Thursday, January 12, 2012

差別集団・在特会に有罪判決

雑誌『統一評論』550号(2011年)


ヒューマン・ライツ再入門32




  京都朝鮮第一初級学校襲撃事件を惹き起こした「在日特権を許さない市民の会(在特会)」に有罪判決が出た。暴力による学校授業に対する妨害を威力業務妨害罪、差別的暴言を侮辱罪と認定し、執行猶予付きとはいえ懲役刑を言い渡すなど、明快な判決が出たといえる。


  もっとも、起訴から判決に至るまで、本件をヘイト・クライム(憎悪犯罪)として論定することはできていない。ヘイト・クライム法がないため、刑法の威力業務妨害罪等を活用することになった。そのこと自体に異論があるわけではないが、威力業務妨害罪で有罪としたのだからそれで足りると考えるべきではない。やはり、ヘイト・クライム法が必要である。以下、検討したい。



京都朝鮮学校襲撃事件



  四月二一日、京都地方裁判所は、在特会や「主権回復を目指す会」の構成員が京都朝鮮第一初級学校等に対して行った差別(暴言・虚言)と暴力事件について、四人の被告人による犯罪事実を認定し、それぞれ懲役一~二年(いずれも執行猶予四年付)を言い渡した。東日本大震災と原発事故のニュースが報道の大半を占めていたため、この判決は関西以外ではほとんど報道されなかった。


  事件は二つの事実からなる。第一に、京都朝鮮学校襲撃事件である。二〇〇九年一二月四日、被告人ら四名(ABCD)が、共謀の上、京都朝鮮第一初級学校前に押しかけて暴言を撒き散らし、スピーカーに接続された配線コードを切断した(威力業務妨害罪、侮辱罪、器物損壊罪)。第二に、徳島県教組乱入事件である。二〇一〇年四月一四日、右の四名のうち三名(ABC)が、共謀の上、徳島県教職員組合事務所に乱入し、暴行や暴言を伴う大騒ぎをした(建造物侵入罪、威力業務妨害罪)。


京都朝鮮学校襲撃事件について、判決理由の第一・第二は次のように述べている。


被告人四名は、京都朝鮮第一初級学校南側路上及び勧進橋公園において、被告人ら一一名が集合し、日本国旗や『在特会』及び『主権回復を目指す会』などと書かれた各のぼり旗を掲げ、同校校長Kらに向かってこもごも怒声を張り上げ、拡声器を用いるなどして、『日本人を拉致した朝鮮総連傘下、朝鮮学校、こんなもんは学校でない』『都市公園法、京都市公園条例に違反して五〇年あまり、朝鮮学校はサッカーゴール、朝礼台、スピーカーなどなどのものを不法に設置している。こんなことは許すことできない』『北朝鮮のスパイ養成機関、朝鮮学校を日本から叩き出せ』『門を開けてくれ、設置したもんを運び届けたら我々は帰るんだよ。そもそもこの学校の土地も不法占拠なんですよ』『戦争中、男手がいないところ、女の人レイプして虐殺して奪ったのがこの土地』『ろくでなしの朝鮮学校を日本から叩き出せ。なめとったらあかんぞ。叩き出せ』『わしらはね、今までの団体のように甘くないぞ』『早く門を開けろ』『戦後。焼け野原になった日本人につけ込んで、民族学校、民族教育闘争ですか、こういった形で、至る所で土地の収奪が行われている』『日本から出て行け。何が子供じゃ、こんなもん、お前、スパイの子供やないか』『お前らがな、日本人ぶち殺してここの土地奪ったんやないか』『約束というものは人間同士がするものなんですよ。人間と朝鮮人では約束は成立しません』などと怒号し、同公園内に置かれていた朝礼台を校門前に移動させて門扉に打ち当て、同公園内に置かれていたサッカーゴールを倒すなどして、これらの引き取りを執拗に要求して喧騒を生じさせ、もって威力を用いて同校の業務を妨害するとともに、公然と同校及び前記学校法人京都朝鮮学園を侮辱し、被告人Cは、勧進橋公園内において、京都朝鮮学園が所有管理するスピーカー及びコントロールパネルをつなぐ配線コードをニッパーで切断して損壊し」た


これらが威力業務妨害罪(学校の授業運営などを妨害した)、侮辱罪(朝鮮学校に対する侮辱)、器物損壊罪(配線コード切断)と判断された。



徳島県教組乱入事件



 判決理由の第三は次の通りである。


被告人ABCは、共謀の上、あしなが育英会等に寄付するとして集められた募金の中から徳島県教職員組合が四国朝鮮初中級学校に支援金を渡したとして糾弾するなどして同組合の正常な業務を妨害する目的で、四月一四日午後一時一五分ころ、徳島県教育会館二階同組合事務所内に、『日教組の正体、反日教育で日本の子供たちから自尊心を奪い、異常な性教育で日本の子供たちを蝕む変態集団、それが日教組』などと記した横断幕、日章旗、拡声器等を携帯して、『詐欺罪』などと怒号しながら侵入した上、約一三分間にわたり、同事務所において、同組合の業務に係る事務をしていた組合書記長T及び組合書記Mの二名を取り囲み、同人らに対し、前記横断幕、日章旗を掲げながら、拡声器を用いるなどして、『詐欺罪じゃ』『朝鮮の犬』『売国奴読め、売国奴』『国賊』『かわいそうな子供助けよう言うて金集めてね、朝鮮に一五〇万送っとんねん』『募金詐欺、募金詐欺じゃ、こら』『非国民』『死刑や、死刑』『腹切れ、お前、こら』『腹切れ、国賊』などと怒号し、『人と話をするときくらいは電話は置き』『置けや』などと言いながら前記Tの両腕や手首をつかむなどして同人が一一〇番通報中であった電話の受話器を取り上げて同通話を切った上、同人の右肩を突き、『朝鮮総連と日教組の癒着、許さないぞ』『政治活動をする日教組を日本から叩き出せ』などとシュプレヒコールするなどした上、机上の書類等を放り投げ、拡声器でサイレン音を吹鳴させるなどし、事務所内を喧噪状態に陥れて同組合の正常な業務を不能ならしめ、もって同事務所に正当な理由がないのに侵入した上、威力を用いて同組合の業務を妨害した」。


  これらが建造物侵入罪と威力業務妨害罪と判断された。


  以上が在特会事件第一審判決の概要である。事件の法的評価について言えば、起訴状自体が不十分なものであったため、判決も不十分である。朝鮮学校を舞台とする朝鮮人差別と暴行の事件は、本質的にはヘイト・クライムであるが、日本にはヘイト・クライム法がない。また、名誉毀損罪があるにもかかわらず、検察官は名誉毀損罪を起訴状(訴因)に含めず、威力業務妨害罪、侮辱罪、器物損壊罪に絞った。



有罪判決が出た意義



これまで各地で蛮行を繰り返してきた在特会に、刑事裁判で初めて有罪判決が出たことは大きい。蕨市におけるカルデロン事件、三鷹事件、名古屋博物館事件、西宮事件、秋葉原事件など各地で、在特会は警察に見守られながら激しい差別と暴力を繰り返してきた。京都朝鮮学校事件でも、現場に立ち会った警察官は差別と暴力を規制するそぶりも見せなかった。朝鮮学校関係者や弁護団の度重なる要請によって、ようやく重い腰を上げて京都地検が動き、本件が立件された。被告人らが逮捕されたのは事件から八ヶ月も後のことであった。このように遅れがちであったが、ともあれ威力業務妨害罪や侮辱罪で有罪となった。執行猶予四年の間は蛮行が収まることが期待できる。


 本判決は刑事裁判判決であるため、認定事実は、検察官と被告人側の主張・立証に基づいたものである。被害者である朝鮮学校側の主張は、検察官の主張を通じて法廷に一部顕出したにすぎない。むしろ、被害者の主張は正面から登場しなかったといってよいだろう(被害者側の主張は、これとは別の民事裁判で示されている)。それゆえ、本件決について論評する場合、それが検察官と被告人側の主張・立証だけをもとにした事実認定であることを意識しておく必要がある。


 これに関連して、以下ではいくつか感想を記しておきたい。


 第一に、被害者側の朝鮮学校による勧進橋公園利用に関して、都市公園法違反容疑での取り調べが行われるなど、あたかも「喧嘩両成敗」のような手続きが取られた。この点では、差別と暴力に専念する在特会の主張に、それなりの正当性があったかのような観を呈することになった。少なくとも、在特会は、朝鮮学校による違法行為を告発し、捜査機関が捜査を行う契機を与えたことを自慢することができる。現に刑事裁判の法廷で、被告人らは正当行為であるとの主張を続けた。朝鮮学校側は捜査に協力を余儀なくされ、捜査機関による不当介入の恐れも感じさせられる事態であったようだ。犯行現場に駆け付けた警察官が、在特会の犯行を阻止することなく、見守り続けたことも、在特会側に「警察官も認めていたのだ」という主張の口実を与えていたが、検察の事案処理も同様の効果を持ちうるものであった。


 第二に、名誉毀損罪(刑法第二三〇条)を適用せず、侮辱罪(刑法二三一条)での起訴となった。事実の摘示の有無に関する法的評価のわかれともいえるが、実際には名誉毀損罪一般につきまとう立証の困難があったのであろう。憲法上の表現の自由との関係があり、被告人側が争えば、検察側は立証に多大の精力を注ぐ必要が出てくる。「三年以下の懲役若しくは禁錮または五十万円以下の罰金」が法定刑とされた名誉棄損罪ではなく、「拘留又は科料」しか予定されていない侮辱罪を選択したことには疑問が残る。もっとも、立証上の困難をもつ名誉毀損罪を回避して侮辱罪で起訴しつつ、「三年以下の懲役又は五十万円以下の罰金」の威力業務妨害罪(刑法第二三四条)および「三年以下の懲役又は三十万円以下の罰金若しくは科料」の器物損壊罪(刑法第二六一条)を介して懲役刑を選択する余地を生みだしたと見ることもできる。その点では検察官の工夫が功を奏したともいえよう。


京都朝鮮学校襲撃事件だけではなく、建造物侵入罪と威力業務妨害罪の徳島県教組乱入事件もあるので、懲役刑の選択は必至であったから、名誉毀損罪と侮辱罪のいずれを選択するかはさして重要ではないとの判断もありうる。名目よりも実質を重視して、ヘイト・クライム法への関心を度外視すれば、適切な事件処理が行われたと評価できることになる。


 なお、仄聞するところでは、在特会メンバーの三人(ABC)は控訴せず、本判決が確定したという。他方、主権回復の会メンバーのDだけは控訴したようである。在特会と主権回復の会との間に方針の差異が生じたようである。


 第三に、逮捕・起訴・有罪判決によって在特会の違法活動に一定の制約がかかったように思われる。京都朝鮮学校襲撃については、仮処分命令と合わせて、抑止効があった。執行猶予の四年間は一定の効果が期待できる。もっとも、京都以外の各地の在特会にどこまでの効果が及ぶかは不明である。五月には大阪の鶴橋駅前で在特会による朝鮮人差別の街宣が行われている。とはいえ、暴力に踏み出せば、これまでとは違って警察による規制が入る可能性は大きくなった。本来なら、長期にわたって在特会の暴力を見逃してきた警察の責任問題なのだが、ともあれ有罪判決によって、暴力は許されないという当たり前のことを在特会にも思い知らせることになったし、各地の警察も今後は適切な対処をすることが期待できる。また、各地の市民運動は、これまで以上に在特会に毅然と対応できるだろう。


 第四に、インターネットを活用して行動への参加を呼び掛け、ユーチューブなど映像による宣伝を行ってきた在特会に、「新しい運動だ」「問題提起だ」などと勘違いして参加してきた若者たちが、過ちに気づいて差別や暴力から遠ざかることも期待できる。



在特会とは何か



ジャーナリストや市民による在特会の監視も強まってきた。ジャーナリストの安田浩一「『在特会』の正体」『G2』第六号(二〇一〇年)の続編である、同「ネット右翼に対する宣戦布告」『G2』第七号(二〇一一年)は、在特会代表について、「意見の異なる他者をすべて『朝鮮人』だと決め付けることで、どうにか自分を保っている人々に対して、私は何も反論する言葉を持たない。語彙の乏しさと貧困な想像力を憐れむだけである。そもそも在特会がしていることは、社会変革を目的とした『運動』と呼べるものなのか――。それこそが取材当初から私が抱かざるを得なかった疑問のひとつである」と述べている。


 安田は、在特会のみならず、類似のネット右翼を丹念に取材した結果として、次のようにまとめている。


 「ネット右翼は決して右翼や民族派なんかじゃない。それらしい味付けを施しながら、自らの存在を国家に投影しつつ、ダイナミックに自分自身を描こうとしているに過ぎない。そして集団で他社を貶め、『正義』に酔っているだけだ。」


 安田の指摘は、在特会などの差別団体の性格と行動様式を考える上で重要である。筆者はかつて「どこが『保守』なのか」と題して次のように書いたことがある。


 「ところで、在特会は『行動する保守』と称している。果たして彼らは『保守』なのだろうか。/『保守』とは何かという定義に深入りするまでもなく、『保守』は日本の政治・社会・文化のあり方を、歴史や伝統に引き寄せて理解してきた。日本の歴史、日本の美を強調し、伝統回帰、または伝統の再構築を図ってきた。その特徴は、日本らしさを引き受け、変わらざるものを慈しみ、変化する場合にも穏健で自然な変化を遂げることを願ってきた。そうした保守には、穏健で、歴史的淵源と深みのある『思想』があった。同時に、保守思想は、日本の奥の深さ、懐の深さ、日本的寛容を唱えてもきた。保守にはそれなりの論理と、何よりも気概というものがあった。/このような保守と照らし合わせてみると、歴史に学ばず、他者との対話を拒否し、憎悪と差別を撒き散らす暴力集団を『保守』と自称するのは、レッテル詐欺でしかないだろう。/それでは、在特会は『右翼』なのだろうか。政治的立場としては右翼に位置することは確かであろう。戦前・戦後を通じて右翼は『テロ』と親和的であったから、在特会も右翼に見える面がある。/しかし、右翼には右翼の歴史があり、思想の積み重ねがあったはずである。そうした気配を微塵も感じさせない暴力集団を右翼に数えることが適切なのかどうか、疑問は残る。/『保守か革新か』『右翼か左翼か』という二項対立を前提として把握しようとすれば、在特会が保守や右翼に位置するかのように見えることもあるかもしれない。/だが、在特会の実態を見るならば、保守や右翼というよりも、単なる暴力集団という特徴こそが本質的である。/むしろ、真の保守や右翼こそ、弱いも者いじめに専念し、差別と排外主義に走るだけの暴力集団を批判するべきではないだろうか。」(前田朗『ヘイト・クライム』三一書房労組、二〇一〇年)


 安田の指摘は、筆者の疑問を裏付けるものと言えよう。



人はいつ、どこでレイシストになるのか



 他方、鵜飼哲(一橋大学教授)は、二〇一〇年一一月一〇日に、第二東京弁護士会人権擁護委員会主催の講演会において、「人はいつ、どこでレイシストになるのか」と問いを投げかけて、次のように述べた。


 「人はいつ、どこでレイシストになるのかということについていえば、『どこ』かを確定することは難しいですね。今、日本の学校がどうなっているのかということも不安な気はします。しかし、大きく言ってやはりテレビやネットの情報環境でこうした考え方が拡大していることは確かでしょう。現在日本では、単にネットだけではなく、テレビの状況が相当深刻です。北朝鮮や中国に関するテレビ報道は、映像や言葉のレベルで、これは明らかにレイシズムと言える例があふれていると思います。/分類上の『狂信派』は秘教的な集団を形成し、勉強会を通じてイデオロギー的な集団性を獲得するに至るわけですけれども、どうも今大衆的に街頭行動に出てきているグループには、そのような集団性はないような気がします。広がりと裏腹の脆弱さもあるような気がしていて、この両面をどう把握するのかはひとつの課題とみなしていいかと思います。」(第二東京弁護士会主催のシンポジウムの記録『現代排外主義とヘイトクライム法の検討』第二東京弁護士会、二〇一一年)


 「ネット右翼は決して右翼や民族派じゃない」という安田と、「広がりと裏腹の脆弱性」を見る鵜飼の見解は共振しているだろう。


 鵜飼はさらに社会現象としてのレイシズムについて、キャピタリズムやナショナリズムとの関係を解きほぐそうとする。「社会の病気」としてのレイシズムは資本主義との連関で、とりわけ新自由主義との関係で理解できる。ナショナリズムとの関係を的確に理解することは案外難しい面が残るが、ナショナリズムが行きつく先にレイシズムが用意されていることは間違いない。鵜飼は次のように指摘している。


 「今の日本のナショナリズムは排除によってしか自己主張ができない。何か積極的に守るべきものがあってそれを防衛しようというナショナリズムではない。・・・/何か自負するものがあるかというとない。理念もない。具体的な目標が何かあるかというと、これもない。だから、今の民主党のポスターではありませんが、『元気な日本』とか、昔は何かいいものがあったようなことを言っているだけ。このナショナリズムは、米軍基地をなくそうという方向には絶対に行かない。自分自身に対する自負がないのですから、それでも自分が高まるという幻想に浸りたいと思うと他者を自分より劣ったものとする、蔑視するしかない。/そうすると、坂道を転落するようにレイシズムに向かっていってしまう回路が、どうも今の日本にはあるような気がする。」(同右)


 理念も目標もないが、自己意識だけは肥大化したナショナリズムのなれの果てとしてのレイシズムであり、ヘイト・クライムである。


 なお、鵜飼哲「鎧と毒矢・原発震災の中で外国人排斥運動を再考する」『月刊社会民主』六七四号(二〇一一年)の次の指摘も重要である。


 「憲法二五条一項に規定された『健康で文化的な最低限度の生活を営む権利』が、現在福島県の広域にみられるように、あからさまな虚言によってかくも安易に踏みにじられ、秩序優先の国家意志が強制されるのであれば、そしてそのとき、家族にも、市民社会にも、地方自治体にも、無防備な個人を守り支える意志、思想、能力が欠如しているのであれば、『棄民』の恐怖は『国民』ひとりひとりの頭上に、つねに、ダモクレスの剣のようにぶら下がっているのである。このような社会に、『非国民』とみなされた人々におぞましい言葉の『毒矢』を射ちまくり、そのことによって幻想の『鎧』を身にまとい、つかのまの、むなしい高揚感を得ようとする人々が続々と現れることは不思議ではない。震災直後の日々にも、外国人犯罪に関する悪質なデマが、日本語のネット環境には多数流された。」


 大気圏と太平洋に放射能をばらまき、垂れ流しているのが日本政府と東京電力であり、ネット上に外国人差別のデマを垂れ流しているのが日本社会である。鵜飼はさらに次の事実を指摘する。


 「郡山市の朝鮮学校は震災直後、避難所として校舎を解放、数十人の日本人被災者を受け入れた。その朝鮮学校に、文科省から県内すべての学校に配布された線量計は、ついに届くことはなかった。」




京都事件判決の法理



  在特会による蛮行は、現代日本における人種差別と排外主義の典型事例である。人種差別禁止法やヘイト・クライム法について議論するための素材として、京都事件に焦点を当てて、判決の法理を検討してみよう。


  被告人らは、「京都朝鮮学校南側路上及び勧進橋公園において、日本国旗などを掲げ、同校校長Kらに向かってこもごも怒声を張り上げ、拡声器を用いるなどして」、差別的な発言を怒号し、「同公園内に置かれていた朝礼台を校門前に移動させて門扉に打ち当て、同公園内に置かれていたサッカーゴールを倒すなどして、これらの引き取りを執拗に要求して喧騒を生じさせ、もって威力を用いて同校の業務を妨害するとともに、公然と同校及び前記学校法人京都朝鮮学園を侮辱し、被告人Cは、勧進橋公園内において、京都朝鮮学園が所有管理するスピーカー及びコントロールパネルをつなぐ配線コードをニッパーで切断して損壊し」たものである。


  六月二四日、龍谷大学で開催された第二回ヘイト・クライム研究会において、本判決の検討を行った。そこでの議論も参照しつつ、ヘイト・クライムとの関係で目につく点を検討すると、第一に、罪名は威力業務妨害罪、侮辱罪、器物損壊罪である。名誉毀損罪が訴因に含まれていないため、判決も侮辱罪を適用するにとどめた。侮辱罪の刑は拘留又は科料にとどまるが、威力業務妨害罪などとセットのために、懲役刑(執行猶予付)が選択されている。名誉毀損罪の適用には立証上の問題があるため、これを適用せず侮辱罪にしたが、刑は威力業務妨害罪等の適用によって適切なものになし得たということであろうか。逆にいえば、威力業務妨害罪に問える場合でなかったとしたら、名誉毀損罪ではなく侮辱罪だけで拘留又は科料ということがありえたことになる。


  第二に、判決の文脈によると、怒号その他の行為によって「喧騒を生じさせ、もって威力を用いて同校の業務を妨害するとともに、公然と侮辱し、損壊し」たという流れになる。「妨害するとともに」というつながりから「喧騒を生じさせ、公然と侮辱し」と読む可能性もないわけではない。侮辱罪は名誉毀損罪と異なって事実の摘示を必要としないし、平穏侵害の要件もないので、喧騒と侮辱は関係ないはずだが、つながりがあるという読み方もありうるということだろうか。


第三に、被害者は朝鮮学校と学校法人朝鮮学園とされている。集団侮辱罪のあるドイツとは異なって、日本刑法の侮辱罪の法益は個人的法益であって、集団侮辱には適用できない。このため、被害者として法人等の組織があげられている。逆にいえば、在日朝鮮人一般に対する攻撃の場合は侮辱罪が成立しない場合があることになる。



ヘイト・クライム法の必要性



 在特会の蛮行は朝鮮学校を直接の対象としている。判決において引用された差別発言も、なるほど朝鮮学校を名指ししている。しかし、「約束というものは人間同士がするものなんですよ。人間と朝鮮人では約束は成立しません」のように、朝鮮学校ではなく、朝鮮人全体を対象とした表現も使われている。判決に引用されていない発言の中にも、やはり朝鮮人全体をターゲットにしたものがある。まして、在特会の従来の言動からいっても、在特会の名称や組織の性格からいっても、朝鮮人一般に対する差別と迫害を行うことを目的とし、その主要な活動内容としていることは明らかである。


  判決の文脈を、被害者は誰かという観点から見直してみると、威力業務妨害罪、侮辱罪、器物損壊罪の三つの罪について同一の被害者を認定することが便宜であり、それに従って判決文が書かれていると考えられる。威力業務妨害罪として構成すれば、学校の授業運営が妨害されたのだから、当然、被害者は学校及び法人になる。器物損壊罪も同様である。侮辱罪もこの二罪ととともに掲げられている。三つの罪名は実行行為の順に従って列挙されている。このため侮辱罪に関する判決文が、威力業務妨害罪と器物損壊罪の間に挟まれて、前者との関係で記述されているように見える。


  名誉毀損罪の場合と異なって、侮辱罪の認定・評価には特段の理論的争いはないし、本件事案もくだくだしく解釈を展開するまでもなく、当然、侮辱罪との認定ができるので、このような判決文になったのであろう。この限りでは、本件では起訴状の構成に対応して穏当な判決が書かれたということができよう。


 しかし、判決が実際に起きた事案を適切に反映したものかという観点で検討すれば疑問も少なくない。ヘイト・クライムや集団侮辱罪の規定がないことに由来するが、このことをどのように評価するかは判断が分かれうる。第一に、ヘイト・クライム法がなくても、検察・裁判所は別の罪名を活用して事案を的確に把握したという理解である。第二に、ヘイト・クライム法がないため、事案が縮小認定され、事件が矮小化されたという理解である。後者の立場からは、実態に即した法的評価を可能とするような人種差別禁止法やヘイト・クライム法の整備が課題となる。「日本には人種差別禁止法を必要とするような人種差別はない」と断言する日本政府の現状を是正するために、やはり事実に即した評価こそが重要である。日本にはヘイト・クライムがあり、在特会はヘイト・クライムを教唆・煽動し、率先して実行してきた。ヘイト・クライムは許されないというメッセージを明瞭に発することが求められている。


 そのために、ヘイト・クライムとは何か、その定義を的確に行う必要がある。前田朗「ヘイト・クライムを定義する(一)~(六)」本連載18、19、23、24、28、29参照。


 ヘイト・クライムによって何が侵害されるのか。保護法益を解明することも重要である。前田朗「ヘイト・クライムはなぜ悪質か(一)~(四)」『アジェンダ』三〇~三三号(二〇一〇~一一年)。


 さらに、ヘイト・クライム法規制の比較法的考察も不可欠である。そのための基礎研究が必要である。前田朗「ヘイト・クライム法研究の課題」『法と民主主義』四四八号・四四九号(二〇一〇年)、同「ヘイト・クライム法研究の展開」第二東京弁護士会前掲パンフ、同「ヘイト・クライム法研究の現在」『村井敏邦先生古稀祝賀論文集・人権の刑事法学』(日本評論社、二〇一一年予定)など参照。


 こうした研究の積み重ねによって、日本に必要なヘイト・クライム法についての議論を深めることが可能となるだろう。


 先に紹介したヘイト・クライム研究会は、本年五月、龍谷大学で第一回研究会を開催した。金尚均(龍谷大学教授)がドイツの民衆扇動罪について検討し、筆者が「人種差別表現の自由」という議論を批判した。六月の第二回研究会では、桜庭総(九州大学助教)がドイツのヘイト・クライム厳罰化法と統計法を紹介し、金尚均が、在特会有罪判決を検討した。今後も研究会を継続する予定である。

Tuesday, January 10, 2012

デモの自由と規制の実態(二)

拡散する精神/萎縮する表現(10)


『マスコミ市民』516号(2012年1月)



日本国憲法第二一条一項は「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する」としている。「集会、結社及び言論、出版」は例示であるが、「及び」の位置に注目すると、(1)集会、(2)結社、(3)言論、出版の三つの例が示されていると理解できる。



世界人権宣言は、第一九条で意見及び表現の自由、第二〇条で集会及び結社の自由を定めている。国際自由権規約は、第一九条で表現の自由、第二一条で集会の自由、第二二条で結社の自由を、区別して規定している。日本国憲法はこれらを第二一条第一項にまとめて掲げている。



次に、「その他一切の表現の自由」とあるように「一切の表現の自由」が保障されている。他人の自由や権利を侵害するものでなければ、すべての表現が同等の保障を受ける規定様式である。高い価値のある表現と低い価値しかない表現を、憲法は分けていない。国際人権法も、表現内部の価値序列を定めていない。ある者にとって意味のない表現であっても、他の者にとっては重要な表現ということがいくらでもあるからである。



ところが、実際には表現の自由の内部にさまざまな「分断線」が引かれている。集会、結社と、言論、出版とは明瞭に区別されている。日本政府は事実上「人種差別表現の自由がある」と主張し、人種差別撤廃委員会で批判されている。わいせつ表現をめぐる議論状況も錯綜している。



デモの自由は「移動する屋外集会の自由」であって、憲法第二一条の保障を受けるはずなのに、前回紹介したように、公安条例や道路交通法により厳しい制約を課せられてきた。批評家の柄谷行人は、基本的人権としてのデモの自由について語る。



 「九月一一日の東京・新宿のデモでは、一二人の参加者が逮捕されたが、二二日までに全員釈放された。同二九日、柄谷さんは抗議声明の起草者の一人として会見に臨み、『根拠のない強引な逮捕』と警察を強く批判した。『逮捕以外にも警察の嫌がらせはすごい。道路交通法をたてにしているわけですが、道路交通と基本的人権と、どっちが大事なのか。車なんて別の道を通せばいい。マラソンではそうしているんだから。人権は別の道を通れないんですよ』」(毎日新聞・東京夕刊二〇一一年一一月四日)。



 柄谷の指摘は「道路の憲法的機能を発揮させよう」という意味に読める。道路交通も一面では移動の自由を担保しているが、現代のクルマ社会では産業輸送が中心であり、資本の自由と連結している。マラソンも、スポーツであり文化的側面も有している。とはいえ、道路交通やマラソンは、柄谷が指摘するように別の道を通せばよい。マラソンのために道路交通を制限するのに、憲法で保障されたデモの自由は、マラソンや道路交通よりも下に置かれている。



規模だけではない。現場での警察規制の異常さは諸外国に類を見ないと言ってよいだろう。柄谷が「逮捕以外にも警察の嫌がらせはすごい」と述べているように、第一に、警察によるサンドイッチ規制である。デモ隊の両側を警察が封鎖するかのように密着規制する。第二に、信号規制のためのデモ隊分断である。自動車交通を優先して、一車線だけのデモとし信号ごとに待機させ、デモ隊を短く分断していく。第三に、デモ・コース規制である。届け出の段階で、警察の思いのままにデモ・コースが規制される。第四に、写真撮影である。時に警察はデモ参加者の顔写真を勝手に撮影する。この威嚇効果のためにデモに参加しない例もある。こうした執拗な規制に加えて、時々デモ隊から逮捕者を出すことによって、市民の表現の自由を徹底的に封じ込めようとしてきた。



警察、検察、裁判所だけではない。日本社会の意識としても、デモの自由を尊重する姿勢が非常に弱いと言わざるを得ない。大衆的デモと言えば六〇年安保が引き合いに出される。半世紀も前の古い話である。そのくらい大規模デモは抑え込まれてきたが、市民にもデモの自由という意識が少ない。「昔はデモをやったものだ」と語る平和運動家や人権運動家は少なくない。いまなぜデモの自由がないのか。警察に弾圧されたというだけではなく、私たち市民の側にもデモの自由を半ば放棄してきた歴史があるのではないだろうか。

デモの自由と規制の実態(一)

拡散する精神/萎縮する表現(9)
『マスコミ市民』515号(2011年12月)

 ネオリベラリズムによる露骨な収奪と生活破壊に対して、ニューヨークでもワシントンでも抵抗が始まった。スペインのマドリードで開催されたデモ(集団示威行動)では、ベートーベンの第九交響曲の「歓喜の歌」の大合唱が起き、世界に感動を送り届けた。

 日本でも脱原発を求める市民のデモが各地で展開されている。国家による福島県民棄民政策、東京電力による責任逃れ、九州電力のやらせ問題など、この国の支配層の腐敗は異常などというレベルを通り越している。これに対して、例えば「素人の乱」呼びかけのデモは東京でかつてない若者たちの結集を実現した。九月二三日(*)には、ノーベル賞作家・大江健三郎らの提唱で明治公園六万人集会とデモが成功した。

(* [訂正] 大江健三郎らの提唱による明治公園六万人デモの日付は、九月一九日です。九月二三日は、排外主義反対デモで被逮捕者が出た日です。少々混乱していました)

 ところが、一部右翼は脱原発デモに対して激しい侮蔑と罵声を浴びせて妨害してきた(脱原発を唱える右翼団体もあるが)。警察は、暴力右翼と呼応して、異常に厳しい規制を行い、デモに不当介入し次々と逮捕弾圧を引き起こしている。マスコミはこうした「権力犯罪」には沈黙を決め込んでいる。

欧米諸国においてもデモ規制はなされるし、時には逮捕事例も見られるが、デモの様子をユーチューブなどで見ると、日本のような過剰警備はしていない。表現の自由の一環としてのデモの自由が一定程度保障されている。日本の現実はデモの自由をほとんど空文化している。

 日本国憲法第二一条は「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する」としている。表現の自由の冒頭に集会が掲げられている。ところが、現実には奇妙なことに、集会と、それ以外の結社、言論、出版とは明確に区別されている。結社、言論、出版には許可も届出も必要ないのに、集会だけは公安条例の許可制・届出制や道路交通法による許可制により厳しい規制がなされている。憲法はそのような区別をしていないにもかかわらず、区別がまかり通っている。

 一九六〇年七月二〇日、最高裁は東京都公安条例事件について、集団行動の表現の自由を口先では認めながら、「平穏静粛な集団であっても、時に昂奮、激昂の渦中に巻き込まれ、甚だしい場合には一瞬にして暴徒と化し、勢いの赴くところ実力によって法と秩序を破壊し、集団行動の指揮者はもちろん警察力を以てしても如何ともし得ないような事態に発展する危険が存在すること、群衆心理の法則と現実の経験に徴して明らかである」と断定して、デモを公安委員会の許可制とした東京都公安条例を合憲とした。六〇年安保闘争を前に、「集団行動=暴徒」論を採用し、「群衆心理の法則」なるものを捏造している。デモが暴徒化する原因が警察による不当弾圧であることを隠蔽している。

一九七五年九月一〇日、最高裁は徳島公安条例事件について、「交通秩序を維持すること」を理由とするデモ規制は不明確とは言えず違憲ではないとした。これにより条例の違憲性を争う余地はほぼ皆無となった。少数意見を執筆した団藤重光裁判官は、条例は不明確であり、意義内容を解釈・了解できないとした。多数意見は、一般通常人なら判断できるから不明確とは言えないとした。多数意見が正しいとすれば、団藤裁判官には一般通常人程度の判断力もないことになってしまう。矛盾だらけの多数意見によって、集会の表現の自由が死んだ。

 さらに、一九八二年一一月一六日、最高裁は道路交通法第七七条事件について、「一般交通に著しい影響を及ぼすような行為」には所轄警察署長の許可を要するとし、デモを許可制とした同法を合憲であるとした。一定の場合、デモが「道路の機能を著しく害する」と述べ、交通の安全と円滑等のために許可制とするのは合憲だと言う。ここに言う「道路」には、自動車道だけではなく、通行のために使われるすべての場所(空き地、公園)が含まれる。

日本国憲法の下では、道路は一般交通の場であるとともに、デモ(集団示威行動)の場でもあるはずだ。ところが、最高裁は、デモが「道路の機能を著しく害する」と決め付ける。デモによって道路の憲法的機能が発揮されることを隠蔽している。道路や広場は日本国憲法の理念を実現するべき政治的空間であり、民主主義を遂行するべき開かれた場でなければならない。

Monday, January 09, 2012

デモと集会の自由を考える(一)

法の廃墟41(「無罪!」2011年11月号)



相次ぐ不当弾圧



市民の街頭行動に対する警察の弾圧が続いている。九月二三日には、民族差別と排外主義に反対するデモに対して不当弾圧が仕掛けられ、一人が逮捕された。救援会抗議声明は、次のように述べている。



「第六機動隊員が、バナーを手に持ち沿道の人達にアピールしていたAさんを引きずり出して隊列から引き離すと同時に、示し合わせたように私服警官を含む大勢の警察官がデモになだれこんできました。デモ参加者も引き倒されたり抑えつけられたりしながら抗議しましたが、警察官はきわめて暴力的にAさんを引き倒し、不当にも逮捕しました。この警察の不当、違法な行為の一部始終は、映像でもはっきりと確認できます。/これは、ただ歩いていただけのAさんを狙い撃ちにし、同時に、民族差別・排外主義に反対するすべての人々を踏みにじるも同然の行為です。」



九月一一日の脱原発デモに対しても警察による強引な介入が行われ、一一名もの市民が不当逮捕された。



この間の過剰警備、過剰介入、不当逮捕をどう見るべきか。三月一一日の東日本大震災と福島第一原発事故に関連する数多くの市民のデモに対して何度も不当弾圧がかけられているので、一面では、原発推進という国策に抗してモノをいう市民に対する弾圧ということができる。



 もっとも、九月一九日の脱原発六万人デモに対して警察は介入を控えた。なぜだろうか。一つには、六万人という従来にない大規模なデモであり、警察による介入の余地がなかったことが考えられる。ノーベル賞作家・大江健三郎をはじめとする著名人が参加したことからメディアも注目し、警察が手を出せなかったとも考えられる。加えて、六万人デモの中核部分は従来型の組織動員によるデモであった。従来型の組織動員デモであれば、警察にとっても「予測の範囲内」であり、無用な弾圧を避けたのかもしれない。逆に言うと、例えば「素人の乱」呼びかけのデモは、従来型の組織性、規律性がないという点で、警察にとって「対応しにくい」ものであり、このことが警察の過剰介入の一因となったのではないだろうか。もしそうだとすれば、これこそ日本における市民のデモの本格化の兆しと言えるかもしれない。



 もう一つ指摘しておかなければならないのは、九月一一日デモへの不当逮捕を、背後で扇動したのが在日特権を許さない市民の会(在特会)であったことだ。ユーチューブなどに掲載された画像を見ると、何ら逮捕の必要性もないのに、在特会らが「逮捕しろ」と大騒ぎする中で、警察が市民を暴力的に逮捕している。在特会と警察の連係プレーである。



 九月二三日デモは在特会などによる民族差別や排外主義に反対する取り組みである。これに対しても警察は不当介入をしている。京都朝鮮学校事件をはじめとして、各地で在特会の暴力行為を黙認してきた警察が、差別に反対する市民に対して襲いかかるという異常な事態が生じている。論点は多いが、以下ではデモの自由について少し検討してみたい。 



人権としてのデモ



 日本ではデモや集会の自由は極端なまでに制限されてきた。しかし、日本国憲法第二一条は「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由」を保障している。表現の自由は、個人の人格権と民主主義の二つを柱とする。憲法第一三条は個人の尊重を定め、人格権を保障している。憲法学は厳しすぎる法規制を批判してきたが、裁判所は現状を是認してきた。



 それでは国際人権法ではどうだろうか。武器を持たない平和的な集会は、国際人権法では当然の権利とされている。世界人権宣言第二〇条第一項は「すべての人は、平和的集会及び結社の自由に対する権利を有する」としている。国際自由権規約第二一条は「平和的な集会の権利は、認められる。この権利の行使については、法律で定める制限であって国の安全若しくは公共の安全、公の秩序、公衆の健康若しくは道徳の保護又は他の者の権利及び自由の保護のため民主的社会において必要なもの以外のいかなる制限も課することができない」としている。



 地域レベルでは、アフリカ人権憲章第一一条、米州人権条約第一五条、欧州人権条約第一一条、アラブ人権憲章第二四条六項は「平和的な集会」の権利を認めている。デモと国際人権法について、前田朗「『デモと広場の自由』のために(一)」『救援』五一一号(本年一一月)参照。



 武器を持たない平和的な集会は、国際人権法では当然の権利とされている。その意味を、まず世界人権宣言の注釈に見ていこう。フィンランドの国際法学者マーティン・シャイニン(トゥルク・アカデミー大学教授)は「集会の自由や結社の自由は、表現の自由とともに、政治的権利の中核を成す」という(グドムンドル・アルフレドソン&アズビョルン・アイデ編『世界人権宣言――実現のための共通基準』マルティヌス・ニジョフ出版、一九九九年、四一七頁以下)。なぜなら、集会の自由は、積極的な市民社会にとって合理的集団的意思形成を可能にする法的基礎であり、公的問題のパブリシティや、参加や代表的民主制の過程のための法的基礎だからである。「政治的」性格を有するということは、これらが他の人権カテゴリーと関係ないということではない。集会や結社の自由は、私的領域に関する多くの人間活動にとって本質的である。良心の自由、宗教の自由や、教育の分野にとっても重要だからである。集会の自由に関する国際人権規定は、すべての人権と相互依存的で、不可分である。このことは一九九三年のウィーン世界人権宣言にも明示されている。



 シャイニンによると、世界人権宣言起草過程で、集会の自由についての検討がなされている。一九四七年六月、宣言起草の中心メンバーの一人であったエレノア・ルーズベルト(アメリカ、ルーズベルト大統領夫人)は、集会の自由の規定を削除する提案をした。集会の自由と結社の自由の規定を分離する提案もなされた。しかし、四八年五月の国連人権委員会・宣言起草委員会は「平和的な集会の自由への権利」とした。同年六月、国連人権委員会は、中華民国による単純化提案を採用した。「平和的な」という形容はウルグアイの修正案であった。宣言第二〇条第二項の「何人も、結社に属することを強制されない」という消極的規定方式に対して、積極的に結社の権利を提示するという意見もあった。ソ連はファシスト団体などの禁止を提案したが、否決された。こうして世界人権宣言第二〇条第一項・第二項が成立した。

Sunday, January 08, 2012

「デモと広場の自由」のために(二)

一一年秋の闘い



中東革命に続いて、金融崩壊や過剰生産恐慌とも思える資本の危機に伴い、いっそうの労働者切り捨て、社会的弱者の人間性剥奪に抗するデモが欧米諸国で沸き起こっている。一%の富裕層に九九%のわれわれを対置したニューヨークの座り込みは実力で排除されたが、スペインでもギリシアでも労働者の闘いが続く。韓国では「希望のバス」闘争が人々に大きな励みとなった。



福島第一原発事故にもかかわらず責任回避に熱中する原子力ムラ(東電、日本政府、マスメディア、御用学者)に抗して、経産省前テント村では座り込みが続く。各地の電力会社に対する要請行動も続いている。



一〇月二七日~二九日、経産省前での「原発いらない福島の女たちの座り込み」呼びかけ人である地脇美和は「今回の原発事故によって、私たちはこんなにつらく苦しく絶望的な生活を強いられているのに、まだ原発を動かし続けようとする勢力は絶対に許せないという思いで参加を決めました。報道されない原発事故の本当の恐ろしさと悲惨さを多くの人に訴えるために、目に見える行動をしなくてはいけない。それは、福島に暮らす女性たちから呼びかけ、こんな世界を変えようとの決意でした」、「現状に怒り、何か行動したいと思った女性がアクセスしやすいように気を配りました。チラシやブログの言葉づかい・表現をわかりやすく丁寧に書く、インターネットを最大限利用する、それとともに紙のチラシを配布する、口コミを広げる、などなどです。何より、最も被害を受けた当事者が苦しい中、自ら立ち上がり行動を呼びかけたことが大きく広がるきっかけになったのだと思います」と語る(『週刊MDS』一二〇八号)。



政府や東電と協力して原発安全神話をふりまいてきたマスメディアは、三・一一以後、混乱と変容を続けてきたが、相変わらず原発推進を呼号するメディアと、脱原発に一応の理解を示すメディアとに分かれてきた。同じ紙面に原発必要論と脱原発論が掲載される例も見られる。市民の声がメディアに乗ることも、以前と比べれば増えている。とはいえ、マスメディアが市民のメディアとはなりえていない現在、市民にできることは、公共空間における意思表明(デモ、座り込みなど)や、インターネットや口コミを通じたネットワークづくりである。もちろん、インターネットは市民の闘いの武器になることもあれば、権力による情報操作の手段となることもある。路上でもインターネットでも、平和と人権をめぐるせめぎ合いが続いている。



日本では、中央集権的官僚支配の度合いが非常に強いうえ、数百万部という巨大新聞に見られるように情報の独占状態も続いてきた。いびつな構造を変えるために、インターネットの活用とともに、公共空間を市民の手に取り戻す必要がある。路上や広場や公園における市民の意思表明の自由である。



パブリックな抗議



国連人権理事会第一七会期に提出されたクリストフ・ハインズ「恣意的処刑に関する特別報告書」(A/HRC/17/28)のテーマは「集会取締りの文脈での生命権の保護」である。報告書は、武器を持たない平穏なデモの原則的自由を確認し、暴力的なデモによって人々の生命権侵害が伴うような場合の取締りを論じている。報告書は、公共的(パブリック)な抗議を取り扱う問題への単一の答えはないと言う。集団の規模や、デモの起因や、課題設定によって大きく異なるからだ。しかも、バーレーン、ブルネイ、中国、キューバ、エジプトをはじめとして憲法に生命権規定のない国家が多い。ジブチ、ガボン、カタール、イェメンの憲法は平穏な集会の権利を認めていない。集会の権利があっても緊急事態には制限される。最近では、反テロ法など治安法による制限も加わった。報告書は次のような原則を掲げている。



第一に、国家には、公共空間へのアクセスを提供することによって公共的な抗議を可能とし、必要な場合には外部からの脅威から保護する義務がある。



第二に、デモの適切な運営は、抗議者(デモ参加者)、地方当局、警察の間のコミュニケーションと協力に依存する(「安全のトライアングル」という)。対話こそが鍵である。



第三に、集会が制限・禁止されないという推定が存在するべきである。集会規制は法律に明示され、他者の権利を保護するといった正当な目的のためになされる必要がある。



第四に、実際の抗議行動の間、国家機関の関心は、平穏を維持すること、人々と財産を危害から守ることに限られるべきである。



第五に、警察による実力行使に関する国際基準は、必要性と均衡性である。武器の使用は重大な傷害や死亡事件を予防するためにのみ認められる。



第六に、集会の権利と実力行使に関する基準は、法律を容易に読むことができるように、公開されていなければならない。



第七に、デモに際して実力行使や武器使用のための手続きがなければならない。



報告書は、国連人権理事会の決議一五/二一による「集会結社の自由に関する特別報告者」の活動に注意を喚起している。また、欧州安全保障協力機構(OSCE)が提示した「平穏な集会の自由に関するガイドライン」が参考になると言う。米州人権委員会にも「表現の自由特別報告者」が置かれている。



最後に報告書は、集会の自由、特に実力行使や武器の使用に関する国際基準を明確にするために、各国の実務をさらに調査するべきであり、デモの管理に関する基本原則を明確にするために、国際自由権規約第六条や第二一条に関する自由権委員会の一般的意見を参照し、国内法のためのモデルを作成する必要があるとし、そうした作業を国連が主導するように勧告している。



報告書は国際社会全体をカバーする任務をもっているため、記述はひじょうに一般的であるが、日本の現実との関係で参考になるところもある。日本では公共空間での平穏なデモが自由に行えない。警察の過剰な規制によって萎縮したデモだけが許される。警察による挑発や暴力によって混乱が生み出される。他者の生命や財産への危害など一切ないのに、デモ参加者の一部が不当に逮捕される。逮捕に伴う警察暴力は、今のところ武器使用はないものの、一人の市民を十数人で押し倒し、殴る、蹴るといった不必要な暴力を加えている。

「デモと広場の自由」のために(一)

弾圧に抗して



九月二九日、「『デモと広場の自由』のための共同声明」(柄谷行人、鵜飼哲、小熊英二起草)が発表された。全員呼びかけ人運動として賛同を集めている。三月一一日の東日本大震災に伴って生じた福島第一原発事故に対して、原発政策の見直しを求める声が大きく広がっているが、脱原発デモに対して警察が不当な介入を行い、無用の混乱を生じさせたうえ、デモ参加者を不当逮捕する事態が続いている。これに対して声明は、次のように述べている。



「デモは警察によってたえず妨害されています。九月一一日に東京・新宿で行われた『九・一一原発やめろデモ!!!!!』では、一二人の参加者が逮捕されました。You Tubeの動画を見れば明らかなように、これは何の根拠もない強引な逮捕です。これまで若者の間に反原発デモを盛り上げてきたグループを狙い打ちすることで、反原発デモ全般を抑え込もうとする意図が透けて見えます。/私たちはこのような不法に抗議し、民衆の意思表示の手段であるデモの権利を擁護します。日本のマスメディアが反原発デモや不当逮捕をきちんと報道しないのは、反原発の意思が存在する事実を消去するのに手を貸すことになります。私たちはマスメディアの報道姿勢に反省を求めます。」



九月二三日には、民族差別と排外主義に反対するデモに対して不当弾圧が仕掛けられ、一人が逮捕された。救援会抗議声明は、次のように述べている。



「第六機動隊員が、バナーを手に持ち沿道の人達にアピールしていたAさんを引きずり出して隊列から引き離すと同時に、示し合わせたように私服警官を含む大勢の警察官がデモになだれこんできました。デモ参加者も引き倒されたり抑えつけられたりしながら抗議しましたが、警察官はきわめて暴力的にAさんを引き倒し、不当にも逮捕しました。この警察の不当、違法な行為の一部始終は、映像でもはっきりと確認できます。/これは、ただ歩いていただけのAさんを狙い撃ちにし、同時に、民族差別・排外主義に反対するすべての人々を踏みにじるも同然の行為です。」



市民の街頭行動に対する警察の違法な弾圧が続いている。日本のデモ規制の異常な厳しさはかねてより知られる。最近はインターネットを通じて不当逮捕の映像を見ることができる。歩いているだけの市民、ただ声を出しているだけの市民に、警察官がいきなり抱きついて押し倒す様子がよくわかる。また、異常な人種差別団体メンバーが、デモ隊に汚い罵声を浴びせ犯罪的な言動を弄しているのに、警察は何ら止めることなく、むしろ犯罪者と連携してデモ隊に襲いかかる有様である。まさに無法警察である。



日本国憲法第一三条は個人の尊重を定め、人格権を保障している。憲法第二一条は「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由」を保障している。だが、実際にはデモや集会の自由は極端なまでに切り詰められてきた。



恣意的処刑報告書



 国連人権理事会第一七会期に提出されたクリストフ・ハインズ「恣意的処刑に関する特別報告書」(A/HRC/17/28)は、超法規的処刑や恣意的処刑に関する報告書であるが、今回のテーマは「集会取締りの文脈での生命権の保護」である。チュニジアの「ジャスミン革命」をはじめとする、最近の「中東革命」がきっかけである。「中東革命」についての認識や評価はさまざまでありうる。以下では、特別報告書に依拠して、集会の自由、デモの自由について考えてみたい。



 報告書はまず、国際法では平和的な(平穏な)デモと暴力的なデモを区別するが、各国の国内法では合法集会と非合法集会を区別することが多いと指摘する。国際法は平穏の確保に力点を置くが、国内法は法執行(権力行使)に関心を示す。



 集会はその他の権利を促進する役割を有する。多くの場合、公開の抗議行動は、それを通じて人権を確保・実施しようと求める手段であり、野党勢力や少数派によって用いられる。だから、権力側にとって都合のよい形で規制するべきではない。集会の自由の規制は、それが暴力や人種憎悪の促進でない限り、主張内容とかかわるべきではない。スペイン憲法裁判所は、一九九五年に「民主社会においては、都市空間は流通のためだけではなく、参加のための領域でもある」と述べている。世界人権宣言第二〇条第一項は「すべての人は、平和的集会及び結社の自由に対する権利を有する」とし、国際自由権規約第二一条は「平和的な集会の権利は、認められる。この権利の行使については、法律で定める制限であって国の安全若しくは公共の安全、公の秩序、公衆の健康若しくは道徳の保護又は他の者の権利及び自由の保護のため民主的社会において必要なもの以外のいかなる制限も課することができない」としている。公共の安全や公の秩序の解釈が重要となる。



 地域レベルでは、アフリカ人権憲章第一一条が「どの個人も他人と自由に集会をする権利を持つ」とし、米州人権条約第一五条は「武器を持たない、平和的な集会」の権利を認め、欧州人権条約第一一条やアラブ人権憲章第二四条六項も「平和的な集会」の権利を認めている。その多くは国際自由権規約と同様に、集会の権利は、民主社会における法と必要に照らしてのみ規制できるとしている。取締りについては独立した裁判所に訴えることができなければならない。



 自由権規約委員会は、一九九〇年のオーリ・キヴェンマ対フィンランド事件決定で、計画されたデモに届出を条件とすること自体は、必ずしも平和的な集会の自由を侵害するものではないとし、許可制度についても、許可が出されると推定できるならば自由の侵害ではないとしている。許可条件の付し方が問題となる。事前に届け出をする余裕のない自然発生的な集会の場合、本当に届け出の余裕がなかったのであれば、集会は合法であり、それゆえ保障されるべきである。欧州人権委員会も、二〇〇七年のブクタ等対ハンガリー事件決定で同趣旨のことを述べている。ただ、国際自由権規約などは非常事態には集会の自由を規制することができると認めている。日本国憲法には非常事態規定はない。