Saturday, January 04, 2014

大江健三郎を読み直す(1)

今年は大江健三郎の作品を読み返すことにした。正確に言えば、『燃え上がる緑の木』第一部『「救い主」が殴られるまで』以前の主要な小説作品はすべて読んだので、それらを読み直すことと、第二部『揺れ動く(ヴァシレーション)』以後の小説は読んでいないので、それらを初めて読むことが課題だ。
高校時代に『死者の奢り』『われらの時代』を読んで以来、大江作品を熱心に読み続けたが、愛読者だったのは90年代半ばまでのことで、その後はエッセイを多少読む程度で、主要作品を読んでいない。
最近、あるメディアでの井上ひさしについての連載の中で、井上ひさしのユートピア観を取り上げたのだが、それに際し1980年代半ばに行われた井上ひさし・大江健三郎・筒井康隆の鼎談『ユートピア探し 物語探し』(岩波書店)を読んだ。思い起こすと、1980年代までは井上・大江・筒井の熱心な読者だったのに、その後も読み続けたのは井上ひさしだけで、大江と筒井を読まなくなった。
 筒井康隆を読まなくなった理由は明白だ。1990年頃だったか、『無人警察』における差別記述に抗議を受けた筒井が「断筆宣言」をして、小説を書かなくなった。そのため新作を読めなくなったのだが、差別との抗議を受けた筒井の態度と断筆宣言を肯定することができなかったので、筒井作品を読まなくなった。
他方、大江健三郎を読まなくなったのは、1994年にノーベル賞を受賞したことにより、なんとなく大江が「権威」に感じられたことと、大江作品に手を変え品を変えて何度も繰り返し登場する森の奥と息子・光の話に少々飽きたことによる。同じ主題を繰り返し描き続けたことで大江の小説世界が深められていったことは事実だが、大江自身が認めているように、このことによって読者を失っていったことも否定できない。この間、大江作品を読まなかったことを、いまどう考えるのかも、一つの課題である。
ともあれ、上記の鼎談からほぼ30年、大江のノーベル賞受賞から20年の今年2014年に大江の主要作品をゆっくり読み続けることにした。
その手始めとしてこの正月に読んだのが、大江健三郎『大江健三郎 作家自身を語る』(新潮文庫)だ。読売新聞記者の尾崎真理子がインタヴューをして、2007年に1冊にまとめられ、2011年の3.11の後のインタヴューを加えて、2013年に文庫化されたものだ。
本書では、第1章で作家デビュー以前を振り返り、第2章で「奇妙な仕事」から『個人的な体験』までの最初期の作品、第3章では『万延元年のフットボール』から『M/Tと森のフシギの物語』、第4章で『「雨の木」を聴く女たち』から『新しい人よ眼ざめよ』、第5章で『懐かしい年への手紙』から『宙返り』、第6章で「おかしな二人組」三部作と『二百年後の子供』、そして第7章で『美しいアナベル・リイ』『水死』『晩年様式集』を順次取り上げている。
大江自身が語っているので、いくつものエピソードとともに、それぞれの作品への作家の思いを知ることができる。文庫1冊で、半世紀を超える大江の作家人生を辿ることができる。「大江自身による大江入門」だ。とても便利な1冊なので、まずは本書を読んだ。本書を手掛かりに、急がずに、ゆっくり大江作品を愉しもうと思う。現代を読むために大江を読み直そう。