Saturday, March 05, 2011

グランサコネ通信2011-03

グランサコネ通信2011-03

2月25日

24日は雪でした。朝からしんしんと静かに。目が覚めたときに、なんとなく気配でわかってカーテンを開けると、わが宿舎の前庭はすっかり銀世界、周囲の林は見事に雪化粧。寒いけど、楽しい。

パレ・デ・ナシオン本会議場前の廊下で、アメリカ政府が「木のアート」という展示をやっています。いったいなんだろうと説明を見たら、今年は「国際森林年」だそうで、そのための森林保護の企画展示です。アメリカ政府は環境保護に力を入れていますというアピール。コンクリートの廊下の上にビニールシートを敷いて、土を盛って木を並べて、20メートルほどの並木道を演出しています。笑ってしまいますが。2週間の展示で、本日25日が最終日です。

もっと笑えたのは、先日の「インターナショナル・ヘラルド・トリビューン」です。特集記事は、日本の大学生は就職難で、まだ就職活動という紹介で、結構大きな写真つきでした。2010年度の大学生の就職率や、大学側や学生の意識も取り上げて、こんなに困ってます、と。大学を出ても就職できないので早いうちに日本脱出をめざす若者が増えていることも強調。どこが笑えるかって、この記事ではありません。この記事と並んで、早稲田大学の海外向け英文広告が載っていて、早稲田に留学にいらっしゃい、こんなに素晴らしい大学ですよ、って。並べちゃいけないだろう(笑)。欧州の読者は、どう読むのかな。早稲田は広告料返還請求訴訟を起こしたほうがいい。

ちょっと贅沢にChateau LE BOSCQ Saint-Estephe 2006。

1)アイルランド報告書

昼休みに会議室に入ったらアイルランド政府代表団が予行演習していました。邪魔をしてはいけないと席をはずそうとしたら、そこにいてくれ。誰も見てないよりは、見ていたほうが予行演習になるためか。代表団は10人ほどと思ったら、あとから来た人も含めて15人。男女半々。しかし、報告書プレゼンテーションはすべて男が発言。

35団体くらいのNGOで組織された「反人種主義NGO連合」によるNGO報告書をもらいました。カラー印刷で写真も15枚つき、ちゃんと製本した立派な報告書(45頁)です。われわれも学びたいが。

政府報告書(CERD/C/IRL/3-4. 23 September 2010)は第3-4回。前回第1-2回は2004年に提出して2006年に審査を受けています。アイルランドは、1968年という早い時期に条約に署名したにもかかわらず、その後、批准がすすまず、1998年の雇用平等法、2000年の平等地位法を制定した後にようやく批准して、2001年1月に発効したそうです。

報告では、多くの政策が紹介されていましたが、人種差別撤廃欧州会議や、人身売買対策欧州会議などに入っているので、その関係でここ20年ほど、大幅に政策、計画、対処機関の整備をしてきたようです。

条約第四条、ヘイト・クライム関連では、まず前回報告書を見よ、となっています。これは要確認。続いて、1989年の憎悪行為教唆禁止法は、個人住居の外で、書かれた物を出版、頒布すること、言葉を用い、態度、書かれたものを展示すること、又は、視覚的イメージや音響の記録を頒布、上演、展示することは、それが威嚇であったり、憎悪を書きたてようとするものであれば、犯罪としています。「個人住居の外で」には、「もし屋外に居る人が見たり聞いたりできれば、個人住居の中であっても」という補足つきです。また、「出版」にはインターネット上に表現することが含まれるとしています。(この項目は要再確認。前回報告書を見ること)。(それ以前、1939年の国家に対する犯罪法第一八条(d)(e)は、人種差別を教唆するなど違法活動を促進する団体を違法とし禁止しています。同法第二一条は、その団体構成員も処罰しています)。1989年法の下では、上記の行為が、国内外の人の集団に対して、人種、皮膚の色、国籍、宗教、民族、国民的出身、性的志向、又はトラベラー・コミュニティの一員であることを理由に行うことを、禁止しています。同法は司法省で改正の要否について検討中だそうです。

EUのサイバー犯罪条約議定書については検討中。

1994年の公共秩序法は、人種主義的行為と闘うものです。

1997年の刑法第7条1項は、正式裁判にかけられるような犯罪に対する共犯規定であり、1989年法違反はそれに当たります。

1989年法の犯罪は次の3つです。

(a)書かれたものを出版又は頒布すること。

(b)個人住居の外で、言葉を用い、態度、書かれた物を展示すること。又は、その言葉、態度、物がその住居の外にいるものによって聞いたり見たりできる場合は個人住居の中でも。

(c)それが威嚇であったり、憎悪を書きたてようとするものであれば、視覚的イメージや音響の記録を頒布、上演、展示すること。

2003年から08年の統計一覧が掲載されています。

警察が記録した事件:64(03年)、68(04年)、100(05年)、172(06年)、214(07年)、172(08年)

捜査された事件:29(03年)、28(04年)、56(05年)、91(06年)、135(07年)、98(08年)

訴追された事件:21(03年)、16(04年)、47(05年)、70(06年)、85(07年)、50(08年)

有罪判決数:4(03年)、9(04年)、20(05年)、26(06年)、29(07年)、3(08年)

+ただし、控訴等のため未確定事件を含む。

アイルランド報告で特徴的だったのは、第一に、NGOとの協議をとても強調していたことです。報告書にも明記されていますが、プレゼンテーションでも冒頭からNGOのことを話していました。NGOの意見を聞いて、政府報告書を再検討したとの事です。

第二に、私の個人的感慨ですが、トラベラーのことがようやくわかりました。政府報告書にTraveller Communityが繰り返し出てきます。NGO報告書にはTravellerのデモの写真も2枚出ています。デモのプラカードには「PRIDE」「RESPECT OUR NOMADIC CULTURE」とあります。アイルランドではジプシーではなくトラベラーと呼ぶのです。自称しているのです。2001年のダーバン人種差別反対世界会議のときに、多くのジプシーが来ていました。ところが、自分たちはジプシーではなくロマだというグループもいれば、シンティだというグループもいました。地域によって呼称が違いますし、それぞれが自分たちをどう呼んでいるかが優先されるべきです。ダーバンNGO宣言ではたしか「ジプシー/ロマ/シンティ/トラベラー」となっています。私は少し勘違いしていました。ジプシー、ロマ、シンティには実際に会ったので、なるほどいろんな呼び方があるので、「ジプシー/ロマ/シンティ/トラベラー」と並べたんだ、と受け止めていました。その時の私の受け止め方は「トラベラーは<その他>を一般的に指す」という感じでした。しかし、誰だったか忘れましたが、「トラベラーもいる」と教えてくれた人がいました。でも、それっきりになっていました。アイルランド報告書にははっきりとTraveller Communityと明記されています。審査の中ではジプシーやロマも用いられていました。10年たって、ようやく答えに出会いました。

2)ノルウェーの反差別法とdescent

前回のグランサコネ通信に書いたノルウェー報告書ですが、人種差別撤廃委員会の審査の時に、ちらっとdescentという言葉が出ました。報告書には出ていないので、私の聞き違いかもしれません。気になったので、少し調べてみたら、前回2006年のノルウェー報告書(CERD/C/497/Add.1)に、2005年反差別法の紹介が載っていて、そこにdescentが出ていました。今回の報告書には簡単なことしか出ていません。2005年6月3日の反差別法ですが、最初に委員会が法案を起草したときには民族差別だけを取り上げていたのが、最終的にできた法律では、民族、国民的出身、世系(門地、descent)、皮膚の色、言語、宗教及び信仰に対する差別を禁止することになったそうです。理由は明示されていませんが、基本的には人種差別撤廃条約にあわせたのでしょう。問題はdescentですが、なぜdescentが取り上げられたのか、何を念頭においているのか、前回報告書には書いてありません。

descentが気になるのは、日本と関係するからです。descentは、従来の日本の法律上の言葉では「門地」ですが、人種差別撤廃条約を批准した時に、日本政府は突如として「世系」という言葉を持ち出しました。これが公定訳となっています。そして、日本政府は「世系は人種に準じる概念である」と言います。何を言っているかというと、部落差別は人種に準じるような範疇ではないから世系には当たらず、従って人種差別撤廃条約と部落差別は関係ない、という趣旨です。私たちNGOは、日本政府見解が誤りであると主張してきました。人種差別撤廃委員会も、部落差別に条約が適用されることを認めています。2001年も2010年も。でも、日本政府は自説を曲げません。

こういう経過があるので、ノルウェーのdescentが気になりました。前回報告書で、反差別法にdescentが出ていることはわかりましたが、それ以上のことはわかりません。ノルウェーで調べるしかないようです。私には無理。

条約にdescentが明示されていますし、かつて人権委員会と小委員会の時代から、このテーマは職業にかかわる差別など、様々に取り上げられてきました。NGOの反差別国際運動IMADRが大きな役割を果していました。そうした流れで、各国の人種差別禁止法、反差別法にdescentが盛り込まれているとすれば、それがどのように解釈されているのかを調べることも必要です。

なお、昨年のグランサコネ通信でも書きましたが、2010年2月24・25日に人種差別撤廃委員会で、外務省人権人道課長ほか日本政府代表団は「世系」を「せけい」と読んでいました。しかし、人種差別撤廃条約を批准した当時、そして2001年の人種差別撤廃委員会の時には「せいけい」と読んでいたのです。ここに日本政府の特質が現れています。たいした問題ではないと思っているから、読み方さえ継承していないのです。部落差別問題を軽視し、人種差別撤廃委員会も軽視していると見るべきでしょう。日本の外務官僚は、この程度のことさえ引継ぎができない(笑)。そういえば、漢字の読めない首相、どこかにいましたね。