Sunday, January 08, 2012

「デモと広場の自由」のために(一)

弾圧に抗して



九月二九日、「『デモと広場の自由』のための共同声明」(柄谷行人、鵜飼哲、小熊英二起草)が発表された。全員呼びかけ人運動として賛同を集めている。三月一一日の東日本大震災に伴って生じた福島第一原発事故に対して、原発政策の見直しを求める声が大きく広がっているが、脱原発デモに対して警察が不当な介入を行い、無用の混乱を生じさせたうえ、デモ参加者を不当逮捕する事態が続いている。これに対して声明は、次のように述べている。



「デモは警察によってたえず妨害されています。九月一一日に東京・新宿で行われた『九・一一原発やめろデモ!!!!!』では、一二人の参加者が逮捕されました。You Tubeの動画を見れば明らかなように、これは何の根拠もない強引な逮捕です。これまで若者の間に反原発デモを盛り上げてきたグループを狙い打ちすることで、反原発デモ全般を抑え込もうとする意図が透けて見えます。/私たちはこのような不法に抗議し、民衆の意思表示の手段であるデモの権利を擁護します。日本のマスメディアが反原発デモや不当逮捕をきちんと報道しないのは、反原発の意思が存在する事実を消去するのに手を貸すことになります。私たちはマスメディアの報道姿勢に反省を求めます。」



九月二三日には、民族差別と排外主義に反対するデモに対して不当弾圧が仕掛けられ、一人が逮捕された。救援会抗議声明は、次のように述べている。



「第六機動隊員が、バナーを手に持ち沿道の人達にアピールしていたAさんを引きずり出して隊列から引き離すと同時に、示し合わせたように私服警官を含む大勢の警察官がデモになだれこんできました。デモ参加者も引き倒されたり抑えつけられたりしながら抗議しましたが、警察官はきわめて暴力的にAさんを引き倒し、不当にも逮捕しました。この警察の不当、違法な行為の一部始終は、映像でもはっきりと確認できます。/これは、ただ歩いていただけのAさんを狙い撃ちにし、同時に、民族差別・排外主義に反対するすべての人々を踏みにじるも同然の行為です。」



市民の街頭行動に対する警察の違法な弾圧が続いている。日本のデモ規制の異常な厳しさはかねてより知られる。最近はインターネットを通じて不当逮捕の映像を見ることができる。歩いているだけの市民、ただ声を出しているだけの市民に、警察官がいきなり抱きついて押し倒す様子がよくわかる。また、異常な人種差別団体メンバーが、デモ隊に汚い罵声を浴びせ犯罪的な言動を弄しているのに、警察は何ら止めることなく、むしろ犯罪者と連携してデモ隊に襲いかかる有様である。まさに無法警察である。



日本国憲法第一三条は個人の尊重を定め、人格権を保障している。憲法第二一条は「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由」を保障している。だが、実際にはデモや集会の自由は極端なまでに切り詰められてきた。



恣意的処刑報告書



 国連人権理事会第一七会期に提出されたクリストフ・ハインズ「恣意的処刑に関する特別報告書」(A/HRC/17/28)は、超法規的処刑や恣意的処刑に関する報告書であるが、今回のテーマは「集会取締りの文脈での生命権の保護」である。チュニジアの「ジャスミン革命」をはじめとする、最近の「中東革命」がきっかけである。「中東革命」についての認識や評価はさまざまでありうる。以下では、特別報告書に依拠して、集会の自由、デモの自由について考えてみたい。



 報告書はまず、国際法では平和的な(平穏な)デモと暴力的なデモを区別するが、各国の国内法では合法集会と非合法集会を区別することが多いと指摘する。国際法は平穏の確保に力点を置くが、国内法は法執行(権力行使)に関心を示す。



 集会はその他の権利を促進する役割を有する。多くの場合、公開の抗議行動は、それを通じて人権を確保・実施しようと求める手段であり、野党勢力や少数派によって用いられる。だから、権力側にとって都合のよい形で規制するべきではない。集会の自由の規制は、それが暴力や人種憎悪の促進でない限り、主張内容とかかわるべきではない。スペイン憲法裁判所は、一九九五年に「民主社会においては、都市空間は流通のためだけではなく、参加のための領域でもある」と述べている。世界人権宣言第二〇条第一項は「すべての人は、平和的集会及び結社の自由に対する権利を有する」とし、国際自由権規約第二一条は「平和的な集会の権利は、認められる。この権利の行使については、法律で定める制限であって国の安全若しくは公共の安全、公の秩序、公衆の健康若しくは道徳の保護又は他の者の権利及び自由の保護のため民主的社会において必要なもの以外のいかなる制限も課することができない」としている。公共の安全や公の秩序の解釈が重要となる。



 地域レベルでは、アフリカ人権憲章第一一条が「どの個人も他人と自由に集会をする権利を持つ」とし、米州人権条約第一五条は「武器を持たない、平和的な集会」の権利を認め、欧州人権条約第一一条やアラブ人権憲章第二四条六項も「平和的な集会」の権利を認めている。その多くは国際自由権規約と同様に、集会の権利は、民主社会における法と必要に照らしてのみ規制できるとしている。取締りについては独立した裁判所に訴えることができなければならない。



 自由権規約委員会は、一九九〇年のオーリ・キヴェンマ対フィンランド事件決定で、計画されたデモに届出を条件とすること自体は、必ずしも平和的な集会の自由を侵害するものではないとし、許可制度についても、許可が出されると推定できるならば自由の侵害ではないとしている。許可条件の付し方が問題となる。事前に届け出をする余裕のない自然発生的な集会の場合、本当に届け出の余裕がなかったのであれば、集会は合法であり、それゆえ保障されるべきである。欧州人権委員会も、二〇〇七年のブクタ等対ハンガリー事件決定で同趣旨のことを述べている。ただ、国際自由権規約などは非常事態には集会の自由を規制することができると認めている。日本国憲法には非常事態規定はない。