Wednesday, June 26, 2013

ヘイト・スピーチ処罰実例(14)

イスラエル政府が人種差別撤廃委員会に提出した報告書(CERD/C/ISR/14-16. 17 January 2011)によると、二〇〇六年一二月七日の最高裁判決はリーディングケースとして何度も引用されている。イツハク・オリオンとイェフダ・オヴァディア事件で、アラブ系イスラエル人に対する暴力行為によって訴追され、イェルサレム地裁で有罪(三年以下の刑事施設収容、約七五〇〇NISの被害者補償)を言い渡された二人の控訴を棄却したものである。地裁は量刑事由で、犯罪が人種主義に動機づけられた事実が重要であると示した。最高裁は地裁の判断を確認し、平等と人権保護の価値を尊重する社会においては、人種主義によって動機づけられた犯罪が認められる余地はないとした。                                                        二〇〇八年一一月二三日、イェルサレム地裁は、ボアニトフ・アリク等事件で、八人の被告人がネオナチ集団構成員としてヘイト・クライムを含む犯罪の扇動を行ったケースで、有罪答弁をもとに、七年から一二ヶ月の刑事施設収容(一八ヶ月の執行猶予付)を言い渡した。以上の二件は著名事件のようであるが、そのほかの三三の事件・裁判例が一覧表で示されている(検察庁記録、二〇〇九年一一月)。一部を紹介する。                                                                               ペルマン事件。二〇〇一年一月三日起訴。被告人は違法なデモに参加し、「アラブ人に死を」と叫んだ。イェルサレム区裁判所で無罪となったが、二〇〇五年一月二七日、イェルサレム地裁に控訴。区裁判所に差戻され、二〇〇五年三月三日、六か月の刑事施設収容(六か月の執行猶予)。                                                                                                                       ペルマン等事件(上記と同一人物ほか)。二〇〇一年一一月六日起訴。被告人らは人種主義的出版物を保有していたとして、ティベリウス区裁で、有罪判決。                                                                                                      コーヘン事件。二〇〇二年六月一一日起訴。人種主義を煽動する文書を保有し、サッカーの試合中に「アラブ人に死を」と叫んだ。二〇〇四年六月一六日、イェルサレム区裁で、六〇日の拘留と二五〇〇NISの罰金。被告人がイェルサレム地裁に控訴し、地裁は、二〇〇五年五月一五日、伝聞証拠による認定であるとし、区裁の有罪を破棄差戻し。区裁は、別の直接証人の証言を得て、二〇〇六年三月一三日、有罪判決。                                                                                                           ベングヴィル事件。二〇〇三年三月三一日起訴。人種主義を煽動し、テロリスト団体を支持する情報を出版した。二〇〇七年六月二五日、イェルサレム区裁は被告人に六〇日の社会奉仕命令。双方控訴。二〇〇八年九月一七日、イェルサレム地裁は、検事控訴を棄却、被告人控訴を認容し、二〇〇時間の社会奉仕命令に減刑。被告人上訴するも、最高裁は、二〇〇八年一二月七日、上告棄却。                                                                                                                                ジフ事件。二〇〇三年七月二一日起訴。違法な集会に参加し、「アラブ人はいらない。爆弾はいらない」と書いたシャツを着用した。イェルサレム区裁は、社会奉仕命令を言い渡した。                                                                                                                                                           タチャン事件。二〇〇三年八月五日起訴。被告人は「アラブ人に死を」と叫んだ。イェルサレム区裁、二〇〇五年三月三一日、人種主義の煽動で有罪とし、二五〇時間の社会奉仕命令と一〇〇〇NISの罰金。同年一二月二五日、最高裁は被告人の上告を棄却。                                                                                                                       レダーマン事件。二〇〇四年二月四日起訴。人種主義的動機による暴行。イェルサレム区裁で有罪判決。                                                                                                                                      プリエルとエイアル事件。二〇〇四年六月七日起訴。サッカーの試合中に「アラブ人に死を」と叫んだ。イェルサレム区裁で、有罪答弁のもと、社会奉仕命令。                                                                                                                      ニシム事件。二〇〇四年六月七日起訴。サッカーの試合中に「アラブ人に死を」と叫んだ。イェルサレム区裁で、有罪答弁のもと、社会奉仕命令。                                                                                                                       エリヤフ事件。二〇〇四年六月七日起訴。サッカーの試合中に「アラブ人に死を」と叫んだ。イェルサレム区裁で、人種主義の煽動で有罪判決。                                                                                                                                          

ヘイト・スピーチ集団に公共施設を利用させてはならない3つの理由

地方公共団体が管理する公共施設を、ヘイト・スピーチを行ってきた人種差別集団に利用させ便宜を図ることは、人種差別撤廃条約に違反する。                                            これまでに「◯◯人を殺せ」などと過激な人種差別・人種主義の煽動を行ってきたことで有名なヘイト・スピーチ団体が公共施設の利用を申請した場合、公共施設側はこれを却下するべきであるか、という問題である。                                                                 仮に下記のような条例に基づいて設置された公共施設について検討する。                                                   http://www2.pref.yamagata.jp/Reiki/402901010025000000MH/402901010025000000MH/402901010025000000MH.html                                                                                             第1に、条例第1条は「県民の生涯にわたる学習活動を総合的に支援し、地域の活性化を担う人材の育成及び県民の文化の振興を図るため、◯◯県生涯学習センター(以下「センター」という。)を置く」と、目的を定めている。この目的に明らかに反する活動に対して利用を認めるべきではないから、この目的に明らかに反する活動に対して利用申請を却下することは当然である。そして、条例第3条は「知事は、センターの使用の目的、方法等が次の各号のいずれかに該当するときは、許可をしてはならない」として、次の3つを掲げる。(1)公益を害するおそれがあるとき。(2)センターの管理上適当でないと認めるとき。(3)その他センターの設置の目的に反すると認めるとき。このうち(1)については、公益を害することを明確に証明する必要があり、その現実的危険性が明確でない場合に利用を却下することはできない。(2)(3)についても、そのように判断する根拠を明確にする必要がある。過激な人種差別・人種主義の煽動を行ってきたことで有名な団体の活動であっても、それが室内で平穏に行われる限りは、(1)の要件を満たさない場合がありうる。しかし、(2)(3)の要件を満たしていると判断できる場合がある。当該団体構成員が、ある外国人学校に押し掛けて異常な差別街宣を行い、裁判所による有罪判決が確定している場合。当該団体構成員が人権博物館に押し掛けて差別街宣を行い、裁判所による損害賠償命令が確定している場合。当該団体構成員が、ある企業に押し掛けて特定民族の女優をCMに使うなと強要行為を行い裁判所による有罪判決が確定している場合。たとえば、以上の要件を満たす場合、県は当該団体による公共施設利用申請を許可してはならず、却下するべきである。                                                                              第2に、人種差別撤廃条約第2条に基づいて、日本政府は人種差別を撤廃するために「すべての適当な方法により遅滞なくとることを約束」し、「いかなる個人又は団体による人種差別も後援せず、擁護せず又は支持しないことを約束」している。さらに、「すべての適当な方法により、いかなる個人、集団又は団体による人種差別も禁止し、終了させる」ことを約束している。それゆえ、日本政府(当然のことながら県も含む)は、過激な人種差別・人種主義の煽動を行ってきたことで有名な集団を後援、擁護、支持してはならない。従って、県は、そのような差別集団に便宜を図ってはならず、公共施設の利用を認めてはならない。                                                                                           第3に、人種差別撤廃条約第4条本文に基づいて、日本政府は「一の人種の優越性若しくは一の皮膚の色若しくは 種族的出身の人の集団の優越性の思想若しくは理論に基づくあらゆる宣伝及び団体又は人種的憎悪及び人種差別を正当化し若しくは助長することを企てるあらゆる宣伝及び団体を非難し、また、このような差別のあらゆる扇動又は行為を根絶することを目的とする迅速かつ積極的な措置をとることを約束」している。日本政府は人種差別撤廃条約第4条(a)(b)の適用を留保しているが、 第4条全体の適用を留保しているわけではないので、人種差別撤廃条約第4条本文に基づいて検討を行い、県条例第3条(2)(3)について判断するべきである。それゆえ、日本政府は、「人種差別を正当化し若しくは助長することを企てるあらゆる団体を非難」するべきであり、「このような差別のあらゆる扇動又は行為を根絶することを目的とする迅速かつ積極的な措置をとる」べきである。従って、県は、そのような差別集団に便宜を図ってはならず、公共施設の利用を認めてはならない。                                                                                                  結論として、日本政府や県が、そのような差別集団に便宜を図り、一般の施設よりも安価・利便性のある公共施設の利用を認めた場合、それは人種差別撤廃条約に違反するものである。このようなことはあってはならない。                                                                                                      なお、日本国憲法第21条は、表現の自由の一つとして、集会、結社の自由を保障しているので、いかなる集団にも集会、結社の自由があり、それゆえ、いかなる集団であっても公共施設の利用を認められるべきだとの主張がなされるかもしれない。しかし、これは形式論だけを根拠にした詭弁にすぎない。日本国憲法第13条の人格権、第14条の法の下の平等といった基本的な価値理念を否定する人種主義集団の集会の自由や結社の自由などというものを、日本国憲法は保障していない。国際人権法も、そのような差別集団の結社の自由を認めず、むしろ団体解散を命じるのが原則である(人種差別撤廃条約第4条b)。                                                                                                          ***************************************                                                                                          人種差別撤廃条約第2条                                                                                                 1  締約国は、人種差別を非難し、また、あらゆる形態の人種差別を撤廃する政策及びあらゆる人種間の理解を促進する政策をすべての適当な方法により遅滞なくとることを約束する。このため、                                                                             (a)各締約国は、個人、集団又は団体に対する人種差別の行為又は慣行に従事しないこと並び に国及び地方のすべての公の当局及び機関がこの義務に従って行動するよう確保することを約束する。                                                                                                      (b)各締約国は、いかなる個人又は団体による人種差別も後援せず、擁護せず又は支持しない ことを約束する。                                                                                                     (c)各締約国は、政府(国及び地方)の政策を再検討し及び人種差別を生じさせ又は永続化さ せる効果を有するいかなる法令も改正し、廃止し又は無効にするために効果的な措置をとる。                                                                                                             (d)各締約国は、すべての適当な方法(状況により必要とされるときは、立法を含む。)により、いかなる個人、集団又は団体による人種差別も禁止し、終了させる。                                                                                                                                    (e)各締約国は、適当なときは、人種間の融和を目的とし、かつ、複数の人種で構成される団体及び運動を支援し並びに人種間の障壁を撤廃する他の方法を奨励すること並びに人種間の分断を強化するようないかなる動きも抑制することを約束する。                                                                                                                人種差別撤廃条約第4条                                                                                                                        締約国は、一の人種の優越性若しくは一の皮膚の色若しくは種族的出身の人の集団の優 越性の思想若しくは理論に基づくあらゆる宣伝及び団体又は人種的憎悪及び人種差別(形態のいかんを問わない。)を正当化し若しくは助長することを企てるあらゆる宣伝及び団体を非難し、また、このような差別のあらゆる扇動又は行為を根絶することを目的とする迅速かつ積極的な措置をとることを約束する。このため、締約国は、世界人権宣言に具現された原則及び次条に明示的に定める権利に十分な考慮を払って、特に次のことを行う。(a)(b)省略 

ヘイト・スピーチ処罰実例(13)

イタリア政府が人種差別撤廃委員会に提出した報告書(CERD/C/ITA/16-18. 21 June 2011)によると、2009年に有名な政治家に関する2つの判決が出た。                                                     2009年10月26日、ヴェニス司法裁判所は、略式手続で、トレヴィソ副市長のジャンカルロ・ジェンティリニを人種的憎悪で有罪とし、4000ユーロの罰金、及び3年間の公共集会参加禁止を言い渡した。ジェンティリニは、2008年、ヴェニスで開かれた北部同盟党の集会で移住者に対する侮辱的言葉を侮辱的調子で用いた。弁護人は控訴すると表明した。                                                                               2009年7月、破棄院は、ヴェローナ市長のフラヴィオ・トシに対する2か月の刑事施設収容(プロベーション付き)とする有罪判決を確認した。トシは、2001年、議員だった時期に、ヴェローナでジプシー・キャンプを移転させる署名運動をおこした。北部同盟党は、7人のシンティ市民およびノマドのための全国行動という団体から裁判をおこされた。2004年12月、ヴェローナ司法裁判所は、人種主義的思考の促進と、差別行為の煽動により6か月の刑事施設収容とした。しかし、2007年1月、ヴェニス控訴裁判所は、人種憎悪の煽動の訴因は認められないとして、2か月の刑事施設収容とした。次いで、2008年10月、ヴェニス控訴裁判所は、人種主義的思考のプロパガンダがあったとして有罪とし、2009年7月、破棄院がこれを認めた。

Monday, June 24, 2013

ヘイト・スピーチ処罰は世界の常識である(3)

2008年10月のジュネーヴ専門家セミナーを受けて、各地で国連人権高等弁務官主催のワークショップが開かれることになった。最初は、2011年2月9~10日、ウィーン(オーストリア)で「国民的人種的宗教的憎悪の煽動禁止に関する欧州専門家ワークショップ」である。                                                                                       参加者は、アグネス・カラマード(人権NGOの「第一九条」事務局長、元アムネスティ・インターナショナル事務局)、エイダン・ホワイト(国際ジャーナリスト連盟事務局長)、アレクサンダー・ヴェルコースキー(ロシアのウルトラ・ナショナリズム情報を調査する「SOVA情報分析センター」事務局長)、アナスタシア・クリックリー(人種差別撤廃委員会委員、アイルランド国立大学社会科学部長)、ディミトリーナ・ペトロヴァ(人権NGOの「平等権基金」事務局長、元「欧州ロマ人権センター」事務局長)、フランク・ラ・リュ(人権理事会の表現の自由特別報告者)、ギトゥ・ムイガイ(国連人種主義・人種差別問題特別報告者、ナイロビ大学准教授)、ハイナー・ビーレフェルト(国連宗教の自由特別報告者、エアランゲン=ニュルンベルク大学教授)、ホセ・ヴェラ・ジャルディム(元ポルトガル議会副議長、元リスボン大学教授)、ルイ=レオン・クリスチャン(ルーヴァン・カソリック大学教授)、マーク・ラティマー(人権NGOの「国際マイノリティの権利」事務局長)、マイケル・オフラーティ(国連自由権規約委員会委員、ノッティンガム大学教授)、ナジラ・ガニア(オクスフォード大学講師、国際雑誌『宗教と人権』編集長)、エミュー・オルフン(トルコ外交官、OSCEムスリム差別問題担当事務局代表)である。                                                                                                   ルイ=レオン・クリスチャンが、事前に準備した詳細な研究論文に基づいて、基調報告を行った。クリスチャンによると、欧州地域のヘイト・スピーチに関する法実務は多様であり、アプローチの仕方はさまざまである。多くの事件が法廷に持ち込まれることなく終わるが、判決が下されても公開出版されず、情報にアクセスすることが容易ではない、という。こうした限界の前で、クリスチャンは各国の規制法の状況と、数は少ないが判決例を調査・分析している。                                                                                                            クリスチャンによると、欧州諸国の共通性は、ほとんどすべての国が何らかのヘイト・スピーチを禁止していることである。しかし、その文言は国際自由権規約第20条の文言と同じではない。一般的に、欧州諸国で表現の自由に関する制約を行うには「明白かつ現在の危険」のような方法で定義された条文を有している。例えば不敬罪は古くからあるが、ヘイト・スピーチ規定は比較的新しいものである。敵意や暴力を予防するのに、刑法は重要ではあるが、十分ではない。メディアやインターネットの役割が増大している。欧州はEUや欧州評議会などを通じて統合過程にあるので、ヘイト・スピーチ対策にも協力する方向である。                                                                                                                   クリスチャンによると、ヘイト・スピーチの文言や形式的要件はさまざまである。保護の対象については、国際自由権規約の要請を超えて、さらにジェンダーや性的志向に関連するヘイト・スピーチからの保護を立法している国もある。「犯意・故意」の理解も多様である。「過失」や「不注意」で足りる国もある。公的領域での犯罪だけを規制する国と、私的領域でも規制する国がある。憎悪煽動の結果について、煽動のみで処罰する国と、結果が生じて初めて処罰する国がある。刑罰も実に多様であり、罰金から刑事施設収容までさまざまである。ヘイト・スピーチ一類型のみを規制する国と、多様なヘイト・スピーチを規制する国がある。後者の例は、ジェノサイドの否定(「アウシュヴィツの嘘」罪)、宗教感情の表明、冒瀆、国民的統一への攻撃、一定の集団に属する個人への侮辱などがある。                                                                                                                         クリスチャン報告に続いて、他の専門家委員による報告がなされ、その後に討論が行われた。いずれも興味深いが、紙幅の都合で紹介することができない。ここでは、むしろクリスチャンの基調報告論文から、各国の立法例の比較部分の一部を紹介しておこう。  第一に、「暴力又は差別の煽動」や「不調和又は敵意」の煽動という表現が用いられているのは、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ、モンテネグロ、ルーマニア、セルビア、トルコである。憎悪煽動を刑の加重事由にしているのは、アルメニア、ボスニア、リトアニア、モンテネグロ、セルビア、スロヴェニア、ウクライナである。暴力煽動を処罰しているのに憎悪煽動に触れていないのは、オーストリア、キプロス、ギリシア、イタリア、ポルトガルである。                                                                                                                      第二に、煽動がないのに憎悪表現それ自体を処罰している国はない。特定の人種の劣等性又は優越性に関する人種主義者の言明は処罰される。ある国民や宗教の劣等性・優越性の唱道を処罰するのは、アゼルバイジャン、クロアチア、デンマーク、リヒテンシュタイン、ポーランド、ロシア、スロヴェニア、スイスである。他人に憎悪を煽動する場合の用例は、「挑発」(フランス)、「宣伝」(ブルガリア)、「悪意」(キプロス)、「分断」(モンテネグロ、ルーマニア、セルビア、トルコ)、「脅迫、敵意、屈辱の雰囲気をつくり出す」(ルーマニア)である。憎悪煽動を目的とする集団を支援することを犯罪としているのは、ベルギー、チェコ、イタリア、ルクセンブルク、ロシアである。単に煽動を支持することを処罰するのは、ルクセンブルクとイギリスである。ファシスト、人種主義者に関連するシンボルを所持することを処罰するのは、ルーマニアである。                                                                                                                                                第三に、保護の対象について、一般的に憎悪煽動を処罰するのはモンテネグロであるが、ほとんどの国は自由権規約第20条の文言(国民的、人種的又は宗教的憎悪)を採用している。グルジア、マルタ、スロヴァキア、マケドニアは、国民的人種的民族的憎悪である。イギリスは人種的宗教的性的憎悪である。各国は様々な要素を追加している。「国民の尊厳を低下させる」がアルメニア、アゼルバイジャン、ハンガリー、モルドヴァ、ルーマニア、ロシア、トルコである。「教会や宗教界の構成員」がオーストリア、「性、性的志向、市民の地位、出生、財産、年齢、宗教的哲学的信念、健康状態、障害又は身体的特徴」がベルギー、「国民的人種的宗教的政治的階級的憎悪」がエストニアとリトアニアなど、多様である。                                                                                                                          第四に、多数の国は、それとは明示していない場合であっても、煽動が公開で行われたことを要件としているが、アルメニアとフランスは、私的領域で行われても犯罪とし、公開で行われた場合を加重事由としている。「公共の秩序を脅かした責任」がオーストリアとドイツ、「職務上、常習、又は複数人によって行われた」場合を加重事由とするのがオランダである。                                                                                                                                            第五に、関連する犯罪として、(1)集団侮辱を処罰するのは、アンドラ、キプロス、チェコ、デンマーク、フィンランド、ドイツ、ギリシア、アイスランド、イタリア、リトアニア、オランダ、ポーランド、ポルトガル、ロシア、スロヴァキア、スペイン、スイス、トルコ、ウクライナである。(2)ホロコーストの否定や修正主義の犯罪を処罰する(「アウシュヴィツの嘘」罪類型)のは、オーストリア、ベルギー、フランス、ドイツ、ルクセンブルク、スイスである(クリスチャン論文はこの6カ国しか示していないが、ポルトガル、ルーマニアなど他にもある)。(3)さまざまのヘイト・クライム(暴行・脅迫を伴う場合、多くの国で加重事由とされている)。(4)差別との闘いに関連する犯罪。(5)冒瀆の罪。                                                                                                                           以上のように、欧州諸国には様々なヘイト・スピーチ処罰法がある。クリスチャンは処罰実例も紹介しているが、ここでは省略する。  クリスチャンは、一方で、煽動がないのに憎悪表現それ自体を処罰している国はないとしているが、他方で、アルメニアとフランスは、私的領域で行われても犯罪とし、公開で行われた場合を加重事由としていると紹介している。フランスは、煽動がなくても処罰する刑法を明確に採用している。また、クリスチャンは指摘していないが、ノルウェー刑法にも同趣旨の規定がある。この点は、クリスチャン論文の執筆時期の問題かもしれない。

Friday, June 21, 2013

ヘイト・スピーチ処罰は世界の常識である(2)

国連人権高等弁務官は、2008年に「表現の自由と宗教的憎悪煽動」に関連して、国際自由権規約(市民的政治的権利に関する国際規約)第19条(表現の自由)と第20条(憎悪唱道の禁止)の関係を検討する専門家セミナーを開催した。国連人権高等弁務官は、2011年~12年に、この問題の検討を深めるためにさらに一連のセミナーを開催した。                                                                            ウィーン(二〇一一年二月九~一〇日)                                                              ナイロビ(二〇一一年四月六~七日)                                                                        バンコク(二〇一一年七月六~七日)                                                                           サンティアゴ(二〇一一年一〇月一二~一三日)                                                                             ラバト(二〇一二年一〇月四~五日                                                                                     2008年10月2~3日に開催された専門家セミナーの正式名称は「市民的政治的権利に関する国際規約第19条と第20条の関係――表現の自由と、差別、敵意、暴力の煽動に当たる宗教的憎悪の唱道の関係に関する専門家セミナー」である。主催者は国連人権高等弁務官事務所、会場はジュネーヴの国連欧州本部である。公開セミナーであり、参加者は専門家のほかに、国連加盟国代表、国際諸機関代表、NGOなどである。セミナーの記録は、人権高等弁務官事務所報告書(A/HRC/10/31/Add.3)としてまとめられ、国連人権理事会第10会期に提出された。                                                                                専門家として招待されたのは、アブデルファタ・アモル(自由権規約委員会委員)、アグネス・カラマード(人権NGOの「第一九条」事務局長、元アムネスティ・インターナショナル事務局)、ドゥドゥ・ディエン(人権理事会の元・人種主義人種差別特別報告者)、モハメド・サイード・エルタエフ(弁護士、人権研究者、カタール外務省人権顧問)、ナジラ・ガネア(宗教と人権国際ジャーナル編集長、オクスフォード大学講師)、アスマ・ジャハンギル(人権理事会の宗教の自由特別報告者、国際法律家委員会委員)、フランク・ラ・リュ(人権理事会の表現の自由特別報告者)、ナタン・レルナー(テル・アヴィヴ大学教授)、パトリス・マイヤー・ビシュ(フリブール大学倫理人権研究所所長)、ヴィチット・ムンターボーン(人権理事会の朝鮮に関する特別報告者、チュラロンコン大学教授)、モーゲンス・シュミット(ユネスコ表現の自由部局事務局次長)、パトリック・ソーンベリ(人種差別撤廃委員会委員、キール大学教授)である。                                                                                            二日間のセミナーは、次の四つのテーマに分けられた。                                                                                      (一)国際法の枠組み、自由権規約第19条と第20条の相互関連、国家の義務。                                                                                   (二)表現の自由の制約の限界――基準と適用。                                                                                   (三)差別、敵意、暴力の煽動に当たる宗教的憎悪の唱道の観念の分析。                                                                              (四)その他の「煽動」の諸形態の類比。                                                                                     論題の中心となっている国際自由権規約の条文は次の2つである。                                                                                <第19条 1 すべての者は、干渉されることなく意見を持つ権利を有する。                                                                            2 すべての者は、表現の自由についての権利を有する。この権利には、口頭、手書き若しくは印刷、芸術の形態又は自ら選択する他の方法により、国境とのかかわりなく、あらゆる種類の情報及び考えを求め、受け及び伝える自由を含む。                                                                              3 2の権利の行使には、特別の義務及び責任を伴う。したがって、この権利の行使については、一定の制限を課すことができる。ただし、その制限は、法律によって定められ、かつ、次の目的のために必要とされるものに限る。                                                                         (a) 他の者の権利又は信用の尊重                                                                                           (b) 国の安全、公の秩序又は公衆の健康若しくは道徳の保護 >                                                                                <第20条 1 戦争のためのいかなる宣伝も、法律で禁止する。                                                                                      2 差別、敵意又は暴力の扇動となる国民的、人種的又は宗教的憎悪の唱道は、法律で禁止する。 >                                                                                                           (一)「国際法の枠組み、自由権規約第19条と第20条の相互関連、国家の義務」では、フランク・ラ・リュ、アグネス・カラマード、ナジラ・ガネアが基調報告をした。                                                                           ラ・リュは、世界人権宣言や国際自由権規約について概説した上で、表現の自由を権威主義体制や独裁と闘うための主要なメカニズムであると位置づける。すべての人権には責任が伴うが、表現の自由を制約するには、制約が法律に根拠を有すること、他人の権利や公の秩序の保護のためであること、人種主義や人種差別に基づく暴力の唱道は禁止するべきことを確認する。憎悪表現がいかなるものであるか明確に定義されなければならい。ヘイト・スピーチの定義においては、煽動が個人や集団に直接結びつけられる必要がある。国家のシンボルや主観的価値への批判がヘイト・スピーチとされてはならない。                                                                                                                         カラマードは、憎悪やヘイト・スピーチと闘う際の法と犯罪化の役割について論じた。第二次大戦後、非差別が重要な課題となった。表現の自由が国際人権法において中心的役割を担ったのは、意見、表現、良心に対する完全な支配が、ジェノサイドのような人道の重大悲劇につながったという認識ゆえである。第19条の権利は基本的だが、絶対的権利ではない。言論に対する制約は、第一に法律によらなければならず、第二に正当な目的に従うべきであり、第三にその目的のために必要であり、均衡がとれていなければならない。カラマードは、第20条の制約は義務的であり、憎悪の煽動からの保護は国家の義務であるとしつつ、各国の事情に応じてさまざまな解釈の余地があると言う。ヘイト・スピーチの犯罪化は手段の一つである。規制を強化すれば保護が強化され、平等が実現するという証拠はない。マイノリティはメインストリーム・メディアから排除され、沈黙を余儀なくされるので、マイノリティのメディアが重要であるという。                                                                                                 ガネアは、国際法の枠組みを論じるために、国際機関や国内機関による解釈の実例を取り上げる。例えば、第20条2項の「唱道」は、プライヴェート・スピーチが処罰されてはならないという意味である。スピーチが制約されるのは、差別、敵意、暴力の煽動というレベルに達した場合である。ガネアは次のように述べる。(1)表現の自由の制約に関する議論は、自由権規約の下での全ての義務から切り離すことができない。(2)ランダムな暴力行為がなされたことは、表現の自由を制約することを正当化し得ない。(3)憎悪によって暴力を煽動する場合、より幅の広い侵害を意味している。(4)第20条は、制裁について注意深い検討を要する。(5)制裁以外にも国内でその他の措置がなされる必要がある。

Thursday, June 20, 2013

ヘイト・スピーチ処罰は世界の常識である(1)

人種差別や人種主義の煽動(ヘイト・スピーチ)は、ヘイト・クライム(憎悪犯罪)の一つである。英米法ではヘイト・クライム法が制定されている。ヘイト・クライムには、差別的動機による暴力や、差別発言を伴った暴力が含まれる。ヘイト・スピーチのなかには、暴行・脅迫を伴うものと、伴わないものがある。なお、ヘイト・スピーチという用語は法律用語として成熟していないため、さまざまな意味で用いられ、議論が混乱しがちである。ここでは人種差別撤廃条約第4条の人種差別の煽動を中心に理解している。                                            ヘイト・スピーチの処罰について、日本では次のような主張がなされることがある。「民主主義社会では表現の自由が重要であるから、ヘイト・スピーチの法規制は困難である。」しかし、この主張はほとんど「妄想」と言うしかない。                                                            第1に、世界の民主主義社会のほとんどがヘイト・スピーチを処罰している。アメリカ合州国では純粋なヘイト・スピーチの処罰が難しいとされていることは事実だが、他の欧州諸国では処罰するのが当たり前である。アフリカ、アジア、アメリカ州にも多数の立法例がある。                                                                      第2に、「人種差別表現」が表現の自由に含まれるという論証がなされていない。国際自由権規約も、人種差別撤廃条約も、欧州の民主主義社会とされている多くの諸国も、「人種差別表現の自由」を認めていない。表現の自由が重要であるのは当然だが、だからと言って「人種差別表現の自由」を唱えるのは誤りである。                                                                         このブログで、ヘイト・クライムやヘイト・スピーチの規制法や処罰実例について、これまで多数紹介してきた。今回から数回にわたって、より積極的に私見を交えながら、国際人権法の常識を紹介していきたい。すなわち、「表現の自由を守るためにヘイト・スピーチを処罰する」。「民主主義が成熟した社会ではヘイト・スピーチは犯罪である」。                                                                          <参考文献>                                                                       前田 朗のヘイト・クライム論                                                                       『ヘイト・クライム』(三一書房労組、2010年)以後の論文                                                                         *                                                                                           「ヘイト・クライムを定義する(1)~(6)」『統一評論』536号、537号、541号、542号(2010年)、546号、547号(2011年)                                                                                  「ヘイト・クライムはなぜ悪質か(1)~(5)」『アジェンダ』30号、31号(2010年)、32号、33号、34号(2011年)                                                                                「2010年の民族差別と排外主義」『統一評論』543号(2011年)                                                                 「ヘイト・クライム法研究の課題」『法と民主主義』448号、449号(2010年)                                                                              「ヘイト・クライム法研究の展開」『現代排外主義と差別的表現規制』(第二東京弁護士会人権擁護委員会、2011年)                                                                                         「差別集団・在特会に有罪判決」『統一評論』550号(2011年)                                                                                「アメリカのヘイト・クライム法」『統一評論』551号(2011年)                                                                          「ヘイト・クライム法研究の現在」村井敏邦先生古稀祝賀論文集『人権の刑事法学』(日本評論社、2011年)                                                                                 「差別禁止法をつくろう! 差別禁止法の世界的動向と日本」『解放新聞東京版』779号、780号(2012年)                                                                              「誰がヘイト・クライム被害を受けるか(1)~(4)」『統一評論』556、557号、566号(2012年)、568号(2013年)                                                                                       「人種差別撤廃委員会第八〇会期」『統一評論』558、559号(2012年)                                                                              「差別表現の自由はあるか(1)~(4)」『統一評論』560号、561号、562号、563号(2012年)                                                                                                          「日本における差別犯罪とその煽動について(1)~(4)」『解放新聞東京版』791号、792号、793号、794号(2012年)                                                                                      「在特会・差別街宣に賠償命令」『マスコミ市民』524号(2012年)                                                                         「差別・排外主義の在特会に賠償命令」『統一評論』565号(2012年)                                                                              「ヘイト・クライム法研究の射程」『龍谷大学矯正・保護総合センター研究年報』第2号(2012)                                                                                                「国連人権理事会の普遍的定期審査(二)」『統一評論』567号(2013年)                                                                                 「人種差別撤廃委員会・日本政府報告書」『統一評論』569号(2013年)                                                                             「自由権規約委員会・日本政府報告書」『統一評論』570号(2013年)                                                                                   「ヘイト・クライム処罰は世界の常識」『イオ』202号(2013年)                                                                                        「ヘイト・スピーチは『表現の自由』か?」『ジャーナリスト』661号(2013年)                                                                                          「差別煽動禁止に関する国連ラバト行動(一)~(二)[未完]」『統一評論』571・572号(2013年)                                                                                                             「ヘイト・クライム法研究の地平」足立昌勝先生古稀記念論文集『近代刑法の現代的論点』(社会評論社、2013年7月予定)                                                                                         「ヘイト・クライム法研究の論点」『法の科学』44号(日本評論社、2013年7月予定)

ヘイト・スピーチ処罰実例(12)

ポルトガル政府が人種差別撤廃委員会に提出した報告書(CERD/C/PRT/12-14)によると、リスボンで人種主義リーフレットを配布した事件で、2005年7月6日に、リスボン刑事裁判所は刑法240条の人種主義犯罪で被告人に有罪を言い渡し、2005年9月26日に確定した。                                                                             なお、2002年に、中北部のフンダオで皮膚の色に関連して下劣な理由で殺害されたアフリカ出身の労働者の事件で、2006年2月14日、フンダオ刑事裁判所は人種主義犯罪であるとは認めず、19年の刑事施設収容とした。

Wednesday, June 19, 2013

ヘイト・クライム禁止法(29)

イスラエル政府が人種差別撤廃委員会に提出した報告書(CERD/C/ISR/14-16. 17 January 2011)によると、条約第2条に関連して、憲法第2条1項(a)が人種差別を禁止し、各種の基本法や法令において差別が禁止されている。政府にはマイノリティ省があり、マイノリティ問題大臣のもと、差別の予防や対策を行っている。人種差別の禁止や、人種差別団体を支援しないことも定めている。検事総長が、2008年4月13日、人種差別に関するガイドラインを作成・公表している。敵対行為の被害者補償法も制定されている。                                                                                 条約第4条について、刑法144条Aによると、人種主義とは「皮膚の色、人種的出身又は国民的民族的出身を理由に、コミュニティ又は住民の一部に対して、迫害、屈辱、中傷、敵意・憎悪・暴力の表示、又は敵意の惹起」とされている。刑法144条Bは、人種主義の扇動の意図をもって文書を出版した者は、それが結果を伴わなくても、5年以下の刑事施設収容としている。刑法144条Dは、出版する意図をもって人種主義扇動文書を保有した者は1年以下の刑事施設収容としている。2002年、刑法144条D2とD3が追加された。暴力やテロリズム、又はその称賛、支援、激励行為を呼び掛ける出版が、実際に暴力やテロリズムをもたらす恐れがある場合、犯罪としている。2004年11月、刑法144条Fの「憎悪犯罪」が追加された。公衆に対して人種主義や敵意を動機として行われた攻撃が、一定の加重事由の下で行われた場合、裁判所は刑罰を2倍に加重することができる。刑法133条は、住民の間に、憎悪を鼓舞することを禁止し、5年以下の刑事施設収容としている。テレコミュニケーション法、テレビ・ラジオ法なども人種主義扇動の放送を禁止している。

ヘイト・スピーチ処罰実例(11)

ウクライナ政府が人種差別撤廃委員会に提出した報告書(CERD/C/UKR/19-21. 23 September 2010)によると、刑法第161条の人種等に基づく平等権侵害事件は、2006年3件、2007年2件、2008年6件、2009年1件など。                                                                 具体事例としては、2008年、オデッサで発行されている『われらの任務』に「最良のユダヤ人を殺せ」という記事を掲載した編集者ヴォリン-ダニロフは、2009年1月、オデッサのプリモルスク控訴審で、刑法第161条2項違反として、18カ月の自由剥奪となった。                                                                                     2008年、オデッサ政党コミュニティの主張として反セミティズムのリーフレットを配布したウクライナ市民が特定され、刑法第161条違反の刑事手続きがとられた。                                                                      2008年3月、キロヴォラド地区では過激な集団が人種主義リーフレットを配布し、14名の関与が確認された。捜査当局の警告によりこの集団は解散した。                                                                               2009年4月、シェルカシのスキンヘッド運動の活動家が反セミティズム文書を配布したため、刑法第173条違反で罰金となった。                                                                                 2009年8月、地方新聞『世紀』が反セミティズム記事を掲載したため、刑法第161条1項違反容疑で刑事手続きが始まった。                                                                                   2009年10月、インターネット新聞に人種主義的性質の記事が配信され、オデッサの国家保安隊により、刑法第161条1項容疑で捜査が行われている。

Tuesday, June 18, 2013

ヘイト・クライム禁止法(28)

トルクメニスタン政府が人種差別撤廃委員会に提出した報告書(CERD/C/TKM/6-7. 13 September 2011)によると、憲法2条は、人種差別を支援、擁護しないとし、憲法30条は、人種・民族主義政党を禁止している。公共団体法、印刷その他メディア法、刑法などで差別を禁止しているが、包括的な人種差別禁止法はない。                                                             刑法145条は、ジェンダー、人種、民族性、言語、出身、財産状態、公的地位、出生地、宗教、信仰又は公共団体所属に基づいて権利や自由を侵害することを犯罪としている。刑法168条はジェノサイドの罪を定めている。                                                               条約第4条について、刑法177条は、社会的、国民的、民族的又は宗教的憎悪または敵意をあおり、民族の名誉を害し、宗教、社会的、国民的、民族的または人種的背景に基づいて、市民に優越的地位や劣等性を帰するプロパガンダを行う故意の行為について刑事責任を定めている。この規定は、異なる国民性、民族的背景、または人種の市民の間に対立が生じて、暴力、身体的報復、その威嚇、財産破壊、追放、隔離、権利制限などが起きるかもしれないことを想定している。

ヘイト・クライム禁止法(27)

セネガル政府が人種差別撤廃委員会に提出した報告書(CERD/C/SEN/16-18. 31 October 2011)によると、包括的な人種差別禁止法はないが、ヘイト・クライムは刑法で規定している。                                                                                       刑法166条bis 「行政職員、司法職員、選挙で選ばれた公務員、公当局の職員、又は国家公務員、国家・公的機関・国家団体・政府から財政援助を受けている公私の団体の雇用者が、自然人又は法人に、正当な理由なしに、人種、民族又は宗教的差別に基づいて、権利の行使を否定した場合、3月以上2年以下の刑事施設収容及び1万以上200万フラン以下の罰金に処す。」                                                                                         刑法256条bis 「次の者には、刑法56条と同じ刑罰(1月以上2年以下の刑事施設収容及び25万以上30万フラン以下の罰金)を課す。人種的優越性を主張し、人種的優越性又は人種的憎悪の感情を喚起し、又は人種、民族又は宗教的差別を煽動する目的で、物又は映像、印刷物、文書、演説、ポスター、彫刻、絵画、写真、フィルム又はスライド、写真カタログ、その複製、又は記章を、無料であれ私的であれ、いかなる形態であれ、直接であれ間接であれ、投函し、展示又は企画し、利用できるようにした者、又はいなかる方法であれ、配布し、又は配布のために作出した者。」

Friday, June 14, 2013

ヘイト・クライム禁止法(26)

カタール政府が人種差別撤廃委員会に提出した報告書(CERD/C/QAT/13-16. 13 September 2011)によると、条約4条に関して、1979年の印刷出版法47条は、社会に不和を引き起こしたり、信仰、人種、宗教の争いを引き起こしそうな出版を、6月以下の刑事施設収容又は3000カタール・リヤルの罰金で、禁止している。2004年の刑法256条は、啓示宗教を汚すこと、神や預言者(マホメット)を侮辱すること、宗教施設を破壊することを犯罪としている。(1)イスラム・シャリア法で保護された啓示宗教を汚すこと、(2)口頭、文書、画像、メッセージその他の手段で預言者を侮辱すること、(3)啓示宗教の宗教儀式などに用いられる建造物などを破壊すること、以上につき7月以下の刑事施設収容としている。刑法263条は、イスラム教に対する侮辱を詳細に定めている。報告書は、カタール法は、イスラム教、キリスト教、ユダヤ教を差別していないとしている。宗教や預言者に対する侮辱の罪はイスラムだけでなく、キリスト教などにも成立する。報告書は以上のように述べているが、これらは条約4条の要求する人種差別煽動の禁止とは違って、実際はイスラム教の保護規定である。カタールには、独特のヘイト・クライム法があるが、条約2条にいう人種差別禁止法も、条約4条に合致したヘイト・クライム法もないようである。

Thursday, June 13, 2013

侵略の定義について(17)

 シカゴの弁護士レヴィンソンが始めた戦争違法化運動は、第1次大戦後のアメリカ世論に大きな支持を得ることに成功し、やがて大西洋を横断して、西欧に波及していった。                                                1920年代、国際連盟では、戦争を規制し、国際社会の平和と安定を実現するために様々な試みが続けられていた。1923年の相互援助条約案、1924年のジュネーヴ議定書などである。相互援助条約案もジュネーヴ議定書も条約として成立しなかったが、1925年、英・独・仏・伊・ベルギー5カ国が締結したロカルノ条約は、ドイツとベルギー間の戦争、およびドイツとフランスの間の戦争を防止するために、3カ国と、保証国としてイギリスおよびイタリアが加わっている。ロカルノ条約は、3カ国がいかなる場合においても、相手国へ攻撃または侵入し、あるいは戦争に訴えないことを相互に約束した。実定法上はじめて、国際紛争解決のために戦争に訴えることを禁止した。また、戦争手段の規制も、1907年のハーグ諸条約に加えて、1922年の毒ガス制限ワシントン条約案、1923年の空戦規則案、1925年の毒ガス議定書、1929年の捕虜ジュネーヴ条約を経て、1930年のロンドン海軍軍縮条約へと進展していった。                                                                                この時期の戦争規制と安全保障に対する難点は、国際連盟が主要大国を網羅していないことであった。国際連盟の設立を提案したのはウィルソン米大統領であったが、アメリカは国内の反対が強かったために、国際連盟に加盟していない。こうした流れの中で、戦争違法化運動が国際連盟とアメリカを結びつける役割を果たすことになった。1927年、ブリアン仏首相は、アメリカに対して相互不可侵条約の締結を提案した。ロカルノ条約が西欧だけの戦争禁止条約であったのに対して、大西洋をまたいだ条約の提案である。この提案を受けたケロッグ米国務長官は、仏米間だけでなく、多国間条約とすることを提案した。仏米に加えて、英伊日などの協議の結果、1928年、パリで不戦条約(ケロッグ・ブリアン条約)が取り結ばれた。                                                                              不戦条約は、不戦条約第1条は、「締約国は、国際紛争解決のため戦争に訴えることを非とし、かつその相互関係において国家の政策の手段としての戦争を放棄することをその各自の人民の名において厳粛に宣言する」とし、第2条は、「締約国は、相互間に起こることあるべき一切の紛争または紛議は、その性質または起因の如何を問わず、平和的手段によるの外これが処理または解決を求めざることを約す」とした。不戦条約は、戦争放棄と紛争の平和的解決を謳った僅か2カ条の宣言的条約であり、戦争や紛争の定義も行わず、条約遵守の監視メカニズムも予定されていなかった。このため締結当時から様々の批判を受けていた。紛争の平和的解決といいながら解決のための国際手続きを用意していない。条約違反に対する制裁もない。63カ国が加入したが、多くは「自衛戦争の留保」を行ったために、自衛を口実とした戦争を許す結果になってしまった。                                                                 国際連盟が準備したジュネーヴ議定書では、少なくとも集団安全保障としての制裁措置と、戦争に代替する平和的解決措置を規定していた。(1)平和的解決への義務、(2)軍縮の達成、(3)制裁の実行という3つの具体的方策が示された。この意味では不戦条約は不備な条約であった。しかし、それだからこそ普遍的な宣言として成立しえたのである。そして、不戦条約が到達した戦争違法化は、まさにレヴィンソンの思想に通じるものであった。戦争違法化を宣言し、その思想を普遍的に通有させ、法規範の意義を浮き彫りにさせるというレヴィンソンの発想と同じなのである。リップマンやライトがまさに同じ理由で非難していたことを想起すれば、普遍を現実化しようというレヴィンソンの夢に凱歌があがったといえよう。

Wednesday, June 12, 2013

ヘイト・スピーチ処罰実例(10)

チェコ政府が人種差別撤廃委員会に提出した報告書(CERD/C/CZE/8-9. 9 August 2010)には、国民、国籍又は人種に対する攻撃や、人種的憎悪の煽動の犯罪統計が紹介されている。                                                                               刑法第260条(個人の権利や自由を抑圧するための活動の支援や促進):35件(2005年)、29(2006年)、47(2007年)、42(2008年)                                                             刑法第261条(個人の権利や自由を抑圧するための活動への共感を公に表明する犯罪):73(05年)、72(06年)、63(07年)、68(08年)                                                                    刑法第198条(国民、民族集団、人種及び信念への中傷):63(05年)、63(06年)、28(07年)、41(08年)                                                                       刑法第198条a(人の集団に対する憎悪の煽動、又は権利や自由を制限するための煽動):14(05年)、23(06年)、13(07年)、11(08年)                                                    刑法第196条2項(住民及び個人に対する暴力):29(05年)、59(96年)、18(07年)、25(08年)。                                                                          事案の具体的な内容は書かれていないが、人種的憎悪の煽動や暴力行為が数多く捜査・訴追されていることがわかる。

Tuesday, June 11, 2013

ヘイト・クライム禁止法(25)

イタリア政府が人種差別撤廃委員会に提出した報告書(CERD/C/ITA/16-18. 21 June 2011)によると、憲法第3条が性別、人種、言語、宗教、政治的意見による差別なしに法の下に平等であるという規定である。条約第2条に関連して、独立の人権委員会の存在や、移民法などの説明があり、さまざまな差別反対のプロジェクトが説明されている。ただ、人種差別禁止法については言及がなく、包括的な人種差別禁止法はないようである。条約第4条に関連して、1975年の法律第654号を改正した1993年の法律第205号(マンチーノ法として知られる)及び2006年の法律第85号が挙げられている。人種差別を煽動する目的を有する団体の結成は処罰されるという。ヘイト・クライム法、ヘイト・スピーチ法があるが、報告書には条文の記載がない。2009年の2つの判決が出ているので、適用されていることがわかる。別途、紹介する。

侵略の定義について(16)

第1次大戦中、国際法が戦争を禁止していないことに驚いたシカゴの弁護士レヴィンソンは、1918年の論文「戦争の法的地位」を手始めに、パンフレット「戦争違法化の計画」や論文「戦争違法化条約の提唱」「戦争制度を廃止する」を発表した。1922年末、「戦争違法化アメリカ委員会」を組織して、本格的に運動を始めた。上院議員ボラーは、戦争違法化を求める決議案を上院に上程した。さらに、レヴィンソンの論文「戦争の違法化」をアメリカ政府の出版物として出版することに成功した。レヴィンソン「戦争違法化」(ワシントン政府印刷局、1922年)である。ボラーや哲学者デューイの協力で力を得た戦争違法化運動は1920年代アメリカで大きな流れとなっていった。教会や女性の平和運動が戦争違法化運動に加わっていった。戦争違法化を推進したレヴィンソン自身、弁護士とはいえ、第1次大戦以前は国際法には関心がなく、第1次大戦に直面しての疑問を正すために国際法を紐解き、戦争が禁止されていないことに驚いて、戦争違法化運動を始めた。運動の担い手は教会や女性の平和運動であった。                                                         それでは、専門の国際法学者の反応はどうであっただろうか。ウオルター・リップマンは、論文「戦争の違法化」(「アトランティック・マンスリー」132号、1923年)において、疑問を投げかけた。第1に、ボラーが戦争違法化運動を支持していることへの政治的批判である。というのも、ボラーは、アメリカの国際連盟加盟に反対した「非妥協派」議員の一人であったし、常設国際司法裁判所にも反対していた。つまり、戦争防止のための制度の創設にボラーは反対してきたはずである。世界の大半の諸国が参加している国際連盟への参加を唱えずに、戦争違法化を唱えることは矛盾ではないのか。第2に、より本質的な批判として、リップマンは戦争違法化思想そのものに疑問を提起した。戦争違法化思想は、国家間紛争の解決にとって法による規制の可能性に過大な期待を寄せすぎている。逆に言えば、会議、妥協、交渉などの政治的手段の意義を過小評価する危険性があるという批判である。第1次大戦と第2次大戦の間の戦間期に登場した「新しい国際法学」のスターの一人であったクインシー・ライトも、論文「戦争の違法化」(「アメリカ国際法雑誌」19号、1925年)において、疑問を提起した。ライトは、レヴィンソンの思想が倫理的・道義的な拘束力に着眼したものであるとし、単に戦争違法化を唱えても、十分な組織的担保がなければ意味がないと論じた。戦争の規制のためには、もっと精緻な法概念が必要であり、責任、侵略、制裁などの国際法概念を明確にし、実効的な組織の裏づけを得て初めて戦争違法化が実現できるとした。                                                このように、国際法の「素人」であったレヴィンソンが提唱した戦争違法化運動は、専門の国際法学者からは批判を受けることとなった。その意味をどのように考えるべきだろうか。第1に、戦争違法化思想と運動は、単純明快なスローガンに発して、戦争違法化を宣言する国際協定を求めるという単純明快な目標を設定していた。それまでも反戦平和の思想や論理には長い歴史があるが、「戦争違法化」という端的な目標が民衆の支持を得たことを確認するべきであろう。第2に、ボラーなどの協力によってレヴィンソンの論文が政府出版物となったことは大きな成果であったが、それも第1次大戦を経験した世論の反戦意識が背景にあってのことであろう。 第3に、リップマンの批判は法的手段の偏重を戒めて政治的手段を強調するものであり、ライトの批判はより精緻な法論理と法制度を強調するものであり、方向はまったく異なる。国際法学者であるが故に、戦争違法化という単純明快な方策の限界を見抜き、より複雑な国際政治と国際法の現実を踏まえた論議の積み重ねを提唱したものである。                                                                                しかし、国際政治の現実は、「素人」レヴィンソンの夢にたぐり寄せられ、不戦条約を実現することになる。

原発民衆法廷福島公判

原発民衆法廷第9回公判は、6月8日、福島市内のコラッセ福島で開催された。

侵略の定義について(15)

 シカゴの弁護士レヴィンソンは、国際法について研究したことはなかった。しかし、第1次大戦の悲劇は、戦争予防の必要性を意識させ、戦争における非人道的行為の予防を痛感させた。国際法の著作を紐解いたレヴィンソンは、国際法の世界では戦争が違法とはされていないことを知って驚いた。国際法は、むしろ戦争を根拠づけ、合理化していた。当時の国際法も一応は戦争手段の規制に向けられていたが、戦争を違法化するべきだという立場から見れば、国際法は逆に戦争を正当化する役割を果たしていた。1918年3月、レヴィンソンは、国際法学者が役割を果たさないのなら自分がその役割を買って出るしかないとばかりに、論文「戦争の法的地位」(『ニュー・リパブリック』14号、1918年)を発表した。戦争が合法だとすれば戦争に反対することは論理的に説明できないとして、戦争反対の立場から<戦争の違法化>を唱えた。レヴィンソンの立場は簡単明瞭である。国家に戦争権限があるとすれば、国民は戦争反対の運動をすることができるのか。国家が戦争できるのはどのような理由か。国民が反対できるのはどのような理由か。国家には本当に戦争権限があるのか。こうしてレヴィンソンは戦争を違法とする運動が必要だと唱えた。                                                                   1921年末、レヴィンソンは「戦争違法化アメリカ委員会」を組織して、アメリカ内外での運動を始めた。レヴィンソンは自費で『戦争違法化の計画』というパンフレットを出版して、全米の議員や学者や活動家に送付した。その後も、レヴィンソンは一貫して戦争違法化を追及し、論文「戦争違法化条約の提唱」(『クリスチャン・センチュリー』45号、1926年)、「戦争制度を廃止する」(『クリスチャン・センチュリー』63号、1928年)を執筆している。レヴィンソンに共鳴した哲学者デューイは、このパンフレットのために序文を執筆し、戦争違法化の広報に努めた。上院議員ボラーもレヴィンソンを支え、1923年と1926年に上院に戦争違法化を求める決議案を上程した。                                                                                 こうして戦争違法化運動は全米に広がっていった。第1に、スローガンが単純明瞭で誰もが支持しうるものであった。第2に、デューイやボラーなどの著名人が協力した。第3に、戦争違法化はアメリカ政府に何らの義務を課していない。こうして教会や女性の運動に支持を広げたという。1920年代アメリカの政治雑誌等には戦争違法化に関連する論考がいくつも見られる。 レヴィンソンは、戦争違法化の必要性を決闘との比喩で説明する。かつて決闘が合法的な時代があった。決闘は禁止されていないから、存在していたのはいかに行うかという「決闘の規則」であった。しかし、やがて決闘は許されないと考えられて、決闘は禁止された。禁止されると、決闘は殺人等の犯罪として扱われるようになった。決闘だけではない。かつて海賊は国際法によって禁止されていなかった。奴隷制も禁止されていなかった。決闘も海賊も奴隷制も、それを当然視していた人々がいたが、今日では誰もがその違法性を共通に認識している。戦争についても同じことが言える。戦争を違法化することができれば、やがて戦争を廃止することができるのではないか。今日の目から見て、いかにも牧歌的と映るかもしれないが、レヴィンソンの論理は明瞭である。

Monday, June 10, 2013

ヘイト・クライム禁止法(24)

ヨルダン政府が人種差別撤廃委員会に提出した報告書(CERD/C/JOR/13-17. 21 September 2011)によると、2006年6月15日の法律によって人種差別撤廃条約が国内法に統合された。しかし、総合的な人種差別禁止法はないようである。                                        条約4条について、刑法150条は「異なる信仰集団や他の国民構成員の間に、信仰や人種の対立を引き起こし、紛争を作り出す意図や効果をもって、著述、演説又は行動を行った場合、6月以上3年以下の刑事施設収容及び50ディナール以下の罰金に処する」としている。団体禁止については、刑法151条が、150条に規定された基準で設立された団体に所属した者に、同じ刑罰を科すとしている。当該団体は解散となる。                                               オーディオヴィジュアル法20条は、放送におけるテロ、人種主義、宗教的不寛容を禁止し、印刷出版法7条は、ジャーナリストの行動規範を定めている。                                                         刑法278条は、他人の宗教感情を害する印刷物の配布などを処罰し、刑法276条は、宗教儀式の妨害・攻撃を、刑法277条は、墓地や宗教施設への攻撃を処罰する。刑法273条は、預言者や伝道師に対する侮辱を犯罪としている。

ヘイト・クライム禁止法(23)

カナダ政府が人種差別撤廃委員会に提出した報告書(CERD/C/CAN/19-20. 8 June 2011)によると、刑法718条2項(a)(i)は、刑罰加重事由として、犯罪が、人種、国民的又は民族的出身、言語、皮膚の色、宗教、性別、年齢、心身の障害、性的志向その他類似の要因に基づいた偏見、予断、憎悪に動機を持つ場合を掲げている。                                                               刑法430条(4.1)は、偏見、予断、憎悪に基づいて、主に、教会、モスク、シナゴーグ、寺院、墓地などの宗教施設のために用いられる財産を破壊する特別の犯罪を規定している。                                                                                              ヘイト・スピーチについて、刑法318条は、皮膚の色、人種、宗教、民族的出身又は性的志向によって「識別される集団」に対するジェノサイドの主張や促進を禁止している。刑法319条1項は、公共の場で平穏を侵害するような発言で、「識別される集団」に対する憎悪を扇動することを禁止している。刑法319条2項は、私的な会話以外の発言で、「識別される集団」に対する憎悪を恣意的に促進することを禁止している。検事総長は、「識別される集団」とは、皮膚の色、人種、宗教、民族的出身又は性的志向によって区別される公衆であるとし、「発言」とは、広く「語られ、書かれ、電気的又は電磁的に記録され、又はその他の言葉並びにジェスチャー、サイン、その他の可視的表現」であるとしている。                                                                                         インターネット上の憎悪プロパガンダについては、2001年の刑法改正により、刑法320条1項が置かれた。憎悪プロパガンダがオンラインに乗せられた場合に裁判所が削除命令を出すことができる。当該情報を投稿・記載した人物は、裁判官の面前で、削除するか否かの判断のために聴問の機会を与えられる。これは刑事訴追とは別の手続きである。投稿者が不明の場合や外国からの投稿の場合にも削除できる。                                                                                カナダ人権法13条は、差別的慣行として、人種、国民的又は民族的出身、皮膚の色、宗教、年齢、性別、性的志向、婚姻状態、家族状態、障害又は赦免された有罪判決をもとに、人を憎悪又は侮辱にさらすようなことを、電波放送又はインターネットを通じて繰り返し伝達することを掲げている。                                                                                  以上とは別に州法があるが、省略。

Sunday, June 09, 2013

侵略の定義について(14)

レヴィンソンと戦争の違法化について数回補足説明したい。詳しくは前田朗『民衆法廷入門』(耕文社)参照。                                                                                    近代国民国家は軍隊を保有し、戦争をする権限を持ち、現に戦争を繰り返していた。国際法の世界も、主権国家の論理で構築されていたから、国際法の領域に戦時国際法が形成されていた。戦争を回避するための方策が練られたが、それでも戦争が起きるのだから、国際法は戦争法規を手配しなければならなかった。第1次世界大戦は、国際法における戦争観念の変化を要請した。第1次大戦以前にも、ジュネーヴ条約(赤十字条約)やハーグ条約(1899年、1907年)が締結され、戦争行為の規制は進められていた。しかし、戦争を防げなかったし、戦時における非人道的行為も防げなかった。第1次大戦への反省は、国際連盟設立につながった。国際連盟において新しい戦争規制の試みが模索された。国際連盟規約11条は、戦争はすべての締約国の関心であるとし、16条は連盟規約に違反して軍事行動に出た国家に制裁を科すとしていた。いわば集団安全保障システムである。                                                                                               同時に、連盟は軍縮を目指した。1921年の連盟総会は軍縮を議題として取り上げ、具体案を策定するための暫定混合委員会を設立した。しかし、1922年の連盟総会で、軍縮だけを進めることは防衛力が低下して自国の安全を保てないという意見が強まり、安全保障体制の確立が要請された。軍縮と安全保障体制という2本柱で戦争を規制する試みである。そこで1923年の連盟総会に「相互援助条約案」が提出された。条約案1条は、締約国は「侵略戦争は国際犯罪である」と厳粛に宣言するとし、被侵略国への援助を規定していた。侵略戦争は国際犯罪であるという思想の表明である。連盟総会は条約案を加盟国に送付して検討を依頼した。                                                                                            ところが、アメリカは国際連盟に加盟していない。ウィルソン大統領が国際連盟結成を提唱したにもかかわらず、アメリカは連盟に加盟しなかった。世界平和を問題とする以上、アメリカの動向を無視できない。連盟という史上初の試みは、アメリカ抜きの国際機関という限界の中で模索を続けていた。アメリカでは、相互援助条約案とは別に、カーネギー国際平和財団の協力を得て、民間の国際法学者が議論を継続し、相互援助条約案に対する「対案」を作成した。これは民間の案ではあったが、連盟では事実上の「アメリカ案」として受け止められていた。「アメリカ案」では、常設国際司法裁判所による侵略の認定を提言していた。1924年の連盟総会は、相互援助条約案と「アメリカ案」を検討したうえで、新たに「ジュネーヴ議定書(国際紛争平和処理に関する議定書)」を作成した。議定書は、戦争に代わる手段としての平和的紛争解決を提案しつつ、安全保障システムをつくることを明示していた。各国に、平和的解決の義務を持たせ、同時に軍縮を進め、違反した国家への制裁を行うという考えである。当時としては画期的な考案であったと思われる。戦争を規制し、平和を求め、軍縮を目指す国際的な動きは、国際連盟とアメリカの橋渡しの試みとしても意義を持っていた。こうして国際法における戦争の規制が徐々に進んできたが、それでも国際法は戦争を禁止はしていなかった。国際法が戦争を禁止していない--このことに驚いたのは、シカゴの弁護士サルモン・レヴィンソンであった。レヴィンソンはやがて<戦争の違法化>を提唱して、運動を進めていくことになる。

Thursday, June 06, 2013

侵略の定義について(13)

アメリカは国際連盟に入らなかったが、この間にアメリカで<戦争の違法化>運動が盛り上がった。運動を始めたのはシカゴの弁護士サルモン・レヴィンソンであった。レヴィンソンは1918年、「戦争の法的地位」という論文を書いて戦争の違法化を唱えた。1921年、レヴィンソンを主導者として「戦争違法化アメリカ委員会」が設立され、レヴィンソンは『戦争違法化計画』というパンフレットを出版して各方面に送付した。<戦争の違法化>運動は1920年代アメリカで急速に広がった。第一次大戦の悲劇を前にした運動であり、スローガンは単純明快であった。国際連盟加入と異なって、<戦争の違法化>自体はアメリカ政府の責任や義務を追加しない。                                                        現実の外交においても新たな進展が見られた。1927年、ブリアン・フランス首相がアメリカに対して二国間条約の締結を提案した。ケロッグ・アメリカ国務長官はこれを受けて、多国間条約の提案を返した。そこでアメリカ、フランス、イギリス、イタリア、日本などと協議を重ねた末に、1928年、ついに「不戦条約(ケロッグ・ブリアン条約)」が締結された。不戦条約第1条は「締約国は、国際紛争解決のため戦争に訴えることを非とし、かつその相互関係において国家の政策の手段としての戦争を放棄することをその各自の人民の名において厳粛に宣言する」とした。第二条は「締約国は、相互間に起こることあるべき一切の紛争または紛議は、その性質または起因の如何を問わず、平和的手段によるの外これが処理または解決を求めざることを約す」とした。当事国は60ヶ国におよんだ。不戦条約は戦争の放棄と平和的解決を規定するのみで、ジュネーヴ議定書のように制裁措置を予定していない。締約国が、国際紛争解決の手段としては戦争に訴えないことを約束し、紛争を平和的に解決することを明言するというものであり、制度的な担保は規定されてはいなかった。 しかし、不戦条約にアメリカが入ったことによって、国際連盟とアメリカとの連結が実現し、当事国が当時の主権国家のほとんどである六〇ヶ国になったことで、不戦条約体制が国際的に形成された。                                                              その体制に対して暴力的に挑戦したのが、1930年代のナチス・ドイツや日本軍国主義であった。不戦条約に対するアメリカ、フランス、イギリス等と日本との対応の違いは、篠原初枝『戦争の法から平和の法へ』と、伊香俊哉『近代日本と戦争違法化体制』の2冊を読むことでよく理解できる。アメリカ国際法学会でもさまざまな議論がなされたが、不戦条約の意義と本質を踏まえて、アメリカがこのような条約を締結したことの意義が理解されていた。しかし、中国での権益を重視した日本は、満州における軍事行動という形で、不戦条約の歴史的意義を逆照することになった。

Wednesday, June 05, 2013

ヘイト・スピーチ処罰実例(9)

モロッコ政府が人種差別撤廃委員会に提出した報告書(CERD/C/MAR/17-18. 9 November 2009.)、ヘイト・スピーチ事例として2007年1月12日のウルザザテ裁判所による一審判決があるというが、報告書からは具体的内容は不明である。また、検察官は、新聞『アル・シャマル』2005年283号がアフリカ人に対して攻撃的な記事を掲載したので、経営者と編集者を召喚した。編集者はタイトル選択に際して誤りがあったと述べ、新聞は3ページを使って謝罪を表明した。検察官は裁判長にその記事を提出して、当該記事の削除命令を求めた。結局、新聞スタンドや書店から回収された。

Tuesday, June 04, 2013

侵略の定義について(12)

 国際連盟において、国際平和を維持するためのさらなる方策が模索された。ウィルソン大統領が国際連盟設立を提唱したにもかかわらず、アメリカが国際連盟に加盟しなかったため、国際連盟だけで国際平和を達成することはできない。国際連盟における議論を進展させるとともに、国際連盟の外でも国際平和の枠組みを定立しなければならなかった。国際連盟では戦争の規制に向けた多国間の努力が始まった。連盟規約は、戦争はすべての締約国の関心事項であり、連盟規約に違反して軍事行動に訴えた国には制裁を科すとしていた。その具体的内容をどのように構築するかが課題であった。1923年の連盟総会に提出された「相互援助条約案」は「侵略戦争は国際的犯罪である」とし、被侵略国に援助を与えることを規定していた。カーネギー国際平和財団の援助を受けたアメリカの国際法学者も、相互援助条約案について検討して、代案をまとめている。これは民間の代案であるが、国際連盟では「アメリカ案」と呼んでいたという。1924年の連盟総会では、相互援助条約案とアメリカ案をめぐる議論がなされたが、結局まとまらなかったため「ジュネーヴ議定書(国際紛争平和的処理に関する議定書)」が採択された。ジュネーヴ議定書は、国際連盟規約の延長上にあり、集団安全保障としての制裁措置と、戦争に代替する平和的解決措置を規定している。①平和的解決への義務、②軍縮の達成、③制裁の実行という3つの具体的方策が示された。しかし、結局この試みは現実化することがなかった。

Monday, June 03, 2013

侵略の定義について(11)

ニュルンベルク・東京裁判における平和に対する罪が、1929年の不戦条約に結実した<戦争の違法化>に由来することはよく知られる。その出発点は、言うまでもなく第一次大戦における悲惨な歴史的経験であった。それゆえ、国際連盟の創設から不戦条約への流れを見ておくことが必要となる。もっとも、本来ならばウェストファリア体制そのものに遡り、正戦論や無差別戦争観の意味を確認しておく必要があるが、ここでは省略する。                                                                                   第一次大戦勃発によって国際法の無力さが痛感された。正戦論の破綻から無差別戦争観の道が開かれ、第一次大戦という悲惨な戦争をもたらした。そこで戦争の規制という課題が意識され、そのための法的枠組みづくりが始まった。1919年のパリ講和会議では「戦争を開始した者の責任及び処罰の執行に関する委員会」が設立された。委員会報告書は、第一次大戦中に行われた戦争犯罪を追及することを明示し、その犯罪として、第1に戦争を開始した行為、第2に戦争法規慣例違反を検討した。報告書は、戦争を開始した行為については、語義の正確な意味での戦争犯罪ではなく、刑事裁判で取り扱うことはできないとした。侵略戦争を犯罪とする実体法の伝統が存在しなかったうえ、極めて政治的な問題であって犯罪の実行行為性も明確とは言えなかったためである。                                                                    しかし、1919年6月28日のヴェルサイユ条約第227条は、前ドイツ皇帝ヴィルヘルム二世を「国際道義及び条約の神聖に対する重大な犯罪」を理由に訴追することとし、特別法廷を設置することにした。ウィルソン・アメリカ大統領がヴィルヘルム二世の政治的犯罪を独立に裁くことを主張したためである。実際にはヴィルヘルム二世はオランダに亡命し、オランダはヴィルヘルム二世の引渡しを拒んだので、裁判は実現しなかった。ヴェルサイユ条約第227条は戦争違法観に立って、しかも個人処罰を明示した点で、国際法の革新と評価されている。その内容が抽象的で、制度的にも確立していないという限界が指摘されるが、最初の国際戦犯法廷の企図として重要である。

ヘイト・クライム禁止法(22)

イタリア政府が人種差別撤廃委員会に提出した報告書(CERD/C/ITA/16-18. 21 June 2011)によると、憲法第3条が性別、人種、言語、宗教、政治的意見による差別なしに法の下に平等であるという規定である。条約第2条に関連して、独立の人権委員会の存在や、移民法などの説明があり、さまざまな差別反対のプロジェクトが説明されている。ただ、人種差別禁止法については言及がない。条約第4条に関連して、1975年の法律第654号を改正した1993年6月25日の法律第205五号(マンチーノ法として知られる)及び2006年2月24日の法律第85号が挙げられている。人種差別を煽動する目的を有する団体の結成は処罰されるという。ただ、条文が引用されていない。実際の処罰事例・判決が紹介されているので、たしかに刑罰規定はあるが、条文の具体的中身は、過去のイタリア政府報告書に遡る必要がある。