Friday, September 14, 2012

朝鮮学校の高校無償化除外問題(二)


雑誌「統一評論」549号(2011年7月)

ヒューマン・ライツ再入門31

朝鮮学校の高校無償化除外問題(二)

                   

 

 二〇一〇年四月に導入された高校無償化だが、一部の右翼政治家により朝鮮学校排除が叫ばれ、菅直人政権は右翼政治家に引きずられるように判断を先送りし、やがて「判断基準」をずるずると変更し、いつの間にか自ら差別政策を採用して、朝鮮学校排除を確定させてしまった。二〇一一年三月末を迎えたことによって、無償化適用の一年目を徒過してしまった。

 以下、前号に引き続き、高校無償化問題の経過を整理し、問題点について検討したい。

 

八 韓国における取組み

 

韓国の日刊紙国民日報(電子版)では「すでに決定された懸案(高校授業無償化法案の対象に各種学校も含むこと)を、政治的な問題と連係させて、覆そうとするのはおかしな話だ。過去に日本政府が、各種学校に対して行った差別政策と同様に、支援から除外することもまた差別だ」と記している。同紙では、これまでの朝鮮学校の歴史も、決して平たんではなかったとして「暗鬱だった過去を克服するためにも、朝鮮学校を支援から除外することは望ましくない。日本政府の前向きな最終決定を期待する」と結んでいる。また、「韓国挺身隊問題対策協議会」など約五〇の民間団体は、ソウルで反対集会を行ったという。「韓国挺身隊問題対策協議会」「民族問題研究所」「地球村同胞連帯(KIN)」などの民間団体は二〇一〇年三月四日、朝鮮学校の高校授業料無償化除外に反対する集会『真実と未来、国辱一〇〇年事業共同推進委員会』を開催した。この中で団体らは、朝鮮学校を給付対象に含めるべきだとする声明を発表した。「一〇校余ある朝鮮学校を支援しないということは、在日朝鮮人に対する歴史性と現実性を無視した差別的処置」とし、「日本による植民主義の清算を心から望む世界の人びとは、今回の(朝鮮学校に対する)高校授業料無償化法案をその試金石として常に注視している」と訴えた。日本の高校過程に相当する朝鮮高級学校は全国に一一校あり、現在約一九〇〇人が在学している。学生は朝鮮籍だけでなく、韓国籍の学生も多い。韓国メディアは韓国国内で起こる反対の動きをはじめ、「朝鮮学校を対象に含めるべきだ」という考え示した日本の社民、国民新両党の主張を報じるなど、日本で揺れる高校無償化について関心が向けられているという。

他方、朝鮮新報三月一六日によると、此の問題を受け止めたソウルの市民が日本大使館前で「一人デモ」を繰り広げるなど、いくつもの取組みがなされたという。 

 

九 菅首相の指示問題

 

 中井差別発言に対して、鳩山政権では川端文部科学相が平等適用の方向性を示していたが、徐々に姿勢が揺らいでいった。そして、菅政権は差別政策を唱え始めた。

 二〇一〇年一一月二九日、弁護士の任意団体である自由法曹団は、次の声明を出した。

 「報道によれば、朝鮮民主主義人民共和国が大韓民国の大延坪島を砲撃したことを受け、本年一一月二四日、菅直人内閣総理大臣は、朝鮮学校への高校無償化制度適用プロセスを停止するよう文部科学省に指示し、二五日、文部科学省は審査を行わないことを正式に表明した。/三月の声明で述べたように、そもそも『高校無償化制度』の趣旨は、家庭の状況にかかわらず、すべての高校生が安心して勉強に打ち込める社会を築くこと、そのために家庭の教育費負担を軽減し、子どもの教育の機会均等を確保するところにある。このような制度趣旨からすれば、朝鮮学校を、一旦は『高校無償化』の対象とするとした方針を翻して、各種学校である他の外国人学校とことさら区別して、『高校無償化』制度の対象から除外する取り扱いは、多くの法的問題があるといわざるを得ない。/また、朝鮮民主主義人民共和国による大韓民国砲撃というきわめて政治的な問題を理由に方針の見直しをすることは、政治を子どもの教育に持ち込むことであって、いかなる意味でも許されてはならないことである。/私たち自由法曹団は、改めて、教育を受ける子どもたちの立場から朝鮮学校を『高校無償化』の対象とすることを強く求めるものである。」

教育に関する問題に政治的理由による差別を持ち込んだことが明確に指摘されている。

一一月二九日、大学関係者有志は次のよう声明を出した。

報道等によれば、文部科学省は、朝鮮学校による『高校無償化』の申請は予定通り一一月三〇日まで受理するが、現状では審査を『停止』することを正式に発表しました。今回の『停止』は、朝鮮半島の西海での軍事的な衝突を受けての判断だと、総理大臣、文部科学大臣、官房長官らは発言しています。従来、日本政府は『高校無償化』の適用については、『外交上の配慮などにより判断すべきものではなく、教育上の観点から客観的に判断すべき』だと繰り返してきました。今回の『停止』措置は、その見解をくつがえすものです。そのことについて文科大臣は、『平和を脅かす特別な想定外の事態』に対応したのだと説明しました。しかし、これは外交的に解決すべき問題を教育の場へと転嫁する、きわめて不当な判断だと、わたしたちは考えます。/一体、今回の軍事衝突と『高校無償化』に何の関係があるのでしょうか。今回の日本政府の過剰反応は、日米戦争のさなかに米国で日系人らが『敵性外国人』として財産を奪われ、強制収容所に送られ、日本人学校が閉鎖された歴史を思い起こさせます。また、冷戦の緊張が深まる一九四九年、在日本朝鮮人連盟が『反民主主義』的な団体であるとして強制解散させられ、朝鮮人学校が閉鎖され、財産も没収された歴史をも想起させます。こうした歴史的経験や、今回の『停止』に至る一連の措置をみるかぎり、日本政府は、朝鮮学校に通っている生徒や関係者を『敵性外国人』とみなしていると考えざるを得ません。これは『人種、信条、性別、社会的身分』に由来する差別を禁じた日本国憲法ならびに国連人権規約、人種差別撤廃条約にも反する不当な措置です。/わたしたちは、日本政府に対し、朝鮮学校の生徒や関係者を愚弄しつづけたことに対して謝罪し、即刻『高校無償化』制度を適用することを要求します。」

呼びかけ人は、板垣竜太(同志社大学)、市野川容孝(東京大学)、鵜飼哲(一橋大学)、内海愛子(早稲田大学)、宇野田尚哉(神戸大学)、河かおる(滋賀県立大学)、駒込武(京都大学)、坂元ひろ子(一橋大学)、高橋哲哉(東京大学)、外村大(東京大学)、冨山一郎(大阪大学)、仲尾宏(京都造形芸術大学)、中野敏男(東京外国語大学)、藤永壮(大阪産業大学)、布袋敏博(早稲田大学)、水野直樹(京都大学)、三宅晶子(千葉大学)、米田俊彦(お茶の水女子大学)である。

二〇一一年に入って、朝鮮高級学校三年生の卒業が迫ってくると、さらに市民運動は集会や要請行動に取り組んだ。二〇一一年二月二六日、「二・二六朝鮮学校への無償化即時適用を求める大集会」が開催され、参加者一同は次の決議を採択した。

「『高校無償化』手続き停止に怒りをもって抗議する!/二〇一一年二月四日、文部科学省は、朝鮮高級学校への『高校無償化』適用手続きを『凍結』している理由について、二〇一〇年一一月の軍事衝突を挙げ、『不測の事態に備え、万全の体勢を整えていく必要があることに鑑み』手続きを停止していると、学校側に通知した。これでは、朝鮮学校を敵視しているも同然です。また、法に基づく異議申し立てに対し、なんら合理的な説明になっていません。朝鮮半島における砲撃戦と朝鮮高級学校に『高校無償化』を適用するかどうかは、何の関係もないことです。朝鮮学校を差別し、子どもの人権を侵害し、『法の下の平等』を踏みにじるこのような措置は、断じて許されるものではありません。私たちは、怒りをもって抗議します。/そもそも制度発足の当初から、朝鮮学校にも『高校無償化』を適用すべきでした。そして、民族教育への弾圧の歴史を断ち切るための第一歩とすべきでした。すでに三一校の外国人学校やインターナショナルスクールが『高校無償化』の対象となっているなか、朝鮮学校を狙い撃ちして排除することは、差別以外のなにものでもありません。文部科学省が設置した検討会議の報告書にも『外交上の配慮などにより判断すべきものではなく、教育上の観点から客観的に判断すべきものであるということが法案審議の過程で明らかにされた政府の統一見解である』と明記されています。政府は自らの言葉に責任を取らねばなりません。即時に、『高校無償化』を朝鮮高級学校に適用するよう日本政府に要求します。/日本政府はこれまで、植民地支配の責任を省みることもなく、在日朝鮮人の民族教育を否定してきました。朝鮮学校は、義務教育段階を含めた学校教育を担っているにもかかわらず、法律上『各種学校』とされ、国からの公的な助成は一切ありません。それどころか、学校への寄付金に対する税制上の差別すらあります。これらの差別については、日本弁護士連合会や国連の委員会から、繰り返し是正勧告が出されています。本来なされるべきは、朝鮮学校をはじめとする外国人学校に対する差別的な処遇を改め、日本に暮らすすべての子どもに学ぶ権利を保障することです。/ここに集まったわたしたちは、日本政府による悪辣な差別と取り返しのつかない愚行を、満腔の怒りとともに糾弾します。そして、心ある全ての人々に、それぞれの場所、それぞれの立場から、あらゆる手を尽くして、この差別と闘うことを呼びかけます。」

 市民団体は三月中旬にも東京大集会を予定していたが、三月一一日の東日本大震災と原発事故のため中止を余儀なくされた。

 

一〇 日朝の青年学生は手をつなごう

 

 二〇一一年一月二八日、高校無償化問題をめぐって、「本郷文化フォーラム・ワーカーズスクール(HOWS講座)」において、「朝鮮高級学校を卒業した朝鮮大学校の学生・研究生四人と日朝の連帯運動に参加してきた日本人の大学生・大学院生二人による討論会が行われた。その記録がパンフレット報告と討論:日朝の青年学生は手をつなごう――「高校無償化」からの朝鮮学校排除問題を手がかりに考える』(本郷文化フォーラム・ワーカーズスクール、二〇一一年としてまとめられている[一セット五部・一〇〇〇円。「このパンフレットの売り上げ金は、東日本大震災で被害を受けた東北地方の朝鮮学校への義援金に使われます」。問合せ先:HOWS、電話番号〇三―五八〇四―一六五六])。

 討論会は、「HOWSというウリハッキョ(私たちの学校)にはレーニンの肖像画が飾られていて、誰かに外せといわれても外さない(笑)」という司会者の冗談から始まっている。この冗談は、なかなかよくできた冗談である。一方では、朝鮮学校への抑圧と干渉を巧みに示すとともに、他方では、朝鮮学校に対するそれとHOWSに対するそれとの差異をも意識させるものとなっている。朝鮮学校に対する抑圧と干渉は、マジョリティによるそれであり、権力によるそれであり、法の下の平等を権力自ら踏み躙る暴挙である。司会者は、このことを自覚しつつ右の冗談を述べている。というのも、司会者の言葉は次のように続くからである。

「この朝鮮学校『高校無償化』適用除外問題は、朝鮮学校に通う生徒と保護者という限られた人の問題ではない。『無償化』問題に限らず、在日朝鮮人問題は日本のプロレタリア・インターナショナリズムを自覚する者が、それを貫徹できるかどうかの試金石だというのが私の問題意識です。皆さんそれぞれ問題意識をお持ちでしょうが、『無償化』問題は在日朝鮮人だけの問題ではない、という共通認識で講座がすすめられれば幸です。」

 こうして開始された討論会は興味深く、印象的な発言が続くが、ごく一部だけを紹介しながら見ていこう。

 まず、宋一(ソン・イル、当時朝鮮大学校政治経済学部一年)は、次のように述べている。

 「僕はこの数年間、とくに去年の朝鮮半島情勢を見ながら、誰がこの日本社会の世論を扇動し、朝鮮を敵として作り上げているのかがよくわかりました。それはマスメディアと癒着して情報操作をしている日本政府です。/考えてみれば、自分が朝鮮に対して疑問を感じたきっかけはテレビや新聞でした。しかし僕がその疑念を払拭できたのは、朝鮮学校で学び、自分の目で真実を見極めるように教えてくれ、その力を育ててくれた先生たちがいたからだと思います。たぶん朝鮮学校に通わなかったら報道に流されてこんな考えもしなかっただろうし、日本人として暮らしていたと思います。なぜなら、朝鮮学校や組織と関係を持たない僕の親戚や多くの在日朝鮮人がそうだからです。/日本政府は、こうしてマスメディアを利用して、在日同士の関係を悪化させ、内部分裂させようとしています。」

 ここには日本社会の同化圧力と、それを強化するマスメディア、そしてメディアを利用した日本政府による差別、抑圧、分断が示されている。そのことが同時に朝鮮学校の必要性を裏づけている。

 次に、金星娘(キム・ソンラン、当時朝鮮大学校政治経済学部二年)は、次のように述べている。

 「私がビラ配りをしている時に、そこを通りかかった日本の方が私にもう首相が鳩山から菅に代わるだろうから、こんなことしなくたってお金はもらえるようになるよ。と言われたことがありました。その時、私は納得がいきませんでした。/なぜなら、私たちが欲しいのはお金じゃないからです!/私たちが欲しいのは、当然あるべきはずの権利であり、在日朝鮮人として生きる権利です。/いままで、日本政府が在日朝鮮人にくれた権利など、一つもありません。すべて自分たちで闘い、勝ち取った権利ばかりです。」

 第一に、「日本の方」の発言は善意でなされたものである。まさか、市民運動出身の菅直人首相が意図的に差別政策を推進するなどとは想像もしなかっただろう。市民運動出身であろうと、何出身であろうと、権力の座についた日本の政治家は差別を決して手放さないものだという教訓になるだろう。第二に、ここで語られているのは「権利のための闘争」(イェーリング)そのものである。上から権利を与えられることに慣れてきた日本人とは異なって、在日朝鮮人は奪われた権利を回復するために闘わなければならなかった。「権利のための闘争」を実践し、引き継いできたのが朝鮮学校である。それゆえ、朝鮮学校は日本社会におけるまともな権利運動の発信拠点でもある。その恩恵を被ってきたのは日本人である。

 次に、金玉順(キム・オクスン、当時朝鮮大学校外国語学部三年)は、次のように述べている。

 「私は三年間ネットワーク(朝日・日朝大学生友好ネットワーク)活動に携わってきましたが、いままで日本の大学生と直接会って話す機会が、この活動以外なかったので、新しい経験の場になりましたし、得るものが本当にたくさんありました。視野を広げて自分自身や周りの物事について深く考えるきっかけになりましたし、日本の大学生の方たちと仲良くなって、在日朝鮮人と日本社会について深く話し合えるとてもいい経験をしています。/朝日の青年が膝を突き合わせて真剣に自分たちの未来を語り合うことによって、お互いの背負う国やその文化が少しでも近いものになると私は信じています。お互い歩み寄る努力というのが、ネットワーク活動において何よりも大事なことだと思っています。」

 知らないこと、中途半端に自分勝手な知識だけを持っていること、これが差別の一因になっていることは言うまでもない。他者の存在、歴史、文化に対する無知が、他者への不寛容となり、齟齬が生み出され、差別が始まる。幾度も指摘されてきたことだが、日本人が在日朝鮮人の歴史や文化について知らないこと、知ろうとしないことが大きな障害となっている。

 申正春(シン・ジョンチュン、当時朝鮮大学校研究院生)は、在日朝鮮人史を問い直しつつ、次のように述べている。

 「なぜか『朝鮮学校が開かれねばならない』というような世論が出てきている。もちろん朝鮮学校は開かれねばならないんですけれども、いままで公開授業もやっていますし、これまでも開かれてきたんです。にも関わらず、なぜか『もっと開かれねばならない』というふうに問題がズラされてくる。そして朝鮮学校自体は在日朝鮮人のための学校であるにもかかわらず、ただでさえ運営が厳しく、教員たちが苦しくても懸命にやっているにもかかわらず、日本の地域社会に開かれるために負担を強いられねばならない。このような状況が、この一年間の高校無償化問題を通じて押し付けられていると思います。」

 悪意で朝鮮学校に無理難題を押し付ける橋下大阪府知事だけではない。善意のそぶりを示しながら、いちおうは平等適用を唱える大新聞の中には、「朝鮮学校も変わってきている」=「だから日本の懐の大きさを示すために平等適用を」という論理が紛れ込んでいる。無償化適用を求める市民のなかにも、「朝鮮学校問題」として認識している例は少なくない。本当は「日本政府による差別問題」であるが、差別は、差別される側に弁明を強要するメカニズムを持っている。

 次に日本人学生の発言である。廣野茅乃(当時青山学院大学文学部四年)は、次のように述べている。

 「私は今回の問題が長引いていること、そしてそもそもこのような問題が生じることを食い止めることができなかったのは、日本の青年学生が運動のなかで存在を示せなかったことも、大きな原因であると思います。/私は在日朝鮮人ではありませんし、今回の問題で言えば、高校生でもない。私が在日朝鮮人に対する日本政府と日本社会の差別政策と権利侵害の状態を止めさせ、日本社会を差別なく平和な方向に変えていくにはどうすべきか、と考えるときに、私は自分自身の問題に立ち返ることが必要だと思いました。

 朝鮮人差別は日本政府の長年にわたる政策であったし、現在も菅政権によって推進されている。この政策を変えることができずにいるのは日本社会であるが、日本社会自身が差別を許容し、あるいは差別によって利益を得ている(と思い込んでいる)。その意味では、市民社会全体の基本問題であるが、右の発言にあるように、「青年学生が運動のなかで存在を示」すことも極めて重要である。

 次に、須藤虎太郎(当時東京大学法科大学院二年)は、次のように述べている。

 「私は階級的視点というのが大事だと思います。・・・菅政権が消費税を増税するということを言っていたりとか、他にもいろいろありますけれど、こうしたことは、いま恐慌に苦しんでいる独占資本がその危機を乗り切るために、人民の肩に、その危機を転嫁しようとしているということの現われとしていまのような状況がおきていると思うんです。そういったなかで、当然、日本の人民も苦しんでいるわけですけれども、そういったところで、人民の不満をそらすために排外主義が利用されているのだろうと思います。しかし、そういった不満を外にそらせようとする排外主義、こういったものが、間違いであるということを、しっかりと見抜くためにも階級的な視点が必要だと思います。」

 「失われた一〇年」と言われた一九九〇年代以来、ナショナリズム、排外主義、ポピュリズムが総動員され、さまざまに形を変えながら、市民社会に分裂をもたらしてきたことを見据えて、若者のこれからの活動を語っている。資本家と労働者の間の矛盾が、労働者の間、ジェンダーの間、高齢者と青年の間、民間労働者と公務労働者の間、異なる民族の間の矛盾に転嫁され、偽装される。内部矛盾は外部に転嫁され、外からの危機が呼号される。矛盾を乗り越えるための連帯の思想の重要性がここでは意識されている。

 

一一 おわりに

 

 東日本大震災と福島原発事故のため、日本社会は「頑張れニッポン大合唱」にハイジャックされた様相を呈している。「日本はひとつだ。日本はチームだ。日本人の団結を」という叫びが社会を貫いている。

 これは、第一に、日本社会の矛盾をかき消す効果を持っている。原発事故を招きながら、まともな対処もできない東電も、「不安院」と名称変更するべき保安院も、「原発は安全だ」とか「放射能は健康にいい」などと嘯く御用学者も、失言と前言訂正の右往左往を繰り返すだけの菅政権も、「日本はひとつ」であれば、そこに矛盾は、ない。復興を目指して団結することが「国益」とされる。

第二に、その裏側には、排外主義がぴったりと張り付いている。「ひとつである」べき日本の和を乱す者は、輪の外に追いやられる。日本人であっても「余計な発言」をしたと見なされた者は「非国民」扱いである。外国人は最初から危険視されている。原発事故後に多くの短期滞在者は離日したといわれるが、定住外国人は日本を離れるわけにはいかない。「頑張れニッポン」の恐怖に脅えながら、用心しながら日本社会で暮らすしかない。

 大震災と原発事故により政治機能が麻痺したにもかかわらず、戦争と差別を推進する政治機能だけは万全に機能している。米軍による「トモダチ作戦」、沖縄普天間基地移設をめぐる駆け引き、憲法改悪のための国民投票に向けた国会内の動き、そして朝鮮学校無償化除外。危機に直面するとその人格がよくわかるというが、実に残念なことに、危機に直面して日本政府と日本社会の「品格」がいっそう鮮明に見えてきた。