                                                                                         最後に、河内さんの主張の特徴をまとめておきます。                                                                                                                               
 (1) 法学部学生でさえ知っている誘拐罪に関する基礎知識すら持っていない。                                                                                                                                        
  (2) 誘拐罪について指摘されても、強制の定義に誘拐罪を採用することを認めない。                                                                                                  
  (3) 「慰安婦」に関する国際法について、1990年代の早い時期からすでに明確にされていた国際条約と慣習国際法を知らない。                                                                                                                                           
  (4) 醜業条約、奴隷の禁止、強制労働条約などを指摘されても、強制の定義にこれらを採用することを認めない。                                                                                                                           
  (5) つまり、20年にわたって国際社会で議論され確立してきた常識を、何も根拠を示さずに、全否定する。                                                                                                                             
  (6) そのことによって、「慰安婦」被害者=サバイバーたちを侮辱し、傷つける発言を一方的に垂れ流す。                                                                                                                                          
  (7) 2013年の国際社会権委員会が、日本政府に対して、「慰安婦」に対するヘイト・スピーチを止めさせるように勧告したが、それを無視して「慰安婦」に対する侮辱を繰り返す。                                                                                                                                           
  (8) 「慰安婦」を侮辱し、傷つける発言を垂れ流しながら、自分の都合で、「メールにての『論争』は人を傷つけがちで生産的ではないと考えている」と弁明し、責任逃れをする。                                                                                                                以上。

Saturday, April 12, 2014

強制とは何か(5)河内謙策さんへの質問

今回は人道に対する罪です。                                                         1998年のゲイ・マクドゥーガル・国連人権委員会差別予防少数者保護小委員会の「戦時性奴隷制特別報告者」の報告書は、日本軍「慰安婦」制度が人道に対する罪にあたると判断しました。VAWW-NET Japan(バウネット ジャパン)編訳『戦時・性暴力をどう裁くか 国連マクドゥーガル報告全訳』(凱旋社、1998年[増補版2000年])参照。                                                                       2000年の女性国際戦犯法廷判決も、日本軍「慰安婦」制度が人道に対する罪にあたると判断しました。VAWW-NET Japan編『女性国際戦犯法廷の全記録ⅠⅡ』(緑風出版)――本書は「慰安婦」問題に関する最重要必読文献です。本書を読まずにいいかげんなことを主張している人が多いです。ぜひお読みください。                                                                                                          人道に対する罪の法規定は、時期により、国際文書により、様々に違っていますが、極東国際軍事法廷条例第5条(ハ)は次のように規定しています。                                                                                     「(ハ)人道ニ対スル罪 即チ、戦前又ハ戦時中為サレタル殺人、殲滅、奴隷的虐使、追放、其ノ他ノ非人道的行為、若ハ犯行地ノ国内法違反タルト否トヲ問ハズ、本裁判所ノ管轄ニ属スル犯罪ノ遂行トシテ又ハ之ニ関連シテ為サレタル政治的又ハ人種的理由ニ基ク迫害行為。」                                                                                                                   ――なお、(ハ)の原文は(C)で、BC級戦犯という場合のCです。                                                                                    「慰安婦」について当てはまるのは、「奴隷的虐使」と「非人道的行為」になります。                                                                                                                 ただ、日本政府が「奴隷的虐使」と意訳した言葉は現在の訳では「奴隷化すること」です。                                                                                       日本政府が「追放」と訳している言葉deportationも、ナチスドイツのユダヤ人強制移送を念頭に置いたものであって、本来、「移送」または「連行」と翻訳するのが正しい言葉です。                                                                                「奴隷化すること」と「移送・連行」ですから、まさに強制、強制連行の定義に関わります。                                                                                                                                     強制連行の国際法的解釈については下記を参照してください。ボスニアのクルシュティチ事件判決を紹介してあります。                                                                                                                             強制連行は人道に対する罪                                                                                                    http://maeda-akira.blogspot.jp/2012/07/blog-post_19.html                                                                                                                               http://maeda-akira.blogspot.jp/2012/07/blog-post_7833.html                                                                                                                       人道に対する罪の適用については、1930~40年代に人道に対する罪の禁止が慣習国際法の地位にあったか否かをめぐり議論があり、日本政府はこれを否定しています。たしかに、争いのあるところです。                                                                                                                                                                      しかし、日本政府が違法行為をしたかどうかとか、責任があるかどうかとは別に、強制があったかなかったかの判断をする際には重要な基準になることは否定できないはずです。「非人道的行為」「追放」と合わせて、重要な判断基準とすることができます。                                                                                                                                               河内さんへの質問です。                                                                                                                                                   (1) 人道に対する罪としての奴隷化、追放、非人道的行為が強制の定義に関連することを認めないのでしょうか。                                                                                                                                                       (2) 人道に対する罪の要件にあたらないとする何らかの正当化事由を主張されるのでしょうか。                                                                                                                                     ********************************                                                                                                                           <追記>                                                                                                                                                         人道に対する罪については、じつに多くの間違いが語られています。国際法学者でも、じつに疑わしい記述をしています。例えば、次のような誤解です。                                                                                                                                                                         (1)「東京裁判で人道に対する罪で裁かれたが、日本はドイツのような人道に対する罪を犯していない」という主張が堂々と語られています。そして、上記後段に対して「いや、日本もひどいことをした」と反論している人がいます。間違いです。「東京裁判で人道に対する罪は明示的に適用されていない」からです。適用されたのは横浜裁判です。                                                                                                                                                                  (2)ほとんどすべての国際法学者が「人道に対する罪はニュルンベルク裁判や東京裁判で初めて適用されたから、事後法の適用だという主張がなされている」と書いています。しかし、人道に対する罪が最初に適用されたのは、第一次大戦後のイスタンブール裁判です。初歩の初歩さえ知らない国際法学者が多いです。まして、一般の方は間違いだらけ。この点について、前田朗『人道に対する罪』(青木書店)参照。

Friday, April 11, 2014

強制とは何か(4)河内謙策さんへの質問

今回は強制労働条約です。                                                                                               http://www.ilo.org/public/japanese/region/asro/tokyo/standards/st_c029.htm                                                                                          1930年のILO強制労働条約は「一切ノ形式ニ於ケル強制労働ノ使用ヲ廃止スルコト」(第1条1項)をめざしつつ、漸次的廃止の措置を定めた条約です。完全廃止でなかったのは時代の制約です。                                                                                                                      日本政府は1932年にこの条約を批准しました。「慰安婦」政策の推進はその後のことです。従って、1990年代に「慰安婦」論議が行われた時に最初に問われたのが強制労働条約との関係です。このブログで紹介した国外移送目的誘拐罪、醜業条約、奴隷の禁止の議論よりも前に、強制労働条約をめぐって議論がなされました。                                                                                                                                               「慰安婦」問題について、日本政府は、条約を批准していたので条約の適用を認めつつ、しかし「適用除外・適用例外にあたる」という主張をしました。強制労働条約第2条2項(d)に当たるという主張です。                                                                                                                                                        強制労働条約第2条2項(d)「緊急ノ場合即チ戦争ノ場合又ハ火災、洪水、飢饉、地震、猛烈ナル流行病若ハ家畜流行病、獣類、虫類若ハ植物ノ害物ノ侵入ノ如キ災厄ノ若ハ其ノ虞アル場合及一般ニ住民ノ全部又ハ一部ノ生存又ハ幸福ヲ危殆ナラシムル一切ノ事情ニ於テ強要セラルル労務」                                                                                                                          「戦争ノ場合」だから「慰安婦」について条約の適用がない。だから、違法とは言えず、日本政府に責任はない、という意味です。                                                                                                                          しかし、1996年4月の国連人権委員会に、ILOの担当官が参加して発言しました。その趣旨は「第2条2項(d)は緊急ノ場合を意味している。緊急時に慰安所に行くというのはどういうことか。慰安所がないと住民ノ全部又ハ一部ノ生存又ハ幸福ヲ危殆ナラシムルとはどういうことか。慰安所は第2条2項(d)の要件に当たらない」というものでした。それ以後、日本政府は適用除外の主張をしていません。                                                                                                                                            ILO条約適用専門家委員会は、1996年以来、何度も何度も日本政府に勧告を出しています。「強制労働条約に違反した」からです。                                                                                                                        強制労働条約は、「推定年齢十八歳以上四十五歳以下ノ強壮ナル成年男子ノミ強制労働ニ徴集セラルルコトヲ得」として、緊急の場合に男子の強制労働を認めていますが、女子の強制労働を認めていません(第11条)。                                                                                                                            日本政府は、1996年4月までは強制労働条約違反ではないと主張していましたが、上記の件以後、反論をしていません。                                                                                                                                河内さんへの質問です。                                                                                                                       (1)「慰安婦」に強制があったか否かを議論する際の基準として、1930年の強制労働条約があることを認めないのでしょうか。                                                                                                                   (2)日本政府と違って、適用除外を主張されるのでしょうか。                                                                                                                   (3)あるいは、「女子の強制労働を禁止する」と明記していないと主張されるのでしょうか。

Thursday, April 10, 2014

強制とは何か(3)河内謙策さんへの質問

今回は奴隷の禁止です。1926年の奴隷条約は「奴隷の禁止」と「奴隷取引の禁止」を掲げています(第2条)。奴隷の定義は第1条に示されています。                                                                                   第1条 この条約の適用上、次の定義に同意する。                                                                                                 1 奴隷制度とは、その者に対して所有権に伴う一部又は全部の権能が行使される個人の地位又は状態をいう。                                                                                                                                        2 奴隷取引とは、その者を奴隷の状態に置く意思をもって行う個人の捕捉、取得又は処分に関係するあらゆる行為、その者を売り又は交換するために行う奴隷の取得に関係するあらゆる行為、売られ又は交換されるために取得された奴隷を売り又は交換することによって処分するあらゆる行為並びに、一般に、奴隷を取り引きし又は輸送するすべての行為を含む。                                                                                                                                                       日本政府は奴隷条約を批准していないため、公定訳がありません。ここでは『国際人権条約・宣言集[第3版]』(東信堂)の訳文に従います。                                                                                                                            日本政府が批准していないため、「慰安婦」問題に関して奴隷条約違反ということは言えません。                                                                                                         しかし、奴隷の禁止と奴隷取引の禁止は1930年代には慣習国際法の地位を獲得していたとされています。条約を批准していなくても、守らなければならないとされています。                                                                                                  それゆえ、「慰安婦」問題で強制の有無を問う場合に、奴隷の禁止と奴隷取引の禁止に関する奴隷条約の定義をもとに判断することになります。                                                                                                                               ラディカ・クマラスワミ・国連人権委員会の「女性に対する暴力特別報告者」の1996年報告書は、「慰安婦」は奴隷に当たり、日本政府は奴隷の禁止に違反した、と結論づけました。私たちの翻訳を参照してください。クマラスワミ『女性に対する暴力』(明石書店、2000年)。                                                                                                                                              ゲイ・マクドゥーガル・国連人権委員会差別防止少数者保護小委員会の「戦時性奴隷制特別報告者」の1998年及び2000年報告書も、「慰安婦」は奴隷に当たり、日本政府は奴隷の禁止に違反した、と結論づけました。私たちの翻訳を参照してください。VAWW-NET Japan(バウネット ジャパン)編訳『戦時・性暴力をどう裁くか 国連マクドゥーガル報告全訳』(凱旋社、1998年[増補版2000年])                                                                                                                                                          なお、1998年当時、日本政府は「1930年代、奴隷取引の禁止は慣習国際法だったが、奴隷の禁止は慣習国際法ではなかった。だから奴隷の禁止に拘束されない」という驚くべき主張をしていました。                                                                                                                              なお、「慰安婦」訴訟における山口地裁下関支部判決も「慰安婦」が奴隷状態に置かれていたと認定しています。                                                                                                                                            河内さんへの質問です。                                                                                                                                       (1)「慰安婦」連行は奴隷の定義に文字通り当たるのではありませんか。                                                                                                                                     (2)奴隷の禁止は1930年代に慣習国際法だったのではありませんか。                                                                                                                          (3)それとも、朝鮮人は奴隷にしても構わないとお考えでしょうか。

Wednesday, April 09, 2014

強制とは何か(2)河内謙策さんへの質問

前回は国内法の誘拐罪について質問しました。今回は国際法です。                                                                                                                          「慰安婦」問題で真っ先に取り上げられてきたのは、醜業条約と略称される1910年の醜業婦ノ取締ニ関スル国際条約です。他にも同協定や婦人等売買禁止条約がありますが、ここでは1910年醜業条約について確認すれば十分です。                                                                                                       第1条 何人ニ拘ラス他人ノ情欲ヲ満足セシムル為メ売淫セシムル意思ニテ未丁年ノ婦娘ヲ傭入レ誘引若クハ誘惑シタル者ハ仮令本人ノ承諾アルモ又犯罪構成ノ要素タル各種ノ行為カ他国ニ於テ遂行セラレタルトキト雖モ処罰セラルヘキモノトス                                                                                                 第2条 何人ニ拘ラス、他人ノ情欲ヲ満足セシムル為メ売淫セシムル意思ニテ詐偽、暴行、強迫、権勢其他強制的手段ヲ以テ成年ノ婦娘ヲ雇入レ誘引若クハ誘惑シタル者ハ仮令犯罪構成ノ要素タル各種ノ行為カ他国ニ於テ遂行セラレタルトキト雖モ処罰セラルヘキモノトス                                                                                                                                           (1) 第1条は、未成年女性(本条約では21歳以下)については、たとえ本人の承諾があっても誘引・誘惑を犯罪としている。                                                                                                                                 (2) 第2条は、成年女性については、「詐偽、暴行、強迫、権勢其他強制的手段」による誘引・誘惑を犯罪としている。「詐偽」は「強制的手段」の例として明示されている。                                                                                                                                         日本政府はこの条約批准時に植民地に適用しない旨の留保をしたことが知られています。以上のことから、「強制があったかなかったか」に絞ってみると、次のことが言えます。                                                                                                     (1) 日本軍に「慰安婦」とされた非常に多くの未成年女性(なかには15歳や16歳の女子が多数いた)については、本人に同意能力がなく、すべて第1条に当たる。それゆえ「強制」であった。ただし、条約は適用されないとすれば、「犯罪」として処罰しなかったことは条約違反とまでは言えない。                                                                                            (2) 「慰安婦」とされた成年女性のうち、詐偽によって騙されて連れ出された事案は「強制」であった。ただし、条約は適用されないとすれば、「犯罪」として処罰しなかったことは条約違反とまでは言えない。                                                                                                                                             前回取り上げた国外移送目的誘拐罪の大審院判決以後、日本政府は「渡航規則」に改正を加えて、日本本土からの酌婦渡航を禁止しましたが、植民地である朝鮮半島等からの酌婦渡航を禁止しませんでした。醜業条約も植民地には適用しないと決めました。つまり、日本政府は、あえて朝鮮半島等からの「慰安婦」連行を行いやすいようにしました(この件は小林久公さんの研究に詳しい)。                                                                                                                                           河内さんへの質問です。                                                                                                                                               (1) 醜業条約の強制の定義に詐偽が含まれることをどうご覧になりますか。                                                                                                                              (2) 朝鮮人、中国人等の「慰安婦」に未成年者が多数いたことをご存知ですか。                                                                                                       (3) それとも、条約は植民地に適用されないという理由から、強制の定義そのものを否定されるのでしょうか。                                                                                                                                                            (4)それとも、これ以外の強制の定義を想定されているのでしょうか。

Tuesday, April 08, 2014

強制とは何か(1)河内謙策さんへの質問

複数のMLに、弁護士と称してさまざな投稿をしてきた河内謙策さんが、2014年4月7日、「IK改憲重要情報(48)」と題する投稿において、下記の通り「慰安婦」強制はなかった論を唱えています。                                                                                                                                                                                                                                                                               「当時慰安婦で強制連行されたという人たちの証言の多くに矛盾や不自然な陳述の変遷があることが明らかになってきたからです。とくに問題の焦点である「強制」の有無について明確な証言がないことは問題です(秦郁彦「慰安婦と戦場の性」新潮新書177頁以下参照)。「強制」がなくても慰安婦の制度自体が問題だから、「強制」にこだわるのはおかしいと言う人もいますが、当時の公娼制度の存在を考えれば、強制が無くても慰安婦が問題だということは感情論といわれても反論の余地がないと思います。」                                                                                                                                                                                                                                                    河内さんは、この投稿で「強制」「強制連行」の定義を示さないまま結論を出しています。結論は、安倍晋三、藤岡信勝等、強制連行否定論者と同じです。断固として嘘をつくと決めている否定論者が述べてきたのは「官憲が家屋に押し入って連れ出した奴隷狩りのような強制連行はなかった」という主張です。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                       河内さんはこれと同じ主張をしているのでしょうか。それとも別の定義を想定しているのでしょうか。                                                                                                                                                                                                                                                                                                              強制、強制連行について法律家が論じるのであれば、強制の定義を明らかにする必要があります。                                                                                                                                                                                                                                                                   国内法では、真っ先に検討するべきは刑法の誘拐罪です。誘拐罪だけではありませんが、以下、誘拐罪に絞って書きます。                                                                                                                                                                                                                                                                               (*国際法では、醜業条約、強制労働条約、奴隷条約(奴隷の禁止)、人道に対する罪(強制移送、奴隷化)について議論することになります。)                                                                                                                                                                                                                                                                                                             「慰安婦」強制連行を誘拐罪として処罰した大審院判決が2つあります。大審院は現在の最高裁判所に相当します。刑法226条の国外移送目的誘拐罪と、刑法224条の未成年者誘拐罪の事案です。                                                                                                                                                                                                                                                                                                           当時の日本刑法は次のように規定していました。                                                                                                                                             刑法226条 帝国外ニ移送スル目的ヲ以テ人ヲ略取又ハ誘拐シタル者ハ二年以上ノ有期懲役ニ処ス帝国外ニ移送スル目的ヲ以テ人ヲ売買シ又ハ被拐取者若クハ被売者ヲ帝国外ニ移送シタル者亦同シ                                                                                                                                                                                                                                                                                                  この条文は1995年改正で次のように改められました。                                                                                                                        刑法226条 日本国外に移送する目的で、人を略取し、又は誘拐した者は、二年以上の有期懲役に処する。日本国外に移送する目的で人を売買し、又は略取され、誘拐され、若しくは売買された者を日本国外に移送した者も、前項と同様とする。                                                                                                                                                                                                                              つまり、国外移送目的誘拐罪には4つの行為類型があります。                                                                                                            ① 国外移送目的+略取                                                                                                                              ② 国外移送目的+誘拐                                                                                                                                         ③ 国外移送目的+売買                                                                                                                                                                       ④ 拐取者・被売者の国外移送                                                                                                                                                                                                                        問題となるのは、誘拐と売買です。                                                                                                                         「誘拐罪における『欺罔』とは、虚偽の事実をもって相手方を錯誤に陥れることをいい、『誘惑』とは、欺罔の程度に至らないが、甘言をもって相手方を動かし、その判断を誤らせることをいうとするのが多数説である」(『大刑法コンメンタール刑法八巻』六〇三頁)。                                                                                                                                                                                                                                                                                                   「慰安婦」連行の中には、「**で働けば儲かる」といった甘言を用いてだまして連行した事案が知られています。また、未成年者を人身売買の上で国外に連れ出した事例が多いと言われています。誘拐や売買という形態での略取誘拐罪です。                                                                                                                                                                                                                                                                                                  2つの判決――長崎事件と静岡事件――について詳しくは下記を参照(学部学生が勉強する刑法教科書にも註記されています。私は大学1年の時に団藤重光の刑法綱要各論で知りました)。                                                                                                                                                        (1)長崎事件                                                                                                                                     「慰安婦」強制連行は誘拐罪                                                                                                                                                                   http://maeda-akira.blogspot.jp/2012/07/blog-post_15.html                                                                                                                                     前田朗「国外移送目的誘拐罪の共同正犯」(『季刊戦争責任研究』19号、1998年[同『戦争犯罪論』青木書店、2000年所収])                                                                                                                                               (2)静岡事件                                                                                                                                         慰安婦強制連行の犯罪(静岡事件・大審院判決) http://maeda-akira.blogspot.jp/2012/08/blog-post_31.html                                                                                                                                                           前田朗「『慰安婦』誘拐犯罪――静岡事件判決」(バウラック『「慰安婦」バッシングを越えて ―「河野談話」と日本の責任』(大月書店、2013年)                                                                                                                                                                                                                                            河内さんへの質問です。                                                                                                                                    (1) 強制をどのように定義しているのでしょうか。刑法226条は無視されるのでしょうか。                                                                                                                                               (2) 誘拐は強制ではないと解釈するのでしょうか。                                                                                                                            (3) 人身売買は当時は仕方なかったと正当化されるのでしょうか。                                                                                                                                          (4) 未成年者誘拐罪の規定をどうお考えでしょうか。

Monday, April 07, 2014

内側から明かされた裁判官の精神構造の病理

瀬木比呂志『絶望の裁判所』(講談社現代新書)                                                                                                            「最高裁中枢の暗部を知る元エリート裁判官 衝撃の告発!」「裁判所の門をくぐる者は、一切の希望を捨てよ!」。1954年生まれの著者は1979年に裁判官となり、東京地裁、最高裁に勤務、2012年に明治大学法科大学院教授に転身。30年余りの裁判官生活における実体験を多数紹介しながら、裁判所の実態を描き出す。                                                                                                                                   政権追随司法、人権軽視司法を形成・維持した最高裁司法行政族による青法協攻撃以来の「司法の反動化」は有名である。政治的動機による裁判官弾圧と裁判官統制であり、それゆえ組織が歪み、人間が抑圧されていった。裁判官懇話会も白眼視された。青法協と懇話会は本書に登場する。その後、市民のための裁判官ネットワークもあったが、こちらは本書には登場しない。青法協、懇話会、ネットワーク、それぞれに自由で開かれた裁判所を目指したが、上からの弾圧で潰されていった。                                                                                                      憲法に背を向け、平和や人権に冷酷な裁判官をつくりだすための猛烈な工作が、この国のエリート裁判官を堕落させたことは良く知られている事実だ。多数の批判書、研究書があった。黒木亮『法服の王国 小説裁判官(上・下)』(産経新聞出版)も出た。                                                                                                                 http://maeda-akira.blogspot.jp/2013/12/blog-post_10.html                                                                                                                                                        本書が取り上げた話題はほとんど既知のことであるが、著者自身の体験が裏打ちし、説得的であり、随所で「やっぱりそうだったのか」と繰り返すことになる。ただ、著者はそこで立ち止まらない。内側からの分析の強みであるが、「裁判官の精神構造の病理」として、(1)一枚岩の世界、内面性の欠如、内面のもろさ、(2)エゴイズム、自己中心性、他者の不在、共感と想像力の欠如、(3)慢心、虚栄、(4)嫉妬、(5)人格的な未熟さ、幼児性、(6)建前論、表の顔と裏の顔の使い分け、(7)自己規制、抑圧、(8)知的怠慢、(9)家庭の価値意識。ここまで書くか、と思うくらい厳しい批判である。もちろん、著者自身もその世界にいたのであり、そのことを著者は十分に自覚している。                                                                                                            裁判官に常識の欠ける人物が多いことは私も良く知っている。かつて東京地裁の裁判官、東京地検の検察官が参加する研究会に数年間出ていたが、現職裁判官のオフレコ発言はまさにエゴイズム、自己中心性、他者の不在、慢心、虚栄、嫉妬。なるほどその通りである。あまりに気持ち悪いので、数年で出席を止めたが、出席し続けて黙って聞いておけばよかったかもしれない。もっとも、大学に所属する研究者にも変人は少なくないが。                                                                                                                                                                         著者は関根牧彦という筆名で数冊の著書を出しているが、それは法律書ではなく、『内的転向論』『映画館の妖精』『対話としての読書』であり、音楽ファンでもある。本書にも、ビートルズ、ボブ・ディラン、ブルース・スプリングスティーンが出て来る。

Saturday, April 05, 2014

現代彫刻の読み方を学ぶ

藤井匡『現代彫刻の方法』(美学出版、2014年)                                                                         橋本真之、多田圭三、畠山典江、岩間弘、留守玲、高澤そよか、神代良明、飯島浩二、角文平、久保田弘成、橘宣行、タムラサトル、林武史、西雅秋、岡本敦生、鷲見和紀郎、村井進吾、戸田裕介、寺田武弘、秋山陽、前田哲明、金沢健一、青木野枝、前川義春、丸山冨之、土屋公雄、向井良吉、建畠覚造、倉貫徹・・・                                                                                       現代彫刻、特に野外彫刻を「方法」という視点から読み解く試みである。著者は学芸員だが、私は素人鑑賞者なので、専門的な「方法」よりも、鑑賞者の立場への言及を気に留めながら読んだ。                                                                                                   「展覧会という場において、制作者と鑑賞者は作品のコンセプトという同じものを見ている。一応はそう考えることができるとして、鑑賞者が制作者の『方法』を見出すとすれば、それは制作者と同じ順序ではあり得ない。鑑賞者は、提示された作品から変容の過程を“読む”ことになる。それは、制作者が関与した時間を想像力によって遡行する行為に他ならない。このようなコミュニケーションのあり方こそが、『方法』を見るという意味だと考えることができる。」                                                                                                          「鑑賞者による完成作品から素材への『方法』を読む遡行が可能となるためには、完成作品の内に原初的な素材の姿が残存していなければならない。もし、制作者の行為が無価値な素材から結うカチな芸術を創造する錬金術的なものと考えるならば、この条件は成立しない。つまり、制作者の行為とは、素材とは異質なものを創出すること(A→B)ではなく、あえて言うならば、素材の変換作業(A→A´)となる。逆にいえば、作品の内側に素材の姿を明瞭に確認できるからこそ、素材を論じることが作品を論じることに直結するのである。」                                                                                                      現代アートはわからない。「わからないもの」が現代アートという名称の下に世に送り出されている、といった程度の認識しか持たない私には、現代彫刻を見る時も、素材や方法を考えてみるということはあまりなかったように思う。直接目に見えている作品が、目に見えている物それ自体ではなく、作家の思念の中の何かを表そうとしている。現に見えているものとは違った何か。それを想像しながら見てきたように思う。目に見える通りのものを見ればよいのなら、現代彫刻、現代アートである理由がないという初歩的決めつけが先にある。                                                                                                                                                        本書を通じて、さまざまな作家の現代彫刻に向かう姿勢、方法意識、素材との格闘、自分との格闘、社会認識を見ると、作家の世界観の一端をそれなりに読み取れれば、おそらく素人鑑賞者としては合格かな、と感じた。                                                                                                                  著者は同僚である。九州大学文学部哲学科美学美術史研究室、宇部市役所学芸員、フリーランス学芸員を経て、東京造形大学准教授。

ヘイト・クライム禁止法(70)リヒテンシュタイン

人種差別撤廃委員会第70会期に提出された政府報告書は、委員会による前回勧告に応答する形で書かれている(CERD/C/LIE/3. 20 December 2005.)。刑法第二八三条は、人種主義の促進・煽動等を犯罪としているが、条文は引用されていない。                                                                                       前回、二〇〇一年の第二回政府報告書に関連条文が引用されている(CERD/C/394/Add.1. 6 November 2001.)。刑法第二八三条は以下の行為を二年以下の刑事施設収容としている。                                                                  ・人又人の集団の人種、民族的出身又は宗教を理由とする、人又は人の集団に対する憎悪又は差別の公然煽動。                                                                                            ・人種、民族的又は宗教集団メンバーを組織的に軽蔑又は中傷するイデオロギーの公然流布。                                                                                                    ・同様の目的での宣伝活動の組織、促進、参加。                                                                                                                   ・彼、彼女又は彼らの人間の尊厳を侵害する方法で、人又は人の集団の人種、民族的又は宗教に基づいて、人又は人の集団を軽蔑又は差別する象徴、仕草、暴力又はその他の形態の行為を電磁的手段で公然伝達。                                                                                                            ・ジェノサイド又はその他の犯罪の否定、ひどい矮小化又は正当化、並びにその目的で象徴、仕草又暴力行為を電磁的手段で公然伝達。                                                                                                           ・人又は人の集団の人種、民族的又は宗教に基づいて人又は人の集団に公共利用のためのサービス提供の拒否。                                                                                                                       ・人種差別促進・煽動に従事する組織への参加・メンバーであること。                                                                                   リヒテンシュタイン前回報告書によると、条約第一条一項に従って、人種差別に当たる内容の文書、音響、映像記録、象徴、表象その他の物を製作、貯蔵、流通、公然賛美、展示、提供又は陳列した者は処罰される。                                                                                                                                     刑法第三二一条はジェノサイドの規定であり、ジェノサイド条約や国際刑事裁判所規程と同様の定義を採用している。そして、刑法第三二一条二項はジェノサイドの共謀を一〇年以下の刑事施設収容としている。                                                                                                                人種差別撤廃委員会はリヒテンシュタインに次のような勧告をした(CERD/C/LIE/CO/3. 7 May 2007.)。刑法第二八三条が人種差別煽動を禁止しているが、条約第四条(b)が要求する人種主義団体の禁止が含まれてない。こうした法の予防的役割が重要であり、条約第四条(b)に従って特別立法を行うよう勧告した。

ザ・ニュースペーパー公演in鶴見

4月25日、横浜市の鶴見区民文化センターで、コント集団THE NEWSPAPER公演に出かけた。                                                                                                   昭和天皇死去時にデビューしたザ・ニュースペーパーに25年笑わされてきたが、今回、残念なことに谷本賢一郎が「卒業」してしまった。他のコント専門メンバーと違って、歌手を目指して活動していた谷本なので、そろそろ「卒業」して歌の道に戻ったのだろう。谷本の「癒し系」ミュージックは、ザ・ニュースペーパーに独特の色どりを与えて、人気だった。急にいなくなると、コントの見え方が違ってくる。替え歌でギャグを飛ばし、コントとコントのつなぎも歌で場面転換できたのが、そうしたシーンがなくなった。渡部率いるメンバーたちの切れ味鋭いコントだが、谷本抜きの今日の公演にはしっくりしないものを感じた。もっとも、こればかりは仕方ない。ザ・ニュースペーパーは、最初期メンバーが抜けた後もメンバー交代を繰り返しながら発展してきた。次のスタイルを模索していくのだろう。                                                                                                  今日は、「安倍晋三」が出ずっぱりだった。オバマ、プーチン、菅、小泉親子、石破、山口、石原元都知事、蓮舫、小沢、桝添など、政治家コントが特に多かった。もっとも、冒頭では、大リーグで初勝利を挙げた田中インタヴューがあり、半ばには、作曲家佐村河内守、後半には、渡部演ずる全共闘世代の悩みの冒頭には昨日亡くなった蟹江敬三のことも出ていた。もちろん鶴見ネタも。定番のさる高貴なご一家では、浅田真央、STAP小保方さんなども登場。旬のニュースを斬りまくる、いつものザ・ニュースペーパーだった。

Friday, April 04, 2014

ヘイト・クライムと闘う人々

中村一成『ルポ京都朝鮮学校襲撃事件』(岩波書店)                                                                                                ヘイト・スピーチを2013年の流行語にすることになった事件の一つである2009年12月4日に始まる京都朝鮮学校襲撃事件を取材したルポである。著者は毎日新聞記者を経てフリーとなり、在日朝鮮人、移住労働者の人権や、死刑問題をテーマにしている。『年報死刑廃止』に、著者は死刑関連映画評を書き、私は死刑関係文献紹介を書いている。私が編集した『なぜ、いまヘイト・スピーチなのか』(三一書房)にもヘイト・スピーチの被害者の状況について書いてもらった。本書は雑誌『世界』に連載した記事をまとめたものだ。安田浩一『ネットと愛国』が加害者側の正体に迫る書だったのに対して、本書は被害者側の状況、被害、苦痛、思い、そして闘いを描き出す。                                                                           著者は、京都朝鮮第一初級学校の子どもたち、教員たち、父母たち、卒業生などに取材し、<12.4以後>を伴走・伴奏するように、ともに生きる。子どもたちを守るために必死だった教員たち。罵声を浴びせられ続けてトラウマになった教員や父母たち。事件から逃れ、日本社会から逃れたかった被害者たち。逃げても問題は解決しないので訴訟で闘うことを選んでいく過程。事件に対処せず放置した警察との闘い。刑事告訴を受理させる闘い。接近禁止の仮処分決定にもかかわらず押し掛けてくるレイシスト。これに対する間接強制の申し立て。そして、民事訴訟の闘い。教員たちと父母たちの闘いを法的に支えた弁護士たち。それらの様子が詳しく描かれている。レイシズムが吹き荒れ、ヘイト・クライムが「表現の自由」などという虚構の理屈で容認されてきた日本社会の現実を冷静に顧みるために、著者は取材を続けた。                                                                                 「被害者たちの証言を聞き取り、差別とは人の尊厳を否定する重大な犯罪であると訴える。それが取材開始前の、そして初期の目的だった。だが、事件が残した傷はあまりに深かった。人はここまで残酷になれる。そしてこの社会では、人の『命』に斬りつける罵詈雑言が『表現の自由』として許容される。さらにはこの社会の多数者は、いまだもってこの行為に無関心を決め込んでいる。聴き取る私の内面でも、自分が生きる世界への信頼感覚が崩壊していった。」                                                              それでも著者が伴走を続けたのは、そこに人間の尊厳を求めて闘い続ける人々がいたからである。著者は、その「覚悟と決断の足跡」を伝えようとする。レイシズムを批判し、乗り越える課題を、著者はともに闘い、日本社会に突き付ける。                                                                            レイシズムとの闘いの中心で立ち上がった金尚均(龍谷大学教授)は私にとっても尊敬する刑法学者だ。ここ数年、一緒にヘイト・クライム研究会を主宰してきた。弁護団の冨増四季、上瀧浩子、康仙華たちも研究会の仲間だ。著者も含めて、みな知り合いなので、顔を思い浮かべながら読んだ。あとがきには『ヘイト・スピーチとは何か』(岩波新書)の著者・師岡康子(弁護士)の名も登場する。                                                                                                                 康仙華(弁護士)は朝鮮大学校法律学科卒業生で、弁護士になったとたんにこの事件が起きた。在日朝鮮人は、事件現場にいなかったとしても、実質的に被害者の一人でもある。被害者の視点で、法律論を研ぎ澄ますことができるだろう。                                                                                                                          私も民事訴訟では「意見書」を書いて裁判所に提出させてもらったので、昨年10月7日の民事訴訟第一審・京都地裁の圧倒的勝利はわがことのように嬉しかった。著者もジャーナリスト冥利に尽きる一日だっただろう。                                                                                                         著者はこの4月13日昼に文京区民センターで講演することになっている。ヘイト・クライムと闘う人々に連なるために、4月13日は文京区民センターへ!

大江健三郎を読み直す(13)「世界文学は日本文学たりうるか?」

大江健三郎『あいまいな日本の私』(岩波新書)                                                                                           1994年12月7日、ノーベル賞受賞記念講演「あいまいな日本の私」を含む9本の講演録で、1995年1月に出版された。                                                                                                 川端康成のノーベル賞受賞講演「美しい日本の私」が、文学を中心にした文化から自然までを含んだ「美しい日本」を掲げるという、その限りではオリエンタリズムそのものに身を委ねつつ、川端なりの文化論を展開したもので、非政治的な身振りの政治学を演じたのと比較すると、大江の「あいまいな日本の私」は、戦後文学を素材としつつ文化や政治も射程にいれての批評を、しかも自己批評も重ねながら、ストレートに差し出すものであった。このため、日本の内側からただちに異論や不協和音が聞こえてきたのは、大江自身にとっても予想の範囲内だっただろう。                                                                                                         むしろ、あえて波風を立たせることで、戦後日本を問い直すべきだという問題提起を試みたのかもしれない。不戦の誓いを忘れたがる政治にとどまらず、社会意識においても戦後文学の良質な部分から先にそぎ落としてしまいかねない現実に対する異議申立てを、大江は続けざるを得ないことになる。                                                                                                                     このため大江は常に政治的批判、というよりも歪んだ政治主義的批判にさらされることを余儀なくされ、それを引き受けてもきたのだが、本書後半の講演では、世界に向けて日本文化の良質な部分を懸命に発信する作業を行い続けていることもわかる。                                                                                                                        シカゴ大学における講演「日米の新しい文化関係のために」、北欧諸国における連続講演「北欧で日本文化を語る」、ニューヨークのパブリック・ライブラリーにおける「回路を閉じた日本人でなく」、そして国際日本文化研究センター「日本研究京都会議」における「世界文学は日本文学たりうるか?」。――ここで大江は「日本文学は世界文学たりうるか?」ではなく、「世界文学は日本文学たりうるか?」と問う。                                                                                            最後の講演における林家三平の長男・林家こぶ平への手紙には大いに笑えるが、それに続く「日本文学と世界文学の現代における具体的な関係」として、3つのラインを整理しているところが興味深い。                                                                                                             「第一の日本文学は、世界から孤立している」。谷崎潤一郎、川端康成、三島由紀夫のラインである。                                                                                                                「第二のラインは、世界の文学からまなんだ者たちの文学です。」大岡昇平、安部公房の名が挙げられる。井伏鱒二や中野重治や大江自身の名もここに連なるだろう。                                                                                                   「第三はどういうラインかと申しますと、村上春樹、吉本ばななラインと私はそれを呼んでいるのです。」「世界全体のサブカルチュアがひとつになった時代の、まことにティピカルな作家たち」だという。                                                                                                                       そして、大江は、第二のラインに即して、「私たちは、世界から最も豊かに受け取ったけれども、世界から最も早く忘れ去られてゆく者らではないか?」と問う。この問いは大江のノーベル賞受賞によって、いったんは無用の問いとなったと言えるだろうが、この講演から二〇年を経た現在も同じ文学状況、同じ文化状況が続いているのではないだろうか。サブカルチュアの圧倒的爆発的勝利と、現代文学の困難とは、これからも続くのだろう。