Monday, December 08, 2014

大江健三郎批評を読む(3)

柴田勝二『大江健三郎論――地上と彼岸』(有精堂、1992年)

大江文学を読み解くためのキーワードは、第1に、近現代日本史――政治史も含め、文学史も含めて――のキーワードである。第二次大戦時の日本から戦後民主主義の日本への転換を主題とし続けたのだから当然のことながら、日本国憲法以前と以後の対比になる。第2に、ヒロシマや沖縄への視線である。核時代を生きる文学者の責任にまつわる言葉の群れである。この2つは、大江固有と言うよりも、戦後文学の一つの大きな主題群であった。大江に固有のキーワードは、第3に、四国の森の奥、谷間の歴史にまつわる言葉の群れであり、谷間を生きた民衆と天皇制の相克であった。第3の世界のキーワードから世界をとらえ返し、折り重ね、読み替えていく作業が行われた。その文学世界の構造を、より子細に、正確に把握するために文芸評論家はさまざまな分析視角を活用してきた。
柴田勝二は<地上と彼岸>を一つの分析枠組として、大江文学の構造を読み解こうとした。初期作品における「状況」と「自己」を、例えば「性」に焦点を当て、あるいは「サヨク」と「右翼」の複雑な交錯に即して検討する。あるいは『個人的な体験』『万延元年のフットボール』『洪水はわが魂に及び』に即して、彼岸(彼方)の精神地理を測定しようとする。そして、<地上と彼岸>を「共同体と他者」という位相に貼り付けるように重ね合わせる。
大江文学の変容を追い続けた柴田は次のように述べる。
「大江氏が四国の山間の土地に生まれ、脳に障害を持つ長男をもうけたという人生における事実は偶然の所産にほかならないが、このきわめて私的な事情が彼に外の世界を見る姿勢をもたらす契機となったと同時に、やはり自分の生きる現代の文明社会への違和の意識を与えることになったに違いない。一人の作家としての大江氏はもっぱら東京に居を占め、その作品に対して日本にとどまらない幅広い国々の読者の評価が与えられるにいたった『国際作家』だが、そのイメージと裏腹な日本の土俗への志向と、家族との共生への愛着を彼はもちつづけている。」

正しいが、ありきたりの論説である。ありきたりだが、繰り返し語られ、確認されるべきことでもある。多くの評論家が同じことをさまざまの表現で記録してきたし、大江自身も同様のことを何度も何度も書いてきた。これからも同じことを、その都度文脈を変え、射程を変えながら、語り続けなければならないだろう。