Friday, April 04, 2014

大江健三郎を読み直す(13)「世界文学は日本文学たりうるか?」

大江健三郎『あいまいな日本の私』(岩波新書)                                                                                           1994年12月7日、ノーベル賞受賞記念講演「あいまいな日本の私」を含む9本の講演録で、1995年1月に出版された。                                                                                                 川端康成のノーベル賞受賞講演「美しい日本の私」が、文学を中心にした文化から自然までを含んだ「美しい日本」を掲げるという、その限りではオリエンタリズムそのものに身を委ねつつ、川端なりの文化論を展開したもので、非政治的な身振りの政治学を演じたのと比較すると、大江の「あいまいな日本の私」は、戦後文学を素材としつつ文化や政治も射程にいれての批評を、しかも自己批評も重ねながら、ストレートに差し出すものであった。このため、日本の内側からただちに異論や不協和音が聞こえてきたのは、大江自身にとっても予想の範囲内だっただろう。                                                                                                         むしろ、あえて波風を立たせることで、戦後日本を問い直すべきだという問題提起を試みたのかもしれない。不戦の誓いを忘れたがる政治にとどまらず、社会意識においても戦後文学の良質な部分から先にそぎ落としてしまいかねない現実に対する異議申立てを、大江は続けざるを得ないことになる。                                                                                                                     このため大江は常に政治的批判、というよりも歪んだ政治主義的批判にさらされることを余儀なくされ、それを引き受けてもきたのだが、本書後半の講演では、世界に向けて日本文化の良質な部分を懸命に発信する作業を行い続けていることもわかる。                                                                                                                        シカゴ大学における講演「日米の新しい文化関係のために」、北欧諸国における連続講演「北欧で日本文化を語る」、ニューヨークのパブリック・ライブラリーにおける「回路を閉じた日本人でなく」、そして国際日本文化研究センター「日本研究京都会議」における「世界文学は日本文学たりうるか?」。――ここで大江は「日本文学は世界文学たりうるか?」ではなく、「世界文学は日本文学たりうるか?」と問う。                                                                                            最後の講演における林家三平の長男・林家こぶ平への手紙には大いに笑えるが、それに続く「日本文学と世界文学の現代における具体的な関係」として、3つのラインを整理しているところが興味深い。                                                                                                             「第一の日本文学は、世界から孤立している」。谷崎潤一郎、川端康成、三島由紀夫のラインである。                                                                                                                「第二のラインは、世界の文学からまなんだ者たちの文学です。」大岡昇平、安部公房の名が挙げられる。井伏鱒二や中野重治や大江自身の名もここに連なるだろう。                                                                                                   「第三はどういうラインかと申しますと、村上春樹、吉本ばななラインと私はそれを呼んでいるのです。」「世界全体のサブカルチュアがひとつになった時代の、まことにティピカルな作家たち」だという。                                                                                                                       そして、大江は、第二のラインに即して、「私たちは、世界から最も豊かに受け取ったけれども、世界から最も早く忘れ去られてゆく者らではないか?」と問う。この問いは大江のノーベル賞受賞によって、いったんは無用の問いとなったと言えるだろうが、この講演から二〇年を経た現在も同じ文学状況、同じ文化状況が続いているのではないだろうか。サブカルチュアの圧倒的爆発的勝利と、現代文学の困難とは、これからも続くのだろう。