Tuesday, July 19, 2011

差別集団・在特会に京都地裁有罪判決

「救援」(救援連絡センター506号、507号



差別集団・在特会に京都地裁有罪判決



京都朝鮮学校襲撃事件



  四月二一日、京都地裁は「在日特権を許さない市民の会(在特会)」「主権回復を目指す会」などの構成員が行った差別(暴言・虚言)と暴力について、四人の被告人に対して犯罪実行の事実を認定し、それぞれ懲役一~二年(いずれも執行猶予四年)を言い渡した。三月は東日本大震災と原発事故のニュースが報道の大半を占めていたため、関西以外ではほとんど報道されなかった。判決の要旨を紹介し、若干の検討を加えたい。


  事件は二つの事実からなる。第一に、二〇〇九年一二月四日、被告人ら四名(ABCD)が、共謀の上、京都朝鮮第一初級学校前に押しかけて暴言を撒き散らし、スピーカーに接続された配線コードを切断した(威力業務妨害罪、侮辱罪、器物損壊罪)。第二に、二〇一〇年四月一四日、四名のうち三名(ABC)が、共謀の上、徳島県教職員組合事務所に乱入し、暴行や暴言を伴う大騒ぎをした(建造物侵入罪、威力業務妨害罪)。


判決理由の第一・第二は次のように述べている。「被告人四名は、京都朝鮮第一初級学校南側路上及び勧進橋公園において、被告人ら一一名が集合し、日本国旗や『在特会』及び『主権回復を目指す会』などと書かれた各のぼり旗を掲げ、同校校長Kらに向かってこもごも怒声を張り上げ、拡声器を用いるなどして、『日本人を拉致した朝鮮総連傘下、朝鮮学校、こんなもんは学校でない』『都市公園法、京都市公園条例に違反して五〇年あまり、朝鮮学校はサッカーゴール、朝礼台、スピーカーなどなどのものを不法に設置している。こんなことは許すことできない』『北朝鮮のスパイ養成機関、朝鮮学校を日本から叩き出せ』『門を開けてくれ、設置したもんを運び届けたら我々は帰るんだよ。そもそもこの学校の土地も不法占拠なんですよ』『戦争中、男手がいないところ、女の人レイプして虐殺して奪ったのがこの土地』『ろくでなしの朝鮮学校を日本から叩き出せ。なめとったらあかんぞ。叩き出せ』『わしらはね、今までの団体のように甘くないぞ』『早く門を開けろ』『戦後。焼け野原になった日本人につけ込んで、民族学校、民族教育闘争ですか、こういった形で、至る所で土地の収奪が行われている』『日本から出て行け。何が子供じゃ、こんなもん、お前、スパイの子供やないか』『お前らがな、日本人ぶち殺してここの土地奪ったんやないか』『約束というものは人間同士がするものなんですよ。人間と朝鮮人では約束は成立しません』などと怒号し、同公園内に置かれていた朝礼台を校門前に移動させて門扉に打ち当て、同公園内に置かれていたサッカーゴールを倒すなどして、これらの引き取りを執拗に要求して喧騒を生じさせ、もって威力を用いて同校の業務を妨害するとともに、公然と同校及び前記学校法人京都朝鮮学園を侮辱し、被告人Cは、勧進橋公園内において、京都朝鮮学園が所有管理するスピーカー及びコントロールパネルをつなぐ配線コードをニッパーで切断して損壊し」た


これらが威力業務妨害罪(学校の授業運営などを妨害した)、侮辱罪(朝鮮学校に対する侮辱)、器物損壊罪と判断された。



徳島県教組乱入事件



 判決理由の第三は次の通りである。「被告人ABCは、共謀の上、あしなが育英会等に寄付するとして集められた募金の中から徳島県教職員組合が四国朝鮮初中級学校に支援金を渡したとして糾弾するなどして同組合の正常な業務を妨害する目的で、四月一四日午後一時一五分ころ、徳島県教育会館二階同組合事務所内に、『日教組の正体、反日教育で日本の子供たちから自尊心を奪い、異常な性教育で日本の子供たちを蝕む変態集団、それが日教組』などと記した横断幕、日章旗、拡声器等を携帯して、『詐欺罪』などと怒号しながら侵入した上、約一三分間にわたり、同事務所において、同組合の業務に係る事務をしていた組合書記長T及び組合書記Mの二名を取り囲み、同人らに対し、前記横断幕、日章旗を掲げながら、拡声器を用いるなどして、『詐欺罪じゃ』『朝鮮の犬』『売国奴読め、売国奴』『国賊』『かわいそうな子供助けよう言うて金集めてね、朝鮮に一五〇万送っとんねん』『募金詐欺、募金詐欺じゃ、こら』『非国民』『死刑や、死刑』『腹切れ、お前、こら』『腹切れ、国賊』などと怒号し、『人と話をするときくらいは電話は置き』『置けや』などと言いながら前記Tの両腕や手首をつかむなどして同人が一一〇番通報中であった電話の受話器を取り上げて同通話を切った上、同人の右肩を突き、『朝鮮総連と日教組の癒着、許さないぞ』『政治活動をする日教組を日本から叩き出せ』などとシュプレヒコールするなどした上、机上の書類等を放り投げ、拡声器でサイレン音を吹鳴させるなどし、事務所内を喧噪状態に陥れて同組合の正常な業務を不能ならしめ、もって同事務所に正当な理由がないのに侵入した上、威力を用いて同組合の業務を妨害した」。


  これらが建造物侵入罪と威力業務妨害罪と判断された。


  以上が在特会事件第一審判決の概要である。事件の法的評価について言えば、起訴状自体が不十分なものであったため、判決も不十分である。朝鮮学校を舞台とする朝鮮人差別と暴行の事件は、本質的にはヘイト・クライムであるが、日本にはヘイト・クライム法がない。名誉毀損罪があるにもかかわらず、検察官は名誉毀損罪を起訴状(訴因)に含めず、侮辱罪のみに絞った。このため最初から「事案の真相」を解明する作業が放棄された(問題点は次回検討する)。


 とはいえ、これまで各地で蛮行を繰り返してきた在特会に、刑事裁判で初めて有罪判決が出たことは大きい。三鷹事件、名古屋博物館事件、西宮事件など各地で、在特会は警察に見守られながら激しい差別と暴力を繰り返してきた。京都朝鮮学校事件でも、現場に立ち会った警察官は差別と暴力を規制するそぶりも見せなかった。朝鮮学校関係者や弁護団の度重なる要請によって、ようやく重い腰を上げて京都地検が動き、本件が立件された。被告人らが逮捕されたのは事件から八ヶ月も後のことであった。このように遅れがちであったが、ともあれ威力業務妨害罪や侮辱罪で有罪となった。執行猶予四年の間は蛮行が収まることが期待できる。本件判決を広めて活用していくことも必要である。



京都事件判決の法理



  前回、判決要旨を紹介したように、四月二一日、京都地裁は「在日特権を許さない市民の会(在特会)」「主権回復を目指す会」などの構成員が行った差別(暴言・虚言)と暴力について、四人の被告人に対して犯罪実行の事実を認定し、それぞれ懲役一~二年(いずれも執行猶予四年)を言い渡した。事案は、第一に、被告人ら四名(ABCD)が、共謀の上、京都朝鮮第一初級学校前に押しかけて暴言を撒き散らし、スピーカーに接続された配線コードを切断し(威力業務妨害罪、侮辱罪、器物損壊罪)、第二に、四名のうち三名(ABC)が、共謀の上、徳島県教職員組合事務所に乱入し、暴行や暴言を伴う大騒ぎをした(建造物侵入罪、威力業務妨害罪)というものである。


  在特会による蛮行は、現代日本における人種差別と排外主義の典型事例である。人種差別禁止法やヘイト・クライム法について議論するための素材として、京都事件に焦点を当てて、判決の法理を検討してみよう。


  被告人らは、「京都朝鮮学校南側路上及び勧進橋公園において、日本国旗などを掲げ、同校校長Kらに向かってこもごも怒声を張り上げ、拡声器を用いるなどして」、差別的な発言を怒号し、「同公園内に置かれていた朝礼台を校門前に移動させて門扉に打ち当て、同公園内に置かれていたサッカーゴールを倒すなどして、これらの引き取りを執拗に要求して喧騒を生じさせ、もって威力を用いて同校の業務を妨害するとともに、公然と同校及び前記学校法人京都朝鮮学園を侮辱し、被告人Cは、勧進橋公園内において、京都朝鮮学園が所有管理するスピーカー及びコントロールパネルをつなぐ配線コードをニッパーで切断して損壊し」たものである。


  六月二四日、龍谷大学で開催された第二回ヘイト・クライム研究会において、本判決の検討を行った。そこでの議論も参照しつつ、ヘイト・クライムとの関係で目につく点を検討すると、第一に、罪名は威力業務妨害罪、侮辱罪、器物損壊罪である。名誉毀損罪が訴因に含まれていないため、判決も侮辱罪を適用するにとどめた。侮辱罪の刑罰は拘留又は科料にとどまるが、威力業務妨害罪などとセットのために、懲役刑(執行猶予つき)が選択されている。名誉毀損罪の適用には立証上の問題があるため、これを適用せず侮辱罪にしたが、刑罰は威力業務妨害罪等の適用によって適切なものになし得たということであろうか。逆にいえば、業務妨害罪に問える場合でなかったとしたら、名誉毀損罪ではなく侮辱罪だけで拘留又は科料ということがありえたことになる。


  第二に、判決の文脈によると、怒号その他の行為によって「喧騒を生じさせ、もって威力を用いて同校の業務を妨害するとともに、公然と侮辱し、損壊し」たという流れになる。「妨害するとともに」というつながりから「喧騒を生じさせ、公然と侮辱し」と読む可能性もないわけではない。侮辱罪は名誉毀損罪と異なって事実の摘示を必要としないし、平穏侵害の要件もないので、喧騒と侮辱は関係ないはずだが、つながりがあるという読み方もありうるということだろうか。


第三に、被害者は朝鮮学校と学校法人朝鮮学園とされている。集団侮辱罪のあるドイツとは異なって、日本刑法の侮辱罪の法益は個人的法益であって、集団侮辱には適用できない。このため、被害者として法人等の組織があげられている。逆にいえば、在日朝鮮人一般に対する攻撃の場合は侮辱罪が成立しない場合があることになる。



ヘイト・クライム法の必要性



 在特会の蛮行は朝鮮学校を直接の対象としている。判決において引用された差別発言も、なるほど朝鮮学校を名指ししている。しかし、「約束というものは人間同士がするものなんですよ。人間と朝鮮人では約束は成立しません」のように、朝鮮学校ではなく、朝鮮人全体を対象とした表現も使われている。判決に引用されていない発言の中にも、やはり朝鮮人全体をターゲットにしたものがある。まして、在特会の従来の言動からいっても、在特会の名称や組織の性格からいっても、朝鮮人一般に対する差別と迫害を行うことを目的とし、その主要な活動内容としていることは明らかである。


  判決の文脈を、被害者は誰かという観点から見直してみると、威力業務妨害罪、侮辱罪、器物損壊罪の三つの罪について同一の被害者を認定することが便宜であり、それに従って判決文が書かれていると考えられる。威力業務妨害罪として構成すれば、学校の授業運営が妨害されたのだから、当然、被害者は学校及び法人になる。器物損壊罪も同様である。侮辱罪もこの二罪ととともに掲げられている。三つの罪名は実行行為の順に従って列挙されている。このため侮辱罪に関する判決文が、威力業務妨害罪と器物損壊罪の間に挟まれて、前者との関係で記述されているように見える。


  名誉毀損罪の場合と異なって、侮辱罪の認定・評価には特段の理論的争いはないし、本件事案もくだくだしく解釈を展開するまでもなく、当然、侮辱罪との認定ができるので、このような判決文になったのであろう。この限りでは、本件では起訴状の構成に対応して穏当な判決が書かれたということができよう。


 しかし、判決が実際に起きた事案を適切に反映したものかという観点で検討すれば疑問も少なくない。ヘイト・クライムや集団侮辱罪の規定がないことに由来するが、このことをどのように評価するかは判断が分かれうる。第一に、ヘイト・クライム法がなくても、検察・裁判所は別の罪名を活用して事案を的確に把握したという理解である。第二に、ヘイト・クライム法がないため、事案が縮小認定され、事件が矮小化されたという理解である。後者の立場からは、実態に即した法的評価を可能とするような人種差別禁止法やヘイト・クライム法の整備が課題となる。「日本には人種差別禁止法を必要とするような人種差別はない」と断言する日本政府の現状を是正するために、やはり事実に即した評価こそが重要である。日本にはヘイト・クライムがあり、在特会はヘイト・クライムを教唆・煽動し、率先して実行してきた。ヘイト・クライムは許されないというメッセージを明瞭に発することが求められている。前田朗「ヘイト・クライム法研究の展開」第二東京弁護士会『現代排外主義と人種差別規制立法』(二〇一一年)参照。

迷走する排外主義--人種差別禁止法が必要な理由

「IMADR-JC通信」166号(2011年6月)



迷走する排外主義


――人種差別禁止法が必要な理由



ナショナリズムとポピュリズムの野合



 ナショナリズムと排外主義がこの国と社会を覆い始めたのはいつの頃だろう。予兆はずっと以前からあったのだが、1990年代の「従軍慰安婦」論争や「歴史教科書」論争が一つの転機だったのは間違いないだろう。戦争犯罪の歴史的事実を否定し、「国家の誇り」を殊更に強調する風潮が、政治家や評論家の支持を得て蔓延し、ボディブローの効き目のように日本社会を劣化させ始めた。真っ先に失われたのは、平等や連帯の思想と実践である。代わりに不寛容と排除の思想が浸透してきた。


 21世紀に入ると「9.11」を口実に開始されたアフガニスタン戦争とイラク戦争、そしてイスラエルによるレバノン戦争やガザ攻撃といった具合に「テロリズムとの戦い」と称しながら、圧倒的な軍事力で非武装の市民を殺戮する戦争が吹き荒れた。日本政府が殺す側にまわったのは言うまでもない。政治的には、日の丸君が代の強制、教育基本法改悪、朝鮮半島危機を利用した戦争準備の有事立法と国民保護法が続き、憲法改悪も射程に入った。社会の風潮も「安全と安心」を求め、他者を排除する方向に流れた。ナショナリズムとポピュリズムの野合が、石原とか橋下という固有名詞とともに進軍している。


 もちろん、社会が差別や排除一辺倒になったわけではない。東日本大震災のさなかにも、インターネット上で外国人排除の言説が飛び交った。しかし、日本人と外国人がともに助け合い、人間として向き合ったケースも多数報告されている。自由・独立・平等の市民を仮設した市民社会は、一方では個人主義の弊害を生み出しつつ、他方では連帯の精神を育んできたことを忘れるべきではない。



在特会という自画像



 排外主義の頂上に跋扈しているのは「在日特権を許さない市民の会(在特会)」などの暴力集団である。従来の保守や右翼とは異なって「直接行動」を呼号し、他者に直接攻撃を加えている。差別、蔑視、虚言、暴言の嵐であり、暴力も辞さない。インターネットを活用し、差別、脅迫、恫喝、暴力シーンの映像をわざわざ自分たちで公表してきた。多くの市民には顰蹙を買っているが、若者の中には「新鮮だ」「本音を言っている」「そうか、この程度のことは言ってもいいのか」などと受け止める向きもあり、支持を広げたという。


 在特会という暴力は、この数年間、各地に繁殖してきた。蕨市ではオーバーステイのため強制退去されるフィリピン人の子どもが通う学校に押しかけて蔑視発言を投げつけたり、三鷹市では日本軍性奴隷制展(従軍慰安婦展)を暴力的に妨害したり、秋葉原での差別デモに抗議した市民に暴力を振るったり、名古屋市立博物館に押しかけて韓国史展示を妨害し、徳島県教職員組合事務所に乱入して暴力を振るったり、やりたい放題であった。他者を蔑視し、貶め、下劣な差別発言を撒き散らし、弱者に襲いかかるのが彼らの思想であり、行動様式である。残念ながら、21世紀初頭の日本社会の自画像を描くとき、在特会の醜悪な精神を無視することはできないだろう。


 人種差別撤廃NGOネットワークは、2010年2月にジュネーヴで開催された人種差別撤廃委員会における日本政府報告書審査時に、在特会による差別を放置する日本政府の責任を訴えた。



朝鮮学校高校無償化排除問題



 日本政府は、差別を放置してきただけではない。差別を容認してきただけではない。むしろ、率先して差別政策を推進し、社会に向かって差別を煽ってきた。


 植民地時代の強制連行や関東大震災朝鮮人大虐殺に始まり、戦後も日本政府は朝鮮人抑圧政策を推進してきた。1948年の阪神教育闘争事件は朝鮮人の民族教育を破壊する上からの暴力問題であった。その後も、入国管理法、外国人登録法による管理と差別が続いた。朝鮮人の権利獲得闘争や、日本社会における権利の一定の定着に伴って、数々の差別が是正されてきたが、その都度、差別は沈潜し、再編成されてきた。1990年代にも、朝鮮学校生徒に対する暴行・暴言の「チマ・チョゴリ事件」、朝鮮高校卒業生の国立大学受験差別問題、看護師資格受験差別問題、JR定期券差別問題などが続いた。21世紀に入っても「チマ・チョゴリ事件」が継続してきた。


 高校無償化問題は、2010年2月に中井大臣による差別発言に始まったが、当初は平等適用を唱えていた文部科学省もいつの間にか差別路線に転じ、ついには菅直人首相がじきじきに差別政策を指示する異常な事態になった。日本政府は、朝鮮人差別を放置したり見逃しているのではなく、自ら先頭に立って差別政策を推進し、日本社会に向かって「朝鮮人は差別しても構わない」というメッセージを執拗に発し続けている。「差別のライセンス」を発行する菅直人とは、在特会のための避雷針にほかならない。



対向するメッセージ――差別は社会を壊す



 朝鮮学校が日本社会に発しているメッセージを考えてみよう。朝鮮学校卒業生がサッカー・ワールドカップで活躍した。大阪朝鮮高級学校ラグビー部は花園で大活躍した。ボクシングでは世界チャンピオンも生まれた。そして、2010年には朝鮮大学校法律学科卒業生が司法試験に合格した(4人目である)。


 これに対して、日本が朝鮮学校に対して発しているメッセージはどうだろうか。日本政府は朝鮮学校を高校無償化から排除した。地方自治体の中には助成金をカットした例がある。日本社会では在特会という代表選手が暴れまわってきた。


 対向するメッセージのアンバランスは目を覆わんばかりである。


もちろん、ここでも日本社会の醜悪性だけを強調するべきではないだろう。京都朝鮮学校を支えるために日本の市民や弁護士も立ち上がり、京都市内で人権擁護の集会やデモに取り組んだ。東京や大阪など全国各地から朝鮮学校に連帯のメッセージが送り届けられた。高校無償化問題でも、日本の教員、学生、NGOが直ちに声をあげ、無償化平等適用を求めた。詩人たちは無償化問題をテーマに「アンソロジー」を編んだ。


 それでは、私たちは何を守ったのだろうか。何を守るべきなのだろうか。デモのさなかでは「朝鮮学校を守れ」という言葉が使われたこともある。在日朝鮮人の人権擁護は当然だ。しかし、守るべきは日本社会自身の健全性である。政府による差別や、憎悪にまみれたヘイト・クライム(差別を煽る憎悪犯罪、差別を動機とする暴力犯罪など)をなくすことは、日本社会のための運動課題である。


 「美しい日本」とか「国家の品格」などと称しながら自己満悦にふけり、他者と向き合うことなく、排除し、抑圧している社会は、実は自らを貶めているのだ。差別を見て見ぬふりをする社会は自壊するしかないだろう。



人種差別禁止法を求めて



 人種差別撤廃条約第4条(a)は人種差別思想の煽動を禁止する処罰立法、4条(b)は人種差別団体の規制を求めている。日本政府は第4条(a)(b)の適用を留保しているが、2001年3月と2010年3月の2回にわたって、人種差別撤廃委員会は、条約に基づいて提出された日本政府報告書審査の結果、人種差別禁止法の制定だけではなく、第4条の留保の撤回と、ヘイト・クライムの処罰を勧告した。


 日本社会においても弁護士会における議論や、自由人権協会などの団体による人種差別禁止法の提案がなされてきた。人種差別撤廃NGOネットワークに結集した諸団体も議論を積み重ねてきた。人種差別禁止法の制定を求める市民運動がいよいよ始まった。


 人種差別禁止法のうち、特に悪質なヘイト・クライムを規制する刑事立法も議論の俎上にのぼってきた。教育、雇用、店舗、公共施設など民事・行政法分野における差別の是正を企図する人種差別禁止法は、ただちに立法するべきである。


ヘイト・クライム法も必要であるが、この点ではまだ社会における議論が不十分という面もある。差別を煽る憎悪犯罪とは何であるのか。それは社会的にどのような実態を有しているのか。刑事規制する場合にどのような法的定義がなされるべきなのか。ヘイト・クライムの被害はいかに把握するべきか。こうした論点を、国際的な比較法に基づいてさらに議論する必要がある(前田朗『ヘイト・クライム』三一書房労組、2010年)。


 法規制することが目的ではない。国家が襟をただし、自由で差別のない社会をめざす市民が自ら住みよい社会を実現するために、何が必要かを考えれば答えはおのずと明らかになる。人種差別禁止法は早急に制定するべきであるし、ヘイト・クライム法に向けた調査・研究を急ぐべきである。

人種差別撤廃委員会と日本(2)

雑誌「統一評論」534号(2010年5月)



ヒューマン・ライツ再入門17


人種差別撤廃委員会と日本(二)



朝鮮学校差別に勧告



 人種差別撤廃条約に基づく人種差別撤廃委員会は、二月二四日・二五日に日本政府報告書の審査を行ない、三月一六日に最終所見(勧告)を公表した。


 審査において複数の委員から指摘のあった朝鮮高級学校の高校無償化排除問題や、その他の朝鮮学校差別に関して、いくつかの指摘がなされた。


 「13.日本政府による説明には留意するが、委員会は、条約第四条(a)(b)の留保に関心を有する。委員会は、朝鮮学校に通う子どもなどの集団に対するあからさまな、粗野な言動の事件が続いていることや、特に部落民に対してインターネットを通じて有害な人種主義的表現・攻撃にも関心を有する。/委員会は、人種的優越性や憎悪に基づく思想の流布を禁止することは、意見・表現の自由と合致するという委員会の見解を強調する。そしてこの点で、日本政府に条約第四条(a)(b)の留保を維持する必要について検討し、留保の範囲を限定し、むしろ留保を撤回するよう促す。委員会は、表現の自由の行使は、特別な任務と責任、とりわけ人種主義思想を流布させない義務に対応するものであることを想起し、日本政府に対して、委員会の一般的勧告第七(一九八五年)と第一五(一九九三年)を考慮に入れるよう再び呼びかける。これらの勧告は、第四条は自力執行力がないとしても、命令的性格を有するとしている。委員会は日本政府に次のように勧告する。


(a) 第四条のもとで差別を禁止する規定に十分な効力を持たせる立法がないことを改正すること。


(b) 関連する憲法、民法、刑法規定が、憎悪や人種主義的現象に対処する追加措置を通じるなど、とりわけ、それらの捜査および関与者の処罰の努力を強化することにより、効果的に実施すること。


(c) 人種主義思想の流布に対して敏感になり、自覚するキャンペーンを行い、インターネット上のヘイト・スピーチや人種主義的宣伝など人種的に動機付けられた犯罪を予防すること。」


条約第四条(a)(b)は、人種主義思想の流布や人種差別の煽動を犯罪として処罰する法律、人種差別助長煽動団体を禁止する法律(ヘイト・クライム法)を制定することを求めている。


日本政府は条約を批准した際に、条約第四条(a)(b)の適用を留保した。理由は、表現の自由と抵触すること、罪刑法定原則と抵触することなどである(後述)。


「22.委員会は、日本政府が、バイリンガル指導員や入学案内など、少数者集団の教育を促進する努力を行ったことを評価するが、教育制度において人種主義を克服する具体的な計画の実施に関する情報が欠如していることは残念である。さらに、委員会は、次のような、子どもの教育に差別的影響を与える行為に関心を表明する。


(a) アイヌの子どもやその他の国籍の子どもが自己の言語で教育を受ける適切な機会がないこと。


(b) 条約第五条、子どもの権利条約第二八条、社会権規約第一三条二項など、日本が批准した条約にしたがって、日本にいる外国人の子どもに義務教育制度が完全に適用されていないこと。


(c) 学校認可、同等の教育課程および高等教育への進学に関して障害があること。


(d) 日本に居住する外国人、朝鮮人、中国人のための学校について、公的援助、助成金、免税についての異なる処遇。


(e) 公立・私立高校、専門学校、高校教育課程と類似する様々な教育機関について高校教育無償化のために日本で現在提案されている立法提案から朝鮮学校を除外するという政治家発言。


 委員会は、市民以外の者に対する差別に関する一般的勧告第三〇(二〇〇四年)に照らして、日本が、教育機会に関する諸規定に差別がないようにすること、日本の管轄に居住する子どもが、就学や義務教育に関して障害に直面しないようにするよう勧告する。この点でさらに、多数の外国人学校制度や、代替的な制度の選択に関する研究が、日本政府によって採用されている公立学校以外にも行われるよう勧告する。委員会は、日本政府に、少数者集団に自己の言語で教育を受ける適切な機会を提供するよう検討することを促し、ユネスコ教育差別禁止条約に加わるよう呼びかける。」



今会期の特徴



今回、人種差別撤廃委員会でロビー活動を行う前にになっていたのは、前回二〇〇一年比較してあまり新味がないのではないかということであったというのも、二〇〇一年から状況には様々変化があった、大枠えば「日本政府わっていないその意味では、基本的に前回じようなものという印象になりかねない。しかも、前回は直前に石原慎太郎都知事の「第三国人」発言があり、内外で注目されていた。実際、石原発言が公務員による差別発言であり、条約に従った対処が必要であることが、委員会によって明言された。今回は、人種差別撤廃委員会に日本の状況をどのように理解してもらうべきか、「人種差別撤廃NGOネットワーク」に属する人権NGOの悩みであった。


他方日本政府はアイヌを先住民族めてたな政策している。委員会にとってもその当然、評価すべきある。先住民族めたといいながら実は「先住民族権利めていないのから半分は虚偽説明なの、ともかくも、それまで認めていなかったことを認めた点では前進である。NGOとしても、言いたいことはたくさんあるがどこに焦点っていいのかむところでもあった


最近の状況変化としては、在特会(在日特権を許さない市民の会)のようなヘイト・クライムの激化があるので、NGOブリーフィングでは、これを一つの柱にした。二〇〇九年一二月に起きた、在特会による京都朝鮮学校襲撃事件は、最近におけるヘイト・クライムの典型例であり、しかも小学校児童に対する差別と暴力という異常な事態であるから、即座に理解できる。在特会という異常な集団を放置している日本政府の責任も明瞭であり、訴えやすい。そこで人種差別撤廃NGOネットワークが主催したブリーフィングの冒頭で、被害者である朝鮮学校側から撮影した映像を上映した。こうした努力によって、日本における人種主義と人種差別の実態を伝えようとした。


ところが委員会審査直前高校無償化から朝鮮学校を除外するとの中井発言して、状況変化した。日本新聞もみな委員会における中井発言批判報道したようにほらみろ、日本政府はこんなに差別的という証拠、海を越えてんできた在ジュネーヴ駐在のある日本新聞記者「出会だった表現したNGO主催のブリーフィングに一八人の委員のうち一二人が参加して、NGOに対して次々と質問をした。この時の質疑応答が、実際の日本政府報告書審査に反映することになった。



勧告の概要



 委員会勧告は三五項目に及ぶ長さであり、到底全部を紹介しきれない。まずは主要な項目の内容を列挙してみよう。


日本政府人種差別禁止法必要ないと主張しているがそれでは差別された個人集団補償けることができない


・国内人権委員会を設置する人権擁護法が廃案になったのは残念である。


日本には包括的効果のある救済機関がない


朝鮮学校生徒らにする有害、人種主義的表現などに関心する


・インターネットにおける部落民攻撃に関心を有する。


日本政府人種差別撤廃条約第四条(a)(b留保再検討するよう、留保範囲限定するか、留保撤回するよう


人種主義思想流布して敏感になり、意識めるキャンペーンをするべきである


・インターネットのヘイトスピーチや人種主義宣伝などの犯罪予防するべきである


公務員による差別発言がなされているのにこれにする措置られていない


公務員、法執行官、一般公衆、人種差別する人権教育をするよう勧告する


部落差別担当官庁がないので、部落問題機関設置するべきである


・アイヌ対策についてアイヌの代表十分選出されていない


・アイヌ民族の権利についての国家調査がなされていない。


前進があるといっても国連先住民族権利宣言にはばない


沖縄人々っている差別にも関心する


公的援助免税措置について朝鮮学校などへの差異的処遇など教育差別的影響がある


公衆浴場その他、人種国籍理由としたアクセスの権利拒否られる



定義問題



 人種差別撤廃条約第一条は人種差別の定義を定めている。一九六五年の条約であり、やがて半世紀になろうという歴史があり、解釈の歴史がある。この間、多くの国家が何度も何度も報告書を提出して委員会の審査を受けてきた。二〇回もの報告書を提出してきた国家もある。そこでの議論を踏まえているから、条約第一条の定義の解釈はすでに固まっている。人種、皮膚の色、民族的出身、種族的出身と併記された「世系」について、委員会の解釈においては、例えば、インド、ネパールなどの諸国におけるカースト制、ダリットが「世系」に当たるとされている。近年の国連人権理事会(旧・人権委員会)や人種差別撤廃委員会では、「世系」は職業や社会的身分に基づくものとされている。


 ところが、日本政府は委員会や他の諸国とは異なった独特の解釈を唱え始めた。日本政府によると、「世系」は、条約第一条にあるので、人種や民族的出身と同じ趣旨で理解されるべきであり、職業や社会的身分に関する規定ではないという。「だから、部落差別は人種差別ではなく、人種差別撤廃条約の適用がない」という結論のために作り出された解釈である。


 しかし、委員会は、日本政府の解釈を否定している。


 「8.委員会は、条約第一条一項の『世系』という用語は、単に『人種』に関するものではなく、世系に基づく差別は条約第一条に完全に含まれることを確認する。それゆえ、委員会は、日本政府に、条約に従って人種差別の包括的定義を採用するよう促す。」


 これは当然のことである。日本政府の主張が正しいならば、条約第一条にはもともと「世系」という言葉を書く必要がなかったことになる。人種や民族的出身とは別に、わざわざ世系という言葉が挿入されている意義を否定するべきではない。


 他方、二〇〇一年審査の際に「先住民族の国際法上の定義はないから、アイヌが先住民族に当たるか否かは判断できない」と、アイヌの先住民族性をあくまでも認めなかった日本政府が、今回の報告書では、アイヌの先住民族性を認めた。二〇〇七年に国連総会で「先住民族権利宣言」が採択され、日本政府もこれを支持した。そのことを委員会はきちんと評価している。


 しかし、ここでも問題を指摘しなければならない。第一に、アイヌを先住民族と認めたといいながら、先住民族権利宣言において承認された「先住民族の権利」を日本政府はまったく認めていない。第二に、現在、アイヌ政策を進めるための懇談会や各種委員会が発足して審議を進めているが、アイヌ代表が少数しか参加できていない。第三に、委員会審議の席上で、日本政府・人権人道大使は「先住民族の定義はない」と断言した。政府方針として先住民族権利宣言を支持し、アイヌを先住民族と認めたはずの現在でもなお、大使が国際舞台で平然と「先住民族の定義はない」と言い放っているのである。


 このように、日本政府は国際文書のもっとも基本的な用語の定義についてさえ、国際社会と異なる解釈を持ち出し、国際文書の定義を否定したりする。



人種差別禁止法



 人種差別禁止法の制定も、二〇〇一年審査時の勧告においてすでに明確に指摘されていた。二〇〇六年には、国連人権理事会のドゥドゥ・ディエン「人種差別問題特別報告者」報告書が人種差別禁止法の制定を勧告している。今回も同様の指摘がなされた。


 委員会はまず次のように述べている。


 「7.委員会は、前回の最終所見(二〇〇一年)の実施のための具体的措置に関する情報が、日本政府から十分提供されなかったことに留意し、勧告の実施も条約全体の実施も非常に制約されていることは残念である。/日本政府は、委員会によってなされたすべての勧告と決定に合致するよう、国内法規定が条約の効果的実施を助長するのに必要な措置を採るよう促されている。」


 「9.委員会は、国内の差別禁止法は必要ないという日本政府の見解に留意し、その結果として個人及び団体が差別について法的救済を求めることができないことに関心を有する。/委員会は前回の最終所見(二〇〇一年)の勧告を強調し、日本政府に対して、条約第一条にしたがって、条約によって保護されたすべての権利を含んだ、直接及び間接の人種差別を違法化する特別立法を制定することを検討するように促す。また、日本政府に、人種差別の告発を取り扱う法執行機関に、差別の実行者を取り扱い、被害者を保護するために適切な専門家・当局を置くことも促す。」


 その上で、委員会は先に紹介した勧告13を明示している。さらに、勧告14では、条約第四条(c)にしたがって、公務員などによる差別発言にきちんと対処するように求めている。


 人種差別禁止法、とりわけヘイト・クライム法の制定については何度も述べてきたが、最低限のことは確認しておきたい(詳しくは前田朗『ヘイト・クライム――憎悪犯罪が日本を壊す』三一書房労組、二〇一〇年)。


 第一に、ヘイト・クライムの現状認識である。日本政府は、日本にはそのような犯罪がないから法規制も必要ないと繰り返してきた。しかし、日本政府はヘイト・クライムの調査事態を行っていない。行うつもりもないという。調査もせずに「ない」と断言してきた。そして、チマ・チョゴリ事件や、在特会のようなヘイト・クライムには目を閉ざす。委員会で法務省人権擁護局がさまざまな弁解をしていたが、過去十数年にわたるチマ・チョゴリ事件の被害者からの聞き取りさえ行っていない。


 第二に、表現の自由との関係である。二〇〇一年には、日本政府は人種差別表現も表現の自由であると述べて、委員会の顰蹙を買った。今回はさすがにそこまでではなかったが、人種差別の刑事規制は表現の自由に反すると、相変わらずの主張を続けた。委員会は、人種差別の規制と表現の自由は矛盾しない、それどころか、表現の自由を守るためにこそ人種差別の刑事規制が必要だと指摘している。表現の自由と責任についての考察が、日本政府には決定的に欠けている。


 第三に、罪刑法定原則との関係である。確かに、新たな刑事立法に際しては、罪刑法定原則に反しないことは必須の条件である。法律に適正に規定された明確な犯罪概念、適正に規定された刑罰でなければならない。しかし、日本政府は、人種差別の刑事規制が罪刑法定原則に反すると一般的に述べている。世界では多数の諸国がヘイト・クライム法を有している。アメリカの過半数の州がヘイト・クライム法を有している。これら諸国の法律はみな罪刑法定原則に反しているのだろうか。そのようなことがありうるだろうか。また、単なる暴行事件よりも、人種主義的動機による場合に刑罰を加重して適用する立法は、なぜ罪刑法定原則に反するのだろうか。


 第四に、日本政府は、ヘイト・クライム法が表現の自由や罪刑法定原則に抵触すると述べながら、ヘイト・クライム法だけではなく、あらゆる人種差別禁止法の制定を拒否している。ヘイト・クライム法は、一定の人種差別言動を犯罪化したり、刑罰を加重する刑事法である。他方、人種差別禁止法は刑事法だけではない。憲法、民法、行政法、労働法など多方面の法分野における各種の規制法であり、そこにヘイト・クライム法も含まれる。仮にヘイト・クライム法についての日本政府の懸念に根拠があったとしても、それを理由に包括的な人種差別禁止法を拒否するのは不当である。少なくとも、ヘイト・クライム法を除いた人種差別禁止法は速やかに制定できたはずであるし、今からでも制定するべきである。



今後の課題



 今回の委員会審議と勧告は、高校無償化から朝鮮学校を除外するという政治家発言があったため、多くの新聞に報道され、日本社会に伝わった。とはいえ、伝わったのは審議や勧告のごく一部にすぎない。


 人種差別撤廃NGOネットワークに結集したNGOは、東京や大阪での報告集会を準備している。委員会ロビー活動参加者は、それぞれの団体の機関誌や各種メディアに報告文章を発表し始めている。


 NGO自身による報告と勧告の活用は当然のこととして、勧告を活かしていくためには、より具体的に日本社会に伝えていく必要がある。日本政府の後ろ向きの姿勢を改めさせる必要がある。


 翻訳、報告、報告会に加えて、とりわけメディアに人種差別問題について敏感になり、人権擁護の立場で報道させること。国会その他の政治の場で事実を伝え、委員会勧告の意義を理解してもらうこと。個別分野において、人種主義の克服、人種差別の抑止のためになされてきた努力をいっそう活性化させること。ヘイト・クライム法を含む人種差別禁止法の制定に向けて調査・研究と宣伝の努力。ヘイト・クライム調査のための措置や立法の提案。国内人権機関創設のための立法再提案。こうした努力を社会的に広げていく必要がある。


 人種主義と人種差別の被害者は少数者であることが多い。この社会の圧倒的多数派である日本国籍日本人は人種差別被害にあうこともなく、人種差別対策の必要性を理解しないことが多い。しかし、被害を受けない日本人こそが、自らこの社会の人種主義と人種差別について真剣に考えるべきである。


 第一に、それゆえメディアの責任が重要である。この社会の実態を明らかにし、人種差別に苦しむ人々の状況を理解させることが不可欠である。第二に、政治家の役割である。多数派の意見に従うことだけが政治家の仕事ではない。選挙における投票行動では示されにくい社会的ニーズにも配慮して政策を提言することも政治家の重要な役割である。第三に、人種差別は「被害者」にとってだけ深刻なのではない。人種差別を見逃し、放置していると、その社会は確実に蝕まれていく。人種差別をしないこと、人種差別を見逃さないこと、人種差別に加担しないこと、人種差別の予防と対策を日頃からきちんと用意しておくこと――そうしなければ、その社会におけるその他の差別や人権侵害も横行することになるだろう。



勧告の全文


http://www2.ohchr.org/english/bodies/cerd/cerds76.htm