Wednesday, January 29, 2014

大江健三郎を読み直す(4) 「深くて暗いニッポン人感覚」に向き合う

大江健三郎『水死』(講談社、2009年)                                                                    1935年生まれの大江が74歳を迎える年に送り出した長編小説は、40年も前に『自ら我が涙をぬぐいたまう日』で挑戦した「父の死の謎」をモチーフとして、あらためて父の死の謎に迫る「新しい代表作」だ。敗戦の少し前の洪水の日に、短艇で川に乗り出して水死した父。大江作品で何度も言及されてきたが、森の奥の物語や、母や伊丹十三や息子のように正面から描かれることはむしろ少なかった主題を人生の最後に渾身の力を振り絞って描き出した。                                                                      序章に登場する劇団「穴居人」の女優ウナイコ、劇団を率いるマサオ、中盤に登場する大黄(ギシギシ)さん、そして後半に初めて登場するウナイコの叔父といった人々が、作者・長江古義人(大江)とその家族たちとともに舞台を彩る。長江古義人は、一度は断念した父親の死をめぐる「水死小説」をあらためて執筆するため、両親が残した「赤革のトランク」を手にするが、そこには謎に迫るような情報は何もなく、再び執筆を断念する。他方、長江作品を演劇化してきた「穴居人」のマサオは、長江最後の小説制作に伴走しながら次の作品づくりに挑む。舞台は東京・成城の家から、四国の森の入口に移動する。その間に、長江と妹アサ、長江と息子アカリの間で交わされる会話と感情的対立。これらが輻輳しながら歳月が流れていく。                                                                           父親水死の謎への挑戦が消えてしまった後、作品は迷走しかける。「水死小説」断念後の中盤の第二部「女たちが優位に立つ」は、父親の死という主題から逸れて、やや冗長な印象を与えるが、それは読んでいる間のことで、読了後は一つのまとまった作品として受け止めることが出来る。長江作品を映画化しながら国内上映されずに終わった映画や、劇団・穴居人の芝居「死んだ犬を投げる」などのエピソードが単なるエピソードに終わらないことも、最後に判明する。森の奥の伝承と物語、長江一族の伝承と物語、障害を持ちながら絶対音感を持つ息子アカリの物語――さまざまの人生と思いを転結しながら、作品は収束へと向かう。                                                                                     結末は思いがけない形で訪れ、一気にクライマックスとなり、しかし、あっけない形で終焉する。結末において父の死の謎も解き明かされる。森の奥の伝承としての女たちの一揆、敗戦直前の軍人たちと父の未発の一揆、少年時代の古義人ともう一人のコギー、そこに加わった新たな悲劇としてのウナイコと叔父の物語、それは「深くて暗いニッポン人感覚」への文学的問いかけである。その問いは日本と日本人に向けられ、必然的に長江(大江)自身にも鋭く突きつけられる。                                                                              そして、最後の事件も解決も、森の奥からではなく、長江一族からでもなく、ウナイコと叔父と大黄さんからやって来る。しかも、長江が眠っている間に事態が急展開し、ウナイコの仲間のリッチャンから伝聞情報として語られる。                                                                                     このため、本書を閉じたのちに、大江が次の小説を書けば、結末を書き直すことが予想される。当然そうでなければならない。大江は同じ物語を何度も何度も書き直してきた作家なのだから。「深くて暗いニッポン人感覚」は、いまなお猛威を奮っている。日本軍「慰安婦」問題をめぐる社会意識、家父長制にしがみつく教育者・・・。しかし、本書は「最後の小説」として世に送り出された。実際には、3.11の後に78歳の大江は『晩年様式集』という「最後の最後の小説」を仕上げた。80歳を迎えようとする大江が『水死』の結末を書き直して、そのまた奥の真相を読者に提示することはあるのだろうか。