Wednesday, October 31, 2012

レイシズム研究に学ぶ(4)


鵜飼哲・酒井直樹・テッサ・モーリス=スズキ・李孝徳『レイシズム・スタディーズ序説』(以文社、2012年)

 

今日のBGMは、Hadiqa Kianiのアルバム“rung”。パキスタンの歌姫だ。といっても、私が勝手に命名しただけ。オープニングのYaad Sajanに始まる軽快なサウンドは、おそらくパキスタンの伝統と欧米ポップスのミックス。意味も分からずに書くのもなんだが、Aao Phir Aik Baarは名曲だ。作詞作曲はAmir Zaki

 

さて、今回は、酒井直樹「近代化とレイシズム――イギリス、合州国を中心に」(聞き手:李孝徳)だ。冒頭から酒井の個人史が語られる。イギリスでの経験と知識をもとにレイシズムと階級の問題、差別の不可視化、マルクス主義と人種問題など、論点が次々と登記される。

 

次に日米戦争が日米双方の帝国主義に与えた影響が論じられる。ここは重要。1910~20年代に激しいレイシズムが席巻し、ナチス・ドイツの範とさえなったアメリカが、いちおうは多文化主義に転じたのは、日本との戦争のためだとされる。帝国主義間において正当性を主張するには「反人種主義」を政策とする必要がある。「欧米の人種主義からアジアを解放する」という日本の主張はいかに欺瞞であれ、いちおうの正当性を獲得しえた。ところが、日本はナチス・ドイツと組むことによって反人種主義の化けの皮がはがれてしまう。大西洋憲章以後のアメリカは表面的には反人種主義の優等生としてふるまう。実際には国内外で人種差別政策を推進したにもかかわらず、表面的には、そして公式的にも、いちおうは反人種主義を先導する位置に立った。この転換と揺れ動きの中に日米双方の問題がごった煮のように詰まっている。ここを解きほぐして、次の議論につなげることが重要だ。

 

次に勉強になったのは、サイードの『オリエンタリズム』のインパクトと、アメリカにおけるすさまじい批判。そして、9.11の衝撃と左翼知識人の沈黙。この二つの出来事に見られるアメリカ知識人のレイシズムの根深さと、にもかかわらず、それを乗り越えようとする論脈の存在。そうした話題を通じて、レイシズムを分析する方法論が語られる。

 

もう一つ、加害者と被害者の逆転も指摘される。

 

「人種主義の暴力は人種主義の被害者に対してだけ発現するのではなく、被害者を加害者の立場に追いやるわけですよね。被害者になりたくなかったら加害者になれという論理が、社会的に弱い立場におかれた者たちの行動指針になってしまう。ですから、被害者と加害者を本質論的に分けるのではなく、被害者がいつでも加害者になりうることの力学を解析することが必要なわけです。」

 

この指摘は、多くの場面で語られてきたことだが、本当に重要だ。いつも繰り返し立ち返るべき論点だろう。被害者が加害者になってしまう現象は、ヘイト・クライム研究ではよく指摘される。

 

加害者が被害者を装うのも、同型の論理だ。犯罪学者バイアー、ヒッグズ、ビッガースモ、アーミッシュに対するヘイト・クライムについて「非難者に対する非難」を指摘しているという。「被害者と称する者こそ犯罪者だ」という倒錯だ。ここで加害者は被害者になりすますことができる。ブライアン・レヴィン編著のヘイト・クライム研究の中では、「防衛的ヘイト・クライム」が説かれている。たとえば、白人集住地区に黒人が転居し、流入してくると、「奴らが我々の町を侵略してくる。我々の町を守れ」という「防衛意識」が強調され、そこから差別と排外主義が始まる。よそ者を追い出すレイシズムだ。

 

被害者になれば、心置きなく差別できる。被害者になったほうが勝ち、なのだ。異常な差別集団の「在特会」も「在日特権を許さない」という屁理屈を掲げている。どこにも存在しない特権を批判し、在日特権のために日本人が被害を受けているという途方もない物語がつくられる。被害者を装いながら、圧倒的な弱者・少数者に対して激しい憎悪をぶつけ、排除しようとする。この心理と論理を解明することも大切だ。

『脱原発とデモ、――そして、民主主義』


『脱原発とデモ、――そして、民主主義』(筑摩書房、2012年)


 

今日も扁桃腺が叛乱のため、休養。
 
気分は明るく、BGMはRAGGA RAGGA SOCA。カリブ海のセント・ヴィンセント・グレナディンズで買ったラップのCDだ。冒頭、Mystic VibrationI LIKE IT (C’EST BON)に始まり、TROOTSDON’T BE SHYSKARYONENGINEDJ TARRUSENERGYなどと続き、最後はYAPHATOOWISDOM。なぜ日本ではこういうラップが紹介されないんだろう。答えは簡単。資本の論理に乗っかった売れっ子を紹介するのが音楽評論家の仕事だから。
 

さて、本書は2011年5月7日デモの松本哉(素人の乱)発言に始まり、6月11日デモの雨宮処凛(作家・活動家)や山下陽光(素人の乱)らの発言、8月6日の毛利嘉孝(『ストリートの思想』著者)、9月11日の柄谷行人(思想家)、いとうせいこう(作家)、9月19日の鎌田慧(作家)、落合恵子(作家)、山本太郎(俳優)、10月22日の坂本龍一(音楽家)らの発言を収録している。有名人も取り揃えて20数名の発言、エッセイ。
 
そして、柄谷行人・鵜飼哲・小熊英二起草の「デモと広場の自由」のための共同声明も収録されている。
 

重要な問いかけを含む著作なので推薦したいが、やや力が入らない。
 

第1の理由は、発言のほとんどが20011年のものなのに、なぜ今発売なのか。本書収録のデータならば一年前に出版していなければならない内容だ。賞味期限切れの文章を出版する意味は何だろう。
 

第2の理由は、一つ一つの文章がその都度の発言やエッセイで、読み込むべき文章ではないことだ。現場での発言としてはとても重要であっただろう。その記録を残すという意味では出版しておいたほうがよいとはいえ、運動論としての問題提起としてはすでに語りつくされたことをなぞっているにとどまることになりかねない。
 

第3の理由は、問題提起を理論的に深める努力がなされていない。柄谷行人、小熊英二、毛利嘉孝などの理論家がそろっていながら、そして本書末尾には平井玄(社会・音楽評論家、『愛と憎しみの新宿』著者)が控えていながら、だ。平井にはもう少しページを増やして、きちんと論じさせるべきだっただろう。
 

申し訳ないが、われわれが出した『デモ!オキュパイ!未来のための直接行動』(三一書房)のほうが、ずっと内容が濃く、理論的にも実践的にもずっと重要な問題提起をしている。

http://31shobo.com/?p=1480

Tuesday, October 30, 2012

扁桃腺、トロピカル・サウンド、同期


扁桃腺が叛乱を起こして、一日横になっていた。いい休養になった。夕方のこのこ起きだして、新聞読みながら、BGMは気分転換にStrandedTropical Rhythm。リードボーカルはフィルス、ギターはブラダ・ウィルス、ピアノはブラダ・トニー。前作Auki Girlsに続く南太平洋の珊瑚礁トロピカル・サウンド。といっても、誰も知らないだろうな。ソロモン諸島のピース&ハーモニー・ロック。

 

Stranded, Tropical Rhythm, Grevillea.

 

と言いつつ新聞を見ると、朝日朝刊社会面に知人の写真。無実のゴビンダさん、検察の無罪論告で判決も無罪間違いなしだが、社会面38面の特集記事「繰り返す冤罪(上)」に、カトマンズのゴビンダさんの写真が大きく出ているが、その下に神山啓史弁護士が出ている。霞が関の裁判所の司法記者クラブで記者会見を終えたところだ。神山さんとは大学が同期だし、30代前半頃には付審判研究会でずっと一緒に研究していた。研究会後は四谷のしんみち通りで呑んだくれていた。長年尊敬する弁護士、神山さんの活躍は本当にうれしい。

 

と言いつつ隣の記事を見ると、もうひとりの同期が出ていた。付属横浜山手中学校不正入学事件での理事長解任の記事だが、その末尾に、第三者委員会委員長の「合格取り消しを働きかけた学長の責任を厳しく問うている。しかし、無視され遺憾」というコメントが出ている。勧告を無視して学長・総長の座にしがみついているのが、大学院の同期だ。商法学者ということになっているが、業績は共著の教科書、分担執筆ばかり。さしたる学問的業績がない。もしかしてあるのかもと、ネットで検索したが、いくら調べても単著の理論研究書が一冊もない。アマゾンでみても、学生向けの教科書・講義ノートだけ。出版していないだけかもしれないが、ふつう、出版していなければ評価の対象にならない。

 

同期には両極端の人物がいる。それぞれの人生だから、とやかく言うことではない。ただ、見てると面白い。

Saturday, October 27, 2012

『未解決の戦後補償――問われる日本の過去と未来』


田中宏・中山武敏・有光健他著『未解決の戦後補償――問われる日本の過去と未来』(創史社、2012年)


 

<本書は、私たちが日本の容易ならざる過去とどう向き合い、アジアの人々との間にいかにして〝和解〟を、そして〝信頼〟を築くかを、個々の具体性の中に追求する真摯な記録であり、そこから未来を展望しようとする、真摯な願いを読み取ってほしい>(田中宏「まえがき」より)。

 

執筆者

有光健「慰安婦問題」、「シベリア抑留」 
矢野秀喜「朝鮮人強制連行」 
田中宏「中国人強制連行」
中山武敏「重慶爆撃・東京空襲」 
大山美佐子BC級戦犯」 
南典男「中国遺棄毒ガス」

小椋千鶴子「軍人・軍属」 
竹内康人「未払い金」 「日韓会談文書公開」

 

編集部による冒頭の「戦後補償・残された課題――戦後67年、戦後補償・解決への道を考える」は「戦後67年を迎えたが、日本が起こした前世紀の戦争の後始末がまだ続いている」と始まり、「70件を超えた裁判でも解決せず」として、未処理の戦争被害類型として、戦時性暴力被害、強制連行、強制労働、元軍人・軍属、元BC級戦犯、虐殺被害、731部隊被害、毒ガス被害、無差別空爆被害、サハリン残留朝鮮人、在外原爆被爆者、インドネシア被徴用者、先住民族被害などが列挙されている。日本人についても、シベリア抑留、中国残留孤児、民間空襲被害、沖縄住民虐殺、日本軍遺棄毒ガスなどが残されている。

 

裁判所は問題解決から逃げ、門戸を閉ざしてしまった。行政も無責任を決め込んでいる。立法的解決を求める運動が続いているが、国会ではまともな議論が行われない。

 

人類史に残る残虐行為を積み上げながら、いまだに頬かむりをし続ける日本。それどころか、南京大虐殺や日本軍性奴隷制(「慰安婦」)問題では事実を否定し、被害者を侮辱し、民族対立をあおる政治家発言が続いている。西欧ならば刑務所行き間違いなしの差別発言が、日本ではまかり通る。異常で無責任な発言をした政治家が公党の総裁になってしまう。

 

こうした現実を前に、戦後補償運動は日本社会に向けてさまざまのアピールを続けてきた。本書は、その2012年版と言えよう。網羅的ではないが、重要なテーマを絞り、それぞれについて背景や現状を分かりやすく解説している。戦後補償問題についてこれから学ぶ読者には最適である。

レイシズム研究に学ぶ(3)


鵜飼哲・酒井直樹・テッサ・モーリス=スズキ・李孝徳『レイシズム・スタディーズ序説』(以文社、2012年)

 

今日のBGMは、『平和のうた2』(音楽センター)


WE ARE THE WORLD、オキナワ、BELIEVE、ケサラ、日本国憲法前文、ヒロシマなど。

 

さて、鵜飼哲「共和主義とレイシズム――フランスと中東問題を中心に」は、李孝徳によるインタヴューである。

 

テッサ・モーリス=スズキが、フランスをはじめとするヨーロッパの普遍主義と人種差別を登記したのに続いて、鵜飼哲は、フランスにおける人種差別を鮮やかに抉り出す。アフリカとイスラム、移民と郊外。現象をいかに記述するべきか、その前提に立ち返りながら、人種主義の台頭と、それに対するSOSラシスムに代表される反人種差別の対抗の中での揺れ動きが語られる。一方では、「ブールの行進」のように、「自由・平等・博愛の国だから、たてまえとしてであっても、反レイシズムで人を集めれば集まる」。だが、そのフランスに根強くはびこるレイシズム。

 

「ユダヤ系知識人の変貌」も深刻だ。「いまやある種のユダヤ系知識人がともするといちばん人種主義的だったりします」。アラブ対ユダヤという二項対立に問題を矮小化することのないよう、ジャック・デリダ、ヴィダル・ナケ、マクシム・ロダンソンなどが「接合」の役割を果たしていたが、その後のパリの言論状況は悪化しているという。

 

李孝徳が述べているが、名著『人種差別』のアルベール・メンミが『脱植民地国家の現在――ムスリム・アラブ圏を中心に』に変貌している。李は「無残というほかない壊れ方」という。なるほど、そうだったのか、おかしいと思ったんだ、と思う。

 

「フランスを中心にして考えると、逆説は、植民地主義的レイシズムの総本山である宗主国のほうが、『われわれは国民概念から種族の規定を外している。独立した第三世界の国は種族主義に囚われたままであり、ゆえにレイシスト的だ』というふうに手品みたいに議論をひっくりかえしてしまうことです。独立の前提になっている国民概念まで含めて、先進国=宗主国から植民地=第三世界へ輸出されたものであり、その枠のなかで植民地解放や民族独立をやるほかなかったという歴史的必然性を考慮して問題を立てないと、いつのまにか変な話になってしまいます。」

 

「フランスの共和政の根幹にある何かを破壊しなければその先は見えないと思います。フランス革命やフランス共和政は、否認されたかたちでキリスト教的な核を保持している。カトリシズムの問題であり、ユマニスム(人間主義)の問題でもあります。」

 

日本のレイシズムを考え直すために、鵜飼は、1903年に開催された大阪の博覧会における「学術人類館」事件を取り上げ、西洋中心主義の土俵に奇怪な形で乗ってしまった日本と、沖縄の関係を論じる。1975年の沖縄海洋博の際にも議論となった「人類館」事件は、現在の沖縄差別を問う際に、まさに参照枠の一つとなる。

Friday, October 26, 2012

「強制連行とは何か? 誘拐罪判決に学ぶ」学習会報告


10月26日、東京・水道橋のスペースたんぽぽにおいて、平和力フォーラム主催「強制連行とは何か? 誘拐罪判決に学ぶ」学習会を開催した。参加者35名。

 

「慰安婦」問題では「強制連行」の有無が議論されてきたが、自分勝手な定義を振り回してごまかす議論(安倍晋三が典型)が多い。この学習会では、「強制連行」という言葉の解釈をめぐる議論をするのではなく、「慰安婦」連行が当時の刑法に規定された誘拐罪に当たり、まぎれもない犯罪であり、それゆえ強制連行であったことを明らかにした。

 

西野瑠美子報告「『慰安婦』徴集の強制性を検討する」――各国の被害女性たちの証言をもとに、改めて連行形態を検証した。韓国の被害女性たち52人についてみると、45人(87%)が未成年であった。当時の刑法で未成年者誘拐罪が成立する。国外に連れ出されたのが48日(92%)である。当時の刑法で国外移送目的誘拐罪と国外移送罪が成立する。誘拐の具体的形態は、略取あり、誘拐(詐欺、甘言)あり、人身売買あり。

 

同様に台湾、中国、フィリピン、オランダ、マレーシア、インドネシア、東ティモールの女性たちの証言から、暴力的な略取や、甘言を用いた誘拐などの具体例が紹介された。詳細は後日、論文として発表される。

 

前田朗報告「大審院誘拐罪判決に学ぶ」では、下記の内容を紹介した。


Tuesday, October 23, 2012

レイシズム研究に学ぶ(2)


鵜飼哲・酒井直樹・テッサ・モーリス=スズキ・李孝徳『レイシズム・スタディーズ序説』(以文社、2012年)

 

今日のBGMはVivaldiGloria。2010年にローザンヌ(スイス)のカテドラルで演奏されたもので、指揮はジャンルイ・ドス・ガリ、ソプラノはブランダン・シャルル、メゾゾプラノはアネット・ランジェ、アルトはカリン・リヒター。コーラスとオーケストラはローザンヌ・カテドラルの音楽隊。今夏、カテドラルでCDを購入した。

 

さて、テッサ・モーリス=スズキ「グローバル化されるレイシズム」は、2010年2月に本願寺札幌別院で行われた「東アジアの平和のための共同ワークショップ」での講演記録である。続く、テッサ・モーリス=スズキ「移民/先住民の世界史――イギリス、オーストラリアを中心に」は、李孝徳によるインタヴュー記録である。

 

グローバル化されたレイシズムにかかわる3事例として、第1にオランダの極右政治家ウィルダースとその運動、第2に2005年12月にオーストラリアで起きた「クロヌラの暴動」、第3に在特会である。それぞれの具体的事例を通じて、各地のレイシズムの減少の特徴と共通性が明らかにされる。

 

「21世紀にグローバル化されつつあるレイシズムを検証してみると、それぞれの国のレイシズム運動の中にある類似点に気がつきます。それぞれの国でのレイシズム運動を誘発する、経済的・社会的な背景は同様だ、といってもそれほど間違っていないかもしれません。またそういったレイシズム運動がつくりだす他者、よそ者に対するステレオタイプとかジェンダー的な意味づけには、深い類似性が認められる。」

 

「われわれ」と「かれら」を対置し、「かれら」の責任を論難し、「われわれ」の問題を回避し、「かれら」に「出ていけ」と迫る「典型的なフレーズ」である。

 

その通りである。ただし、上の引用の「21世紀にグローバル化されつつある」を削除しても、同じことが言える。

 

レイシズムへの対抗策として、

 

1 社会的格差が要因なので、富の再配分。

2 レイシズムに対抗する法制度の整備。

3 反差別教育。

4 メディアの重要性。

 

これらについて、オーストラリアなどでの具体的取り組みも紹介されている。

 

「問題の解決は他者(かれら)にはありません。じつは他者(かれら)も、同じ経験をして、同様に苦しんでいるのです。ですから他者(かれら)を排除するのではなく、連帯し手をつないで、グローバルに展開される経済・社会問題に立ち向かう必要がある、と私は信じます。それは同時に、グローバル化されるレイシズムに対抗する方法なのですから。」

 

これもその通りで、納得。とはいえ、その一歩先を聞きたいところだ。問いに問いをもって答えている印象だからだ。

 

インタヴューでは、イギリスからオランダ、ソ連、日本、韓国、オーストラリアへと、研究を進め、移動してきたテッサ・モーリス=スズキの問題関心、知見が披瀝され、興味深い。グローバル化したレイシズム研究にまさに適任の研究者であり、幅広い関心とすぐれた分析を読むことができる。

 

オーストラリアでアボリジニ権利運動にかかわってきたゴードン・マシューズが自分のルーツを探ったところ実はアボリジニではなく、スリランカ系とわかった時のエピソードも紹介されていて、さらに興味深い。

 

アイヌと日本についても、『辺境から眺める』の著者だけあって、アイヌモシリから日本を逆照射する視点が明確である。

 

フランスの普遍主義に隠れ潜むエスノセントリズム(自民族中心主義)の指摘も重要である。納得。もっとも、もう少し議論を深めてほしかった。今後の楽しみでもある。

Sunday, October 21, 2012

江澤誠『脱原子力ムラと脱地球温暖化ムラ――いのちのための思考へ』


江澤誠『脱「原子力ムラ」と脱「地球温暖化ムラ」――いのちのための思考へ』(新評論)


 

<「原発」と「地球温暖化政策」の雁行の歩みを辿り直し、いのちの問題を排除する両者の偽「クリーン国策事業」との訣別の意味を考える>

 

<フクシマ原発事故によって、核(原発)は人間の制御できるものではないこと、放射性廃棄物が未来世代に大きな負荷を与えること、原発に関する「安全神話」は「原子力ムラ」の情報操作によるものであることなどが明らかになった。ところが、「原発は地球温暖化の原因とされるCO2を排出しない」などとウソ偽りを平然と述べ原子力発電を推奨してきた多くの環境科学者は未だはっきりとした反省の言もなく沈黙の中にいる。「原子力ムラ」と「地球温暖化ムラ」に絡め取られたメディアは、原発の「安全神話」とCO2の「危険神話」という二重の誤りを意図的に垂れ流し、相乗的に私たちの日常生活を脅かしてきたのである。フクシマ原発事故後において、私たちが地球温暖化政策を検証し直さなければならないのは、地球温暖化問題と原子力発電が相携えて増殖し、フクシマの大惨事を引き起こしたからにほかならない。「温暖化ムラ」に集うIPCC(気候変動に関する政府間パネル)などの科学者・専門家集団は地球温暖化政策が環境保護に役立つものとしているが、その政策はCO2を材料にした「投資」であり、金融資本の「保護」を最大の理念とする新自由主義(ネオリベラリズム)政策そのものであって、私たちの日常生活に資するものでも途上国の人々に生きる活力をもたらすものでも、ましてや気候変化によるリスクを科学的に解明・解決するものでも何でもない。フクシマ原発事故によって原発の危険性には注意が向けられたが、地球温暖化に絡むCO2の「危険神話」はいまだに増殖し続けている。「原子力ムラ」と「温暖化ムラ」は今日においても跋扈し、「原子力帝国」と「温暖化帝国」として私たちの前に立ちはだかっている。本書はこうした問題意識にもとづきフクシマ原発事故の意味するところの本質を今一度捉え直し、私たちの進むべき現実的な道を読者とともに考えていこうとするものである。>

 

本書は4部構成である。「1 “地球にやさしい”戦略の始まり」では、マンハッタン計画から原発へ、日本への導入、被爆国にもかかわらず原発を受け入れていった理由などの歴史がたどられる。

 

「2 原発事故と「原子力ムラ」についてのもう一つの視点」では、原発ライさん御用記事、御用評論家・上坂冬子、IAEAなどを取り上げる。「3 原子力発電と地球温暖化問題の癒着」では、アルシュ・サミット、気候変動に関する政府間パネル、京都議定書、洞爺湖サミットなどが取り上げられる。

 

そして「4 脱原発と脱地球温暖化政策」では、「何もかも変わった」が「何も変わっていない」として、日本近代の歩みを問い直す必要を訴え、荒正人、野間宏、小田切秀雄、大江健三郎も誤謬を犯したことを指摘し、日本の「棄民思想」を問う。ここで著者は「人類館事件」にさかのぼって、日本近代の根本問題を問うとともに、「原子力帝国と地球温暖化帝国」を批判する。著者は「地球温暖化問題」は存在しないという立場である。「地球温暖化、だから原発、原発は地球にやさしい」という論理がセットになっているとして、地球温暖化帝国主義を批判しなければ脱原発にならないとする。

 

人類館事件を引き出して議論する意味はわかるが、途中経過の説明がないので、読者にはわかりにくく、話が飛躍している印象を与えてしまう。原発システムの差別的性格、原発立地への差別、さらにはモンゴルへの輸出問題における差別など、多彩な事実と論点が登記されている。

Saturday, October 20, 2012

原発民衆法廷公聴会10.20


10月20日、スペースたんぽぽで、原発民衆法廷公聴会が開催された。福島原発事故に関する国会事故調査委員会報告書で何が明らかになったのか、国会事故調査委員であった田中三彦さんが、報告書のポイントを紹介した。

Friday, October 19, 2012

レイシズム研究に学ぶ(1)


鵜飼哲・酒井直樹・テッサ・モーリス=スズキ・李孝徳『レイシズム・スタディーズ序説』(以文社、2012年)

 


 


 


 

<人種主義(レイシズム)が立ち現われる現場は、ある社会的な関係が人体の特徴などを通して反照し、私と他者の自己画定(アイデンティティ)を同時に限定するときである。この投射されたアイデンティティ・ポリティックスは現代のあらゆる社会関係に髄伴する。本書は、この視点から、近代化とグローバル化で不透明化された現代を読み解く壮大な試みである。>

 

<目次:

レイシズム・スタディーズへの視座

グローバル化されるレイシズム

移民/先住民の世界史-イギリス、オーストラリアを中心に

共和主義とレイシズムーフランスと中東問題を中心に

近代化とレイシズムーイギリス、合州国を中心に

新しいレイシズムと日本

レイシズムの構築>

 

 

21世紀に入って、日本でも、世界でも、ますますレイシズムが噴出し、蔓延している。2001年のダーバンでの人種差別反対世界会議とダーバン宣言は、まさにこの事態を予見し、予防するための挑戦だったのに、現実はダーバン宣言を吹き飛ばしてしまう。戦争の20世紀から平和と人権の21世紀への期待は裏切られ、テロとの戦いの21世紀、人種差別、民族紛争、ナショナリズムと排外主義の21世紀が現出している。そうした中、本書は世界史におけるレイシズムを総体的にとらえようとする意欲的な試みである。

 

冒頭の酒井直樹「レイシズム・スタディーズへの視座」を読んだ。随所に引用したくなるような文章が続く。近代世界史におけるレイシズムを生み出した構造、同様にその構造に組み込まれた日本におけるレイシズム再生産構造が鮮やかに分析される。ポストコロニアルのレイシズム研究かと思ったが、その一面とともに、現代におけるグローバル・レイシズムが課題とされる。植民地近代が産み落としたレイシズムと、現在のグローバリゼーションのもとにおけるレイシズムと。密接なつながりを持ちつつも、質的な変容も見られる両者をどのように位置づけ、関連づけて理解するのか。

 

アメリカによる東アジア支配におけるレイシズムを剔抉し、同時に、その枠組みに参入しながら日本自身が再生産している日本的レイシズムの関係を問う部分に一番関心を持った。この点を、私は「日本の自己植民地主義と植民地主義」という奇妙な言葉で表現してきた。同じことを、酒井は「西洋と文明論的転移」と表現している。一つの例証として「日本人論」がとりあげられる。

 

<「日本人論」に現れた語りの位置の固定化によって追求されるアイデンティティ・ポリティックスは、日本人として自己画定する者を植民地的な権力関係の下に捕縛する典型的なオリエンタリズムの言説である。さらに、この知識の生産の言説によって、「西洋とその他」という最も典型的な植民地体制が維持されるのであり、オリエンタリズムの言説は人種主義のあり方として私たちの研究語彙に登録しておかなければならない。>

 

西洋植民地主義にからめとられ/便乗した日本の東アジア植民地主義は、アイヌモシリ、琉球、台湾、朝鮮半島、南洋諸島、「満州」へと肥大化していき、敗戦によって地理的空間的には一気に縮小したが、植民地主義精神、人種主義は見事に温存された。それはいま「上品な人種主義」として日々、練り直されて登場している。

 

本書をゆっくりと読みながら、人種主義、人種差別、排外主義について考えていきたい。ダーバン宣言をどうやっていま一度手元に手繰り寄せることができるのか。東アジア歴史・人権・平和宣言の挑戦をどのように活かすことができるのか。そして、現代日本におけるヘイト・クライムといかに闘うのか。

Wednesday, October 17, 2012

アートとアート的なものの間で


大野左紀子『アート・ヒステリー――なんでもかんでもアートな国・ニッポン』


 

著者は、

 

1959年、名古屋生まれ。東京藝術大学美術学部彫刻科卒業。現在、名古屋芸術大学、トライデントデザイン専門学校非常勤講師。著書に『アーティスト症候群』『「女」が邪魔をする』などがある。>

 

元はアーティスト志望だったようだが、断念したのか、しかし、文才はあったようで、『アーティスト症候群』に続いて本書を送り出した。

 

本書の宣伝文句は、

 

「これマジでアートだね!」……やたらと「アート」がもてはやされる時代=「一億総アーティスト」時代。アート礼賛を疑い、ひっくり返すべく、歴史・教育・ビジネスから「アート」を問う。

「何なの? これ」「アート」
「え、こんなことやっていいの?」「うん、だって、アートだから」

「アート=普遍的に良いもの」ですか? そこから疑ってみませんか?
『アーティスト症候群』から4年、「アート」の名の下にすべてが曖昧に受容される現在を、根底から見つめ、その欲望を洗い出す。

【!!こんな人に読んでほしい!!】
1
:互いの作品を批判せずなんとなく褒め合っているガラスのハートの美大生。
2:「個性と創造性が重要」と「図工って何の役に立つの?」の間で困っている先生たち。
3:「アートは希望」「今こそアートの力が必要とされている」と訴えたい業界回りの人。
4:「普通」を選んでいるにもかかわらず「ちょっと謎めきたい願望」を抱く社会人。>

美術がアートと呼ばれるようになったプロセスとその動因の分析が本書の基軸となる。西欧では、モダンアートの歴史が「息子による父殺し」の歴史として記述されてきたのに対して、その結果だけをいきなり輸入した日本では、殺されるべき父親もなく、殺す息子の緊張もなく、市場価値とブランド商品化がストレートに展開し、美術と美術教育の制度化により保護され、欲望を刺激するアートの場所が出現してきた。

 

ピカソを理解できなくても、「ピカソ的なもの」がこの国を席巻する。印象派というわかりやすさと、フェルメールという安心できる風俗が、この国では全的に受容される。

 

「第3章 アートは底の抜けた器」の「液状化するアート」「ナルシシズム市場の広がり」「村上隆の『父殺し』」「『セルフ・オリエンタリズム』アーティスト」など、なかなかおもしろい。「制度としての日本の美術」の頂点に実は「天皇」がいて、それが現在の象徴天皇制であっても、「父」としての存在となり、村上隆という「不肖の息子」による「父殺し」が完結するという仮説はなかなか。もっとも、天皇が果たして「父」イメージにかなうかどうか。象徴天皇制は天皇の「母」的性格をも担っている。

Tuesday, October 16, 2012

植民者の手を引っ込めるために

知念ウシ 與儀秀武 後田多敦 桃原一彦 著『闘争する境界――復帰後世代の沖縄からの報告』(未来社、2012年)


 

本年4月に出版された本だが、恥ずかしながら、見落としていた。

 

<まなざされるものから まなざす主体へ――>

 

「沖縄」をまなざし、語り、「沖縄」に癒され、「沖縄問題」をつくりだす主体=日本人との「闘い」を余儀なくされた、強要されてきた著者たちによる報告である。

 

PR誌「未来」誌上にて現在も続く好評連載「沖縄からの報告」の、二〇一〇年から二〇一二年までの二年間のレポートを一冊に収録。基地移転問題をはじめ、ケヴィン・メアの沖縄に対する暴言や沖縄防衛局長(当時)の「これから犯す前に犯しますよと言いますか」といった発言をめぐり、そのときどきに渦巻いた沖縄からの反応をとりあげる。各執筆者の多様な視点による沖縄の「いま」が見えてくる。>

 

「沖縄問題」とは「日本問題」である。あるいは、「日米両国による沖縄支配問題」である。軍事植民地・沖縄に対する日米両政府による基地の押しつけ、基地犯罪、米兵犯罪の押しつけは、本書出版後、さらに激化している。オスプレイ配備と、米兵による女性への「暴行」事件。

 

植民地人民として思想の闘いを敢行している著者たちの声を、(残念ながら)宗主国人民の一人として、いかに聞くべきか。植民地主義と人種主義を批判してきた私の思想と実践が問われることは言うまでもない。

 

著者の一人である知念ウシには、一度、東京でお話を伺ったことがある。「東アジア歴史・人権・平和宣言」を作成する過程での学習会だが、私がインタヴューする形で、知念の著書『ウシがゆく――植民地主義を探検し、私をさがす旅』を手掛かりに話をしてもらった。

 

琉球処分は政治的植民地化の転換点であり、沖縄戦や、沖縄に関する天皇メッセージは、植民地主義の極端な現象形態であり、「復帰後」の基地問題をはじめとする沖縄差別と沖縄収奪もやはり植民地主義である。このことを自覚し、問い直していくことが第一歩である。

 

野村浩也『無意識の植民地主義』や、同編『植民者へ』が、その重要な問題提起にもかかわらず、相応の処遇を得ていないように見える。おそらく本書も同様の扱いを受けるのではないだろうか。未来社社長の西谷能英が本書の発起人であり、沖縄の声を「日本」に送り届けていることに感謝しつつ、本書の意義を伝えることに協力したい。

 

沖縄の米軍基地問題に関心のある者は、それがいかなる意味の「問題」なのかを考えるために、本書を読むべきである。沖縄の政治、経済、社会、文化に関心のある者も、沖縄の多様性を知るために、本書を読むべきである。「沖縄問題」として現象する「日本問題」について、正面から考えることが重要である。植民者の手をいかにして引っ込めるのか、私たちは真剣に議論しなければならない。

 

「復帰後世代」4人の著者は次のように紹介されている。

 

<知念ウシ(ちねん・うし) 66年生。むぬかちゃー(ライター)。著書に『ウシがゆく―植民地主義を探検し、私をさがす旅』、共著に『人類館』『あなたは戦争で死ねますか』『植民者』など。

與儀秀武(よぎ・ひでたけ) 73年生。文化批評。論文に「沖縄と日本国憲法」(「情況」二〇〇八年五月号)など。

後田多敦(しいただ・あつし) 62年生。「うるまネシア」編集委員。著書に『琉球の国家祭祀制度』。

桃原一彦(とうばる・かずひこ) 68年生。沖縄国際大学総合文化学部。社会学、ポストコロニアル研究。著書に『「観光立県主義」と植民地都市の「野蛮性」』ほか。>

 

1962年から73年までの生まれということは、おおむね40歳代ということだ。中堅世代と言ってよいのだろうか。ほんの少し前まで若手世代と呼ばれていたのだろう。高齢化した現在の日本では、40歳代はなるほど中堅若手の位置にいる。しかし、復帰の頃に活躍した復帰世代の論者たちはどうだっただろうか。
 
 
 

Sunday, October 14, 2012

共に生きる社会--朝鮮学校支援


10月13日夜は、八王子労政会館で「共に生きる社会――なぜ私たちは朝鮮学校を支援するようになったか」だった。主催は「八王子市で朝鮮学校への助成金を実現する会」。企画は、八王子平和市民連絡会恒例の「平和強化月間」の一環だ。




 

元ボクサーで現在は朝鮮大学校ボクシング部コーチの飯田幸司さんは、現役時代、リングに上がる時、トランクスには「南北統一」の文字、入場曲は「アリラン」だった。日本社会による朝鮮人差別の現場を見て、自分に何ができるかと考え、朝鮮大学校ボクシング部のコーチになった。もともと、高校時代にソウルの独立記念館に行った時の衝撃が強く、日本と朝鮮半島の歴史を学び直した。その想いを語ってもらった。

 

府中市でチマチョゴリ友の会代表をつとめる松野哲二さんは、1998年の「テポドン騒動」による「チマチョゴリ事件――チマチョゴリで通う朝鮮学校生徒に対する暴言・脅迫事件、朝鮮学校に対する無言電話や脅迫電話――」に驚き、仲間と会を作り、朝鮮学校との交流に力を入れてきた。写真展、コンサート、フリー・マーケット、ハングル講座など様々な機会をとらえて、交流の場をつくり出してきた。特に、会が販売するキムチは格別のうまさ、自信の品であるという。

 

私は、2010年2月の人種差別撤廃委員会で高校無償化からの朝鮮学校排除が差別であると指摘された経緯を紹介した上で、日本政府が社会に向かって「朝鮮人は差別してもいいんだ」という「差別のライセンス」を毎日発行し続けている不当性を批判した。在特会に代表されるヘイト・クライム(憎悪犯罪)は国際的には刑法上の犯罪として処罰されているのに、日本政府と憲法学者が「表現の自由だ」などと異常な開き直りをしていることも取り上げた。

栗原弘行『尖閣諸島売ります』


栗原弘行『尖閣諸島売ります』(廣済堂出版)

http://www.kosaido-pub.co.jp/book/post_1825.html

 

<国境の島はどうなるのか?売却の経緯に関わってきた地権者実弟が初めて明かす、尖閣諸島問題の真実!>

<なぜ栗原家が尖閣諸島の所有者なのか / 石原慎太郎と大平正芳首相 / これまで尖閣諸島を売らなかった理由 売却の経緯に関わってきた地権者実弟が初めて明かす、尖閣諸島問題の真実!>

 

すでに国有化が済んだので、元・地権者の弟による著作ということになる。地権者・栗原起に代わってメディア対応をしていたのが著者である。

 

領土問題という点では、何も新しい情報は書かれていない。

 

尖閣で事業を営んだ古賀辰四郎から継いだ息子の古賀善次と花子から、なぜ尖閣諸島が栗原家に相続されたのか、本当の詳細は著者も知らないということだが、栗原家とはどのような一族なのか、尖閣所有に伴う苦労や思い出、尖閣を打ってほしいと言ってきた政治家のエピソードなどが語られる。すでにメディアに紹介された話もあるが、他方で、メディアで面白おかしく語られたことに誤りがあるともいう。

 

なぜ最初は東京都だったのかも、石原慎太郎都知事との関係だけではなく、東京都が島嶼管理のノウハウをもっていることなど、丁寧に説明されている。島嶼開発を行えば尖閣に可能性があるという。ただ、むやみな開発をせずに、自然キャンプ場などの利用をすることを提案している。

 

地権者だけあって、尖閣への思いはしっかりしている。参考文献に、きちんと尖閣諸島文献資料編纂会の研究と資料があげられている。著者は、文中でもこの資料から引用している。領土問題を議論する学者や評論家には、この資料を見ないであれこれ論じている者が多い。ちゃんと勉強しているのはごくごくわずかである。領土問題についてどのような立場をとるかに関わらず、必見文献である。

Friday, October 12, 2012

盗人と呼ばれた国


1.   言う方も言う方だが

 

中国政府が国連で日本のことを「盗人」と呼んだことが話題になった。尖閣諸島問題のために、中国は7回も「盗人」と連発したという。「日本が尖閣諸島を盗んだ」と1回述べるのなら、まだわかるが、さすがに「盗人」7回はいただけない。国連という公式外交の場のマナーに反する。ルール違反だろう。

 

もっと驚いたのは、日本政府が黙って聞いていたという話だ。信じがたい話だ。当然、直ちに議長に抗議するべきである。「政府を侮辱するのは、国連の場にふさわしい発言とは言えない」と言うべきである。ところが、ニヤニヤ笑って、黙っていたらしい。

 

さらに驚いたのは、日本マスコミの報道である。各紙は、盗人発言で中国が国際的な評価を落とした、と伝えた。それはそうだろう。しかし、言った中国も評価を落としたが、黙って聞いていた日本はどうなのか。もともと日本はこれ以上落ちようがないから落ちなかったというのだろうか。

 

直ちに思い出したのは、国連人権委員会での2つの出来事だ。


 

2.朝鮮政府の正式名称を呼べ

 

1997年か98年か、正確なことは覚えていないが、2000年よりは前だったように思う。当時、国連人権委員会は毎年3月前後に6週間開催されていた。1995年以後の人権委員会にはすべて参加した(全日程ではないが、毎会期におおむね4週間ほど参加した)。その中での出来事だ。

 

当時、人権委員会では、朝鮮政府が毎年のように日本軍「慰安婦」問題を取り上げて、日本政府に解決を求めていた。ある時、日本大使が反論をした。その中で「北朝鮮North Korea」と連発した。そのやりとりをおおむね再現する(私の記憶だけに基づいているが、実に鮮明な記憶なので、全体の流れは間違いないと思う)。

 

日本――北朝鮮North Koreaが「慰安婦」問題について発言したが・・・

朝鮮――ポイント・オブ・オーダー。

議長――(日本政府のマイクをオフ、朝鮮政府のマイクをオンにして)朝鮮政府DPRKどうぞ。

朝鮮――国連に登録しているわが国の正式名称で呼ぶように要請する。

議長――各国は、国連で用いられる適切な表現を用いるように要請する。

日本――議長ありがとうございます。了解しました。(演説を続けて)・・・この点で日本としては北朝鮮に反論したい・・・

朝鮮――ポイント・オブ・オーダー。

議長――(日本のマイクをオフ、朝鮮のマイクをオンにして)朝鮮政府DPRKどうぞ。

朝鮮――我が国の名称は国連に正式に登録しているように朝鮮民主主義人民共和国DPRKである。国連に登録している正式名称で呼ぶように要請する。

議長――各国は、他国を呼ぶ際には国連にふさわしい呼称を用いるように要請する。

日本――議長ありがとうございます。さて、我が国といたしましては、村山首相のおわび等によりまして・・・・そこで北朝鮮と・・・

各国政府――(机をたたきながら、呆れて)大笑い。爆笑。爆笑。

朝鮮――ポイント・オブ・オーダー。

議長――朝鮮政府DPRKが言いたいことはわかります。私から述べます。各国は、国連にふさわしい呼称を用いるよう重ねて要請します。

 

以上が実際にあった出来事だ。

 

日本大使は事前に用意した演説原稿を棒読みしていた。だから、North Koreaと出てくる個所をDPRKと読み替えればいいのだが、それすらできないで、大恥をかいたのである。果てしのない馬鹿としか言いようがない。

 
 

3.ギャングスター事件

 

これも1998年か、99年の国連人権委員会での出来事である。

 

「市民的政治的権利」の議題だったと思うが、ニカラグア政府がキューバ批判を行った。当時、ニカラグアはアメリカのいいなりと言ってよい状態だった。アメリカはよくキューバ叩きをしていたが、ニカラグアもキューバ批判をした。主な内容は、キューバの監獄における生活水準が劣悪だというものだった。

 

これに対して、キューバが反論権を行使した。キューバの監獄においては人権を尊重していると述べ、アメリカの制裁によって苦しい食糧事情のもとでキューバは人民の生活を維持していると述べ、その後に、ニカラグア批判をした。かつて、キューバはニカラグアに無償で医師や教師を派遣するなど、医療や教育の支援を行ったのに、今になってこのような批判をするのは恩知らずである。このようなやり口は「ギャングスター」と言われても仕方がない、と述べていた。(キューバはスペイン語で演説していた。私は英語の通訳で聞いていたので、gangsterには驚いた)

 

その瞬間、バンッという大きな音が会場に響き渡った。
 
 
 
人権委員会は、ジュネーヴの国連欧州本部新館の大会議室で開催されていた。1000人くらい収容できる会議室で、約190カ国の政府の席がある(今なら193カ国)。一つの政府に椅子は4つある。その他に国連機関、NGO、プレス、事務局の席もある。人権委員会だとふだんは4~500人くらいがいたと思う。

 

その会場にバンという凄い音だ。私が座っていた席は後ろの方だが、床は緩やかな斜面になっていて、前の方が低くなっているので、よく見える。ABC順なので、中央あたりでニカラグア政府が立ち上がっていた。

 

ニカラグア――ポイント・オブ・オーダー。

議長――(キューバのマイクをオフ、ニカラグアのマイクをオンにして)ニカラグアどうぞ。

ニカラグア――(静かに、というか、ドスの聞いた声で)ギャングスターなどという言葉は政府代表を侮辱するもので許されるべきではない。(僅か一言)

議長――各国は、国連にふさわしい表現を用いるように要請する。キューバ政府の表現は一部記録から削除する。

キューバ――議長ありがとうございます。了解しました。(以下、次の演説を続けたが、穏やかな表現を用いた)

 

この時はキューバがやり過ぎたのだ。アメリカによるキューバ叩きが続いているので、懸命に反論しなければならないのに、ニカラグアがアメリカの提灯持ちになったため、つい「ギャングスター」と言ってしまったのだろう。

 

その翌日か翌々日だったと思う。「市民的政治的権利」に続いて、「女性に対する暴力」の議題に入った。

 

「女性に対する暴力」の議題では、毎年、必ず朝鮮政府といくつかのNGOが日本軍「慰安婦」問題を取り上げていた。そして、朝鮮政府の発言で、この時、日本をはっきりと「ギャングスター」と呼んだ。さすがの私もギクリとした。朝鮮政府の公使か書記官だったと思うが、英語で発言していた。在ベルンの朝鮮政府大使はフランス語が堪能で必ずフランス語で演説する。この時は英語だったので、公使か書記官だったと思う。発言直後に演説原稿をもらったが、やはりgangsterと書いてあった。キューバとニカラグアの件があったので、あえて入れたのだろう。

 

その時、日本政府代表の席には2人の男性外交官が座っていたと思うが、2人とも、机を叩くことも、ポイント・オブ・オーダーと叫ぶこともなく、ただひたすら俯いていた。メモでもとっていたのだろうか。

 

翌日発行された国連のプレスリリースを見たが、ギャングスターという言葉はなく、もちろん、日本が抗議したという記録もなかった。

 

国連の場で、盗人と呼ばれても、ギャングスターと呼ばれても、ニヤニヤ笑っている国、われらがニッポン。