Thursday, August 12, 2010

グランサコネ通信2010-26

グランサコネ通信2010-26

2010年8月12日

グランサコネ通信24「思想誤植についてにはたくさんの反応がありました。多くは個人メールでいただきましたがいくつかのML上でもご意見やご質問をいただきました。多かったのは誤植指摘です。退団対談とか、朴烈朴列などいくつかありましたので訂正していますついでに花崎さんの活字誤植指摘れていたのを追加しました

多くの方から、「(花崎さんの本を読んでいないので)内容の当否はわからないが、おもしろかった、ユニークだ、参考になる」との意見をいただいています。「花崎さんのんでみるという数名(宣伝協力してしまった)。

他方、前田「花崎さんを審判する立場、権力があるのかという趣旨質問もいただきました

花崎さんのいましたので消費者です。読みましたので読者です。消費者には購入した商品について意見表明する権利があります。読者にはその著作について意見表明する権利がありしかもその権利個人的権利であるだけでなく、社会的要請にもえることになります。意見表明市民としての使命であり任務です

ML上レッドカードいたので、「審判」「権力」という言葉んでいるようですが、別審判として権力行使しているわけではありません。私個人意見表明しているだけです

花崎さんの「民衆思想」にはすでにいたように、根本的疑問じます。実態「反-民衆思想」だからです。「反」とまでくといすぎとわれるかもしれませんので、「非-民衆思想」くらいが穏当かもしれませんが。主論点提示しましたので、具体的論点についてご意見をおらせいただけますといです

せっかくの機会ですので、補足しておきます。第3論点第5論点なるので、先こうといつつ、書れたことです

花崎さんの正造「民衆思想」が、「生産なき民衆思想」であることはすでに指摘しました。その延長でもう重要なことを指摘しておきます

花崎さんの正造「民衆思想」は、「家事労働なき民衆思想」です。

花崎さんの正造「民衆思想」論中心、著作第6章、第7章しく紹介されています。「無私、無所有、無宿生活」というものです。正造、各地転々、支持者宿泊しながら、調査活動けましたでは、正造どこで、何べてきていたのでしょうか。私資料っていませんが、花崎さんのからわかることはほとんどの場合、正造、支持者食事をしていたであろうことですもちろん、支持者たちは正造歓迎、喜んで食事提供したでしょう。正造、農民たちのために懸命調査活動をしていたのですからこれは正造ほどの人物であるが可能となったことですここでの問題、家事労働なき正造生活とそのっている思想「民衆思想」ぶことが適切かどうかです。私には特権的高等遊民思想としかびようがありませんよしあしを問題にしているのではありません)。第3論点関連するというのは、当時、家事労働っていたのはえればらかです。封建制残滓色濃していたであろう農民たちの当時生活現実、個人判断などきに、女性たちが家事労働専門役割えられていたことはらかです。正造女性たちの家事労働搾取したなどとはいませんが、女性たちの家事労働正造高等遊民生活可能となっているのですこのことに花崎さんの著作では言及していません

なお、花崎さんほどの思想家思想評価するのであれば、著作てをいて、思想構造形成展開れも射程れて議論しなくてはなりませんが、私思想史研究者ではありませんし、花崎論展開するつもりもありません。手元にある1冊んで、疑問提示しただけですただその疑問、花崎さんの思想そのものへの疑問がっているのでさらに本格的える必要があるとはっています

もう20年以上になるでしょうか。水平社批判など金静美さんの一連著作衝撃けたことがありますまた、安川寿之輔さんの丸山真男=福沢諭吉批判ここでわかることは、日本人「内輪褒めの思想史研究」欺瞞性です。日本だけで、日本のことだけを、外影響しないようににやっているにはどうぞご自由ですが、近代日本歴史そのものが対外膨張歴史であり、植民地、占領地での蛮行歴史ですその日本近代受益者である思想家たちが、積極消極濃淡はあれ、侵略占領音頭とりをしていたのです。受益者であり扇動者。このんだ『「戦後」というイデオロギーという、名前えていませんが韓国出身研究者、「幸徳秋水非戦、軍事的侵略反対をしているが、非軍事的手段による朝鮮半島大陸への進出えていたのだという趣旨のことをいていてんとうならされました。経済的侵略です

花崎さんは、言うまでもなくこれまでの著作、植民地支配侵略戦争歴史をきちんと批判、思想的克服する作業けてきた先達ですどの著作非常重要ですところが、正造以下「民衆思想」となると途端「内輪褒めの思想史研究」転落するのです

さて、花崎さんは、正造思想中間まとめの部分、次のようにいています

「一切存在内在してはたらく霊性価値いだし、物質上社会的地位名誉などの否定して、飾らずらずあるがままをたのしむことそれが到達した心境であった。彼感得した真理とは、天地自然においてはとして、人間においては無私、無欲として、社会においては公益徳義として発現するものでありそうした真理あるがままの存在なる姿のうちにあるという洞察であった。」(111頁)

また、「愚弁証法」では、次のようにべています

「正造はもとより弁証法などという論理方法っていたわけではないだが、彼思想弁証法論理体現しているのは、彼思考方法万事『徹底するという方法であったためである。彼極端であることが必要であり、極端までかなければ真理、真実にはないとえていた。愚する、無学すれば、天知すなわち知恵するというようにその場合とは、自分かせて判断することができない無能りようを意味しない。西欧近代化学知、収集した知識情報分析判断その結果技術化する理性活動、知的活動のすべてとするがこれにして、東洋における思想とは、日常生活からずる経験知、暗黙知、身体知、さらにそれが昇華された叡知をより上位思想である。」(135頁)

にもいくつかありますが引用はこれくらいにしますこのような考え方が、花崎さんの「民衆思想」論なのですが、随所で「これが民衆思想だ」と断定しているだけで、「なぜ」「民衆」思想であるのか、説明がないのです。私には、これらが「民衆思想」であるという意味が理解できません。正造の思想が重要であるというのなら、そうですね、と言えますが、これが民衆思想だと言われても、どこが? としか言いようがありません。

花崎さんといの、直ちにそうだそうだと納得するのかもしれません仲間には説明抜きでいいのでしょう

レトリックだけなら、正造農民たち全体つの共同体であったという、民衆共同体正造ることは、一応はできます。家事労働とか説明がつきますしかし、正造思想、他共同体構成員共有していたのでなければおかしなことになります

また、花崎さんは、第8章、「私りの民衆思想家、軍備全廃、戦争反対論者であり、奥すいも民衆思想家共通非暴力平和主義基調いていた」(161頁)べています。(奥すいというのは、正造であり協力者であった思想家新井奥すいですすみません、漢字表記ができません)。先紹介したように、花崎さんは、正造について「日清戦争によって国民正直発見したとして『戦争、国民万歳』日清戦争肯定しているいているのです(53頁)。本書全体正造研究であり、花崎さんの「民衆思想」基本正造です。「戦争万歳という戦争反対論者」。花崎さんは自分いている言葉意味からなくなりめているのです。花崎さん、1931年生まれでまもなく80歳、本人のためにも、周囲レッドカードさなくてはならないのです

あまり批判ばかりいているとそういうおという反論てくることでしょうしここで批判した論理当然、私自身にはねってきますのでそのことはよくじておきたいといます