Monday, September 27, 2010

虚妄の民衆思想(1)

『無罪!』65号(2010年9月)/法の廃墟35

「ライフワークの集大成」

 花崎皋平『田中正造民衆思想継承』(七森書館、二〇一〇年)は、現代日本を代表する民衆思想家にして民衆思想研究者である著者の四〇年以上にわたるライフワークの集大成」との宣伝文句のついた最新の著作である。全体としては田中正造じていその「継承」では、前田俊彦、安里清信、貝澤正をとりあげ、自らの人生んでいつまり、田中、前田、安里、貝澤、花崎とつづく民衆思想家れをその観点から田中正造ぶべきことを再発掘するみである正造生涯、活動、主張全体をカバーするのではなく、前半人生についてはよくられているので簡潔えて、天皇直訴事件以後正造思想発展中心検討してい。天皇直訴事件だけで正造代表させると「義人伝説」にはまってしまうがその発展こそ重要という

本書には学ぶべきことも多いが、それ以上に、本書は日本の民衆思想なるものの致命的欠陥を見事に露呈しているので、検討しておきたい。まず著者自身によるプロフィルを見ておこう。

 <一九三一年、東京に生まれる。哲学者。北海道小樽市在住。北海道大学教員を経て、ベトナム反戦運動、成田空港や伊達火力、泊原発などの地域住民運動、アイヌ民族の復権運動への支援連帯運動に参加する。一九八九年ピープルズ・プラン21世紀・国際民衆行事で世界先住民会議の運営事務局に参加。現在「さっぽろ自由学校<遊>」、ピープルズ・プラン研究所の会員。著書『生きる場の哲学--共感からの出発』(岩波書店、一九八一)『あきらめから希望へ--生きる場からの運動』(高木仁三郎との対論、七つ森書館、一九八七)『静かな大地--松浦武四郎とアイヌ民族』(岩波書店、一九八八/二〇〇八)『民衆主体への転生の思想--弱さをもって強さに挑む』(七つ森書館、一九八九)『アイデンティティと共生の哲学』(筑摩書房、一九九三/平凡社ライブラリー、二〇〇一)『個人/個人を超える者』(岩波書店、一九九六)『<共生>への触発--脱植民地・多文化・倫理をめぐって』(みすず書房、二〇〇二)『<じゃなかしゃば>の哲学--ジェンダー・エスニシティ・エコロジー』(インパクト出版会、二〇〇二)『ピープルの思想を紡ぐ』(七つ森書館、二〇〇六)『風の吹き分ける道を歩いて--現代社会運動私史』(同、二〇〇九)>

以上が著者のプロフィルである。民衆思想家にして「哲学者」である。ならば、いかなる「哲学者」であるのか。それが、以下の本題である。本書に学ぶべき点については省略して、疑問点だけを取り上げる。本書の最大の疑問点は、戦争認識である。

侵略容認の民衆思想

 第一に、日清戦争認識である。田中正造の「日清戦争認識」をみると、「日清戦争に勝ったのも人民の正直のゆえである。無学で正直なことを軽蔑すべきではない」という趣旨のことを書いている。花崎は、これについて「日清戦争によって国民の正直を発見したとして『戦争、国民万歳』と日清戦争を肯定している」とだけ書いて、それ以上のコメントを付していない(五三頁)。これは一八九四年のことで、正造は議員時代である。一九〇一年の銅山事件の直訴より七年前で、正造五三歳。後の思想の深まりよりは前のものだが、五三歳にしてこの認識であるということは、正造は「朝鮮植民地化戦争」を心底評価し、支持していたということだ。そのことを今になってあげつらう必要はないが、このような正造の思想を二〇一〇年の現在、花崎がどのように扱うかは別の問題である。「日清戦争を肯定している」とだけ書いてコメントをせず、しかも本書ではその後まったく取り上げられない。正造の自己批判の有無も問題とされない。にもかかわらず、朝鮮植民地化戦争を支持した正造の思想が「アジアに知られていけば、深い浸透力や広い影響力を持ちうる」と結論付けている。ここに正造ではなく、花崎の思想への決定的な疑問がある。

 第二に、アジア太平洋侵略認識である。「アイヌの思想家貝澤正」の経歴中に次の一文がある。

「一九四一年、二八歳のとき、満蒙開拓移民団の団員となり、中国東北部佳木斯に入植するが民族差別事件に遭遇して幻滅し退団する」(二〇九頁)。

「貧乏から抜け出し、広い天地で農業をしようという願いを満州開拓に託し、開拓団に入って渡満した。しかし、開拓団の実体は中国人、朝鮮人の農民を働かせて、自分たちはごろごろしているだけ。その差別はひどいものだった。団員の一人が朝鮮人と結婚し、その妻が子供を早産した。その子を開拓団の墓地予定地に埋葬したところ、それを責める団員がいた。正さんがその団員に民族を差別するとは何事だと抗議したところ、なにを生意気なこのアイヌ、ぶっ殺してやると銃を向けられた。正さんはこんな連中の中にいたのでは殺されるかもしれないと思い、退団した。民族差別を許さない倫理観は、若い頃からの思想信条の背骨であった」(二一二頁)。

このエピソードは貝澤自身による回想であろうが、大きな疑問がある。明治初期に「屯田兵」という名の開拓移民によってアイヌモシリを奪われ、差別されてきたアイヌの貝澤は、一九三一年の論文で北海道旧土人保護法を批判し、アイヌ差別に抗議した。その貝澤が満蒙開拓移民団の団員となり、「広い天地で農業をしようという願い」で満州開拓移民となった。ならば、「広い天地で農業をしようという願い」でアイヌモシリに移民し、アイヌの土地を奪った屯田兵も正当化されることにならざるをえない。貝澤は自分のことを棚に上げて、アイヌ差別を批判し続けたことになる。このことについて貝澤がどのように認識していたのか、本書からはわからない。ここで重要なのは貝澤を批判することではない。花崎は、貝澤のエピソードを紹介しながら、「民族差別を許さない倫理観は、若い頃からの思想信条の背骨であった」と評価する。満州の人々の土地を奪い、旧「満州国」を捏造し、中国人、朝鮮人を差別していた日本の侵略と植民地支配の尖兵となった貝澤に、果たして「民族差別を許さない倫理観」を見ることができるであろうか。貝澤は、開拓団を抜けたあとも満州に居座り続け、一九四三年に「肺結核治療のため帰国」している。民族差別を批判して帰国したのではない。そのことを花崎はどう見ているのか不明である。

 以上、まずは二点を取り上げた。暫定的な結論を示すならば、花崎民衆思想とは侵略容認の民衆思想にほかならない。花崎の他の著作には、日本の戦争責任を問う記述を見ることができるが、「ライフワークの集大成」たる著作においてその限界を露呈したと言うしかない。次回、さらに検討を続けたい。

Sunday, September 26, 2010

ぐろ~ばる・みゅ~じっく(19)











平壌で買ったCDです。1991年と1997年のもので、どちらも朝鮮歌曲集。「口笛」や「イムジン河」などおなじみの曲が収められています。

Wednesday, September 15, 2010

ぐろーばる・みゅ~じっく(18)


ACOUSTIC ARABIA


アラブの伝統的音楽を基礎にしたポップスです。


エジプトのJamal Porto の Gamar Badawi

アルジェリア=フランスのLes Orientales のAlger, Alger

スーダンのRasha のAzara Alhai

レバノンのCharbel RouhanaとHani Siblini の Mada

モロッコのTiris の Tiris Nibreeha

など10曲

「慰安婦」問題の国際的動向

『救援』496号(2010年8月)

「慰安婦」問題の国際的動向

 いまさら驚くことではないが、日本軍「慰安婦」問題をめぐる日本メディアの対応は異様である。国際ニュースを遮断し、国内に知らせないことを目的としているようだ。六月一八日、アムネスティ・インターナショナルは「日本――ILO、日本軍性奴隷制のサバイバーのための正義の実現を追求せず」という国際ニュースを発したが、マスメディアは無視した。一つのNGOのニュースを取り上げなくても仕方がないというのは理由にならない。アムネスティ・インターナショナルはもっとも著名で信頼されている国際NGOであり、他の問題では日本メディアも重要視してきた。六月一一日、子どもの権利条約に基づいて設置された子どもの権利委員会が、日本政府報告書の審査結果として、歴史教科書の記述が不十分であるという勧告を出したが、これもマスメディアはほとんど報じていない(前田「子どもの権利委員会と日本」『統一評論』八月号参照)。

人権高等弁務官

 五月一四日、国連ニュース速報は、日本滞在中のナヴィ・ピレイ国連人権高等弁務官の動向を伝えた。ピレイ人権高等弁務官は、移住者、人身売買と闘う方法、死刑などに関連して、国際社会で影響力の大きい日本が持つ潜在的な力を強調したという。国連ニュースによると、人権高等弁務官は、独立の国内人権機関を設置し、かつ国内レベルで救済が得られなかった場合に国際人権機関に申立てることを、日本の市民に許す「個人通報」制度を批准するとの日本政府の公約に特に留意した。人権高等弁務官は、新政権のもとで死刑執行がなされていないことに意を強くしていると述べ、日本がもう一歩進めて、世界的な流れに沿って死刑執行猶予措置をとる方向に向かうよう希望すると述べた。

 国連ニュースによると、さらに、人権高等弁務官は、「慰安婦」問題について、何千という戦時性奴隷制被害者に対して謝罪かつ補償し、最終的な解決を実現するよう日本政府に訴えた。「これまで中途半端な対応が多すぎたので、被害者の満足が得られなかった」、「新政権は、悲惨な過去を清算するだけでなく、これを地域の他の諸国に対して肯定的な模範を示す機会とすることができる」と述べたという。

 しかし、マスメディアはごく一部の情報しか伝えていない。NGOがネット上で関連情報を流したが、一般には知られていない。「慰安婦」問題が国際社会に報告されたのは、一九九二年二月の国連人権理事会であった。それ以後、毎年のように国際的に取り上げられてきたが、国連事務次長に相当する人権高等弁務官が「慰安婦」問題に言及したのは初めてのことである。それでもマスメディアは情報を隠蔽する。

人権理事会

 六月七日、ジュネーヴの国連欧州本部で開催中の国連人権理事会において、ラシダ・マンジョー「女性に対する暴力特別報告者」が、最新報告書(A/HRC/14/22)のプレゼンテーションを行った。今回、マンジョー特別報告者は、被害者救済に焦点を絞った報告書をまとめ、その中で「慰安婦」問題を取り上げた。武力紛争における女性に対する暴力被害者に対する補償、リハビリテーション、再統合、象徴的認知、再発防止保障などについて検討した上で、次のように述べている。

「個別事件について女性への補償を求める、よく組織され、よく記録された運動が、いわゆる『慰安婦』のための運動である。一九八〇年代以来、被害者たちは証言を行い、国際世論に訴え、公的謝罪と補償を求めてきた。被害者たちは、公的支援の偽装を不適切であるとして拒否し、公式の謝罪と、社会経済的ニーズによる福祉的援助よりも公的基金による個人補償を強調してきた。性犯罪被害者として、彼女たちは、公式謝罪と国家責任の公的認知のない経済補償を受け取りたくないのである。」

これを受けて、韓国政府が次のように発言した。特別報告者は、被害者救済の権利の概念と実践例をまとめている。特別報告者は、国際人権原則に基づいて被害者救済を行うべき国家の責任に注意を喚起している。韓国政府は、特別報告者が第二次大戦時における「慰安婦」問題に言及したことを歓迎する。この問題は関係政府によって適切に扱われてこなかったので、韓国政府は日本政府に、特別報告者の勧告に応答して、象徴的認知を行い、被害者に対して実質的救済を行う適切な措置をとるよう呼びかける。戦争や武力紛争において女性に対して繰り返されてきた暴力は、人権の基本的侵害であり、人間の尊厳への挑戦である。その重大性にもかかわらず問題が未解決のままであり、国際社会の関心事項となっている。

これに対して、日本政府が次のように発言した。日本政府は一九九三年八月に調査結果を公表し、多くの女性の名誉と尊厳を損なったことを認め、謝罪を表明した。政府と日本国民は共同でこの問題を討議し、一九九五年、アジア女性基金を設立し、生存女性に支援金を渡し、住宅プログラムや医療支援を行った。首相から誠実な謝罪と遺憾の意を表明する手紙も届けた。日本政府は道義的責任に心を痛め、誠実に向き合っている。

韓国政府が再び発言した。韓国政府は、日本政府が以前行った言明に応答することを望む。補償がなされる必要がある。女性差別撤廃委員会も、最近、この問題が未解決であると指摘した。韓国政府は、日本政府がこの問題を至急取り扱うよう求める。

日本政府がさらに次のように発言した。日本政府は、「慰安婦」問題が多くの女性の名誉と尊厳をひどく傷つけたことを認めた上で、誠実な遺憾の意を表明し、謝罪した。補償、財産その他の第二次大戦に関する請求権については、前に述べたので繰り返さない。 

女性に対する暴力特別報告者は、一九九五年からラディカ・クマラスワミ(スリランカ)が二〇〇三年まで担当し、一九九六年の「日本軍慰安婦報告書」において有名な六項目勧告を出したのをはじめ数回にわたって言及した。「慰安婦」問題をめぐる議論は、クマラスワミ報告書、一九九八年のゲイ・マクドゥーガル「戦時性奴隷制」報告書で、すでに決着がついていた。その後も、ILO(国際労働機関)、自由権規約委員会、社会権規約委員会、拷問禁止委員会、女性差別撤廃委員会、国連人権理事会の普遍的定期審査において、日本政府に対して解決を求める勧告が続いた。さらにアメリカ、カナダ、オランダおよびEUの議会も決議を続けた。法的責任に関する議論において、クマラスワミ勧告以後十数年にわたって、日本政府が国際社会の勧告から遁走を続けている。

マスメディアが伝えないので、多くの日本国民がこの事実を十分に知らずにいる。全国各地の自治体においても約三〇ヶ所で解決を求める決議が出ているのに、マスメディアはその流れを堰き止める役割を果たしている。

Tuesday, September 14, 2010

ぐろーばる・みゅ~じっく(17)


ARABIC GROOVE


解説によると、アラブのポピュラー音楽は西洋ポップ音楽の影響を受けたそうで、ファンク、ヒップホップ、ソウル、R&B、ディスコサウンド、ジャズ、ラテンの影響のもとに北アフリカや中東で形成されてきたそうです。日本では一般的に、アラブ音楽の独自性が強調されていますが、違うようです。むしろ、アルジェリア人シンガーのKhaledが1996年にヒットした「アイーシャ」以来、フランスにおける最も著名なミュ-ジシャンであるように、アラブ音楽がパリをはじめとする西欧の都会で展開し、それが各地に広まった、つまり、アラブからではなく、西欧からアラブに逆流していった面があるようです。このCDアルバムの解説にはそうかいてあります。


Abdel Ali Slimani アルジェリア人の   Moi Et Toi

Abdy   モロッコ人の   Galbi

Dania レバノン人の    Leiley

Amr Diab エジプト人の    Amarain

Hisham Abbas エジプト人の     Intil Waheeda

Hamid El Shaeri リビア人の    Hely Meli


など11曲収録。




Sunday, September 12, 2010

いま平和的生存権が旬だ!

アジア記者クラブ通信218号(2010年9月)

Asia Press Club Newsletter No. 218 (Sept. 2010)

いま平和的生存権が旬だ!

――国連人権理事会における議論

人権理事会諮問委員会で発言

  8月5日、筆者は、ジュネーヴの国連欧州本部で開催された国連人権理事会・諮問委員会第5会期で、NGOの国際人権活動日本委員会(JWCHR)を代表して、発言した。発言趣旨は、次の通り。

  「人権理事会が諸人民の平和への権利の議論を始めたことを歓迎する。諸人民の平和への権利に関してNGOが提出した共同文書を支持する。日本では、2008年5月に9条世界会議を開催した。33,000人の参加者、海外ゲスト200名という大規模な会議で、日本国憲法9条が、軍縮と平和の文化の促進にとって重要であると決議した。9条は日本の法律だけでなく、世界各国の憲法に盛り込むべき平和条項である。2009年6月、コスタリカで同様の会議を開催し、9条とコスタリカ憲法12条の意義を再確認した。国連人権機関が、諸人民の平和への権利の個人的局面と集団的局面に着目して研究を続ける必要がある」。

  諮問委員会は、国連人権理事会(47カ国の政府代表)のもとに設置された専門家委員会(18人の専門家)である。かつての人権委員会のもとにあった人権小委員会と似た位置づけである。今回「諸人民の平和への権利」がはじめて諮問委員会の議題となった。

  国際人権活動日本委員会(JWCHR)は、1990年代から、職場における思想・信条差別など、主に社会権に関連する人権問題を国連人権機関にアピールしてきた、国連NGO資格を保有するNGOである。不当解雇、賃金差別、男女昇格差別などを取り上げるとともに、歴史教科書問題、従軍慰安婦問題や朝鮮人に対する差別問題も取り上げてきた。

スペインNGOのキャンペーン

  これまでの経過を簡潔に整理しておこう。2006年10月、スペインの法律家たちが「平和への権利するルアルカ宣言」採択し、NGOが世界キャンペーンを始めた。国連人権理事会に持ち込んで、平和への権利の議論を巻き起こし、各国政府に要請行動を行い、2008年以後、関連する決議を獲得している。諸国・地域のNGOにも呼びかけた。キャンペーンの中心を担っているのはスペイン国際人権法協会(AEDIDH)である。 http://www.aedidh.org

2010年2月、「ビルバオ宣言」採択した。ルアルカ・ビルバオ両宣言のヴィジョンは、平和とはすべての形態の暴力が存在しないことである。直接暴力(武力紛争)、構造的暴力(経済的社会的不平等の帰結、極貧、社会的排除)、文化的暴力である。法律的見地からは、平和とは国連憲章の基礎であり、世界人権宣言その他の人権文書の指導原理であり、平和そのものが人権と考えられるべきである。諸人民の平和への権利という表現は1984年の国連総会決議に由来する。

  人権理事会は、2008年決議8/9と2009年決議11/4を採択し、平和への権利の研究を始めた。スペイン・グループは、2010年6月、ルアルカ・ビルバオ宣言を踏まえて「バルセロナ宣言」をまとめた。欧州やラテン・アメリカを中心に賛同NGOが続々と増えている。同月、人権理事会は決議14/3を採択し、さらに研究を続けることになった。以上の決議は、毎回賛成ほぼ30カ国、反対12~13カ国で採択されている。日本政府は一貫して反対投票してきた(以上の経過につき、前田朗「平和的生存権の国際的な展開」救援2010年5月号参照)。

なお、諸人民平和への権利right of peoples to peace、実質的平和的生存権right to live in peaceじである(法律論別途詳細検討する必要があるが)。

2010年人権理事会決議

  2010年決議14/3(A/HRC/RES/14/3)は、賛成31、反対14で採択された。投票結果は次の通りである。

  賛成は、アンゴラ、アルゼンチン、バーレーン、バングラデシュ、ボリヴィア、ブラジル、ブルキナファソ、カメルーン、チリ、中国、キューバ、ジブチ、エジプト、ガボン、ガーナ、インドネシア、ヨルダン、マダガスカル、モーリシャス、メキシコ、ニカラグア、ナイジェリア、パキスタン、フィリピン、カタール、ロシア、サウジアラビア、セネガル、南アフリカ、ウルグアイ、ザンビア。

  反対は、ベルギー、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ、フランス、ハンガリー、イタリア、日本、オランダ、ノルウェー、韓国、スロヴァキア、スロヴェニア、ウクライナ、イギリス、アメリカ。棄権は、インド。

 平和的生存権に反対しているのが、EU諸国、日本、アメリカであることに注目しておくべきである。現代世界における戦争勢力は誰なのか、民族自決権を踏み躙っているのは誰なのかを考えるためにも参考になる。アフガニスタンとイラクを見れば明らかなことだが。

  決議の主な内容は、2009年決議を踏襲したものである。わが地球の諸人民が聖なる平和への権利を持つことを確認し、平和への権利の履行の促進が各国の義務であるとし、平和への権利はすべての者のすべての人権にとって重要であるとし、平和・安全・発展・人権を国連システム内で統合することをめざし、国際平和と安全保障の維持・確立が全ての国家の責務であるとし、すべての国家が国連憲章に従って平和的手段で紛争を解決する義務があるとし、平和への権利の実現のために平和教育が重要であるとし、諮問委員会にこの問題について議論し報告書を提出するよう求め、2011年の人権理事会で継続審議すると決めている。

諮問委員会における議論

  こうした経過を経て、本年8月、諮問委員会でも平和への権利が議題として取り上げられ、委員会の中に作業グループが設置された。スペイン国際人権法協会がとりまとめたNGO文書には世界の500ものNGOが賛同している。8月5日、ジュネーヴに集結した5つのNGOは、諮問委員会にアピールするための相談を行い、NGO発言を行った。

  最初に、デヴィド・フェルナンデス・プヤナ(スペイン国際人権法協会)が、これまでの取り組みを踏まえて、人権理事会と諮問委員会の検討を通じて諸人民の平和への権利の概念内容を明確に規定し、国際文書を作るよう訴えた。プヤナとは3月に初めて会ったが、キャンペーンを組織したスペイン国際人権法協会の事務局メンバーである。

続いて、アルフレド・デ・ザヤス(国際人権協会)が、平和への権利の射程の広さを強調して、すべての人権を支えるものとして人権体系に位置づける発言をした。デ・ザヤスはジュネーヴ大学名誉教授で、著名な人権研究者であり、国連人権機関でのNGO活動も豊富である。

ミシェル・モノー(国際友和会)は、テロとの闘いにふれ、テロ対策には戦争ではなく、平和への権利の定式化こそ重要と訴えた。モノーは8月9日にジュネーヴの国連欧州本部正門前で長崎原爆追悼会を主催してきた。

次に筆者の発言があり、最後にクリストフ・バルビー(国際良心・平和税)が、紛争解決の思想と方法としての平和への権利について述べた。バルビーは「軍隊のない国家27カ国」の研究者で、2008年の9条世界会議にも招かれて来日した。

  諮問委員会は作業グループを設置し、2011年1月の第6会期で議論を続けることになった。スペイン・グループは本年12にサンティアゴ・デ・コンポステラでかれる平和への権利NGO国際会議最終文書をまとめて、人権理事会に提出し、平和への権利の法典化を求め、最終的には国連総会での宣言採択をめざす。

今後の課題とスケジュール

  いよいよ「国連・人民の平和への権利宣言」の可能性が見えてきた。

  ところが、残念なことに、国連で諸人民の平和への権利(平和的生存権)が重要議題として審議されているのに、日本国憲法前文や9条が貢献していない。スペイン・グループは日本国憲法9条を知っている(全然守られていないことも)。しかし、日本の平和的生存権の議論をほとんど知らない。言葉の壁は大きい。この間の議論に加わってきた日本人もごく僅かだ。日本政府は断固反対を貫き、日本のマスメディアは報道しない。日本とは無関係に平和的生存権の議論が進む。

  これではいけないと考え、今回は9条世界会議の紹介発言をさせてもらった。9条世界会議の宣言と精神をもとに、今後の議論に日本からも加わっていく必要がある。例えば、2008年のイラク自衛隊派遣違憲訴訟名古屋高裁判決は、平和的生存権の具体的権利性を認めた公文書である。おそらく世界史上画期的な文書のはずだから、国連に報告していく必要がある。長沼訴訟一審札幌地裁の福島判決も燦然と輝く記念碑的判決だ。核兵器投下の違法性に関する原爆訴訟東京地裁の下田判決と同様に世界に広める必要がある。

  今後のスケジュールは、12月12~13日頃、サンティアゴ・デ・コンポステラ会議、そして2011年1月中旬に、諮問委員会である。