Wednesday, August 15, 2012

熱中症死亡事件はなぜ起きる

法の廃墟(18)



無罪!』2007年10月号





大阪刑務所事件



 八月二四日の読売新聞は「受刑者が熱中症で死亡、大阪刑務所の病棟」として、次のように伝えた。

 「二三日午前五時三〇分ごろ、大阪刑務所(堺市堺区)の病棟で、三〇歳代の男性受刑者がぐったりしているのに巡回中の刑務官が気付き、病院に搬送したが、約一時間半後、死亡が確認された。熱中症とみられ、堺北署が調べている。同刑務所によると、男性受刑者は一九日夜、独居房で体温が四一・七度まで上がり、熱中症の疑いがあると診断された。冷房設備のある病棟で点滴を受けるなどしたところ回復したため、二二日午前、冷房のない病棟に移っていた。独居房では、飲み物は希望すれば飲めるが、扇風機などはなかったという。同市は一一~二二日の間、最高気温が三五度を超える猛暑日が続いていたが、二二日夜から二三日未明にかけて降雨があり、最低気温は二二・七度まで下がっていた。矢鳴正志・同刑務所調査官の話『対応に問題はなかったが、今後、より健康管理に注意したい』」。

新聞記事だけからも、少なくとも次の問題点を指摘できるだろう。

 第一に、居房の状況である。風通しの悪い独居房であり、冷房や扇風機もない。受刑者に扇風機は贅沢なのだろうか。

ちなみに、筆者の自宅には過去三〇年間冷房も扇風機もないが、それは自分で決めたことであり、自己責任である。しかし、刑務所では選択可能性をあらかじめすべて奪われている。独居房の換気の悪さは、異常と言うべきではないだろうか。大阪刑務所の事例は三〇歳代の男性である。「対応に問題はなかった」などと言う矢鳴正志調査官は、何を調査したのか。

 第二に、居房における身体動作である。受刑者には身体動作の基本的自由すら認められていない。一般社会では猛暑であっても動作も移動も自由であるから、まだしも暑さをしのぐことができる。独居房でじっと座っている受刑者には心身の負担が極めて重い。

 第三に、医療体制の問題である。点滴を受けて「回復」した後、独居房に戻されて一日で死亡したというが、「回復」できずに死亡したのではないか。



熊谷拘置支所事件



 八月二五日の読売新聞によると、熊谷でも熱中症による死亡事件が起きていたことが判明した。

「埼玉県熊谷市の川越少年刑務所熊谷拘置支所で、罰金を納めず労役していた同県行田市の男性(七一)が熱中症で倒れ、搬送先の病院で死亡していたことが二四日分かった。同刑務所は男性の入院で刑が執行停止し、刑務所の管理下になかったとして公表しなかった。同刑務所によると、一五日午前四時ごろ、男性が一人部屋の布団の上で意識を失っているのに看守が気づき、一一九番通報した。男性は一七日未明、熱中症のため死亡した。熊谷市は九日から一七日まで猛暑日が続き、男性が倒れた一五日午前〇時の同支所内の温度は三二度あったという。男性の部屋は広さ約四平方メートルの単独室で冷房や扇風機はなかった。同支所は内部規則を緩め、水でぬらしたタオルで体をふくことは許可していたという。」

新聞記事からは、男性がいつから労役していたのか、倒れる以前の状況はどうだったのか不明であるが、やはり冷房も扇風機もない。

本年も八月中旬にフィジー諸島、ソロモン諸島、ナウルなどを訪問してきたので端的に言うが、東京や大阪の八月は熱帯よりも不快な暑さである。熱帯は気温が高いが、乾季なら湿度は低く、木陰に入ればすごしやすい。熱帯よりも厳しい条件下に人間を拘禁しておきながら、換気すら満足にできない状態を作り出しているのは犯罪的ではないだろうか。今年は異例の猛暑だったからやむをえないのだろうか。一般社会でも熱中症で死亡した例があるのだから、刑事施設で死亡したのも同じことなのだろうか。



  人間的処遇



  刑事施設における熱中症死亡事件は、異例な猛暑だったから仕方がないのではない。過去にも熱中症、熱射病、脱水性ショックによる死亡例が報告されている(福島至・海渡雄一「刑事施設医療」菊田幸一・海渡雄一編『刑務所改革』日本評論社、二〇〇七年)。刑事施設の管理責任を基本にさかのぼって再検討する必要がある。

  受刑者は、罪を犯したがゆえに懲役その他の刑罰を科され、一定の自由を剥奪され、刑事施設に収容される。その際に奪われる自由の範囲については、なお議論もあるが、一定の市民的政治的自由や経済的社会的自由であり、しかもその一部でしかありえない。行刑改革会議提言は「受刑者の人間性を尊重し、真の改善更生および社会復帰を図る」とし、そのために必要なコストは無駄なものではなく「必要不可欠なもの」としている。国家がその責任において人間を収容し処遇するのであるから、人間らしく生きていられる状態を保障するのは当然のことである。自由剥奪刑を執行する以上、生活条件は国家が責任を負わなければならない。それができないのなら、拘禁そのものを放棄するべきである。

 国連被拘禁者処遇最低基準規則に照らしても、日本の刑事施設の設備、通風、衛生設備、入浴、運動などに問題があることは以前から何度も指摘されてきた。

他方、東京拘置所のように建て替えが進められ、相応の改善を見た場合でも、自然とのふれあいがほとんどない閉鎖施設となったことで却って問題が指摘されている(十亀弘史「東京拘置所における未決処遇の改悪」本誌前号)。

   最後に、レッサーパンダが熱中症で死亡した事件の報道を掲げておきたい。八月二二日の朝日新聞は、次のように伝えた。

 「記録的な猛暑が続く中、千葉県市川市動植物園のレッサーパンダ一匹が熱中症で死んだことが二二日、分かった。一七歳の雄『次郎』で、園にいる一一匹の中では最年長。園側は『二〇年間の飼育経験から暑さ対策にはノウハウがあったが、今年の酷暑は予想を超えていた』と話している。担当の松浦秀治学芸員によると、気温が三五度を超えた一六日午後二時ごろから、舎内で足腰がふらついたり、倒れたりするようになった。屋内の飼育室に入れ、エアコンで温度を下げるなどしたが翌一七日朝に死んだ。解剖の結果、死因は熱中症と判明した。次郎は九〇年、長野県の茶臼山動物園で生まれ、九一年、同園に『婿入り』した。おっとりした性格の人気者だった」。

 この記事には「熱中症で死亡したレッサーパンダの次郎」の写真も掲載されている。レッサーパンダと受刑者と、どちらが人間的に扱われているだろうか。