Thursday, February 03, 2011

時代を駆け抜けた29歳

無罪!09-09

法の廃墟(30)

時代を駆け抜けた二九歳

 この夏、反骨の川柳作家を描いた映画と、貧困と格差社会への警鐘ゆえに再ブームとなった小林多喜二の代表作『蟹工船』の映画が公開・上映された。

 プロレタリア小説を代表する作家の小林多喜二が特高警察の残忍な拷問で虐殺されたことはあまりにも有名だが、プロレタリア川柳の世界を切り拓いた鶴彬も中野・野方署において拷問によって殺害された(赤痢にかかり豊多摩病院で死去)。ともに二九歳であった。

 川柳の革新と芸術

 映画『鶴彬――こころの軌跡』(監督・神山征二郎、二〇〇九年)は、鶴彬生誕一〇〇周年記念作品であり、ドキュメンタリードラマとして製作された。

 暁を抱いて闇にゐる蕾

 手と足をもいだ丸太にしてかえし

 枯れ芝よ団結をして春を待つ

 胎内の動きを知るころ骨がつき

 鶴彬(本名・喜多一二)は、一九〇九年、石川県河北郡高松町(現・かほく市)に生まれた。一五歳の頃から川柳を作り始めたが、やがて社会主義川柳やプロレタリア川柳として発展させていった。激動の時代に、資本主義による労働者の搾取や弾圧を厳しく批判し、戦争の実相を見据えて反戦平和を訴える作品をつくった。

権力の不正に対して飽くことなく言葉の痛撃を浴びせ続けた青年の研ぎ澄まされた精神は、一叩人編『鶴彬全集』(たいまつ社、一九七七年)、深井一郎『反戦川柳作家鶴彬』(機関紙出版、一九九八年)、田中伸尚・佐高信『蟻食いを噛み殺したまま死んだ蟻』(七つ森書館、二〇〇七年)、木村哲也編『手と足をもいだ丸太にしてかえし――現代仮名遣い版鶴彬全川柳』(巴書林、二〇〇七年)などで知ることができる。なお、前田朗『非国民がやってきた!』(耕文社、二〇〇九年)参照。

 映画製作は、鶴彬の地元・石川県の人々をはじめとして、鶴彬への熱い思いを持った人々の努力によって始まり、多くの困難を乗り越えて実現した。鶴彬役は池上リョーマ、鶴を支えた井上剣花坊夫妻を、高橋長英、樫山文枝が演じた。客観的な資料映像のシーン、俳優による造形演技のシーン、そして川柳の朗読。これらを通じて若き詩人の清冽な映像詩が再演された。

 退けば飢ゆるばかりなり前へ出る

 地下にくぐって春へ、春への導火線となろう

 鶴彬を演じた池上リョーマは、この二編が好きだという。「苦しみながらもなんとかしよう、目的を達成したいとあがいている感じがすごく好きでした。彼の心情がストレートにビンビン伝わってきて」(映画パンフレット『鶴彬――こころの軌跡』より、以下同じ)。

 国境をしらぬ草の実こぼれ合ひ

 井上剣花坊の妻・信子を演じた樫山文枝は、女流川柳の先駆者・井上信子のこの作品が好きだという。「今でこそグローバル化なんて言いますけど、当時から信子さんはそういうことを詠んでいた。本当に感性が新しいですよね」。

 鶴にしても剣花坊や信子にしても、時代の激流に抗する信念に加えて、みずみずしい感性で川柳の芸術化へ突き進んでいった。このために弾圧を受け、一九三八年、鶴彬は特高警察によって殺された。全国的には知名度はまだまだだが、今回の映画を通じて改めて鶴彬とその周辺に光があてられたことは意義深い。

 なお、鶴彬の詩における沖縄差別について、座覇光子の指摘がある(「国家機密法に反対する懇談会だより」六三号、二〇〇九年)。

 ブームの終焉へ

 映画『蟹工船』(監督・SABU、二〇〇九年)は、プロレタリア文学の最高峰とされる原作の八〇周年に、再びやってきた世界恐慌状況において貧困、格差、派遣切りの横行する現代に送り出された。原作は二〇〇八年にブームとなり、流行語にもなった。その作品構造を残しつつ、「スタイリッシュな映像と独特のユーモアを武器に、現代的なアレンジを施した」(映画パンフレット『蟹工船』より、以下同じ)という。

 小林多喜二は、一九〇四年に秋田県に生まれ、四歳で小樽に転居した。小樽高等商業学校在学中から創作活動を始め、プロレタリア文学の代表者となる。特高警察による拷問を告発した『一九二八年三月十五日』、地主と小作人の闘いを描いた『不在地主』などで、資本主義の搾取や抑圧を批判したが、一九三三年に特高警察の拷問によって殺された。多喜二の伝記決定版は、倉田稔『小林多喜二伝』(論創社、二〇〇三年)である。ノーマ・フィールド『小林多喜二』(岩波新書、二〇〇九年)も優れている。

 SABU監督は「労働者の悲惨さだけを描きたいわけではないし、悲惨な状況を嘆きながらも、希望を全て無くしている訳じゃ無い、僅かに残っている小さな希望の声を拾って、それを映画の楽しみにまで引き上げたい」と語る。その試みはそれなりに成功している。

 もっとも、汚いキツイ世界を描いただけでは若者は観てくれないため、かっこよく描いたという。スタイリッシュでユーモアがあってかっこいい闘いだ。『蟹工船』(監督・山村聡、一九五三年)との決定的な違いである。

 反貧困、反差別、反戦平和の運動現場でも、古いタイプの運動は硬苦しくてかっこ悪いから、若者にウケルようなかっこいい運動をつくろうという声が大きくなっている。なるほどと思う。運動がかっこよくて楽しいことは悪いことではない。

しかし、若者のアイデアといっても、せいぜい賑やかなサウンドデモでしかない。その程度のかっこよさでいったいどうするの、と詰問したくなる話しか出てこない。五六年ぶりの『蟹工船』の映画化は、ブームにのって物語を消費したが、同時にブームを終わらせる役割を果たしたのではないだろうか。

 鶴彬も小林多喜二も、そうしたかっこよさとは無縁だ。現実に向き合い、理想を掲げてプロレタリア芸術の闘いを、二九歳の青春を、まっしぐらに駆け抜けた。まったく異質のかっこよさが――結果として――残された。真のかっこいい闘いは、これからだ。