Saturday, May 07, 2011

原発責任者特権法案(法の廃墟38)

三・一一の戯画



 三月一一日は、ジュネーヴ(スイス)にいて国連人権理事会に参加していた。人権理事会で、NGOとして平和への権利について発言できるチャンスがあり、前日から発言順を待っていた。一〇日には順番が回ってこなかった。一一日の朝食の時に日本で地震があったという話を耳にした(日本とスイスの時差は八時間)。


人権理事会は、安保理事会や経済社会理事会と並ぶ国連機関である。人権がテーマなので、国家だけではなく、NGOも参加して発言することできる。これまでも日本軍性奴隷制問題や朝鮮人差別問題について発言してきた。国内で日本政府を批判しても、まともな政府ではないからほとんど聞いてもらえない。それならば国連で発言するほうが重要である。というわけで、日本の地震のことはさして気にとめていなかった。

無事に発言を終えた後にラウンジでコーヒーを飲んでいると、知り合いが「家族は大丈夫か、日本は大変なことになっているぞ」と東日本大震災を教えてくれた。その後、連日のように日本の地震が話題になった。一二日の福島第一原発第一号機の水素爆発は世界に衝撃を与えた。それ以後、西欧メディアは原発情報で持ちきりだったが、一日二日たつと、日本の状況がおかしいことに気づいた。スイスにいて入手できる情報が、日本国内では流れていないのだ。日本政府と東電はひたすら「安全です。微量なので人体にただちに影響はありません」を連発している。マスコミは完全に大本営発表状態である。インターネット上ではいろんな情報が流れていたが、そこでも政府発表と違う情報を押さえ込もうとする力学が働いていたのには驚いた。原発の状況を把握するために帰国を延期して様子を見ながら、ネット上の情報を転送していたが、そんな折に考案したのが「原発責任者特権法案」だ
*         *
原発責任者特権法案
第一条 法の目的
1.本法は、原発の設置・建設・運営に責任のある者に特権を付与することを目
的とする。
2.本法に定める原発責任者の特権は、日本国憲法が定める法の下の平等には違
反しないものと解釈される。
第二条 定義
本法における原発の設置・建設・運営に責任のある者には、次の者が含まれる。
1)当該原発の設置計画を立案した者。
2)当該原発の設置申請を許可した公的機関の責任者。
3)当該原発の建設を請け負った企業の経営者。
4)当該原発の運営を所掌する機関の責任者。
5)当該原発の安全性に保障を与えた学者。
6)当該原発の安全性の宣伝・広報を請け負ったマスメディアの経営者。
7)当該原発に関連する訴訟で原発の安全性を是認した裁判官。
第三条 特権の付与
1.原発の設置・建設・運営に責任のある者は、原発敷地内に家族とともに居住
することを特別に許される。
2.政府及び地方自治体は、前項の居住用家屋を原発敷地内に建設するための経
費の二分の一を負担する。
3.不動産にかかわる税金はこれを免除する。
第四条 特権の停止
前条に定める特権を付与された者は、職務上の必要がある場合、当該原発所在の
地方自治体議会の過半数の議決を以て、前条に定める居住用家屋を離れることが
できる。その期間の上限は二週間とする。
第五条 特権の終身性と一身専属性
1.前々条に定める特権は、その者が当該職務又は地位を離脱した後も生涯にわ
たって保障される。
2.この特権は相続の対象とならない。
第六条 特権の放棄
第三条の規定にかかわらず、家族はその特権を放棄することができる。
第七条 遡及適用
本法の諸規定は、本法施行以前に遡ってすべての原発責任者に適用される。
国家は国民を殺す
原発責任者特権法案の趣旨は明快であるが、若干の説明をしておこう。
昔、戦争を確実になくすための「戦争廃止法」案が語られたことがある。いざ戦争となったら、大統領(ないし首相)、外相、陸相、将軍などの責任者及びその息子たちが真っ先に従軍し、最前線に出ることにするという話だ。こうすれば権力者は戦争を始めず、外交交渉で紛争を解決するために徹底努力をするはずだ。
 ブッシュ元大統領が開始した二〇〇三年のイラク全面戦争におけるアメリカの戦争犯罪を裁くために日本の民衆が取り組んだ「イラク国際戦犯民衆法廷運動」の中で、「ブッシュとブレアは有罪。判決は、生涯かけてイラクの劣化ウラン弾を処理すること」と冗談を言っていたことがある。「そういう非人道的な刑罰は科せない」「いやいや、彼らは劣化ウラン弾は安全だと言っている」「だったらホワイトハウスの水道管を劣化ウランにしよう」。
戦闘機離発着の基地騒音をめぐる訴訟でも、各種の公害訴訟でも、長年同じことが続いてきた。現に被害者がいるのに、被害から眼をそらし、密室で協議をし、御用学者がお墨付きを与える。土建業界のための開発も同じだ。自然環境を破壊し、人びとの暮らしを破壊する開発を、小手先の数字や理論をタテにどんどん進めてしまう。
こうした被害をなくすためには現場から問いを立てなければならない。そのためには開発を主張する当事者こそ現地に居住するべきだ。安全性のお墨付きを与える御用学者も、開発許可を出す官庁の責任者も、安全だ、害はないというのなら率先して現地に家族とともに暮らすべきである。

  原発も同様である。水素爆発が起きて建屋が吹き飛んでも、セシウム一三一が検知されても、ついにはプルトニウムが漏れ出しても、とにかく「安全」と繰り返す東電や「安全院」の責任者は、自分たちだけは安全圏に身を置いて「作業員」を現場で働かせ、被災者を置き去りにする。これほど異常な無責任が堂々とまかり通るのが、この国である。国民を平気で殺して、権力は安泰というのが、この国の歴史である。