Sunday, June 15, 2014

批評の“終焉”と保守の行方

岡本英敏『福田存』(慶応義塾大学出版会、2014年)                                                                  
高校時代たまたま手にした文庫本『私の語教室』で福田存を知り、その後、保守思想家としての福田をいくつか読んだ。江藤淳や最近湧いて出ている凡百の保守主義者は評価できないが、福田は敬意の対象ではあった。もっとも、福田の戯曲の到達点ともいうべき『解つてたまるか!』に福田の思想の「小ささ」を確認して以来、ほとんど読まなくなった。                                                                            
岡本は、文芸批評と戯曲を中心に福田の問題意識と方法と態度を明らかにしていく。「一匹と九十九匹と」や「近代の宿命」「人間・この劇的なるもの」を素材に、福田が人間と文学をどのように見ていたのか、西洋近代における神と人間の関係をいかに追跡し把握していたのかを提示する。福田の批評にとって、ロレンスの『アポカリプス論』が占めた位置はよくわかるが、サルトル『嘔吐』が重要であったことの指摘には教えられた。「人間・この劇的なるもの」の冒頭でも『嘔吐』に言及していると言うが、私は読み過ごしていたのだろう。重要さに気付いていなかった。                                                                              

『解つてたまるか!』はキム・ヒロ事件をモチーフにしつつ、キム・ヒロを支援する文化人を批判したものだが、「この誤解にひとしい平和と民主主義といふ思想を叩き毀さぬ限り、日本人は立ち直らないと思ひます」と戦後民主主義と文化人を批判している。岡本もその点を「福田の批評精神の神髄が極まっている」と評している。それが正しい理解であると思うが、ということは、福田の批判対象はたかだか戦後民主主義でしかなく、日本の総体でもなければ、近代日本でさえもない。西洋における神と人間への言及も、たかだか戦後民主主義批判への導入に過ぎなかったことになる。しかも、西洋との対比をして、日本に醒めた福田は日本と日本人を徹底的に問い詰めたのか、という疑問も出て来るだろう。